73話 僕は歯噛みするけれど
ポードラン大陸に渡った僕達は、真っ直ぐにお屋敷……ではなく、まずは王都へ向かうことにしました。
といっても用事があるのは僕。
商人さんに頼んでディアトリさんの情報を集めてもらう手筈でしたが、僕本人が来てしまったので、お手数をお掛けする必要も無いだろうと、まずはポードランにある商会に赴くことにしたのです。
久しぶりの王都。
以前は人通りも多く圧倒された街なのですが、今はどことなく寂しげに感じます。
というのも、街行く人の顔があまり優れないのです。
ミリアシス大聖国と人口は変わらないけれど、向こうは皆笑顔でした。
その差が如実に表れているのでしょう。
「最近は魔物の出現も多いですし、お城からは戦争の噂も聞こえてきています。おそらくそれが人心に影響を与えているのではないかと」
ポードランの現状をそのように説明してくれたラシアさんは「それもあってナティルリア様の結婚を強行しようとしているのだと思います」と、悔しそうに歯噛みしたのでした。
確かにおめでたい話の一つもあれば、もう少し人々にも希望が生まれるのでしょうけど。
でもそのためにナティが犠牲になるなど、許されることじゃありません。
どことなく陰鬱とした街の一角で、僕はポードラン商会を見つけました。
大きな石造りの建物ですが、ここで何かを売っているわけではありません。
他国との貿易商談や、ポードラン国内の適正物価の制定。それに地方への物資供給などを一手に仕切る、いわば商人さん達の大元なのです。
ミリアシスの商人さんがトランプを持ち込んでポードラン国内で売り捌こうとするなら、まずここに来るのは間違いありません。
なのでこちらに居る、もしくは来たかどうかを確認するため、僕はここを訪れたのです。
「ラムストンさんのお知り合いですか? いつもお世話になっております。ラムストンさんでしたらあと一泊するご予定だとかで、街中に宿を取っているはずですよ」
受付の方に聞くと、わりとあっさり教えていただくことが出来ました。
というかあの商人さんの名前、ラムストンさんというらしいです。
今更ながらに知りました。
でもそれすら知らない僕にあっさり教えるなど、防犯は大丈夫なのかと不安になりましたが「こちらで個々人の出会いを阻害するのは好ましくありませんから。どのような出会いでも、それを商機に繋げられるのが優秀な商人というものです」だそうです。
奥の深そうな商人道。
いつか僕もその道を進んでみてもいいかもしれません。
今のところは遊び人道という、獣道にも劣る荒野を邁進中ですけど。
奥が深いというより、そこら中に奥が深い落とし穴がありますからね遊び人道。
他の道が楽しそうに見えるのも無理はありません。
そんな益体のない事を考えながら街中を探すと、商人さんが宿泊中だという宿屋を発見です。
さっそくラムストンさんの部屋に案内を頼むと、宿屋の従業員が手の平を差し出してきました。
チップ的なものを要求しているのでしょう。
どのくらい渡すのが適正か分からないですが、ただ案内してもらうだけ。
ならば銅貨二枚くらいでいいのかなと取り出し、握らせようとした瞬間。
「違うぞディータ」
ミントさんに手を捕まれて阻止されました。
そしてミントさんは、代わりに金貨一枚を握らせたのです。
「多すぎませんか?」
「いや、これでいい筈だ」
なんとなく腑に落ちない僕ですが、従業員さんは何も言わずに受け取り、僕達を二階の部屋に案内してくれました。
――コン……コンコン……コン
「ラムストン様。ラムストン様にお会いしたいという方がいらしていますが」
「お通しして下さい」
ちょっと変わったノックの後に従業員さんが声をかけると、中から返って来た声は聞き覚えのある商人さんの声です。
スッと音もなく開いた扉の向こう、彼は血色の良いお顔で僕達を迎え入れてくれました。
「なるほどディータ様でしたか。でしたらこれはお返しせねばなりませんですね」
そう言って部屋へ入るや否や、返されたのは一枚の金貨。
従業員さんにチップとして渡したものです。
どういうことかと首を傾げると、ラムストンさんはニコニコと笑顔で応えてくれました。
「いくらチップを渡したかで、訪ねて来た人がどれだけ私との会話に価値を見出しているかを量るのですよ。銅貨なら大した話じゃない。銀貨なら並程度の商談。金貨なら最高の儲け話か緊急性のある話。そんな風にね」
ほほぅ。
そんな意味があったんですね。
「宿の方は、受け取ったチップの額でノックの仕方を変えます。私はそれを聞き、会いたくなければ居留守を使うこともあるくらいです。まぁ古い商人のしきたりですが、良くご存知でしたね」
「まぁな。知り合いに大きな商家の娘がいてな。今は随分偉くなったようだが、子供の頃に色々教えてもらったんだ」
それはたぶんマルグリッタさんのことでしょう。
あの人ならば今の条件にマッチしてますし、なにより語るミントさんが少し嬉しそうなので。
「なるほどなるほど。それでディータ様。はるばるポードランまでお越しになったからには、何か急ぎの御用向きでしょうか? もしかして、また何か新しい遊具を発明なされた?」
金貨一枚の価値を推し量ろうと、ラムストンさんは手を揉みながらグイッと迫ってきました。
しかし申し訳ありません。
今回はそういう話じゃないんですよ。
「ちょうどこっちに来る用事が出来たので、行き違いになる前にお話を聞いておきたいと思いまして。ご期待に沿えずすいません」
「いえいえ。そういうことでしたか。……しかしそうですね。謝らなければならないのはこちらの方かもしれません」
「というと、ディアトリさんの現在地は判らなかったということでしょうか?」
「えぇ、お恥ずかしながら。方々聞いてはみたのですが、二週間前に届いた手紙を最後に連絡が途絶えてしまったようでございまして。今までは三日に一度は手紙が届いていたようなので、それが来ないとなると現在地どころか……」
無事であるかどうかも分からない。
言いよどんだラムストンさんの言葉は、そう続く筈だったのでしょう。
続けられなかったのは、きっと僕の心情が顔に出てしまったから。
すぐ隣にいたラシアさんは僕の身体を抱えるように。
シフォンも僕の袖を握って、心配そうに見上げてきています。
端から見れば、それほど僕は狼狽して見えるのでしょう。
消息不明。
勇者候補として危険な旅をしているのですから、それは覚悟の上。
僕も同行している時は、そういう心構えを持っていました。
けれど……。
「……にぃ」
そんなに泣きそうな顔で見上げないで下さい。
僕まで泣きそうになるじゃないですか。
「大丈夫ですよシフォン。まだ全滅したと決まったわけじゃありませんから」
小さな頭を撫でながら、僕は自分に言い聞かせるように言いました。
そう。全滅したと決まったわけじゃありません。
なにせ勇者候補のディアトリさんですし、僕よりもずっと強いヘーゼルカお姉ちゃんも付いているのですから。
きっと深い洞窟に潜っていて連絡出来ないとか、なにか事情があるのでしょう。
「ポードラン国から腕利きの冒険者達に、勇者候補様の足取りを追えという依頼が出されたようです。最後の手紙には『ゴドルド大陸深部』に居ると書かれていたそうなので、行ける実力者も少ないですし、相応の時間はかかると思いますが……」
「そうですか。ありがとうございました」
ゴドルド大陸は四百年前に魔王が城を構えていた場所。
その影響から周りには凶暴な魔物が多く、世界の危険地帯トップスリーに名を連ねるようなところです。
大丈夫なのでしょうか……。
「ディータ様。心配なのは承知しておりますが、今は……」
「そう、ですね。今は他にやるべきことがありますし、それに心配していてどうにかなるものではないですもんね」
ラシアさんに言われ、僕は目元を拭いました。
今はディアトリさん達を信じて連絡を待ちましょう。
そして僕は、ナティに会いに行かなければなりません。
「行きましょうラシアさん。ラムストンさんもありがとうございました」
「いえいえ。何か新しい情報が入りましたら真っ先にお知らせ致しますです」
商人さんと別れ、僕達は改めてお屋敷に向けて出発しました。
心の中は、いまだザワザワと波打っています。
けれど今の僕にはどうしようもありませんから。
それからしばらく口数も少なく歩いていると、シフォンが突然声をあげました。
「……んっ!」
つられて顔を上げると、懐かしいお屋敷の姿。
あの頃となにも変わってません。
何故か涙が出そうになるほど、郷愁感のある佇まいです。
「今はナティルリア様と私だけが住んでおります。本来であればお城に居るべきなのですけど、婚前に女性が不安定な状態になるのは良くあることですから。国王陛下もナティルリア様を気遣って、今はそっとしておいてくれているのです」
「なるほど」
ナティの状況を聞きながら、懐かしい玄関をくぐります。
着いて来るミントさんが少しだけ回りをキョロキョロ警戒していますが、シフォンは勝手知ったるといった感じ。
綺麗に掃除された廊下を進み、二階へ上がって三つ目の部屋の前。
以前は僕が使っていた寝室の前で、ラシアさんが立ち止まりました。
――コンコン
「ナティルリア様。ただいま戻りました」
すると部屋の中から声が返ります。
でも僕の知っている声よりも、ずっとずっと覇気のない声。
「どこへ行っていたのよ……。まぁいいわ……。鍵は開いてるから」
それを入室の許可と取り、ラシアさんは扉を開けました。
部屋の間取りは変わってませんけど、僕が住んでいた時と比べて随分可愛らしい装飾になってますね。
あちらこちらに花が飾られ、大きなベッドもピンク色の布団になってます。
今はこんもり膨らんでいるので、恐らくナティは布団の中で丸まっているのでしょう。
事務机として利用していた机も、変わりなく部屋の隅にありました。
以前は日記を書いたり、遊び人のスキルブックに新しいスキルを記すのは、いつもこの机でした。
あの頃は飾り気のない机でしたが、今はやはり可愛い小物や装飾品が置いてあります。
けれど僕の目を一番惹いたのは机の真ん中。
座れば必ず目に入る場所に、綺麗な押し花が大切そうに飾られていたのです。
「まだ持っていてくれたんですね」
それを懐かしく思いながら手に持ち、そう声を掛けた瞬間。
ガバッと布団が捲れあがる音が聞こえました。
振り返ってみれば、パジャマ姿の女の子。
記憶にある姿とは違って髪は少しボサボサ。それに元気のない顔ですが、美しい金色の髪も、宝石のように綺麗な薄いブルーの瞳も、あの頃のままです。
いや、ちょっと髪は伸びているでしょうか。
それに身長も伸びているようで……。
「う、嘘よ……。これは夢? 夢よねラシア……?」
目を見開き、布団を握った指先がぷるぷる震えているナティ。
そんな彼女に僕はゆっくり近付き
「久しぶりですねナティ。元気でしたか?」
「ディータっ!!」
押し倒されたのでした。




