123 破壊の竜の眠り
※シュルツ視点の話です。
バルマンが入って行ったのは、砂浜にほど近い建物だった。入った所が広い部屋になっており、右側の壁沿いに二階へ上がるための階段がある。一階の半分が吹き抜けになっているので、二階部分の廊下と、並んだ扉が見て取れた。
イチカを抱えたバルマンが、階段を上りかけて足を止める。肩ごしに振り向くとシュルツを見下ろした。
「お前は、そこで服を乾かせ」
一階の奥にある、大きな暖炉を顎で示した。シュルツは、不服そうに眉をひそめる。ずぶ濡れなのはイチカも同じなのに、なぜ俺だけ追い払われるのか。
「家のどこかに、女性がいるんですか?」
「いない。わたしと若だけだ」
「……誰がイチカを介抱するんですか?」
「お前でないのは確かだ」
「あなたに任せるつもりもありません!」
シュルツは強く言った。もし彼らが、赤い竜とイチカの関係に気付いているなら、目を離した途端、どこかへ連れ去られる可能性もある。
バルマンが、醒めた目でシュルツを見た。
「娘を拐かすつもりなら、お前は湖に沈めている」
「それはそうですが……」
「心配しなくとも、女の裸なら見慣れている」
「そっ、そういう問題ではありません!」
「医術の心得があるという意味だ」
勘違いするなとバルマンが言う。シュルツは、顔が熱くなるのを感じた。ポーションで怪我は治せても、病を治すことはできない。医術師は、魔具や薬草を使って病を治す専門職だ。それなら、患者の裸も多く見ているだろう。しかし、それでイチカをまかせる理由にはなっても、シュルツが追い払われる理由にはならない。
「いや、でも――」
食い下がろうとすると、背後からユリウスに肩をつかまれた。
「あとはバルマンにまかせておけ」
「ですが」
「無断で連れ出すようなことはしない。俺が約束する」
年下の青年にそうまで言われては、了承するよりない。
シュルツは、しぶしぶ引き下がった。
バルマンが二階の部屋に入るのを見届けてから、シュルツは室内を見回した。いくつもテーブルがあり、椅子が逆さに上げてある。空き店舗のようだが、長く営業していないようだ。壁紙は色あせ、他にも修繕が必要な箇所があちこち見受けられる。サラウース家の所有には見えないが、空き家に忍び込んだという様子でもない。おそらく、隠れ家のひとつなのだろう。
ユリウスが毛布を貸してくれたので、服を脱いで毛布にくるまった。懐中時計を確認すると、水に浸かったにもかかわらず、正確に動いていたので安心する。濡れた服を床に置き、<水球>を唱えて水分を取り除く。灰入れの容器に水を捨て、まだ湿っている服に袖を通すと、暖炉に火を入れて暖を取った。
二十分ほど経ったところで、バルマンとユリウスが下りてきた。
「イチカは?」
「よく眠っている。怪我はない」
「……ありがとうございます」
さっそく二階へ行こうとしたが、バルマンに進路を塞がれた。
「……何ですか?」
「その前に、若に洗いざらい話して行け」
「あとにしてもらえませんか?」
シュルツは嫌な顔をした。助けて貰ったことには感謝しているが、サラウース家の者に命令される覚えはない。何か要求されるにしても、イチカの無事を確認するのが先だ。
ユリウスが、親しげにシュルツの肩に腕をまわした。
「おい色男、俺を誰だと思っている?」
「サラウースの……」
「お前たちの命の恩人だ。違うか?」
「……いいえ」
「ドラゴンの件については追求しないでおこう」
「いったい、何のことでしょう」
「その代わり、エスター宮で何があったのか全部話せ」
バルマンが、椅子を二つ運んできて暖炉の前に置いた。腰に手を当てると、無感情な目でじっとシュルツを見る。シュルツは、ため息をついた。
エスター宮で起きた出来事は、シュルツの一存で外部に漏らせることではない。だが、多少の見返りは差し出すよりないようだ。幸い、ユリウスは赤い竜のことは追求しないと言っている。ガロリアの女王のことも秘匿する必要があるが、それ以外のこと――国王が人質に取られ、近衛に救出されたことであれば話しても大丈夫だろう。サラウースであれば、いずれ嗅ぎつけるはずだ。
椅子に腰を下ろすと、シュルツは昨日の午後からの出来事を話し始めた。
話を終え、バルマンの許可が出るとシュルツは二階に上がった。並んだドアのひとつが、薄く開けてある。イチカが目を覚ました時、誰かを呼べるようにとの配慮だろう。部屋に入ると、後ろ手に扉を閉めた。
暖炉に火が燃え、室内は暖かい。窓辺に寝台があり、その上でイチカが仰向けに横たわっていた。白い寝間着に着替えさせられ、静かに寝息を立てている。
椅子がなかったので、ベッドの端に腰かけた。
手をのばし、イチカの前髪を指でかき分ける。額を出すと、手のひらで触れた。温かい皮膚の下に、頭蓋骨の硬い感触がある。前に触れた時にも思ったが、本当に生きているようだ。魔法の姿とは信じられない。ケレースで、仔猫ほどの大きさのイチカを手に乗せたことをシュルツは思い出す。あの小さな竜が、この中で眠っていると想像すると奇妙に感じた。
ベッドの端に腰かけたまま、しばらくイチカの寝顔を眺めていた。
ふと窓の外を見る。群島の向こうにある王宮島に目を留めた。
夢のような一夜だったと思う。
渡された絵本を読んだものの、そこに出てくる竜がイチカだとは到底信じられなかった。言ったのがアーベルでなければ、悪ふざけだと思っただろう。しかし、絵本に出てきた赤い竜は実在した。その姿も、膨大な量の魔素を保持する、凄まじいまでの力もこの目で見た。ココネアの魔法が突然消えたのも、おそらくイチカがやったのだろう。
ミリーとレイルの話によれば、イチカの父親は「魔術師同士が争い合う世を変えたい」と言っていたという。グラナティスの名前こそ出さなかったが、絵本の内容を再現するため、イチカの卵を孵化させたに違いない。絵本の少年と同じように、今ある世界を竜の力によって滅ぼし、新たな世界で王となるつもりなのだ。――しかし、イチカがそれを承諾したとは思えない。
心優しく、それでいて勇気のある子だ。いくら父親の願いであっても、人殺しの命令を素直に聞いたはずがない。実際、グラナティスとして目覚めながら、ココネアを無力化しただけで、何もせずに元に戻っている。
眠っているイチカを見下ろし、シュルツは呟いた。
「イチカの父親……」
顔も知らない男だが、その相手に対し猛烈な怒りを感じた。ココネアに囚われているのではないかとアーベルが言っていたが、解放されれば、イチカを連れ戻しに来るに違いない。育ての親とはいえ、人殺しを強要するような者の元に、イチカを帰すわけにはいかない。どうすれば、イチカの親からイチカを守ることができるだろう。
考え込んでいると、小さくノックの音がした。
返事をする前に扉が開く。アーベルが部屋に入ってきた。
「先程は、ありがとうございました」
アーベルの魔法のおかげで、イチカの確保に間に合った。あれがなかったら、深く沈んだイチカを捕まえられなかっただろう。アーベルは、軽くうなずくと眠っているイチカの方を見た。
「あれから目を覚まさないのか?」
「はい。怪我はないようですが……」
「世のためには、二度と目覚めない方がいい」
「またそんなことを……」
「本気で言っている」
「何が起きたんだと思いますか?」
「わからん。これに聞いてみるしかないだろう」
そう言うと、寝台を見下ろす。確かに、イチカに聞くのが一番早い。だが、本当に世界を滅ぼしかけていたとしたら、話すのは辛いだろう。
「陛下は、無事でしたか?」
ラハイヤだと思っていたのは、ココネアの幻術だった。本物は見つかったのか、また、ココネアに倒された者たちは無事だったのだろうか。
「無事……とは言いがたかったが、無事だった」
歯切れ悪く、アーベルが答えた。
ココネアの魔法で姿を変えられていたが、ジャハリが元に戻したと言う。ということは、刺されたジャハリも無事だったようだ。彼らのことを思い出すと、シュルツは拳を握りしめた。ジャハリも、そしてミリーもレイルも、イチカの父親の思想に賛同している。ということは、イチカが世界を滅ぼすことを望んでいるのだ。
「彼らに、イチカを渡すわけには行きません」
シュルツは言ったが、アーベルの反応は薄い。ちらと扉の方を見てから、腕を組むと口を開いた。
「だが、相手はイチカの親だぞ」
「本当の意味での親ではないでしょう」
「他人から見ればそうでも、イチカはそうは思っていない」
「それはそうですが……」
「イチカは、自分が覚醒したら殺せと言った」
告げられた言葉に、シュルツは衝撃を受けた。まさかと思ったが、イチカの言いそうなことだと思い直す。誰かを殺すくらいなら、自分が死んだ方がましだと考えたのだろう。アーベルに話したのは、イチカが絵本の竜だとアーベルが知っていたからだ。
「どうして黙っていたんですか!」
「では聞くが、お前にこれが殺せるのか?」
「それは……」
シュルツは返答を迷った。普通に考えれば、できない。だが、自分の身に置き換えるとイチカの気持ちが痛いほどわかった。自分の意志に反して暴走し、止める方法もないのだとしたら、誰かに殺して欲しいと願うだろう。
「それがイチカの願いなら、俺がこの手で殺します」
「ならば、今すぐ息の根を止めてやれ」
「また極端なことを……」
「なぜだ? 眠っている今が好機だろう」
「そうするより他に方法がないのであれば、そうします。ですが、イチカ自身が殺戮や滅亡を望んでいるわけではありません。望んでいたなら、自分を殺せとは言わないでしょう」
「当人はそうでも、父親の考えは違う」
「それなら、イチカの父親からイチカを守ります」
イチカを殺さないためには、危険な思想を持つ父親から引き離すよりない。イチカが目を覚ましたら、まずは父親と距離を置くよう説得しようと考えた。
アーベルは、値踏みするように目を細くしている。唇の端を上げると、視線で扉の方を示した。
「では、さっさと追い返してこい」