103 微笑みの応酬
朝起きて真面目に自主練をし、昼食を食べて部屋でごろごろしていると、扉にノックの音がした。返事をして出ると、シュルツが立っていた。
「シュルツ、おかえりー」
「はい。ただいま帰りました」
「遭難しなかった?」
「さすがに、街中では大丈夫です」
シュルツの顔色をうかがう。説教しそうな雰囲気はない。グラナティスのことも含め、アーベルは昨日のことをまだ話していないようだ。
「制服に着替えて、会議室にくるようにとのことです」
「……わたしだけ?」
「いえ、俺も呼ばれています」
「そうなんだ。お客さん?」
「サレンス殿下がいらっしゃるそうです」
「クーデターする日、決まったのかな?」
「そうかもしれませんね」
「すぐ着替えるから、待ってて?」
「急がなくてもいいですよ」
制服に着替え、シュルツと一緒に会議室へ向かった。
会議室の扉は開いていて、細長いテーブルにアーベルだけが座っていた。無表情だけど、全身から不機嫌なオーラが滲み出ている。あんまりいい話ではなさそうだ。
シュルツがアーベルの斜め後ろに立ったので、わたしは反対側に立った。それほど待つこともなく、サレンスさんがやってきた。馬車の音がしなかったから、二階でばあちゃんと会った帰りのようだ。
サレンスさんは、今日も黒服の部下二名を連れていた。男女一名ずつで、いつも通りニコリともしない。女の人は、怪しげな黒い鞄を所持していた。今日は、どんなやばいブツを運んできたんだろう。
「――客人について、何かわかりましたか?」
形式的な挨拶をしたあとで、アーベルが切り出した。“客人”というのは、ラハイヤさんの謎のお友達のことだろう。コードネームがついてるとか、かっこいい。
サレンスさんが首を横に振った。
「いや、依然として何もつかめずだ」
「せめて、要注意人物だけでも把握しておきたいのですが」
「悪いが、それは君たちに期待している」
「陛下の身柄を押さえた上、客人の情報もつかめとおっしゃる?」
「あれば大変助かるのだがね」
「できうる限りのことはいたします。ですが、助力の範疇を越えた行為は致しかねます。お祖母様からも、お話があったかと思いますが」
「ああ、わかっているとも」
「ご理解いただけて恐縮です」
「だが、乗りかかった船という言葉もある」
「――殿下」
「君たちは、わたしに加担し運命を共にすると決めた。わたしたちが乗るのは戦船であり、そこに観覧席というものはないのだよ」
「殿下は、我々を買いかぶっておられるようです」
「そうだろうか」
「ご期待に添えず、直前で怖じ気づくやもしれません」
アーベルが、にっこり微笑む。
回りくどい言い方をしてるけど、直前でドタキャンするかもねって脅してるようだ。サレンスさんの表情は穏やかだけど、部下二名の目の色が変わる。てか今気づいたけど、この部下の人も近衛だよね。サレンスさんは王族で、今は王様の代理もしてるんだから絶対にそうだ。
シュルツの方を見ると、左手で剣の柄に触れていた。こんなとこでバトルはしないだろうけど、けん制はしないといけないようだ。わたしも部下の人を睨んでみたが、速攻で睨み返されて涙目になった。
あわあわしていると、サレンスさんが口を開いた。
「怖じ気づくだけの勇気が、君にあればいいと願っているよ」
こちらは目だけで微笑む。サレンスさんが手を上げると、部下の女の人が黒い鞄をテーブルの上に置いた。
「エスター宮の見取り図と、客人の姿絵だ。言うまでもないが、扱いには気を付けるように」
「――書き込みをくわえて、ご返却いたしますよ」
皮肉っぽくアーベルが返す。
サレンスさんは、部下を引き連れて会議室を出て行った。
アーベルは愛想笑いを浮かべていたが、扉が閉じた途端、険しい表情で椅子に腰を下ろした。シュルツがほっと息を吐く。困った顔で、アーベルの方を見た。
「よかったんですか、あんな態度で?」
「言うな。口が滑った」
イライラした様子で、アーベルが前髪をかき上げた。ムカついて本性出しちゃったけど、本当はあかんかったらしい。今度丸刈りって言われたら、お前もだろって言ってやろう。
「あてにされているようでしたね」
「迷惑なことにな」
「それとも、こちらの腹を探っているんでしょうか……」
「その可能性はある」
「不審感を持たれるような覚えがあるんですか?」
「いや。忠誠心が足りないように見えるのが不満なだけだろう」
「まあ……命をかけるほどではないですね」
「同感だ。王家のことは王家内部で片をつけるべきで、シェローレンはサレンスの私兵ではない。ましてや、王ですらないサレンスに命を捧げる義理がどこにある」
苛立ちながら、アーベルが言う。ろくな情報くれない上に、敵の情報つかんできてって言われたのが、かなり頭にきているようだ。しばらく近づかないようにしよう。
わたしは、テーブルの上の鞄を見た。
固そうな黒色の鞄で、金属の留め金がついている。テーブルに身を乗り出し、鞄を手元に引き寄せる。開けようとしたが、留め金がびくともしない。鍵がかかってるにしては鍵穴が見当たらないけど、どうなってるんだろう? ガチャガチャやっていると、シュルツが手をのばしてきた。
「たぶん、魔素を流して開けるんですよ」
シュルツが留め金に触れると、カチッと言って鞄が開いた。すごい。
「わたしも、やってみていい?」
「どうぞ」
留め金を下ろして開かないのを確認する。魔素を流すと、勝手に留め金が開いた。魔術師でないと開けられない魔法の鞄だ。
鞄のなかには、折りたたんだ大きな紙と、紐で綴じた冊子が入っていた。新聞紙大の紙を広げると、そこには建物の見取り図が載っている。五階建てで、色んな形や大きさの部屋がパズルみたいに組み合わさっていた。増改築を繰り返してダンジョン化した駅ビルのようだ。サレンスさんは、エスター宮と言ってたっけ。
「エスター宮って?」
「陛下が暮らしている宮殿です」
「王宮とは別の場所にあるの?」
「いいえ。王宮という枠組みの中に、エスター宮があります」
手のひらに小さな丸を描いて、シュルツが説明する。
王宮島には五つの宮殿があって、その総称が“王宮”なんだそうだ。
わたしは、展望台から見た王宮の様子を思い出した。中央に背の高い建物があり、両側と前面に別の建物がくっついていた。裏側にももう一棟あるとすれば、中央と東西南北で五つの宮殿になる。全部合わせたのがハリファール王宮なんだろう。
わたしは、エスター宮の見取り図を見た。
「王様って、こんなごちゃごちゃしたとこで暮らしてるの?」
「侵入者を迷わせるためでしょうね」
不届き者から王様を守るために、わざと迷宮化しているという。サレンスさんが扱いに気をつけろと言っていたのは、これが超機密情報だからだ。エスター宮の見取り図が外部に流出したら、迷宮が迷宮でなくなってしまう。
見取り図を置いたわたしは、紐で綴じた冊子を手に取った。
こっちは、お友達旅団の姿絵のようだ。
パラ見するが、たいした情報は載っていない。顔がわかるのは三人の男の人だけで、それ以外はフードを目深に被ったローブ姿しかない。誰が魔術師かどころか年齢性別さえも不明だ。わたしは冊子を置いた。
「そういえば、掃除とか食事の用意とかは誰がしてるの?」
「宮殿付の侍女がいるはずです」
「その人たちに聞いて、これ?」
「聞いたかどうかまでは……」
シュルツが言いよどむと、アーベルが代わりに答えた。
「エスター宮の侍女は、ラハイヤに忠誠を誓っている。不利になるような情報は漏らさない。もし漏らせば首が飛ぶ。文字通りの意味でな」
アーベルが、手刀で首をトンとやった。ブラックどころの話ではない。
「王宮っていつ行くの?」
「明後日だ」
「そうか、明後日か」
「明後日ですか!?」
シュルツが、驚いた声を上げた。
「もっと時間があるものかと……」
「一日半ある。死ぬ気で覚えろ」
「……はあ」
「えっ、何の話?」
「エスター宮の見取り図を、頭に入れる必要があるんですよ」
「そうなんだ。がんばって!」
「他人事みたいに言うな。お前もだぞ」
「……ですよね」
うんざりしながら、駅ビルみたいな見取り図を見た。覚えるにしても、カンニングペーパー作るにしても一日半ではキツそうだ。
「そもそも、どうやって宮殿に侵入するの?」
「……少し黙れ。最初から説明する」
アーベルが、眉間にしわを寄せている。
立ち上がると、テーブルに手をついて見取り図に目を走らせた。じっくり眺めたあとで、長々と息を吐き出す。説明するのが面倒くさくなったか、計画自体が面倒くさくなったか、たぶんその両方だろう。アーベルが説明を始めた。
「明後日、元老院の代表がエスター宮を訪問することになっている。ラハイヤにサレンスとの話し合いに応じるよう進言するためだ。これに警護として同行する」
「あれ? 王族の人以外は入れないんじゃなかった?」
「謁見室までは臣下でも入れる。緊急用のものだ」
「ラハイヤさん、会ってくれるの?」
「前回訪問した際は、代理人が対応に出たそうだ」
腕を上げると、一階の入口に近い部屋を指差した。
「ここが謁見室。そして、ここが――」
指を滑らせ、五階の中央にある部屋を示す。
「ラハイヤの居室だ。ここまで侵入する必要がある」
「そこまで、どうやって移動すんの?」
お友達旅団が警備してるだろうし、そう簡単に無断侵入させてくれないだろう。まさか、発煙筒投げ込んで「火事だー!」みたいな寸劇をやるわけではあるまい。
「エスター宮の結界を解除する」
「……したら、どうなるの?」
「客人は、宮殿の結界を外から解除できることを知らない。ラハイヤも、おそらく知らないだろうとのことだ。結界が消えれば、外から攻撃を受けたものと思い、客人たちの注意は外に向く」
王宮の結界は、全体にかかっているように見えて、各宮殿の結界のつなぎ合わせでできている。結界を発生させる魔具は宮殿内部にあるけど、裏ワザを使えば外部から強制解除できるそうだ。でも、裏ワザがあると知らなければ、外部からの攻撃で結界が破壊されたように見える。ということらしい。
「騒ぎの隙に見張りを倒し、エスター宮の内部へ向かう」
ラハイヤさんの捕獲に成功したら、合図を送って近衛突入。失敗した時は、捕獲失敗の合図を送って計画延期を伝える。最初から近衛を突っ込ませないのは、失敗した時のリカバリーが効かないからだ。近衛の突入さえなければ、不届き者の魔術師三人組が処分されるだけで済む。その時は、仲良く国外追放である。
「……失敗したら捨て駒だね」
「失敗しなくとも、元からそうだ」
冷ややかな口調でアーベルが返す。それもそうね。
わたしたちがどうなろうと、ゲオさんもサレンスさんも涙ひとつ零さないだろう。まあ、部下が死んだくらいでメソメソする大将も、それはそれで嫌なんだけど。もっとこう……明るいニュースはないものだろうか。
見取り図を見ながら、シュルツが口を開いた。
「自室にいなかった場合は?」
「目に付いた者を捕らえて、力ずくで口を割らせればいい」
投げやりな調子でアーベルが答える。どこの山賊だよ。
綿密な計画と見せかけて、肝心なとこが運任せで不安しかない。それというのも、宮殿内部の情報が不足しているせいだ。本当に大丈夫なんだろうか。わたしの<青の盾>は、今だお好み焼きサイズしかないというのに。
軽く絶望していると、顔色を読んだらしいシュルツが口を開いた。
「宮廷魔術師のなかには、治癒術に長けた方がいます。首さえ繋がっていれば、だいたい治せるそうなので大怪我しても大丈夫ですよ」
「……そう」
だいたい治せるってことは、何パーセントかは治せないってことじゃないの?
わたしは天を仰いだ。
今度こそ、わたし死ぬんじゃないだろうか。