11 魔術師の強い味方
わたしが、この世界に転生してから一ヶ月が過ぎた。
蜘蛛が巣を張り、骸骨がぶら下がっていたお城は、一ヶ月の間にずいぶんきれいになった。隅々まで掃除され、窓からは明るい光が射し込み、インテリアと化していた骸骨たちは城の裏手に埋葬された。真っ黒な壁と深紅のカーテンはそのままだが、もう悪魔の城には見えない。
コックさんや護衛の人達と関わったのをきっかけに、他の部下の人とも交流を持つようになった。交流と言っても、今のわたしは愛玩動物のため、あつかいはトイプードルと同じである。「可愛い」「ちっちゃい」「触りたい」を連呼され、相手をすると「かしこい」と感激される。ちょろいもんである。
世界を滅ぼす炎竜じゃないんかい、と声を大にして言いたいところだが、実際、今世のわたしは超絶可愛いドラゴンなのだからしかたがない。しかも、娯楽のない隔絶された城で暮らす日々だ。小動物に癒やしを求める、皆の気持ちもわかろうというものである。
炎竜を復活させ、世界を滅亡へと導く。
父の目的に賛同する悪の一味ではあるが、構成員はいたって普通の人々だ。
年齢は若者が多い。十代、二十代が八割、それ以上および年齢不詳が二割といったところ。父が長である以外に上下関係はなく、一番の古株であるヤスでさえほぼ空気という状態だ
料理、縫製などの専門職以外は交代で警備、掃除、その他雑用をこなし、それ以外の時間は魔法の修練なんかを行っている。わたしが卵だったころは、孵化させる方法を模索する日々だったそうだが、無事生まれたので、幼生を育てる環境を整えつつ、外敵から守ることが今の仕事なのだそうだ。
外敵って? と父に聞けば、我々の組織を壊滅させようとする悪い魔法使いがいるとの返事だった。悪い魔法使いはむしろこっちでは? と思ったが、父が悲しむので黙っていた。それを言うなら、わたしだって世界を滅ぼす悪いドラゴンだ。
父は毎日書斎に籠もり、ヤスと仕事をしている。
仕事で忙しいという言葉を素直に受け入れていたが、考えてみれば父の仕事は悪の組織の長のはずだ。世界滅亡の要であるわたしをほったらかして、何の仕事をしているのかと疑問に思いもしたが、前世でも会社員である父の仕事内容を知らなかったわたしは、そういうものとして受け入れていた。
ミリーとレイルは、飽きることなくわたしを甘やかし続けた。
どちらかひとりがいれば、もうひとりは非番でいいはずが、なぜかふたりとも朝から晩まで傍にいる。部屋を整え、食事や入浴の準備をし、豪華なカゴを編んだり、ふかふかのクッションを手作りしたりしてくれる。最近は、わたし用の小さな食器や遊具などを制作し始めた。時に、その愛の重さを息苦しく感じることがあるものの、わたしもふたりが大好きだったので、仲良くやっていた。
そんでわたしはといえば、一日二食とおやつまで食べているのに、子猫サイズから一向に成長する様子がなかった。グラナティス(小)である内はまだいい。グラナティス(大)まで育ったとき、食費がいくらかかるのか想像すると恐ろしくなる。
自分で狩りをすれば食費タダだが、血のしたたる生肉とか普通に無理だ。子供のころ苦手だったものが、大人になるとなぜか食べられるようになる現象があるそうだが、あれは成長するにつれて味覚が鈍くなるせいらしい。人体って不思議だね。ともあれ、今は食え育てと言われるまま、お腹いっぱい食べる日々を過ごしていた。
ヤスとの特訓は終了したが、ミリーとレイル相手に魔素のキャッチボールは続けていた。微妙な操作にも慣れてきたが、やはり力の加減が難しい。
いつになったら、魔法を使えるようになるのだろう。
不満を募らせていたある日のこと。
昼寝から目覚めたわたしは、窓辺に座ったミリーが不思議なことをしているのを目撃した。膝の上に半透明の本を載せ、手を使わずに本のページをパラパラめくっている。半透明の本はSFに出てくる立体映像のようで、そこにあるようでいてそこにない。ミリーの視線に合わせてページがめくれてくとこなど本当に3D映像のようだ。
わたしは、跳ね起きた。
「それ、何?」
「あ、グラナ様。お早いお目覚めですね」
顔を上げてミリーが言った。
「これですか? わたしの魔導書ですよ」
「魔導書? 魔導書って何?」
食い気味で、わたしは聞いた。
窓辺に飛び移ると、魔導書だという立体映像を興味津々でのぞきこむ。
近くでも見ても、やはり透けていて実体はない。本の文字はこの世界のもので、アルファベットを丸っこくしたような異世界文字だ。他の本を見たときと同じように、音と意味が頭のなかで再生される。小難しい。が、魔法の教科書? みたいなものであることは理解できた。
「えっと、魔導書っていうのは、簡単に言えば魔法を使うための魔法です。魔導書があれば誰でも魔法を使うことができますが、流星まで行けるのはごく一部なんですよ」
ミリーは、ふんっと言って力こぶをつくって見せる。
何のアピールだろう?
それはともかく。ミリーの言ってることはつまり、魔導書がないと、魔素があっても魔法は使えないってことでいいんだろうか。
確認して聞くと、ミリーが「そうです」と答えた。
刺繍をしていたレイルが、立ち上がると窓辺にやってきた。
「――料理で言う、完全レシピ集のようなものです。魔導書には初級から上級まであらゆる魔法が登録されていますが、自分のレベルに応じた魔法しか閲覧することはできませんし、使用できません。レベルが上がれば、オリジナルの魔法を登録したりすることもできますよ」
「魔導書がないと、魔法は絶対に使えないの?」
「純粋に魔素を燃やすとか、ぶつけるならできます。ですが、魔法と呼べるものを使うには魔導書の存在は必須条件です」
「じゃあ、その魔導書の魔法を最初に作ったのは誰なの?」
「その疑問は禁忌です。追求すると不幸が訪れます」
唇に人差し指を当て、さらっと怖いことを言う。
そっかー、禁忌じゃしょうがないよねー。
とは思わなかったが、命が危ない予感がしたので突っ込むのはやめた。世の中、知らない方がいいことは山ほどある。魔法さえ使えれば、卵が先だろうがニワトリが先だろうがわたしは気にしない。
「わたしのは? パパがくれると思う?」
「くれるも何も、ジャハリさんとグラナ様用の魔導書作ってますよ」
「ミリー! 言っちゃだめ!」
「あっ、グラナ様、今のなし! 忘れてくだい!」
「わたしは何も聞いてないよ。ああー魔導書欲しいなー、誰かくれないかなー」
すっとぼけながら、そんなサプライズはいらないから、もっと親子のコミュニケーションを大事にして欲しいとわたしは思う。
わたしは、あらためてミリーの魔導書に目を向けた。
アールヌーボー調の凝った装飾は、まさにザ・魔導書といった感じた。
魔導書を示しながら、ミリーが説明してくれた。
自分の魔導書は他人から見えなくすることもできるし、隠しているのが普通だが、可視化しようと思えばできる。魔導書の魔法は、魔術師本人の魔素を消費しているため、自分から手放さない限り消えることはない。自分の魔導書を弟子や子供に譲ることもできるが、前の持ち主が解放した魔法は引き継げず、一からやり直しになる。じゃあ、譲る意味ないじゃないと思ったが、登録済のオリジナル魔法は引き継がれるので、その価値は計り知れないとのことだった。
「そんでミリーは、普通は隠しとく魔導書を広げて何してたの?」
「たまには虫干ししようかな、とか思ったりして」
「レイル?」
「ミリーが何を言っているのかわかりません」
「逆に、見られたら何が困るの?」
「表紙のうしろに、自分のレベルが表示されているからですよ」
「あ、ほんとだ。ん?」
表紙の裏側の真ん中に、流星っぽいマークとこの世界の数字で3と書かれている。それはいい。問題は、その下に「LEVEL52」と書いてあることだ。
「このレベルってのは?」
「魔術師としてのレベルです」
「52だと、流星の3?」
「正確には50以上、59未満ですね。60になると流星の2に昇級します」
「はえー」
つまり合格ラインに応じて、等級が与えられるシステムということか。
単純に数字が上がっていくより、やる気の出る仕組みである。
太陽の魔術師だと、レベル100なんだろうか。今度父に聞いてみよう。
「普通は、自分のレベルは言わないものなんだ?」
「ええ、そうです」
「ふたりは、早々にバラしてたようだけど?」
「まあ同じ組織内のことですし」
「使う魔法によってバレたりしない?」
「だいたいは。ただし、同じレベルでも、一系統の魔法だけ極めている者と、バランス重視で全系統が使える者とでは実力に差が出ます。レベルだけ知ったところであまり意味はありません」
「なるほどね」
攻撃魔法だけ使える人と、攻守両方使える人なら、同レベルでも後者の方が有利ということだ。それなら、レベルだけ知ったところで勝敗はわからない。
「ところで解放できる魔法って――」
「グラナ様、どうかもうこの辺で」
「何で?」
「もしグラナ様に魔導書を贈ろうとしている方がいるとして、魔導書を贈ったあとでその使用方法を説明し、目をキラキラさせるグラナ様の姿を楽しみにされているのだとしたら、わたしたちが先に教えてしまうと、ものすごく落ち込まれるのでは? と、末端魔術師であるレイルは思うのです」
「ミリーもそう思います!」
「ああ、うん。きっと泣くだろうね」
父の悲しみが容易に想像できて、わたしは引き下がった。
魔素の訓練だって、ミリーとレイルにとられてかなり落ち込んでいた。
わたしが魔導書について知っていたら、がっかりするだろう。
あとは、もらってからのお楽しみということにしよう。
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