115 真夜中の出立
空が暗くなってきたころ、迷宮旅団の人がラハイヤさんとわたしの食事を運んできた。わたしの分はヤスが指示したらしく、ちょうどいい量が小皿に盛ってあった。夕食を終えると、ラハイヤさんがヴェルカたちを飼育小屋に入れて扉に閂をかけた。夜は安全なとこに集まって寝る習性があり、呼ばなくても自然と小屋のまわりに集まってくるんだそうだ。ところが。
「シノブがいない……」
ヴェルカたちの数を数えたあとで、ラハイヤさんが絶望の声を上げた。
「眠くないと、小屋に入れられないように隠れるんだよ……」
放置したら放置したで、夜中に入れてくれと大騒ぎするので探さないといけないそうだ。とんだワガママ娘である。
ラハイヤさんがシノブを探す間、わたしはお風呂を使わせてもらうことにした。バスタブだと溺れるし、丁度良い器もなかったので、洗面台にお湯を張ってもらう。チビサイズだと、なかなかの大浴場である。
ひと泳ぎしたあとで、洗面台の縁に頭をのせて手足を伸ばした。
湯気で曇った鏡を見上げながら、今日知ったことを頭の中で整理する。
時系列に並べるとこうだ。
炎竜の卵を探して各地を旅していた父は、氷山の中でわたしの卵を発見し、数人の部下の人とともに氷山から掘り出した。でも、卵がなかなか孵らなくて、もっと人手が欲しいよねってなってガロリアに向かった。何でガロリアかと言うと、建国の話が根付いていてグラナティスを知っている人が大勢いるからだ。
そのころ、ガロリア国内では大波乱が起きていた。王女の一人であったココネアが親兄弟を皆殺しにし、問答無用で女王様になったからだ。直系の王族は死に絶え、臣下も民衆もココネアが怖くて逆らえない。表立っての混乱はなかったものの、国民の間には動揺が広がっていた。
その混乱に乗じて、父はガロリアの魔術兵を勧誘してまわった。「何だと思う? これね、グラナティスの卵」なんて会話があったかどうかは知らないが、「一緒に世界滅ぼして新世界創ろうぜ!」という父の言葉を信じて、夢見がちな魔術師数十名がガロリアを出奔し、父の部下になった。
炎竜の卵を孵化させるべく、試行錯誤すること一年。精神魔法を撃ち込んで、強制的に目覚めさせよう作戦が成功し、わたしが卵から孵った。組織のマスコットとして甘やかされ放題で暮らしていたが、一ヶ月後、実家は魔術師の襲撃を受けて炎上した。わたしは、世界滅亡を阻止しようとする正義の魔術師だと思いこんでいたけど、実際は、自分とこの魔術兵を引き抜かれ、激怒したココネアと現ガロリア魔術兵が報復しに来たのだった。
ほとんどの人は逃げのびたものの、父と部下数名が行方不明になってしまった。ヤスは、ココネアが行方を知っているものと考え、近辺を探るためにココネアの手下になった。たぶんどっかに封印されてるっぽいが、今の所どこにいるかはわかっていない。
実家を襲ってしばらくして、ココネアは少数の部下と共にハリファールにやって来た。ガロリアだけでは飽き足らず、ハリファールも自分のものにすると決めたようだ。どういう思考でそう決めたのかは不明だが、富と権力をアグレッシブに求めて行くところは、とても悪党らしい。
先代の王様が亡くなってから、ハリファールにはふたりの王様が存在していた。エスター宮に閉じこもり、その中でしか政務を行わないラハイヤさんと、ラハイヤさんの代理として会議やら視察やらに出かけるサレンスさんだ。ラハイヤさんが宮殿の外へ出ないのは、絶滅寸前のヴェルカたちを救うためで、五年間という約束で閉じこもる許可をもらった。これはラハイヤさんとサレンスさん、ふたりだけの秘密の約束だ。
ヴェルカの研究のため、自主的に閉じこもっていたラハイヤさんは、乗り込んできたココネアによってガチに監禁されてしまった。ココネアは偽ラハイヤさんを使って近衛の魔術師を追い出し、サレンスさんも立ち入り禁止にした。近衛が何で騙されてしまったかと言うと、レギュラーメンバーはサレンスさんの警護についていて、ラハイヤさんの警護は補欠が務めていたからだ。それに相手が悪かった。
ココネアの目的は、ラハイヤさんと結婚してハリファールの王妃様になることだ。本人曰く、ここで王妃となるための既成事実を作る、とのことらしいが、今のとこラハイヤさんは温室にほったらかしにされている。王立図書館にも遊びに行ってたし、本来の目的を忘れてハリファ観光を楽しんでいるのかもしれない。
サレンスさんがクーデターを起こす気だと知ったココネアは、邪魔者を倒すことに決めたようだ。本物のラハイヤさん(通信幻影)をアーベルたちに会わせ、本物の口から、監禁され、人質になっている事実を伝えた。これで近衛を誘い込み、一網打尽にしようという計画らしい。
近衛の魔術師は強いけど、めちゃめちゃ強いココネアに勝てるかどうかはわからない。でも、太陽の魔術師である父がいれば、間違いなくココネアを倒すことができる。そのため、わたしは温室を抜け出し、封印された父がいるかもしれないココネアの私室に忍び込むことを決意した次第である。
温室から出るチャンスは、今夜遅くだとラハイヤさんが言った。
何で? と聞いたら、近衛が今夜突入してくると言う。
「僕が敵に囚われているとわかった以上、サレンスならすぐに行動を起こすはずだ。密かに侵入するとしたら、敵の警戒が緩む真夜中だと思う」
とのことだ。二人三脚で政務をやってるだけあって、サレンスさんの考えがわかるらしい。ヴェルカの研究も黙認してもらってたし、すごく仲良しなんだろう。
あれから、ヤスは姿を見せていない。
こんな時間だし、今日はもう来ないつもりのようだ。
ヤスが来ないとロック解除してもらえないけど、近衛の突入は今夜だ。こうなったら、魔法なしで何とかするしかない。
「……魔素だけなら、いっぱいあるのになあ」
わたしは洗面所の中を見回した。温室に緑が多いおかげで、ここにも沢山の魔素が浮いてるのが見えている。――あれ? 魔導書の機能停止されてるのに、何で魔素が見えるんだろう?
「……気のせい?」
わたしは、洗面台の縁から頭を上げた。いや、気のせいじゃない。ちゃんと見えてる。
「そういや、補助機能って言ってたっけ……」
魔導書を取り込んだばっかりの時、魔素が見えないと言ったら、アイチャンが補助機能をオンにして魔素を見えるようにしてくれた。それっきり忘れてたけど、いつの間にか補助なしで見えるようになっていたらしい。普通にしてると魔素は見えないが、「魔素を見よう!」と意識するとじわっと見えてくる。脳の別のとこで見てる感じで、意識して初めて見えるようになるようだ。
「てことは、魔素も集められる……?」
軽く引き寄せてみると、浮かんでいる魔素がこっちに動いたので、あわててカットした。そうだよ。これは、魔導書持つ前だってやれていた。
実家にいて、まだ魔導書の存在を知らないころ、魔素を集める修行で巨大な魔素玉をこしらえた。こしらえただけでなく、ドラゴンパワー的なあれで、集めた魔素を雹の雨のように降らせて地上をぼこぼこにした。つまり、魔法が使えなくても、魔素の弾丸なら撃てるってことだ。どうしよう、めっちゃシュルツに自慢したい。
「シュルツ、心配してるだろうな……」
シュルツのことを思い出すと、わたしは悲しくなった。
ダーファスで迷子になった時もすごく心配してたし、絶対心配してるだろう。サレンスさんが近衛乗り込ませるらしいけど、シュルツとアーベルも来るんだろうか。ココネア強いから来ない方がいいけど、来てくれたらとても心強い。念のために、ラハイヤさんに伝言を残しておこう。
お風呂から出たあとで少し眠り、真夜中に目が覚めた。
起き上がってラハイヤさんを探すと、カンテラを持って草地の真ん中に立っているのを見つけた。目を閉じ、耳を澄ますような表情をしている。近衛が突入してくるのを、じっと待っている様子だ。わたしも聞き耳を立ててみる。変な物音とかはしない。まだ来てないか、それとも、もう忍び込んでいるんだろうか。
「ラハイヤさん。近衛の人、来た?」
東屋から出て声をかけると、ラハイヤさんが首を横に振った。
「わからない。でも、時刻からしてもう居る気がする」
わたしを拾いあげ、肩に乗せる。温室を出る扉の方へ向かった。
「決意に変わりはない?」
「ない」
近衛の人が、迷宮旅団を倒すかもしれない。でも、もし倒せなかったら。わたしが動かなかったことで、ヤンデレ少女がハリファールを乗っ取ってしまうかもしれない。あとから後悔しないように、やれることはやっておきたい。
ラハイヤさんが扉の前に立つ。鍵がかかってるけど、どうするつもりだろう。
眼鏡を押し上げてから、ラハイヤさんが呪文を唱え始めた。
両腕を上げ、電撃みたいな魔法で蝶番を攻撃すると、壊れた扉が外側に倒れた。廊下に出ると、ふたりの見張りが驚いた顔をしていた。その見張りに向かって、ラハイヤさんがさっきのより弱い電撃魔法を放つ。ビリッとなってから、見張りが床に崩れ落ちた。簡単な護身魔法しか使えないって言ってたけど、どうやら謙遜だったようだ。
廊下には魔具のランプが設置され、見える範囲にほかの魔術師たちの姿はなかった。でも、巡回警備はしているだろうから、ぐずぐずはしてられない。
ラハイヤさんが膝をつき、わたしを床の上に置いた。
「じゃあ、くれぐれも気をつけて」
「外に出してくれて、ありがとう。もし、アーベルとシュルツが来たら、わたしは五階に行ったって伝えてくれる?」
「わかった。必ず伝えるよ」
わたしは満足する。行こうとすると、開いたままの扉から茶色の毛玉が飛び出してきた。小屋に入れられるのが嫌で、逃亡していたシノブだ。
シノブは、わたしの匂いを嗅いだあと、床に前足をついて身を伏せた。乗れと言っているようだ。移動を手伝ってくれるつもりらしいが、ココネアに見つかったら、刻んで鍋にされてしまうかもしれない。一緒に連れて行くわけにはいかなかった。
「ラハイヤさん」
「……ちょっと待って」
ラハイヤさんがシノブを持ち上げようとしたが、シノブは床の継ぎ目に爪を立てて抵抗する。ラハイヤさんは、ため息をつくとその場にしゃがみこんだ。
「やれやれ、こっちも決意は固いようだ」
「でも、危ないし、連れてけないよ」
「危ないのは君も同じだろう?」
わたしを掬い上げると、シノブの首の後ろにちょこんと乗せた。
「時間もないし、シノブに連れて行ってもらった方が早い」
「本当にいいの?」
「だめと言っても、シノブが聞かないだろう」
「それもそうか……」
ラハイヤさんもこう言ってることだし、上まで連れて行ってもらおう。
「危なくなったら、すぐに逃げるんだよ?」
もふもふの頭を撫でると、シノブが鼻を鳴らした。実は、ちょっと心細かったので、シノブが一緒だととても心強い。わたしはラハイヤさんを見上げた。
「じゃあ、娘さんお借りして行きます」
「うん。君も怪我しないようにね」
わたしが毛を掴むと、シノブは前傾ジャンプで廊下を進み始めた。