74話 僕は針のむしろなのですが
「ディータっ!! ディータディータディータディータディータっ!! 本当よねっ!? 夢や幻じゃないのよねっ!?」
飛び付いて来て僕の胸に顔を擦り付けるナティの姿は、戦地から帰った主に甘えるゴールデンレトリバーでしょうか?
もうとにかく身体全部で僕にしがみ付き、匂いを嗅いだり匂いを擦り付けたりしてそうな勢い。
突然の行動に、他の方々は唖然としていらっしゃるみたいです。
ていうかナティ。
なんか身体付きが変わりました?
身長もちょっと伸びてますし、女性らしい膨らみが出来ているようです。
なるほど。
女の子はこのくらいの年齢から変わるのですね。
将来シフォンが成長する時の為に覚えておきましょう。
「っておい! いつまでそうしてるんだっ! それは私の……はっ!? まさか手当たり次第全員来いとっ!? ディータはハーレム王になるつもりなのかっ!? なんて逞しい……。よし私もっ!!」
何故か参戦を表明したミントさんが飛びかかって来ようとしましたが、その襟首をラシアさんがグイッと掴んでいました。
「申し訳ありませんが、今はナティルリア様の好きなようにさせてあげて下さいませんか?」
「なんでだよっ! ずるいぞっ!」
何がずるいのか分かりませんけど、僕もラシアさんの意見に賛成です。
だって胸の中の彼女。
今は僕の胸倉を必死に掴んで、泣いているのですから。
「ディータ……っ! ディータぁぁっ!!」
「はい。ここにいますよ」
押し倒されたままというのは少し苦しいですが、でも僕はそのままあやすように、ナティの背中をポンポン優しく叩き続けたのでした。
……。
それから十分近く経ち、突然ガバッと立ち上がったナティの顔は、熟しすぎて落ちる寸前のトマトみたい。真っ赤になって、あわあわと慌て出したのです。
「わ、わわわ、私なんてことを……っ!! あ、いえ、じゃなくてっ!! 服っ! それに髪もっ! み、見ないでディータっ!!」
ダイブするようにナティが布団に戻ったのを見計らい、ラシアさんが僕達を部屋から追い出します。
少し落ち着く時間が必要なので私達は一階に降りていましょうと、そのように僕たちの背中を押したのです。
そうして今は、一階のリビングで紅茶を飲んでいるところ。
懐かしい雰囲気に僕などは頬が緩むのですが、ミントさんは興味深そうに室内を見渡していました。
「そういえばここ、ディータが私を連れ込もうとした屋敷だな」
「お招きした、です。なんですかその悪意しかない言い回し」
「なに、ただの牽制だ。お前は気にするな」
ニヤリと笑ったミントさんの視線の先には、お茶菓子を用意中のラシアさん。
彼女はミントさんの言葉で、ピクリと肩を揺らしていました。
ですがお茶菓子を持って振り返ったラシアさんは、いつもと変わらぬ笑みをたたえ、ニコニコと僕の隣に立ったのです。
「あらそうなんですか? おいで下さっても良かったのに。まぁ元は国王陛下のお屋敷なので、森の民では尻込みなさるのも仕方ありませんけれど」
「ほぅ……。喧嘩を売っているということでいいか?」
「売るなどと卑しいことは致しませんよ? 差し上げているのです」
ちょちょちょっ!?
「和解したんじゃなかったんですか二人とも!?」
「えぇ、しておりますよ。概ねでは」
「あぁ、してるぞ。一部を除いては」
なんですかそれ!?
与り知らないところで再燃しないで下さい。
「……にぃが悪い」
助けを求めて妹を見ると、どうやら命綱はバッサリ切られたご様子。
僕にはまだまだ分からないことが多いようです。
変に緊迫した空気にキリキリ胃を痛めながら紅茶を啜っていると、静かに扉が開かれました。
「ま、待たせたわね」
ナティです。
先ほどとは違い、ちゃんと髪の毛を整えて、しかもパーティードレスのような装いのナティが現れたのです。
思わずポーッとしてしまうほど高貴で美しい姿に見蕩れていると
「あ、あまりジロジロ見ないで……。恥ずかしいわ」
顔を俯かせながら、ナティは自分の席へと腰を下ろしたのでした。
なら何故そんな格好なんですか? という突っ込みは野暮なのでしょう。
そのくらいなら僕にだって分かります。
久しぶりに友達に会ったので、つい気合を入れすぎてしまう。
よくあることですよ。
「少し見ない間に綺麗になりましたね」
なので恥ずかしがらなくて良いようにと、紳士的な褒め言葉を口にしてみたのですが、ナティは顔を真っ赤にしてますます俯いてしまいました。
ミントさんは口をあんぐりあけて唖然でしょうか。
シフォンの溜息は最近よくあることなので、放っておきますけど。
「ほら、ナティルリア様。ディータ様があぁ仰って下さってますよ」
「そ、そうね……。ありがとう。ディータも少しみない間にますます……よ」
なんですか?
ますます……遊び人っぽくなった、でしょうか?
嬉しいような悲しいような、微妙な感じなのですが。
まぁそれはさておき、話をすり合わせなければなりません。
僕達が来た理由はラシアさんからナティに伝わっているようですが、齟齬があるといけませんからね。
僕は立ち上がり、全員の目がこちらを向いてから話し始めることにしました。
「じゃあ全員揃ったようなので、詳しい現状と今後のことを話したいのですけど……。その前に、最終確認をしてもいいですか?」
そう言って僕が視線を合わせたのはナティです。
彼女は少しビックリしてから手をもじもじさせ、でもそれからちゃんと目を合わせてくれました。
「ナティは、この結婚を望んでいないんですよね?」
「も、もちろんよっ! そんなこと確認するまでもないわっ!」
「良かったです」
ラシアさんも言っていましたが、婚前で精神が不安定になるというのは異界でも聞いています。
確かマリッジブルーとかいうのでしたっけ?
なのでラシアさんの早とちりで、ナティは結婚を望んでいないわけじゃない。
そんな可能性を考え、僕は確認してみたのです。
何故か少し憤りを見せたナティですが、勘違いではなくて良かったと伝えると、再び顔を真っ赤にしてしまいました。
実は風邪でもひいて熱があるのではないでしょうか?
少し心配です。
まぁとにかく確認が終ったので、これからどうするのかを話し合いましょう。
といっても、ほとんど決まっているのですが。
「なら僕達は、ナティをミリアシスまで連れて行こうと思います。ナティもそれで良いですか? 言わずもがな、国も身分も捨てることになるのですが」
「いいわっ! あんな男と結婚するくらいなら……いえ、私には王女であることより、もっと大切なことがあるからっ!」
やはり女性にとって結婚というのは大切なことですからね。
無理矢理相手を決めさせられる王女より、身分を捨ててでも自分で相手を探したいのでしょう。
それがナティの幸せだというのなら、僕は友人として全力応援する所存です。
しかし「あんな男」というのが気になります。
お知り合いなのでしょうか?
「そういえば聞いてませんでしたが、お相手はどんな方なんですか?」
「最低の男よっ! ディータも知っている筈だけど」
「僕が?」
するとラシアさんが、僕の疑問に答えてくれました。
「以前洞窟でナティルリア様を救ってくださった時のことを覚えていますか?」
「えぇ。ケルベロスに襲われていた時のことですね」
「はい。その時に、片腕と意識を失っていた冒険者の男がいたと思うのですが」
あぁ、いましたね。
今にも死にそうだったので、慌てて初級回復魔法をかけたのでしたっけ。
「ディータ様が名乗り出ないのを良いことに、彼。ダグラスというのですが、その男がナティルリア様を救った英雄として祭り上げられているのです」
そういえばそんなことを言われていた気がしますね。
でも僕が出て行っては、王宮内から顰蹙を買う可能性があったので、あの時はそうするしかありませんでした。
「お父様もちょうど英雄を欲していたのよ。国民や軍を牽引する旗印として。もちろんお金や身分に弱く、扱いやすい人間をね。知ってる? 今国中の吟遊詩人が歌っているのは、ダグラスが片腕を犠牲にケルベロスを倒し、王女を救う英雄譚らしいわよ。そうやって、無理矢理英雄を作り上げているんだわ」
そういうナティは、とても悔しそうにドレスの裾を握り締めたのです。
「もちろん私は言ったわっ! 私を助けてくれたのはディータだってっ! それにあの男は私とリルゼを囮にしようとした最低の男だってこともっ! けどお父様は聞いてくれなかった。いえ、きっと薄々気付いているけれど、それよりも操りやすいあの男の方が、利用価値が高いと考えているのよ」
薄いブルーの瞳に涙を溜めて、ナティは悔しさを吐き出しています。
その姿に僕の心も痛み、なんとしても彼女を守ってあげたいと思ったのです。
「ナティ、大丈夫です。僕が必ず貴女を連れ出します」
「ディータ……っ!!」
にっこりと微笑んでいるラシアさんの目元も、若干濡れているご様子。
ミントさんは面白くなさそうな顔をしていますが、思うところがあるのか、茶々を入れてくることはありません。
つまり反対するものはいないのです。
「では行きましょう!」
「えぇっ!! どこまでも着いて行くわっ!!」
いやミリアシスまででいいのですが?




