110 見知らぬ森で
薄暗いなかで、わたしは目を覚ました。
起き上がると、両腕を上げてのびをする。
何か暗いなーと思いながら、辺りを見回し、でっかい壁に取り囲まれているのに気づいてぎょっとした。前も後ろも右も左も、崖みたいな高い壁に囲まれて、上だけすこんと抜けている。高い所に木の屋根の裏側みたいのがあり、下を向くと、こっちも木の床のようだ。
床に触ろうとして、わたしは横に転がった。自分で思ってたより、腕が短かったせいだ。そして、ようやく状況が飲み込めた。体を見下ろすと、案の定、真っ赤な体毛と短い手足が目に入った。いつの間にか、チビに戻ってしまっている。いったいどうして?
「寝ぼけて……?」
<転化>を解除してしまったんだろうか。
いやいや、そんなわけはない。
わたしは、目覚める前のことを思い出そうとした。
灰色ローブ二号三号を閉じ込めたあと、一号を追ってエスター宮の廊下を走った。一号を発見して、<ソーンショット>で仕留めたあとヤスの声がして……。
そうだ。思い出した。
何か突然チビに戻ったと思ったら、ヤスに首根っこ掴まれて、バスケットに詰め込まれたんだった。「開けてー!」って頼んでも開けてくれなくて、ひと休みするつもりが、寝てしまった。そんで、目が覚めたらこの状況と言うわけである。
何が起きたのかわからないが、とりあえず周囲の状況を確認しよう。
そう思って<光球1>の呪文を唱える。
が、何も出てこない。呪文を間違えたかと思って、ウィンドウを出そうとしたが、それも出てこない。わたしは首をかしげた。メンテナンス中だろうか?
「アーイーチャーン」
『現在、魔法を使用することはできません』
「メンテナンス中?」
『メンテナンスは行っておりません』
「じゃあ、何で魔法が使えないの?」
『現在、魔導書の機能が全面的に停止されています』
「ロックされてるってこと?」
『イエス』
「それって誰がかけたの?」
『管理者権限を持つ者により、ロックがかけられました』
「管理者……? あっ、ヤスのことか」
魔導書は太陽の魔術師しか作れないけど、ヤスは父の助手をして魔導書作りを手伝っていた。父と一緒に管理者登録されていたとしても不思議ではない。ということは、<転化>の魔法を解除したのもヤスの仕業のようだ。それにしても……。
「うちのアイチャンにも、制約的なものがあったってことか……」
びっくりである。ヤスにロック外してもらうまで、魔法は使えず、人間にも変身できないようだ。それはかなり困る。
「で、ここはどこだ……?」
あらためて周囲を見回す。
自分が小さいとわかると、見える景色も違ってくる。
壁だと思っていたものは、どうやら積み上げた本の横側のようだ。囲まれてるは囲まれてるけど、高層ビル群みたいになっているので、隙間から外に出られそうではある。そして、木の床だと思っていたのは、机の天板のようだ。
わたしは、積み本の隙間に体を押し込んだ。腹がつっかえたので、息を吸って引っ込める。息を止めたまま隙間を通り抜けると、机の端っこに出た。
「わあ――」
開けた風景を見て、わたしは歓声を上げた。
草の生えた地面が見えた。芝生の間に小さな花が咲いていて、空き地の向こうには高い木々が枝を伸ばしている。森のなか――のようだが、木々の向こうにはクリーム色の壁があって、空を見ると沢山の板ガラスを嵌め込んだ天井があった。ガラスの向こうには曇り空が見えている。どうやら温室のなかのようだ。
「エスター宮のどっか、だよね?」
そうでないと困る。わたしは辺りを見回した。
すぐそこに、白い塗料を塗られた木の柱があり、視線を上げると、木の屋根が見えた。下を見ると、やっぱり白で塗られた木の柵がある。どうやら東屋のようだ。
わたしは、机の上から柵の方へジャンプした。
人間生活が長いので、脚力が衰えてないか心配だったが、どうやら大丈夫のようだ。柵を伝って地面に下りると、きょろきょろして周囲をうかがう。誰かがいる様子はない。とりあえず壁のとこまで行って、壁沿いにぐるっと回って出口を探そう。
ワサオがいたらなあと思いながら、短い足でてくてく歩き出す。
ここ結構広いし、すごく時間がかかりそう。
うんざりしながら歩いていると、背後から妙な音が聞こえてきた。
ザッザッザッという音が、次第に近づいてくる。
振り向いたわたしは「ひぃ!」と声を上げた。
茶色の巨大生物が、上下に飛び跳ねながら、こっちに向かって来るのが見えたからだ。進行方向からして、ターゲットは間違いなくわたしだ。
「――くっ、喰われる!」
走って逃げようとしたが、草に足をとられてべしゃっとなった。
わたしは半泣きになった。
今は魔法も使えないし、逃げられない。
ワンチャン、草食動物という可能性に賭けてみる。となりのトト○だって、人間よりでかいのに木の実しか食べないし、体毛だって茶色い。きっとこいつも草食動物だろう。そうであってくれ。
必死で願ったが、やってきた巨大生物はわたしの匂いを嗅ぎ始めた。とっさに死んだ振りで対応したが、ずっと匂いを嗅いでいる。嗅ぐだけでなく、舌を出して、わたしの体をべろりと舐めた。味見をしている!
「ここでも短い人生だった……」
死を覚悟したが、いつまで待ってもガブッとはこない。
わたしは、怖々目を開けた。
茶色の巨大生物が、じっとわたしを見下ろしている。殺気は感じられない。どうやら喰うつもりはなさそうなので、巨大生物をよく観察してみた。全身もふもふで、ウサギとカンガルーを足して二で割ったような姿をしている。前足を幽霊みたいにだらんとして、長い睫毛に縁取られた、くりくりの目がとっても可愛らしい。あれ? この子って……。
「シノブ? シノブなの?」
わたしが呼ぶと、シノブが頭を下げてすりすりしてきた。本当にシノブだ!
「こんな姿でも、わたしだとわかるなんて……」
わたしは感激した。腕をのばして、シノブのもふもふの首を抱きしめる。ダーファスの発着場から逃亡したシノブを、街中追っかけまわして捕まえた。てっきり嫌われたものと思ってたのに、こんなデレデレの状態で再会できるとは思わなかった。生きててよかった!
しかし、どうしてシノブがこんなとこにいるんだろう?
ゼインさんは、「あるお方への大事な貢ぎ物」と言っていた。ここがまだエスター宮の中だとすれば、あるお方というのは、ラハイヤさんのことだったんだろう。シノブが見つからなかったら、首が飛ぶところだったと言ってたけど、大げさでなくガチだったようだ。
わたしはシノブを見上げた。
「出口探すの、手伝ってくれる?」
伝わったかどうかわからないが、身体によじ登る間、シノブは大人しくしていた。成猫くらいの大きさなので、乗るのに丁度良い。首の後ろにまたがり、失礼して毛皮を掴ませてもらった。
シノブが立ち上がり、前傾ジャンプで移動を始める。結構揺れるが、毛皮がクッションになるのでそれほどつらくはない。水の流れる溝を飛び越え、木の幹や草むらの間をひょいひょい進む。
森のなかには、シノブと同じ生き物が何匹もいた。
シノブと同じ茶色のもいるが、白色や黒色のやつもいる。小さいので子猫サイズ、大きいので成猫サイズ。シノブは成猫サイズだから、これでも大人のようだ。放し飼いにしているようだけど、藁を敷いた飼育小屋みたいのもあった。たぶん、お掃除をする時に小屋へ入れてるんだろう。
それにしても、どっちを向いても可愛いが止まらない。もふもふの牧場、いや、楽園である。ラハイヤさんの癒やしスポットみたいだけど、この動物しかいないところを見ると、かなり大好きなようだ。とても気が合いそう。
温室は切ったバームクーヘンみたいな扇形をしていて、天井はガラス張りになっていた。壁沿いを一周する間に、ふたつの扉を見つけたが、どちらも握って回す式のドアノブだったので開けられなかった。人間に戻れないまでも、魔法が使えれば<力の糸>でフリークライミングできたのに、今のわたしは魔法が使えない。無力でチビなただのダメドラゴンだ。「ぐぬぬ」とつぶやいて、巨大な扉を見上げるしかなかった。
「レバー式のやつなら行けたのに……」
何て小動物にやさしくない宮殿なんだろう。
他に出口はなさそうだったので、元いた東屋に戻ることにした。
東屋は、扇形の温室の真ん中にあるようだ。そして、わたしが脱出したのは、東屋の裏側だったらしい。板で葺いた屋根の下に、机と椅子と低い本棚が置いてあって、男の人が書き物をしているのを見つけた。さっきは物音がしなかったから、出口を探している間にどこかからやってきたらしい。
わたしは、書き物をしている男の人を見た。茶色に銀色をのせたような髪色をして、目の色は黄色。丸眼鏡をかけていて、明治時代からタイムスリップしてきた文学青年といった感じだ。いったい誰だろう?
この姿を見られるのはまずい。そう思ったが、止める間もなく、シノブが前傾ジャンプで東屋に突進して行く。男の人の膝に跳び乗ると、甘えた様子で鼻を鳴らした。
「おや、シノブじゃないか」
男の人が、笑顔を浮かべた。
「ドラゴンを見つけてきてくれたのかい? ほら、こっちにおいで」
男の人が手を出し、両手でわたしを持ち上げた。
チビの状態で、知らない人に触られるのは怖い。そのはずなのに、この人には警戒心や恐怖を感じなかった。実際、一本角のベビードラゴンを見ても驚きもしない。机の上にわたしを置くと、指の背でそっと撫でてから手を引いた。
「ジャハリに、君の面倒を見て欲しいと頼まれたんだ。食事に行く間、机から落ちないようにと思って囲っておいたんだけど、いなくなっていたから……」
どこ行ったんだろうと思いながら、書き物をしていたようだ。かなりマイペースな性格の人らしい。
「どうして、シノブって名前にしたの?」
さっき、男の人はシノブをシノブと呼んでいた。シノブの名前は、発着場から華麗に脱出する姿を見てわたしがつけた。わたしとゼインさんしか知らないはずなのに、どこで名前を知ったんだろう。
わたしの質問を聞いて、男の人は目を見張った。
「本当にしゃべるんだね。興味深いな」
「ええっと……」
「シノブの檻にエサの配分のメモが落ちていて、そこに名前が書いてあったんだ。たぶん、途中の飼育者が名付けたんだろうね。この子も気に入っていたようだから、そのままシノブにした」
男の人の説明を聞いて、わたしは納得した。
「シノブってつけたの、わたしなんだ」
「そうなんだ。すごい偶然だね」
「何て言う名前の生き物なの?」
「ヴェルカというんだ。可愛いだろう」
そう言うと、男の人は微笑む。膝の上にいるシノブを後ろ抱きにすると、愛情いっぱいの顔をしてふわふわの腹毛を撫で始めた。いいなあ、わたしもシノブのお腹触りたいなあ……。
いや、うらやんでいる場合じゃない。わたしは男の人を見上げた。
「ヤス……じゃない、ジャハリさんのお友達?」
「友達ではないかな」
「そうなんだ」
「実は、あんまり話したこともないんだ」
「ふーん」
ヤスとは友達じゃないし、あんま喋ったこともないけど、動物好きということで、わたしの世話を押しつけられたようだ。動物好きというか、ここの飼育係かお庭係の人だろう。にしては、この書斎スペースが謎なんだけど……。
わたしは、東屋の中を見渡した。
広いスペースに、大きな書き物机と、その周りに低い本棚がある。机の上も本棚の上も、分厚い本でいっぱいだ。散らばっている紙を見ると、ほとんど文字ばっかりだけど、シノブと同じ動物の絵が描いてあるのもある。雇われの動物学者さんだろうか。
「エスター宮の動物学者さん?」
わたしが聞くと、男の人は声を出して笑った。
「いや、ごめん。僕はラハイヤだ。君の名前は?」