105 湖上の王宮
王宮島へは、二回の転送で到着した。
ここの転送基地は大きなもので、中ホールくらいの広さがある。わたしたちが着いたとこは、到着専用で、出発専用のホールがまた別にあるそうだ。人の姿は多い。格好からして、出勤してきた役人さんや使用人さんたちのようだ。宿舎もあるけど、通っている人の方が多いと聞いた。ちなみに、サレンスさんも奥様の希望で群島暮らしだそうだ。
転送基地を出ると、そこは森のなかだった。
がっしりした幹の半ばから、無数の枝が空に向かって伸びている。放射状に広がる枝には、濃い緑色の葉っぱがついていて、傘のように空を覆っている。落ちている葉っぱを拾うと、細長くて縁がギザギザしていた。
森を抜けると、山のように大きな王宮が聳えていた。
ひと繋がりの建物に見えるが、実際は五つの宮殿が寄り集まってできている。中央にひとつ、東西南北にひとつずつだ。王様の寝所であるエスター宮は北側にあるので、ここからは見えなかった。
ロスター宮の一階には、大きな門が設置されていて、長い廊下を進んだ先は各宮殿へ移動できるターミナルホールになっていた。ロスター宮へ入ったわたしたちは、元老院の事務所があるという宮殿へ向かった。元老院の代表さんが、そこで待っているそうだ。シェローレンの親族の人だという。
歩きながら、頭のなかで作戦のおさらいをした。
国王であるラハイヤさんは、王様の寝所であるエスター宮に暮らしていて、王位を継いだ三年前から一歩も外へ出ていない。王様の寝所だから、近衛と侍女さんを除いて、謁見室から奥へは王族以外立ち入り禁止。今は近衛はいないけど、その代わりに、ラハイヤさんがどっかから連れてきた謎のお友達旅団が警備についている。アーベルは“客人”と呼んでいた。
謁見室に入るため、元老院の代表さんが、訪問の許可をとってきてくれた。前回訪問した時は、お友達旅団の人が代理で出てきたそうだ。だから、ラハイヤさん本人に会うためには、宮殿内にあるラハイヤさんの私室まで押し入る必要がある。
お友達旅団のなかには魔術師が混ざっているけど、誰がそうなのか、実力がどれくらいなのかもわかっていない。わたしたち三人だけではキツイので、サレンスさんが裏ワザを使ってエスター宮の結界を解除してくれる。これをやると、外から攻撃を受けたように偽装できるそうだ。お友達旅団の注意が外に向いている隙に、わたしたちは宮殿内部へ侵入し、ラハイヤさんの身柄を押さえる。
近衛は近くの宮殿に待機し、わたしたちの“確保できたよ!”の合図を待ってエスター宮に踏み込む。近衛はすごく強いけど、制約があって王族には逆らえない。ラハイヤさんがいると弱々になってしまうけど、わたしたちが押さえていれば、お友達旅団とガチの勝負ができる。無事制圧できればクーデター成功である。
元老院の事務所に着くと、貴族らしいおっさんが出てきた。頭髪が薄くなりかけの五十代くらいのおっさんである。わたしたちを隅っこへ連れて行くと、元老院の代表が急病で来られなくなったと小声で言った。アーベルが息をついた。
「昨日は、お元気そうに見えましたが」
「――怖じ気づいたんだ。仮病に決まっている!」
「代わりを、どなたかにお願いできませんか?」
「ワーリャ様は? 来ていないのか?」
「残念ながら」
「くそっ、国王への進言だ。それなりの立場の者でなければ……」
そう言うと、事務所の方に向かって声をかけた。
「わたしの他に、誰か会員の者を見ていないか?」
事務員さんたちは、顔を見合わせる。小声で確認し合ったあと、年配の男の人が答えた。
「今日はまだ、誰もお見えになっていません」
おっさんが舌打ちした。
「どいつもこいつも……」
「ルドルフ様に、お付き合いいただくしかないようですね」
「わたしは、だめだ」
「なぜです?」
「ジルムンド様から、手を出すなと言われている」
両手を広げながら言う。シェローレンの親戚の人だったらしい。
「では、サレンス殿下にお断りしますか?」
「それもだめだ。いったん引き受けたものを、投げ出すなど」
「しかし、わたしたちだけでは門前払いです」
「今からワーリャ様を連れてくれば……」
「時間に間に合いません」
「……」
「どうなされますか?」
「何もかもゲオルグのせいだ! 着替えるから待っていろ!」
おっさんは、肩を怒らせながら奥の部屋に入って行った。ゲオさんは、親戚内でも嫌われまくっている様子だ。
わたしは、アーベルを見上げた。
「元老院って、サレンスさんの味方じゃなかったの?」
「意向はそうだが、実際に手を貸すとなれば話は別だ。どこも当代が止めている。片棒を担げば責任を問われるが、傍観であれば、どちらに転んでも傷は浅い」
要するに「影ながら応援してるから、がんばって!」という状況らしい。御三家からも協力断られているし、サレンスさんて実は嫌われてるんだろうか。
「……サレンスさんて人望ないの?」
「あるわけがない。国王は寝所に閉じこもり、国王の叔父はその使い走り。そこへ来て、国王が宮廷魔術師を排除し、国王の叔父は寝所から締め出された。サレンスと言うより、王家そのものへの信頼が落ちている。信頼を取り戻したくば、自らが蒔いた不穏の種を刈り取れと言うことだ」
不穏の種というのは、ラハイヤさんのことだろう。つまり、手を貸さないことで、サレンスさんがやればできる子かどうか確認してるってことか。でも、ワーリャばあちゃんは、わたしたちをサレンスさんに貸し出した。これでサレンスさんが王様になれば、大きな貸しになる。でも。
「サレンスさんが失敗して、それでもラハイヤさんが閉じこもったまま仕事しなかったら、誰が王様やるの?」
サレンスさんがいなくなって、ラハイヤさんが宮殿から出てくればそれでいいけど、出てこなかったら王様の仕事をする人が誰もいなくなる。したら、誰が王様代理の仕事をするんだろう?
「その時は、アルバル家からラハイヤの腹違いの兄が引っ張り出されるだけだ」
退屈そうにアーベルが答えた。
そういや、一番目の王妃様の子供がいるんだったな。
サレンスさんがラハイヤさんの代わりになれと言われてるように、サレンスさんの代わりもいくらでもいる。そういうことのようだ。
ルドルフさんは、なかなか戻ってこなかった。
わたしは、ポーチから係長の手紙を取り出した。朝、マデリンさんが届けてくれたやつだ。あとでゆっくり読もうと思ってたけど、国外追放になったら読む暇ないだろうし、今、目を通しておこう。
封を切り、手紙を出して広げる。
最初の文章を読んだ瞬間、心臓が跳ね上がった。自分の目を疑う。本当に見間違えじゃないか、どきどきしながら同じ文章を何度も読み返した。
「――どうかしましたか?」
様子がおかしいことに気付いたシュルツが、心配そうに聞いてきた。
わたしは無言で首を横に振る。手紙を持つ手が震えた。
“主人を探しているという女性がふたり、砦を訪ねてきた”
係長の達筆で、そう書いてあった。続きを読み始める。
話が噛み合わない部分もあったが、魔具である鍋の蓋を持っていたので手紙――わたしを探して誰かがきたら、渡して欲しいとお願いしてたやつ――を渡して、ダーファスの住所を教えたと書いてある。
「……ミリーとレイルだ」
生きてると信じてたけど、やっぱり生きてた!
ダーファスに向かったみたいだけど、転送された手紙の方が早く着いてしまったようだ。今頃は、どこにいるんだろう。もしかして、入れ違いになったのかな。
「ミリーとレイルが、ニルグ砦に探しにきたって」
手紙を見せて説明すると、シュルツは肩の力を抜いた。わたしがあんまり動揺しているので、悪い知らせだと思ったらしい。
「前に話していた方々ですか?」
「そう。必ず迎えに行くって言ってたんだ」
「よかったですね」
「うん!」
「お父様のことは?」
「書いてない。係長には、襲われて逃げてきたこと言ってないし」
「かかりちょう?」
「間違えた。バフェルさんだった」
などとやっていると、ルドルフさんが戻ってきた。
さっきより服装が豪華になり、薄い頭髪をふわっとさせることでボリュームアップしていた。これに時間がかかったらしい。さっきは五十代に見えたけど、本当は四十代くらいなのかもしれない。
「アーベル、段取りの説明を」
アーベルが柱時計を見た。訪問を予告した時間まで、あと二十分。
「出ましょう。道すがらご説明します」
一階まで階段を下りたあと、ロスター宮のターミナルに移動し、エスター宮のある北側へ向かった。長い廊下が伸びていて、廊下の突き当たりに両開きの扉がある。玄関扉は閉まっていて、見張りなどはいなかった。
ルドルフさんが、問うような顔でアーベルの方を見る。アーベルがうなずくと、足を止めずに長い廊下に侵入した。
玄関まであと数メートルのところで、大きな扉が内側に開いた。
監視カメラ? は見当たらないけど、それに近いものはあるようだ。
開いた扉の中から、茶色のローブを着た男の人が出てきた。フードを背中に落としていたので、顔がわかっている三人の内のひとりだとわかった。
ルドルフさんが、茶色ローブの前で足を止めた。
「元老院を代表して参りました。ルドルフ・シュテーレンと申します。陛下へのお取り次ぎをお願いいたします」
茶色ローブの人は、無表情で立っている。
いらっしゃいませも、ようこそお越しくださいましたもない。
視線だけ動かして、わたしたちの方を見た。
ルドルフさんが説明した。
「元老院の書記と、あとのふたりはわたしの護衛です」
「――こちらへ」
そう言うと、茶色ローブは背を向けて歩き出した。
宮殿のなかに入ると、薄暗くて空気がひんやりしていた。床と壁は、大理石みたいなツルツルの石でできている。絵画とか壺とかはないけど、色ガラスを嵌め込んだステンドグラスがあちこちにあって、薄暗い廊下に万華鏡みたいな光を落としていた。
背後に人の気配を感じた。
ちらっと振り向く。いつの間にか、茶色のローブを着た二人組が、わたしたちの後ろをついてきていた。どっちも似顔絵で見た顔だ。たぶん、この三人が来客の対応をする係の人なんだろう。
茶色ローブに前後を挟まれながら、わたしたちは謁見室に入った。
謁見室といっても、ここは寝所だから緊急用のものだ。
それでも、別荘の会議室くらいの広さがあった。
奥まったとこにステンドグラスの窓があって、窓を背にして高級そうな椅子が一脚だけ置いてある。椅子は空っぽで誰もいない。部屋のなかにいるのは、わたしたちの他には、茶色ローブの三人だけだ。
「――しばらくお待ちください」
案内してきた茶色ローブの人が言った。
待っていると、扉が開いて黒色のローブを着た人が入ってきた。茶色ローブの三人と違って、この人はフードを目深に被っていて顔が見えない。背格好からして男の人のようだ。黒色ローブの人は、空っぽの椅子のとこに行くと、その横に足を止めた。
「陛下に代わり、わたしが用件をお伺いいたします。書面があればこちらへ、口頭であれば手短にお話しください」
そっけない口調で言う。
その声を聞いて、わたしはぴくっとした。聞いたことのある声だ。
ラハイヤとサレンス以外にも、ハリファで暮らしている王族がいますが、元老院と同じく傍観の立場です。サレンスの子供も、ハリファール姓で王位継承権を持っています。