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01 夏休みと赤い竜

 わたしがこの世に別れを告げたのは、高校一年の夏のことだ。

 微熱とだるさでふらふらしながら終業式を終えたわたしは、何だか体調が悪いな。医者に行った方がいいかなと思いつつ、まっすぐ家に帰るとゲーム機の電源を入れた。


 次の日も、その次の日も、体調不良は続いていたが、病院へ行くことはなく、夏休みを満喫することを優先させた。ただの夏バテだろうと思ったし、病院の待ち合い室で貴重な夏休みの数時間を消耗するのが嫌だった。


 風邪でさえめったにひかないこのわたしが、病気になんかなるわけない。 

 ただの夏バテ。

 ぐうたらしてればそのうち治る。そう自分に言い聞かせた。

 

 重大な病気が見つかろうものなら、夏休みどころじゃなくなる。

 

 深夜アニメの感想を、リアルタイムで掲示板に上げたり、

 徹夜でゲームしたあと、早朝の台所であずきアイスかじったり、

 イベント帰りに、コラボカフェに寄って盛大にぼったくられたり、

 全部できなくなる。


 夏休みだけを楽しみに、夏休み以外の十ヶ月半を耐えていると言っても過言ではないのに、そんなのはあんまりだ。夏休みを奪われるくらいなら、死んだ方がましだ。だからわたしは、悪化する体調に気づかないふりを続けることにした。


 録りためたアニメを消化し、お気に入りの漫画を読み返し、持ちキャラの戦闘力アップに夏休みの大半を費やした。オタク趣味のいいところは、それが寝っ転がりながらでもできることだ。趣味の仲間と遊ぶこともあったが、みんな基本はインドア派なので、その回数は多くなかった。


 微熱は続き、体調は悪化する一方だったが、やっぱり医者には行かなかった。


 そうして、夏休みも終盤の八月二十四日。

 少しは夏らしいことでもするかと、小学生の弟を連れて市民プールへ行った帰り、わたしは意識を失い、救急車で運ばれた。

 

 らしい。


 というのも、わたしにその時の記憶がないせいだ。


 いわゆる、気づいたら病院のベッドの上だったというやつである。


 頭がぼうっとして、なんだかとってもだるかった。

 車椅子に乗せられ、精密検査を受けるためにあちこち運ばれた。

 イケメン検査技師にお姫様抱っこで検査台に乗せられたが、残念なことにぼんやりとしか覚えていない。その後も検査はたくさんしたが、お姫様抱っこをされたのはその時だけだったから、非常にもったいないことをしたと思う。


 救急搬送された翌日、点滴を受けたわたしは、多少の元気を取り戻した。


 集中治療室に入れられていたので、テレビもスマホも見られず暇だった。

 救急車で運ばれるとこ、近所の人に見られてたら恥ずかしいなあ。

 などと、のんきな心配をしながら冷凍ミカンを食べていると、両親と医者がやってきた。両親の顔に涙のあとを見て、あ、やばいんだとわかった。


「市夏さんの余命は、残り一ヶ月です。延命するには、臓器移植しか方法がありませんが、一ヶ月の内に適合するドナーを見つけ、移植手術をすることは不可能に近いでしょう」


 病名は、長すぎてわたしには覚えられなかった。

 内臓の一個が壊れかけていて、それは人間にとって大事な臓器で、それが完全に壊れたときが、わたしの生命活動が終わるときなんだそうだ。


 実感はなかった。

「一ヶ月あれば、パーフェクトな身辺整理できる。神はいるな」と思った。


 専門医がいるという病院に移され、そこで治療を受けることになった。

 ああ、治る見込みがないから治療とは言わないんだっけ。

 いわゆる、ターミナルケアというやつである。

 余命一ヶ月のわたしに、担当医は痛み止めを大盤振る舞いしてくれた。

 おかげでわたしは、比較的元気に夏休みの残りを過ごした。


 入院中に、一度だけ自宅に帰った。

 リビングにいた弟が、スイ○チをやりながら「おかえり」と言い、「おれ、救急車乗ったんだぜ」と自慢げに言うので、「わたしのおかげでな」と返した。織部家には、アホの子しかいないのである。


 自室に行ったわたしは、腕まくりをする。

 幸いなことに、明日は燃えるゴミの日だ。

 

 穢れきったHDDの中身を削除し、物理的にヤバいものは、片っ端からシュレッダーにかけた。データの削除はソフトにお任せでよかったが、こっちは誰にも任せることができない。せっせっと紙をのみこませ、花吹雪になったのをゴミ袋に詰めていく。

 喪失感がなかったと言えば、嘘になる。

 しかし、自作他作の二次創作的なあれこれを、家族に見られるわけにはいかない。それだけは絶対に嫌だ。死んでも死にきれない。数時間後、ゴミ袋の山を玄関に移動させたわたしは、すがすがしい気分で額の汗をぬぐった。これでもう思い残すことはない。


 そして、夏休みが終わった九月一日の早朝。

 早くに目が覚めたわたしは、病室から薄暗い街並みを眺めていた。

 高いビルの向こう側から、朝の光が射してくる。

 広い空と、ところどころキラキラした街並みは新海映画のようだ。


 頬杖をつき、今日の始業式は欠席だなと考えたとき、わたしは始業式どころか、一ヶ月もしないうちにこの世から永遠に欠席するのだと、そこで気がついた。教室からわたしの席がなくなるように、この世でのわたしの席もなくなり、やがて忘れ去られる。最初からそこにいなかったように、きれいさっぱりと。


 何を今更、という話である。

 でも、本当なのだからしかたがない。

 長い夢から覚めたようだった。

 正気に戻ったのだと、言い換えてもいい。

 救急車で運ばれて、余命宣告されて。

 夢じゃなく現実なんだと、わたしの頭がその時初めて理解した。

 どうしよう。

 わたし、死ぬんだ。


 矢も盾もたまらず、わたしは病室を飛び出した。

 いても立ってもいられない。

 何かをしなくちゃ、どこかへ行かなきゃ。

 わたしがわたしのまま、生き残る方法を見つけなくちゃ。

 でないとわたしは、消えてなくなってしまう。


 しかし、いくらもいかないうちに、わたしは立ち止まった。

 早朝の病棟、静まりかえった無人の廊下。

 その床も、壁も、天井も、すべてが真っ赤な光に染まっている。


 最初は、朝日のせいだと思った。夏の夕暮れ、ほこりっぽい空気のせいで真っ赤に染まった夕日のように、朝日もこんな、どきつい色になるんだなあと思った。


 でも、それにしたって、赤すぎやしないだろうか。

 そう思ったとき、赤い光がふいにうごめいた。

 くらくらしながら、これは夢だとわたしは思った。 

 

 というのも、赤い光のなかに、ドラゴンのような生き物がいるのが見えたからだ。でかすぎて全体が見えないが、どうやら西洋型のようだ。


 立派な一本角と金色の目、蜥蜴のような長い身体と長い尻尾。赤い光のなかにいて、それより赤い半透明の鱗を全身に帯びている。プロジェクションマッピングの映像のように、ドラゴンは壁のなかにいて、息をするたびに胴体がふくらんだり、しぼんだりしていた。


 シュウシュウ言う息づかいは、ごく小さい。

 呼吸のたびに胴体が上下し、金色の目がまばたきをする。

 じっと、わたしを見ている。


 隙を見せたら、飛びかかってくるかもしれない。


 そんな緊迫した場面であるのに、わたしはくしゃみがしたくなった。


「へくしっ」


 とやった瞬間、ふいにドラゴンが動き出した。


 わたしの足元を通って、ドラゴンの頭が真上に移動する。移動に合わせて、長い胴体が壁と廊下を螺旋状にぐるりとまわった。胴体は蜥蜴を引き延ばしたような形で、四本の足と、それから胴体と同じくらいの長さの尻尾があった。


 頭上には、ドラゴンの黄金の目。

 喉を鳴らしているのか、ゴロゴロと雷に似た音が低く聞こえる。

 今にも口を開き、わたしを呑み込んでしまいそうだ。


 わたしはドラゴンに背を向けると、走り出した。

 前にのびた自分の影が長くなり、それから急速に縮む。

 背後から、赤い光が追ってくる。


 追いつかれたと思った瞬間、背中の真ん中あたりに、何かがどんっとぶつかる衝撃があった。音に貫かれたような、内側に反響するような、ぶつかったのにぶつからなかったような変な感じだ。


 わたしは前のめりにすっ転び、飛び起きると背後に目を向けた。

 そこには何もなかった。

 何ら変わったところのない、殺風景な病院の廊下があるばかりだった。

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