100 続・師弟の休日
ユリウスの紹介で目当てのものを手に入れ、食堂に戻ると、ウェイターさんがわたし宛のメモを持ってきた。「五時に転送基地の前で待っています」とシュルツの字で書いてある。時計を確認すると、もう四時半を過ぎていた。工房の見学とかをしていて、時間がかかったせいだ。わたしは、ウェイターさんにお礼を言って店を出た。
急いで転送基地に向かう。到着するとシュルツがすでに待っていた。
「遅れてごめん。待った?」
「大丈夫ですよ。ユリウスと、どこへ行っていたんですか?」
「魔具の工房を見学させてもらってた」
「何か聞かれましたか?」
「ううん。平和な話しかしてないよ」
「そうですか」
「バルマンさんとの稽古、どうだった?」
「勉強になりました。……食後にやることではありませんでしたが」
どんよりした目でシュルツが言う。稽古が辛かったのか、それともバルマンさんの真似だろうか。バルマンさんをディスるわけじゃないけど、強さと引き換えにシュルツが死んだ魚の目の素浪人になったら、わたしはとても嫌だ。
「小豆を探しに行きますか?」
「時間も遅いし、今日はいいや」
「では、展望台に行ってみましょうか?」
「いいけど、小箒は買えたの?」
「はい。穂が詰まって、よくしなるいい物が手に入りました」
「……掃除がはかどりそうだね」
よくわからないが、箒なら何でもいいわけではないらしい。
わたしたちは、展望台を目指して歩き出した。
転送基地からちょっと離れたところにあるそうで、案内標識を辿りながら、湖畔沿いの遊歩道を歩く。人気の観光スポットだと聞いたが、遊歩道を歩く人の姿は少ない。もうすぐ日が暮れるからか、それとも距離を歩くからだろうか。
十分ほど歩いたところで、前方の丘の上に展望台が見えてきた。
見えてはいるけど、まだまだ距離がある。
飲み物を売る屋台が出ていたので、小休止することにした。
陶器のコップに飲み物を入れてもらい、離れたベンチに腰を下ろした。
「イチカ、歩きにくそうな靴を履いていますが……」
心配そうに、シュルツが切り出した。
わたしは、つま先を持ち上げてみた。可愛らしいデザインの革靴だけど、ほとんど新品だし、確かに靴擦れしそうに見える。
「肌強いから平気」
「……ならいいんですが」
「今のこれは、仮の姿だしね」
「でも、怪我をしないわけではないですよね?」
「そうなんだよね……」
言わば、人間の着ぐるみを着ている状態だから、本体が傷つくはずはない。それなのに転べば擦りむくし、蹴っ飛ばされれば怪我もする。どういう仕組みかわからないが、たぶん「今のは怪我したはずだ」みたいな、わたしの思い込みも反映されているんだろう。
わたしは、手をぐーぱーしてみた。
「怪我しないって、思い込めばしないのかな?」
「どうなんでしょうね」
「練習してみようかな」
「……何をどう練習するつもりですか?」
「暗示かけてから、壁に激突してみるとか?」
「絶対にやめてください」
青くなりながらシュルツが止めた。確かに、想像するとやばい奴だ。
屋台で買った飲み物を、一口飲んだ。チャイみたいな香辛料入りのミルクティーで、シナモンが効いていておいしい。この世界には、ミントだけでなくシナモンもあるようだ。
考え込んでいたシュルツが、ふと口を開いた。
「物が持てるということは、ある程度実体化しているということですよね?」
「わたしは着ぐるみだと思ってるけど」
「着ぐるみ?」
「指人形のでっかい版みたいな?」
「ああ、それならわかります」
「自分でも、本体がどこにいるかわかんないんだよね」
「そういうものですか?」
「うん。わかってたら、本体いないとこ、わざと刺されるとかできるんだけど」
「……またそう言うことを」
シュルツがあきれている。でも、チビさえ無事なら、理論上どこを攻撃されても死なないわけだし、かなり有利になると思うんだけど。本体って今どこにいるのかな……。
「イチカのお父様は、どんな方なんですか?」
「わたしのこと大好きな人」
「イチカのために、そんなすごい魔法を作るくらいですからね」
「うん。でも、過保護ではないんだ」
「そうなんですか」
「パパの部下の人は、超過保護だったけど」
「……部下の人?」
「ミリーとレイルっていうんだけど、常にわたしのこと褒め称えて、ブラッシングして、わたしを運搬する用のカゴ作って、部屋を出る時は常にカゴに入れられてた。あ、チビの状態での話だよ」
「何だか、お姫様みたいですね」
その様子を想像したらしく、笑いながらシュルツが言う。
確かに、実家でのわたしはドラゴンのお姫様と言っても過言ではなかった。わたし用の遊具や食器を手作りしていたミリーとレイルなら、いつかチビ竜用のドレスも作り始めそうだ。再会したら、口を滑らせないよう気をつけよう。
水分補給も済んだので、展望台目指してまた歩き出した。
展望台のまわりには色々なお店があって、多くの人でにぎわっていた。長い石段を登って丘の上に行くと、そこは公園みたいになっている。謎オブジェが建っていて、謎オブジェを囲うようにベンチが並んでいた。
名所になっているだけあって、丘の上からは王宮島の姿がよく見えた。他の場所だと、途中に浮いている島が邪魔をしてよく見えないのだ。
他の浮島の下半分が岩剥き出しなのに対し、王宮島の下半分は外壁に覆われていて、島というより“超古代文明の浮き城”といった風に見えた。中央に大きな尖塔のある高い建物があり、両側と前面に中央の建物よりは背の低い、それでもシェローレン屋敷よりも大きな建物が続いている。低い建物の上からも尖塔が突き出していて、宮殿というより世界遺産の大聖堂といった感じだ。裏側にももう一棟あるとしたら「十」の形になっているんだろう。王宮のまわりは緑の森に囲まれている。
オレンジ色に染まった湖面には、王宮島の姿が鏡のように映り込んでいた。
水面を挟んで、ふたつのお城があるように見えて、とても幻想的な風景だ。スマホがあればパシャパシャ撮るところだが、ないので目に焼き付けるしかない。帰りに絵ハガキでも買って帰ろう。
案内版を見ながら、シュルツが言った。
「ここは、夜景も綺麗だそうですよ」
そう言われて見ると、確かに階段を上がってくる人の数が増えてきている。
日は暮れかけているが、夜景を見るほど暗くなるにはまだ時間がある。
上のベンチが埋まってたので、座れそうな場所を探して歩いた。
いつもの格好ならそこらの草地でいいんだけど、今日はスカートなのでそれができない。
斜面を降りたとこに低い石垣を見つけたので、そこで時間を潰すことにした。ここからも王宮島が見えるけど、木の幹に遮られて一部しか見えない。そのせいか、辺りにはほとんど人がいなかった。
「シュルツん家って、あとどれくらい借金残ってるの?」
何気なく聞くと、シュルツがぎょっとしてわたしを見た。
「――何ですか、突然」
「いや、ユリウスが国外追放とか言うからさ」
クーデターを手伝おうとしてるんだから、あり得ないことではない。そうなったとして、わたしは平気だけど、シュルツは困るだろう。
「……まあ、その時はその時ですね」
シュルツには珍しく、行き当たりばったりみたいなことを言う。考えてみれば、国外追放になったとして、その時はアーベルも一緒だ。失業するわけじゃないし、最悪、ゲオさんが何とかしてくれるだろう。何とか、してくれるだろうか……。
「ユリウスんとこに転職する気はないの?」
「絶対にありません」
「ふーん」
「イチカはどうなんですか?」
「正体バラされると困るから、選択肢がない」
「アーベルですか? さすがにそんなことは……」
しないと言い切れなかったようで、シュルツが語尾をにごす。しばらく黙ってから、再び口を開いた。
「それこそ、国外に出てしまえば逃げられるのではないですか?」
「そうだね」
「どうして逃げないんですか?」
「まあ、約束は守ってくれたから?」
給料はくれたし、レベル上げも何とかしてくれた。アーベルのとこで労働したおかげで、知り合いや友達が沢山できた。脅迫された時はどうなることかと思ったけど、振り返って見ればそう悪いことばかりでもなかった。アーベルは、ブレずに性格悪かったけど。
「そういえば、魔法の系統をどうするか決めましたか?」
「うん、決めたよ」
「どの系統にするんですか?」
「どれも選ばない」
「……全部、ということですか?」
「そうだよ」
わたしは、にっこりした。昨日、自主練しながら一日中考えてみたけど、どうしてもひとつに絞れなかった。かといって、どれかひとつを極めてから別のをやり始めるとかも性に合わない。オールラウンドを目指すしか選択肢が残らなかった。
「だめかな?」
「いえ、そう言うだろうと思っていました」
シュルツが言った。シュルツ先生は、いつだって生徒の自主性を重んじてくれる。
「アーベルには、俺から話しておきます」
「怒られたらごめんね。……あ、そうだ」
わたしは、ポーチを開けると、買ってきたものを取り出した。安く抑えたかったので、箱はない。ちょっといい布の巾着に、ちょといいリボンをかけてもらった。丁寧にシワをのばしてから、シュルツに差し出した。
「これ、シュルツにプレゼント」
「俺にですか?」
「いつも訓練つけてくれて、ありがとう」
プレゼントを受け取った途端、シュルツがぎくっとした。
触った感じで、魔具だとわかったんだろう。
緊張した表情でリボンを解くと、巾着の中身を取り出した。
出てきたのは、銀色の懐中時計だ。鎖と蓋がついていて、装飾はいっさいない。一見すると安っぽく見えるけど、魔具だからネジ巻かなくても動くし、濡らしたりぶつけたりしても大丈夫らしい。取り扱い説明書は、巾着袋のなかに入っている。
「――こんな高価なものを、俺に?」
シュルツは、ちょっと呆然としている。
喜んでもらえると思ったのだが、いくら何でも高級品すぎたようだ。でも、労働して得たお金じゃないし、辞退されてもあれなので、わたしは慌てて説明した。
「ほとんどはグリフォン倒した時の報酬だし、あと、新商品の試作で作ったやつだから、普通のよりずっと安かったよ」
シュルツがバルマンさんに連れて行かれたあと、ユリウスに魔具作りの工房に連れて行ってもらった。わたしの所持金で買える懐中時計はないか聞くと、この時計を出してきてくれた。普通は分解して再処理にまわすんだけど、試作品の割にはかなり出来がよかったので、とっといたんだそうだ。誰かに使ってもらえるなら嬉しいと、材料費だけで売ってくれた。
以上のことを説明したが、シュルツは受け取るかどうか、まだ迷っているようだ。
「でも、自分の分は?」
「ダーファスで買ったのがあるから必要ない」
「じゃあ……」
「交換ならしないよ。普通の時計だと、すぐ壊しちゃうんでしょ?」
何で持っていないか聞いた時、そう言っていた。魔素の減り具合で時間は計れると言ってたけど、でも時計があった方が便利だろう。――それとも、本当に迷惑だっただろうか。
不安になりかけていると、シュルツが竜頭を押さえて時計の蓋を開けた。親指で文字盤を撫でていたが、蓋を閉じると、胸のポケットに入れて鎖の端をボタン穴に留めた。
「ありがとうございます。大事にします」
ポケットに手をあてて微笑んだので、わたしはほっとした。
「びっくりさせて、ごめんね」
「いいえ。時計のお礼に、イチカのスカートを縫いますね」
「……スカートなんか作れるの?」
「作ったことはないですが、ズボンよりは簡単そうです」
「まあ確かに」
技術はともかくデザインが不安だが、シュルツがやる気になっているようなので黙っておく。マデリンさんが聞いてたら「そういうとこだぞ」とか言いそうだ。
展望台に戻ると、綺麗な夜景が広がっていた。王宮も群島も金持ちの家なので、灯火がたくさん灯っている。黒い鏡のような湖面に群島の灯火が映りこみ、まるで夜空を見下ろしているような、不思議な風景を作り出していた。さすが有名観光地だけのことはある。
帰り道の階段の上で、手を出しながらシュルツが言った。
「暗いので、足元に気をつけて」
街灯が立っているけど、雰囲気作りのために明るさを絞ってある。あと、人が多いからはぐれないようにとの意味もあるんだろう。
これはちょっとデートっぽいな。
そう思いながら、わたしはシュルツの手をとった。