124 湖畔の家
目が覚めると、知らない人の家で寝ていた。
「……どこだ?」
起き上がって、あたりを見回す。窓の外にある湖が目に入ると、昨夜の記憶が一気に蘇ってきた。グラナティス(大)になったあと、変身解除して湖に落ちたんだっけ。それから後の記憶がないけど、親切な誰かが湖から引き上げてくれたようだ。
ベッドから下りようとして、自分の大きさに気がついた。<転化>を使った覚えがないのに、チビから人間になっている。たぶん、小さいと溺れ死ぬ危険があるから、アイチャンがサービスしてくれたんだろう。
「ありがと、アイチャン」
『どういたしまして』
アイチャンが答えた。ちょっとデレてきたようだ。いいことである。
部屋の外から話し声が聞こえる。
わたしは立ち上がった。膝下丈の白い寝間着を着ていて、それ以外に服も靴も見当たらない。アイチャンに魔法の服を出してもらおうかと考えるが、助けてくれた人がいたとして、部屋になかった服を着て現れたら不自然だろうと思い直す。裸足のまま歩き出した。
ドアを開けると、廊下に珍しい組み合わせがいた。
アーベルとユリウスが並んで手摺りにもたれかかり、下を見ている。向こう側が吹き抜けになっているようだ。シュルツが、大声で話している声が響いていた。いったい何事だろう?
「どうしたの?」
声をかけると、ふたりが振り向いた。暗黒王子の目が生き生きしている。ということは、誰かが酷い目に遭っているということだ。
「声を出すな」
「……何で?」
「頭を下げろ。身を低くして来い」
よくわからんが、わたしが居るとわかると不味いらしい。
昨日のあれで、警察みたいのが来てるんだろうか? 王宮を騒がした罪とかで逮捕されたら確かに不味い。わたしは、頭を出さないようにして手摺りに近づく。床に膝をつくと、並んだ支柱の間から下の階を覗き見た。
どこかの空き店舗らしく、椅子を載せたテーブルが沢山ある。
そこで、二人の大人が言い合いをしていた。
今喋っているのはシュルツで、温厚なシュルツにしては珍しく、険しい表情で声を荒げていた。そんで相手が誰かと言えば、うちの父であった。ココネアに人形にされていたが、無事に復活したようだ。迷宮旅団に貸してもらったらしい黒色のローブを身につけ、いつも通りの殺し屋顔だ。父の後ろには、ミリーとレイル、それにヤスの姿もある。
「父親だからと言って、子供に重い役目を背負わせていい理由にはなりません!」
シュルツが言うと、父が負けじと言い返した。
「わたしが背負わせたのではない。それがグラナの役割だ!」
「グラナティスではありません。イチカには、イチカという名前があります。あなたは、イチカが大勢の人間を殺して何も感じないと、本当にそう思っているんですか? 本人の意志は確認したんですか?」
「新世界の創造のために、犠牲が出るのはしかたがないことだ」
「それはイチカの理想ではなく、あなたの理想でしょう。それなら、あなたが自分自身の手でやればいい。先程から聞いていれば、汚い仕事は全部イチカに押しつけて、自分は何も背負わず、成果だけをかすめ取ろうとしている。父親として、いえ、ひとりの大人として恥ずかしいとは思わないんですか!」
シュルツの正論に、父が黙りこんだ。スコープを家に忘れてきた殺し屋みたいな、ちょっと焦った顔をしている。父の援護をすべきヤスは静観を決め込んでおり、ミリーとレイルは、正論の流れ弾を食らって項垂れていた。ちょっと可哀想に思ったが、これであきらめてくれると大変嬉しいので、もう少し見守ることにする。
黙っていた父が、訴えかけるように両腕を広げた。
「だが、人間の力には限りがある。世界を変えるような大事業を成すには、どうしてもグラナの力が必要なのだ!」
「では聞きますが、あなたの言う新世界にイチカの居場所はあるんですか? 新世界の住民はイチカの犠牲について何も思わないんですか? イチカを犠牲にして誕生した世界が、本当に理想郷と呼べるんですか?」
質問を重ねながら、シュルツは親指で目尻をぬぐう。わたしを庇って話しているうちに、感情移入してしまったようだ。涙を飛ばし、キッとなると父の顔を睨みつけた。
「俺なら、そんな世界に住みたいとは絶対に思いません!」
父とシュルツの間に火花が散る。このままだと殴り合いになりそうな雰囲気だ。
わたしは立ち上がった。シュルツの正論を食らっても、父が主張を曲げる様子はない。やっぱり、わたし自身が父と対決し、話をつけるしかないようだ。
階段を下りて行くと、途中にバルマンさんが立っていた。二階にユリウスがいるから、ここで門番をしているらしい。わたしを見ると、黙って場所を空けてくれた。
気付けば、部屋の中が静まり返っている。
皆に見守られながら階段を下りきると、わたしは足を止めた。
「えっと、わたしだけど……?」
ヤス以外、この姿で会うのは初めましてだ。父はともかく、ミリーとレイルはわたしだとわかってくれるだろうか?
「グラナ!」
歓喜の表情で父が走ってきたが、それを追い抜いて、ミリーとレイルがわたしのとこに駆け寄った。チビの時は巨人に見えたけど、こうして見ると普通の女の人だ。ふたりは、食い入るようにわたしを見つめている。触りたそうに両手を上げたものの、その状態でガタガタ震え始めた。
「グラナ様にも、アントラ様にも似てる! なんて愛らしい!」
「小さい! 手足が細い! 凜々しくて可愛い!」
そう言うと、感極まった様子で抱きついてきた。わたしだとわかって貰えたのは嬉しいが、相変わらず愛が重い。押しつぶされながら、わたしは何とか口を開いた。
「ミリーとレイルにまた会えて、すごく嬉しい」
わたしが言うと、ふたりは声を上げて泣き始めた。
「グッ、グラナ様。約束を破って、ごめんなさい!」
「ひとりぼっちで川に流して、ごめんなさい!」
わんわん泣きながら、謝ってくる。三人で生き延びようという約束を破って、わたしだけを逃がし、自分たちは敵を足止めするために森に残った。のけ者にされたことを恨んだりもしたが、今はああするしかなかったと理解している。苦労して腕を引き抜くと、わたしはふたりの背中に腕をまわした。
「わたしが無事だったのは、ミリーとレイルのおかげだよ。ありがとう」
ふたりはしばらく泣きやまず、順番待ちの父が後ろでウロウロしていた。ヤスがやってきて、ミリーとレイルに声をかけた。
「そろそろ、アントラ様に代わってあげなさい」
ミリーとレイルがしぶしぶ離れると、わたしは父の方を向いた。父は近づいてきたものの、わたしに辿り付く前に床に泣き崩れた。
「グラナ……ち、ちょっと離れてる間に……こんな……立派になって……」
床にうずくまって泣き始めた。でかくなったのは父の魔法のせいであって、本体の方は1ミリも成長していないのだが、何を見て立派と言っているんだろう? わたしは、しゃがみこむと父の頭をよしよしした。世界の破滅をもくろんでいる殺し屋顔のテロリストだけど、どういうわけか悪い人ではないのだ。
「グラナ。あの男は、お前の何なんだ?」
泣き腫らした目をした父が、シュルツの方を指さしながら聞いてきた。シュルツは、階段下でアーベルと立ち話をしている。わたしたちは、話をするために部屋の隅にあるテーブルに集まり、ヤスが半球型の防御壁を設置してくれていた。これで、中の声は外に聞こえないそうだ。
「仕事先の先輩。魔法教えてくれる先生でもある」
「わたしがグラナに教えたかったのに!」
「人形にされてたんだから、しょうがないじゃん」
「ちょっとばかり油断したせいで……」
「パパの力でも脱出無理だったの?」
「うむ。グラナに呼びかけられるまで、まったく意識がなかった」
実家の城でやられてから、意識を取り戻すまでの記憶がさっぱりないそうだ。わたしが湖に落ちたあと、何とかヤスに助けを求め、人形の魔法を解除してもらった。枕の下に押し込められていたラハイヤさんも、見つけて元に戻してきたそうだ。
父人形から救助信号を受け取るまで、人形兵の中身が人間だとヤスは気付かなかった。それほど、よくできた魔法だと言う。
「そういや、ココネアは?」
聞くと、ヤスが答えた。
「ここにいます」
そう言うと、持っていた袋の中をちらっと見せてくれた。中に、青緑色の髪に白いドレスを着た人形が入っている。これが今のココネアらしい。わたしはびっくりした。
「どうやって人形にしたの?」
「ココネアの魔導書を見ました。あれはグラナ様が?」
「そうだよ。今はもうできないけど」
「とても良い判断でした」
「えへへ」
グラナティス(大)になった時、温室にいた全員をココネアの魔導書の管理者に設定した。ヤスは管理者権限を使って、ココネアの魔導書を覗き見たそうだ。ココネアの部屋にいた他の人形たちも、確保して別の場所に保管している。誰が誰やらわからんから、全員持ち出してきたそうだ。ガロリアの王族とかも混ざってるから、それはラハイヤさんに渡した方がいいだろう。
わたしは、深呼吸をした。グラナティス(大)の話題も出たことだし、気持ちがくじける前に話しておこう。父の方を見ると、切り出した。
「あのさ、世界を滅ぼして新世界を創るって計画、考え直してもらえないかな?」
残り4話です。
ブクマ、評価、感想、ありがとうございます。
誤字報告ありがとうございます。とても助かります
もう少しお付き合いください。