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122 消失と墜落

※シュルツ視点の話です。


 ココネアの幻術が、唐突に消え失せた。振り上げられた大鎌がかき消え、血塗られた剣だけがその手に残る。別の幻術を出すつもりかと近衛たちが身構えるが、ココネアの様子がおかしい。何かに気付いたように天井を見上げると、怯えた様子で後ずさった。


「……いったい」


 ココネアは何を見たのか。視線を追ったシュルツは、思わず息を呑んだ。ガラスで覆われた天井の向こう。北の空の上に、こちらを見下ろしているドラゴンの姿が見えたからだ。星々の輝く夜空を背景に、全身から淡い光を放っている。


 それは、アーベルから渡された絵本の竜に似ていた。


 赤い鱗に全身が覆われ、瞳は金色で、ルビーのように輝く一本角が額から突き出している。だが、特徴が一致するというだけで、絵本の竜のような凶悪な顔はしていない。霊妙な気配に身がすくむと同時に、このように美しい生き物がいるのかとシュルツは瞬きも忘れてドラゴンに見入った。黄金の瞳には知性が宿り、容姿もすらりとして品がある。以前に見た小さなドラゴンは可愛らしい様子だったが、それが成長した姿だと容易に想像がついた。


 驚きつつ、シュルツは思う。

 では、イチカは本当にグラナティスだったのか。

 絵本の内容が事実であれば、グラナティスは世界を滅ぼす破壊竜だ。それが現実に現れたということは、今まさに世界の破壊が行われようとしているのか。


 シュルツの横で、アーベルが呟いた。


「……本当に化け物だったとは、驚きだ」


 その声を聞いて、シュルツは我に返る。眉をひそめつつアーベルを見た。


「そんな言い方をしなくても」

「化け物でなければ、害獣だ。ともかく、外へ出るぞ」

「イチカを元に戻せるんですか?」

「知らん。王宮を攻撃し始めたら首を落とす」

「イチカを殺す気ですか?」

「あれはイチカではない。前はそうだとしても、今は違う」

「そんなことは……」

「あの化け物に話が通じると思うのか。殺さなければ、こちらが殺られる」


 シュルツは絶句した。アーベルは本気のようだ。


 アーベルが温室の出口へ向かって走り出したので、シュルツもあとを追った。廊下に出たアーベルは、近くにあったステンドグラスを魔法で叩き割った。窓枠に足をかけると、四階の高さから飛び下りる。シュルツもすぐに続いた。


 エスター宮の北側は、植樹された木々が枝を広げる人工の森だ。


 真夜中にもかかわらず、木々の下には濃い影が落ちていた。


 空が明るい。いきなり夜が明けたようだ。


 シュルツは、空を見上げた。


 夜空全体が、淡い白に染まっていた。明るさの正体は、ドラゴンの身体から放たれている大量の魔素だ。魔素は、離れるそばから霧散して消えて行く。この量であれば、魔術師でなくとも魔素の光を見ることができるだろう。巨大な身体そのものが魔素で出来ていたようで、魔素の放出と共に、ドラゴンの姿が薄くなる。じきに、向こう側にある星々が透けて見えるようになってきた。


 アーベルが、息を弾ませながら言った。


「何が起きている……?」


「イチカが、ドラゴンの力を手放したんでしょう」


 シュルツは言った。イチカが、世界の滅亡を望むとは思えない。何かの理由で力を得てしまったが、それを使う前に手放したようだ。だが、そんなことをして、イチカの身体は大丈夫なのだろうか。


 悪い予感に襲われ、シュルツはアーベルを追い越すと疾走した。魔素の明かりに影を落としながら、森を駆け抜け、王宮島の端を目指す。走っている間に、ドラゴンはほぼ形を失っていた。魔素の光だけが残っており、その中心に小柄な人影が横たわっている。


 シュルツは全力で走った。だが、島の端に至る前に、空にあった人影が湖面に向かって落下するのが目に映った。


「――イチカ!」


 島の周囲に壁はなく、森の端は切れ落ちている。島の端で踏み切ると、シュルツは湖に向かって跳んだ。手をのばすが、落下するイチカにはとうてい届かない。そう思った時、強い風に背中を押され、身体が前方に吹き飛ばされた。おそらく、アーベルが魔法を使ったのだろう。息が止まりかけたが、おかげでイチカに近づくことができた。


 イチカが湖に落ちる。そのすぐ近くにシュルツも落ちた。


 息を吸い込むと、沈んで行くイチカの体を追った。


 空から光が消えつつある。真っ暗になる前に、どうにかイチカの体をつかまえ、急いで水面に引き返す。水から顔を出した途端、空の光が完全に消えた。


「イチカ! しっかりしてください!」


 名前を呼んだが、イチカは返事をしない。意識がないようだ。確認すると、心臓は動いており、呼吸もしている。シュルツはほっと息を吐いた。


 周囲は闇に包まれている。アーベルが警備艇に連絡したとしても、居場所がわからないだろう。着火用の鉄を出そうとして、シュルツはまずいことに気がついた。

 真夜中とは言え、あれだけ派手な光を放っていたのだ。空に浮かぶドラゴンの姿を、誰かに見られたかもしれない。なかには、湖に落ちる人影に気付いた者もいるはずだ。警備艇に助けられようものなら、イチカが人間でないと大勢の者に知られてしまう。


 <月の瞳>の魔法をかけてから、シュルツは辺りを見回した。湖を囲む街の明かりが見えているが、王宮島は湖の中央にあるため、どの岸も遠い。おまけに、風のせいで絶えず波が立っていた。だが行くしかない。イチカを仰向けに浮かせると、シュルツは北側の岸を目指して泳ぎ始めた。





 イチカの顔に水が被らないよう、シュルツは慎重に泳ぎ進んだ。

 元々、泳ぎはあまり得意ではない。その上、周囲には一粒の魔素もなく、持っていた魔素もすぐに尽きてしまった。服と武器を身につけたまま、気を失った人間を抱えて泳ぐのは、思った以上に骨が折れた。


 息を整えるために少し止まる。王宮島の方を振り返った。

 島の周囲に何艘もの警備艇が浮かんでおり、湖面に照明を向けている。おそらく、空から落ちた人間を探しているのだろう。あの場を離れたのは正しい選択だったと、シュルツは安堵する。だが、夜が明ける前に岸に着かなければ、誰かに見つかってしまう。


 シュルツは、遠い岸を目指して泳ぎ続けた。


 東の空が白み始めるころ、湖畔にある砂浜が見えてきた。

 

 息を荒げながら水をかき、残った力を振り絞って岸に上がった。


 上がったと言っても、身体の半分は水に浸かったままだった。イチカを抱えたまま波打ち際に横たわり、腰から下は波に洗われている。身体は冷えきり、泳ぎ続けた手足が鉛を詰めたように重い。街の住民に見つかる前に、どこかに身を隠した方がいい。そう思ったものの、すぐには立ち上がれそうになかった。

 

 呻きながら肘を突いた時、近づいてくる足音に気付いた。


 目を向けると、二人の男が歩いて来るのが見えた。どちらも知っている顔だ。ただし、ここで会いたい人物ではなかった。


「久しぶりだな、色男」


 気安い様子で、ユリウスが言った。


 バルマンが近づいてきて、イチカの傍に膝をつく。息を確かめてから抱き上げると、感情の読めない目をシュルツに向けた。


「お前は歩け」


 そう言うと、背を向けて歩き出した。


 助かった――そう思ったが、何か腹が立ってシュルツは顔をしかめる。どうにか立ち上がると、ふらつきながら歩き出す。捜索が岸にも及ぶかもしれないと思いつき、足跡を消そうと振り向くと、ユリウスが砂を蹴って痕跡を消している所だった。さすがに抜け目がない。


 湖に顔を向けた。警備艇の影が湖上に見えているが、薄暗い上に距離があるので気付かれてはいないだろう。だが、一刻も早くここを離れた方がいい。シュルツは湖に背を向けると、イチカを抱えて歩くバルマンのあとを追った。

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