114 囚われの王
わたしは東屋の柵をよじ登って、机の上に移動した。ラハイヤさんの書類を汚さないよう端っこに集めてから、空いたスペースに白紙の紙を広げてペーパーウエイトで押さえる。筆記用具を漁ると、嬉しいことに小筆を見つけた。チビ状態でつけペン使うのは難易度が高いので、とてもありがたい。
苦労してインク瓶の蓋を開け、小筆にインクを吸わせると、紙の上に移動して線を引き始めた。バケツに墨入れて、袴姿でやるのをテレビで見たなと思いながら、インク瓶との間を往復する。何を書いているかと言えば、エスター宮五階の見取り図である。
ヤスがロックを外してくれれば、カンニングペーパーをとり出せるんだけど、すぐには解除してくれなさそうなので、記憶を頼りに書いてみることにした。ラハイヤさんに頼んだ方が早いかもしれないが、どうせやることないし、自分で書いた方が覚えきれてないところが把握できる。
「できた!」
完成した見取り図を見るために、わたしは近くの本の山に登った。
「……」
紙の上には、よくわからないアート作品が出来上がっていた。
額縁に入れて「混沌NO.5」とか、それっぽいタイトルをつけたら誰かが間違って買いそうだ。ドラゴンが描きましたって注釈入れたら、絶対に売れるだろう。いや違う。わたしはアート作品を描きたいのではない。
「……どうしたもんか」
記憶があやふや以前に、書きたいイメージとあまりにかけ離れている。
巨大な紙と筆が使い慣れないのと、書いてる時に全体像が見えないせいだ。
よし。次は、全体を確認しながら書いてみよう。
本から下りると、アート作品をどけて新しい紙を敷く。時々、本に登って、全体を確認しながら書いて行った。しかし。
「……ままならない」
二枚目のアート作品を前にして、わたしはがっくりと前足をついた。一枚目よりはましになったものの、線はグニャグニャだし、部屋の配置は異次元だし、ちっともイメージ通りじゃない。やっぱり、チビ状態では無理なようだ。
打ちのめされてるとこに、ラハイヤさんが戻ってきた。
「やあ、上手に描けたねえ」
感心したように言ったあとで、笑顔で首をかしげる。
「畑の絵かな?」
「ううん。エスター宮五階の見取り図」
正解を教えると、ラハイヤさんは「なるほど」と呟いて紙を取り上げる。もう一枚のアート作品に気づくと、そっちも手にとった。
「こっちは何の絵?」
「……それもエスター宮の見取り図」
「あっ、ごめんね」
「この温室って、宮殿の最上階なんだよね?」
ガラスの天井の方を見上げつつ、わたしは聞いた。
「でも、温室らしい場所がないんだけど」
ここの部屋は扇形だけど、五階にそんな場所はない。四階の北側にそんなとこがあった気がするけど、そしたら天井に空が見えているのはおかしい。
「いや、ここは四階だよ」
「えっ、空見えてるのに?」
「五階の外側にあるんだよ。ちょっと失礼――」
椅子に座ると、小筆を取り上げてわたしが書いた見取り図の外側に丸をつけた。つまり、五階より四階の面積のが広くて、はみ出てるってことか。知らんかった。
「サレンスさんが、五階の部屋にいるだろうって予想してたけど?」
「そっちに居ることもあるよ。以前はね」
「でも、殆どはここにいるんだよね?」
「そうだね。でも、もし賊が侵入してきたら、急いで自分の部屋に行くかな。僕の近くにいると、ヴェルカたちを巻き込んでしまう危険があるからね。まあ、今はその自由もないわけだけど」
ははっと笑った。笑い事ではない。
結界が消えて非常事態になったら、ラハイヤさんが温室を離れるとサレンスさんは読んでいたんだろう。でも今は、ここに閉じ込められているから、どこへも行けない。あれ? じゃあ、ラハイヤさんはアーベルたちとどこで会ったんだろう。
「アーベルたちとは、どこで会ったの?」
「厳密に言えば、会ったというのとは違うかな。ココネアが、ここと五階の部屋を幻術で繋いだんだ。僕には、彼らが突然温室に現れたように見えたけど、彼らには僕がその部屋に居たように見えていたと思うよ」
VR通信みたいな感じのようだ。それなら、お互いに映像を見ただけで、実際に会ったとは確かに言えない。アーベルたちは、ラハイヤさんが幻だと気づいたから撤退したんだろうか。それとも、ココネアと戦って勝てないと判断したのかな。
「近衛の人たちが本気出したら、ココネアに勝てると思う?」
聞いてみると、ラハイヤさんは「うーん」と言って首をひねった。
「わからないな。僕はあまり魔術が得意ではないし」
「そうなんだ」
「簡単な護身魔法が使えるくらいで、そんなに等級も高くないんだよ」
「ふーん」
そういや、ルドルフさんも長いこと魔法使ってないって言ってたし、護衛がいるような偉い人だと、そんなもんなのかもしれない。
ラハイヤさんが片手を広げた。
「ココネアの魔術が高レベルだと言っても、所詮は幻に過ぎないからね。経験豊富な近衛であれば、それに対処できると思う。ただ、ここにはココネアの配下の者達もいるし、僕が人質になってしまっているから……」
「勝てるかどうかわからない?」
「いや、勝てると信じるよ」
「衛兵さんとかも集めて、数で押し切ったら?」
「僕がここにいる限りは無理だろう」
戦闘の規模が大きくなると、ラハイヤさんが巻き添えを喰う可能性が出てくる。最初の計画通り、ラハイヤさんの身柄を確保しないことには、ココネアに全面攻撃することはできない、ということだ。
わたしは、ガラスの天井に目を向けた。
「ここの天井割って、五階に行くことってできる?」
「君の力では割れないと思うよ」
「どうして?」
「結界が建物を守っているし、ここの窓は魔石でできているから」
「えっ、あれも魔具なの?」
「そうだよ。普通のガラスに見えるけど、外から中が見えないようになっているし、それに、そこらの城壁よりも強いと聞いてる」
ガラスの原料は何とかって砂だし、砂は石が削れたものだから、魔石からガラスを作ることも可能ってことか。そんなすごいガラスなら、確かにカチ割るのは無理そうだ。
「じゃあ、普通にドア開けて階段使うしかないか……」
チビサイズであれば、迷宮旅団に気付かれずに五階へ行くことができるかもしれない。問題は、鍵がかかって見張りもいるこの温室から、どうやって脱出するかである。都合のいい通気口とかないだろうか。
ラハイヤさんが、不思議そうにわたしを見た。
「どうして五階に行きたいの?」
「うちのパパが、そこに封印されてるらしいから」
「お父さんが? それはまたどうして?」
わたしの言葉に、ラハイヤさんはびっくりした顔をした。そういや、正義の魔術師が迷宮旅団でガロリア兵だってこと、ラハイヤさんに教えてなかった。わたしは、さっきヤスから聞いた話をラハイヤさんに伝えた。
話を聞き終えたラハイヤさんは、目を上に向けた。
「ココネアがガロリアの女王か……それならあの態度も納得だ」
そう言うラハイヤさんは、さっぱり国王らしくない。
「ガロリアに密偵? とか送ってないの?」
「送ってるけど、女王の名前はコルネリアだし、あそこの王族は民衆に顔を見せないからね。容姿まではつかめていなかった」
密偵さんは下級の役人や使用人として潜り込んでいるので、王族の顔を見るのは至難の業なのだそうだ。ヤスがココネアのことに詳しかったのは、元ガロリア貴族である部下の人が教えたからだろう。
「ジャハリは、だからココネアの言うことを聞いているんだね」
「そう。探してるけど見つからないって」
「君ならわかると思う?」
「わからない。でも、すぐそこにパパがいるかもしれないのに、チャレンジもしないのは嫌かなって」
ラハイヤさんは、考える風に東屋の外を見ている。二匹のヴェルカが、平和に毛繕いをしているのを見ると、目を細めた。
「でも、今の君は魔法が使えないんだよね?」
さらっと、痛いとこを突いてくる。
黙っていると、ラハイヤさんがこっちを見た。
「今、無理に動かなくても、サレンスが助けをよこしてくれる。お父さんを探しに行くなら、彼らがココネアを倒したあとでもいいんじゃないのかな?」
それは、確かにそうだ。でも、もし宮廷魔術師が負けてしまったら。ココネアをどうにかできるのは、太陽の魔術師である父くらいだ。それに、ラハイヤさんに何かあったら国の一大事だけど、わたしはそうじゃない。
「その方がわたしは安全だけど、でも、わたしがお使いに行って、それでココネアを倒せる確率が少しでも上がるなら、危険なことでも行く価値はあるんじゃないのかなって」
実家が襲われた時、わたしは逃げることしかできなかった。今のわたしは魔法が使えなくなってるけど、それでも出来ることがある。誰かが助けてくれるのをただ待ってるくらいなら、自分に出来ることがしたい。もう二度と、鍋のなかで自分の無力さに絶望するとかしたくなかった。
ラハイヤさんは、何事かを考えている。しばらく黙ったあと、口を開いた。
「君のお父さんの等級は?」
そういや、言ってなかった。
「太陽だよ」
わたしが教えると、ラハイヤさんは驚いた表情をした。
「……失礼なことを言うけど、魔導書を確認したことはある?」
「見たことはないけど、ジャハリさんもそう言ってるし、間違いないと思う」
「でも、ココネアに封印されてしまったんだよね?」
「部下の人助けなきゃいけなかったから、全力が出せなかったんだよ。ハンデなしなら、復活したパパのが絶対強いよ」
ヤスは、ココネアの等級が明星か月だと言っていた。それより上の太陽の魔術師である父なら圧勝のはずだ。
考え込んでいたラハイヤさんは、にっこりすると口を開いた。
「わかった。じゃあ、君をここから出してあげよう」