102 目指す場所
やばいことを思いついてしまった。
たぶん、自分で思ったよりも動揺していたんだろう。図書館のなかで迷子になり、転送基地の乗り継ぎを何度も間違え、別荘に帰り着いた時には夜八時をすぎていた。
音を立てないように、玄関扉を薄く開ける。よし、誰もいない。
屋敷に入ると、そっと扉を閉めた。
門限があるわけではないけど、こんな時間まで出かけてたのがバレたら、何かあったのかと聞かれるだろう。他の人ならともかく、シュルツにバレたらどこで何してたか絶対聞かれるし、聞かれたとして「世界を滅ぼさずにすむ方法を思いついて乗り継ぎ間違えた」なんて答えられない。今日はアーベルのお使いで遠出すると言ってたから、まだ帰ってきてないことを祈るしかない。
わたしは、足音を忍ばせたまま階段を上がった。
廊下の壁に背をつけ、談話室の方をうかがう。アーベルが、暖炉前にある椅子に座って本を読んでいるのを見つけた。シュルツの姿はどこにもない。わたしの不在を知っていたら、ここで待ち構えてるはずだから、まだお使いから帰ってないんだろう。助かった。
わたしは、籐カゴのバッグを胸に抱えた。身を低くし、ソファーを目隠しにして談話室の前を通り過ぎる。わたしがいつ帰ろうが、アーベルは気にしなさそうだけど、シュルツにチクられると面倒だ。
談話室を通り過ぎたわたしは、立ち上がると服の袖で額をぬぐった。
どうやら、気付かれずに済んだようだ。
あー、変な汗かいた。
「――何をしている」
「うわあああああ」
わたしは悲鳴を上げた。
振り向くと、アーベルが背後に立っていた。いつの間に!
「こっちに来い」
そう言うと、談話室の方へ戻って行く。
わたしは、どんよりしながらアーベルのあとに続いた。
いったい何の用だろう?
座れと言われたので、近くのソファーに腰を下ろす。アーベルは立ったままだ。腕組みすると、わたしを見下ろした。あれ? 説教されんの?
「ユリウスと会っていたのか?」
「――会ってません」
「では、こんな時間までどこへ行っていた?」
「えっと……」
「言えないのか」
「そんなことはないけど、休暇なんだしわたしの自由でしょ」
「では、聞き方を変えよう。誰と会っていた?」
「だっ、誰とも会ってないよ」
アーベルは、不審そうに目を細めている。普段のアーベルなら、わたしがオフに何してようが気にしないはずだ。わたしがコソコソしていたので、何かあると感づいたんだろう。こんなことなら、堂々と通り過ぎればよかった。
アーベルが腕を解いて近づく。わたしが抱えていたバッグを取り上げた。
「あっ!」
ジャイ○ンめ! イラッとしたが、奪い返そうとしたらますます疑われる。スパイ疑惑がかかっているようだけど、入っているのは水筒と絵本だけだ。ドーナツを入れていた紙袋は、途中のゴミ箱に捨ててきていた。
バッグを開いたアーベルは、絵本に気づくと取り出して表紙を見た。
「これは?」
「友達がくれた」
「何者だ?」
「……図書館で会った女の子。ココネアって名乗った」
「向こうから近づいてきたのか?」
「そうだけど、友達になりたかっただけだよ」
「……」
「サレンスさんのこととか、何も聞かれてないし」
「殿下と言え」
アーベルだって、作戦会議する時は呼び捨てなのに。
バッグを置いたアーベルは、立ったまま絵本をパラ見し始めた。
やばい。わたしは冷や汗が出るのを感じた。わたしが絵本の竜だとバレたら、駆除されてしまうかもしれない。
「……ガロリア建国の話か」
「知ってんの?」
「子供だましの、くだらないお伽噺だ」
「でも、ガロリアの人たちは信じてるんだよね?」
「俺が知るわけがない」
「……ですよね」
「その女は、なぜお前にこれを渡した?」
「同じような本、わたしが読んでたから? 元々はシェローレンのお屋敷で見つけて、図書館で探して読んでたんだけど」
アーベルは、絵本を閉じると表紙をこっちに向けた。そこには金色の目をした、一本角の赤い竜が描かれている。破壊竜と呼ばれるだけあって凶悪な顔をしていた。
「こいつは、お前の親戚か?」
「いいえ、本人です」
さっきの発言からして、信じねえだろうなと思いながら答える。思った通り、アーベルは何言ってんだコイツという目をしたあと、何を想像したのか、顔を背けると肩を震わせ始めた。笑ってんじゃねえよ!
「……別に、信じなくてもいいけどさ」
わたしだって、今の手のひらサイズから、どうやってグラナティス(大)になれるのか想像もつかない。魔法がレベルアップしたら成長するかもと思ってたけど、そんな気配もないし、ちゃんこ鍋食って寝るしかないのだろうか。
アーベルが、わたしの膝に絵本を放ってよこした。
「信じて欲しければ、炎のひとつでも吐いてみろ」
「……そうですね」
「その女とは二度と会うな」
「えと、今回の仕事が終わるまでの間ってこと?」
「その後もだ」
「同い年くらいの女の子だよ?」
「そうだな。そして、貴族の娘で、家名を名乗らなかった」
「……ミハイ君だってそうじゃん」
「あれは、自分から貴族に近づいたりはしない」
そういやそうだな。
ココネアは、わたしがシェローレンの私兵だと知って話しかけてきた。
でも、誰の警護してるか教えられないと言ったら簡単に引き下がったし、今日なんかグラナティスの話しかしていない。家名を隠したのは、ミハイ君と同じで、特別あつかいが嫌だったからだろう。だとすれば、ココネアはどこかの大貴族――サラウースか、アルバルのご令嬢の可能性が高い。どっちにしろシェローレンの敵だ。
「わかったなら、もう行け」
そう言うと、さっき座っていた椅子のところへ戻った。外出も夜帰りもOKだけど、敵貴族と会うのはNGというのがアーベルの方針のようだ。
ココネアは、「また会いましょう」と去り際に言った。約束はしてないけど、でも、あの部屋でずっと待ってるのかと思うと心苦しい。今度の仕事が終わったら、思い切って家名を聞いてみよう。もしかしたら、親が過保護なだけの庶民かもしれないし。
自室に戻ると、ランプに火を入れてから出窓に腰掛けた。
絵本を手に取り、凶悪面した表紙の竜を眺める。
「――ビフォーアフターどころじゃないしなあ」
アーベルとシュルツに知られたらどうしようと悩んでいたのに、そもそも信じてもらえないとは思わなかった。ほっとしたけど、ちょっと複雑な心境である。そういや、実家を襲ったメリーダって魔術師も、わたしが本当にグラナティスかどうか疑っていたっけ。チビ竜であるわたしをグラナティスと信じていたのは、父とその部下の人のたちだけだ。
「――わたしって、本当にグラナティスなのかな?」
いやでも、こっちに転生する前に先代みたいのが迎えにきてたし、グラナティスなのは間違いない。伝承とか学者さんが言うことを信じるなら、刷り込みの親の願いを聞いて世界を滅ぼし、そのあとで灰になってしまう、不滅というより不憫なドラゴンだ。
わたしは、ベッドに移動するとそこに寝転がった。
ランプの明かりに照らされた天井を見上げながら「でも」と考える。
わたしを蘇らせたその父は、今どこで何をしているのかわからない。ミリーとレイルが迎えに来るって言ってたけど、あれから何ヶ月も経つのにまだ来ていない。係長からの手紙にも、わたしを探しに来た人はいないと書いてあった。
父は死んではいない、と思う。父が死んだらわかる自信がある。
でも、今だに誰も迎えに来ないってことは、何か来られない事情があるんだろう。確かめに行きたいけど、今のわたしの魔術師レベルでは、正義の魔術師達には到底適わない。うっかり出くわして人質に取られようものなら、みんなの足手纏いになってしまう。だから修行をがんばって、星の1になったら実家を探しに行くと心に決めた。
でももし、このまま父を探しに行かなかったら。
「世界を滅ぼせ」と命令されることはない。
大量殺人と都市破壊という罪を犯さなくていいし、やったあと死ななくていい。
人間の寿命は八十年くらいだから、あと四十年くらい雲隠れしてればいい計算だ。わたしは人外生物だし、生まれたばっかだから余裕で寿命長いだろう。
四十年って言うと、どのくらいだろう?
今十六歳だから、今までの人生を二周ちょっとするくらいの時間か。
その間、父やみんなに見つからないように、ベル山脈から遠く離れて暮らす。四十年経って、父がこの世から居なくなれば、わたしは晴れて自由の身だ。
「――うう」
わたしは涙ぐんだ。
ちょっと想像してみたが、とても無理だとわかった。
わたしが生まれて、嬉しそうにしていた父。
愛情いっぱいで世話を焼いてくれたミリーとレイル。
父に怒られるとわかっていて、こっそり修行をつけてくれたヤス。
お城の警備や掃除やお料理をして、がんばって働いてくれた部下の人達。ちょっとお話ししただけで「すごい」「かしこい」とはしゃいでいた顔が思い浮かぶ。みんな、みんな、すごくいい人達ばかりだった。
父に会いたかった。ヤスやミリーやレイルや、部下の人達に会いたかった。
世界の破滅を企む反社会勢力だとしても、わたしにとっては家族同然の大切な人達だ。わたしがみんなの無事を信じて会いたがってるように、みんなもわたしに会いたがっているに違いない。わたしが雲隠れしたら、どれだけ悲しむだろう。自分から行方知れずになるなんて、絶対にできない。そんなことするくらいなら、世界を滅ぼした方がまだマシだ。
それが私の感情なのか、刷り込みによる本能なのかはわからない。
でも無理だ。それがはっきりわかった。絶対に無理だ。
わたしは涙を拭く。ベッドから下りると、腕を上げて伸びをした。
「――ああ、すっきりした!」
無理なもんは無理だとわかったら、何だかお腹が空いてきた。
今なら、井之頭○郎の気持ちがわかる。お店――は、ないから、厨房に行って何かもらってこよう。確か、夜勤のメイドさんがいるはずだ。
部屋を出て、談話室の前を通りかかる。アーベルが本読んでいるだけだ。ひょっとしてもう帰っているのかと思い、シュルツの部屋に行って扉をノックしてみる。返事はない。まだ帰ってきていないようだ。
厨房に行き、温めたパンとスープをもらって食べた。
帰り道で、また談話室を覗く。やっぱりアーベルしかない。もう十時近い。どこまでお使いに行かされたんだろう。また遭難してないだろうか……。
わたしは、アーベルのとこに行った。
「シュルツは? いつ帰ってくるの?」
「――明日の昼だ」
顔も上げずにアーベルが答えた。
わたしはがっかりした。部屋に戻ろうとして、ふと足を止める。
振り向くと、本を読んでいるアーベルを見つめた。さっきは信じてもらえなかったけど、もし、何かがあってわたしが破壊竜本人だとわかったら。そうしたら、アーベルはどうするだろうと考えた。やっぱり駆除しようとするだろうか。
突っ立っていると、アーベルが眉をひそめながら顔を上げた。
「何だ? 言いたいことがあるなら言ってみろ」
「あのさ。ある日わたしが覚醒して、世界を破壊し始めたらどうする?」
「くびり殺す」
間髪入れずにアーベルが答えた。
たぶん怖がるべきなんだろうが、わたしは安心した。
父に会えたら、考えを改めるよう説得するつもりだけど、もしできなかったらわたしはグラナティス(大)になって世界を滅ぼしてしまう。でも、その前に、誰かがわたしを倒してくれたら世界は滅びずに済む。父やみんなには申し訳ないが、わたしは大量殺戮とかしたくなかった。
「それ、シュルツにも言っといてくれる?」
「それとは何だ?」
「わたしが覚醒したら、大惨事になる前に駆除しようぜって」
「自分で言え」
「したら、シュルツが泣いちゃうじゃん」
「……」
それとも、縁起でもないと怒るだろうか。
頼んだからと言い置いて、わたしはぶらぶら歩き出す。廊下に出る前に振り向くと、アーベルがまだこっちを見ていた。わたしが本当に伝説の炎竜かどうか、考えているんだろう。わたしは愛想良く手を振ってから、自分の部屋に戻った。