51話 僕はペンディルア島へ上陸です
再びロコロルの港町へ戻り、そこから船に揺られること三日。
ダブル聖女と愉快な仲間達御一行は、ヴーディッシュ大陸の南に位置するペンディルア島へと辿り着いていました。
どうやらミントさんほど船に弱い方はいなかったらしく、噴き上げる虹色噴水を見なくて済んだのは僥倖でしょうか。
にも関わらず、僕は心配されるほど塞ぎこんでいたようです。
「大丈夫ですの?」
隣にいるのはニルヴィーさん。
エリーシェさんはゾモンさん達に囲まれていますから、自然と僕と彼女は行動を共にするようになっていました。
その彼女が内巻きになっている緑色の髪をかきあげ、心配そうに僕を覗き込んできたのです。
「大丈夫です。ただちょっとだけシフォンが心配で……。ちゃんとお風呂上りに髪を乾かせていますかね? お菓子を食べ過ぎたりしてませんかね? オネショは……最近してないみたいですけど、だからって寝る前に冷たいものを飲んだらお腹が冷えてしまいますし……どう思いますか?」
「……馬鹿ですの?」
呆れたように溜息をついたニルヴィーさんが、僕の兄心を一刀両断。
容赦ない切れ味で、僕の心にクリティカルヒットでしょうか。
「な、なんでですか? シフォンはまだ小さいんです。一人じゃなにも出来ないんですよ?」
「それは貴方がそう思っているだけでしょう? 子供は大人が思っているよりもずっと早く大きくなるものですわ」
そ、そうなんですか?
いやそんな筈はありません!
だってシフォンは、いっつも僕に甘えてきてますし。
「それにミントさんでしたか? 彼女が一緒に居るのでしょう?」
「で、ですけど……」
「良い機会なんじゃありません? 兄離れ……いえ、妹離れでしょうか」
「……帰ります。やっぱり心配です。兄離れなんてまだ早すぎます!」
そう思って船着場へ逆走しようとした僕ですが、あっさりとニルヴィーさんに首の襟を捕まれてしまい。
引き摺られるように、この島にある唯一の町。
ポーシーへと連行されてしまったのでした。
「ごほっ……酷いですよニルヴィーさん」
無理矢理引っ張られたために服が首に食い込み、ちょっと痛いです。
涙目になりながらニルヴィーさんを睨んでみたのですが、何故か彼女も「こほっ」と咳き込んでいるご様子。
というか、エリーシェさんを護衛している人達も咳き込んでますね。
どういうことでしょう。
「エリーシェ様これを。どうにも煙たいですからな」
ゾモンさんが綺麗な布をエリーシェさんに渡し、それで口元を覆うように指示していました。
なるほど。
咳が出てしまった原因は、どこからともなく漂っている煙ですね。
それは町の上空を覆い尽くしているようで、町の人達もみんなが布で口元を覆っていました。
「なんでしょ~かね~。町の人達は慣れっ子さんみたいですけど~」
「分かりません。後で聞き込みに行ってみますので、とりあえず宿へと向かいましょう」
そうして向かったのはポーシーの町で唯一営業している宿屋なのですが、入った瞬間ニルヴィーさんが顔を顰めてしまいました。
「本当にここに泊まるつもりですの? 聖女のエリーシェ様を連れて?」
「……う、うむ。他にないのだから仕方あるまい」
微妙な感想も仕方ないことです。
安宿暮らしの長い僕から見ても、この宿は酷い有様なのですから。
隅という隅に蜘蛛の巣が張り巡らされ、板張りの床はところどころ抜け落ちています。
全体的に埃っぽいですし、よくこれで営業してますね?
「いらっしゃい」
難しい顔で皆が室内を見渡していると、奥から白髪のおばあさんが現れました。
にゅって感じで突然現れたので、隣にいたニルヴィーさんが「ひぃっ」と喉を鳴らしてしまったようです。
もっともプライドの高い彼女はすぐに「こほん」と咳払いをし、何事もなかったかのように振舞っていますが。
「一応聞いておくが、他に宿はないのか?」
護衛の一人がとんでもなく失礼ことをお婆さんに尋ねていました。
まぁこちらは聖女様と副聖女様がいらっしゃることですし、より良い宿を求めるのは当然なのかもしれませんけど。
「ないねぇ。こんな島を訪れる物好きなんて、そうそうおらんからねぇ」
「そ、そうか……。では七人なのだが、部屋を用意してもらえるだろうか? なるべく良い部屋を頼むぞ」
「はいよぉ」
そうして案内された部屋は……まぁお世辞にも良い部屋とは言えない有様でした。
ベッドは凹んでますし、窓は割れてますし。
ちなみに部屋割りはエリーシェさんとニルヴィーさんが一緒に一番良いとされる部屋。
次に良い部屋を僕とゾモンさんが二人で使い、護衛の方々は三人部屋です。
部屋に入って荷物を下ろしたゾモンさんは、腰を落ち着ける間もなくすぐに出て行ってしまいました。
町を覆っている煙がなんなのか。
他に危険などはないのか。
聖女様を守るため、あらゆる危険を排除しようと調べに行ったのでしょう。
彼の勤勉さには頭が下がります。
一方僕はエリーシェさんのお部屋で待機。
安全が確保されるまで食事に出かけるわけにも行かず、ここで護衛というわけです。
ちなみに部屋の外にも護衛の方が一人待機していますが、エリーシェさんが「中で一緒にお菓子でも」と誘っても頑なに動かれませんでした。
入り口を守るという意味もそうですが、どうやら同じ部屋に入るというのが恐れ多いことなのだそうです。
普段のエリーシェさんを見てると忘れそうになりますが、やっぱり彼女は聖女で、ミリアシスの人にとって神にも近しい存在なのでしょう。
「だから遠慮なく近づける貴方を同行させたいという考えもあったのでしょうね。あのゾモンという騎士には」
「僕が無遠慮みたいな言い方は止めて下さいよ」
「そうですよ~ニルちゃん。ディータさんはいきなり私の服を破き捨てたり、激しくツッコんできたり、手で口を塞いできたりはしますけど、そんな無遠慮な人じゃないと思いますよ~?」
……なんでしょう?
言っていることは間違っていないのですが、何かよからぬ誤解を招きそうな言い方じゃないですか?
言葉の端々から、イケナイフレグランスがプンプンします。
そのせいでニルヴィーさんの瞳から、急速に温度が失われているのですが?
「……まぁ、エリーシェのことですからたぶん言葉選びが雑なだけなのでしょうね。短い付き合いですけど、ディータがそれほど野獣には見えませんもの」
野獣って……。
どこをどう解釈するとそんな言葉が出て来るんですか……。
しかしどうやらニルヴィーさんはエリーシェさんを良くご存知のようで、僕にかかったらしい謎の嫌疑は晴れたようです。
彼女も副聖女ですからね。
死刑とは言わずとも、死にそうな刑くらい言い渡せる存在ですから、変な印象を持たれないに越したことはありません。
「そういえば、ニルヴィーさんとエリーシェさんはお付き合いが長いのですか?」
「そりゃ~も~、私とニルちゃんは天地開闢以来の付き合いです~」
スケールがぶっとんでますね。
言葉選びが雑という批評は、これ以上なく正しいようです。
「出会いは五歳くらいだったかしら。うちの父様は熱心なミリアシス教徒でして、毎週お祈りを欠かさなかったのですわ。そうして私も教会に連れて行かれたのですけど、なにぶん子供でしたから。すぐに飽きてしまって……」
「そ~そ~! それでニルちゃんが庭の花を毟り取っていたところで、私と出会ったんですよね~?」
「言い方っ! ……ま、まぁいいですわ。同年代の知り合いもいませんでしたから、すぐに仲良くなってしまいまして……。このニルヴィー、一生の不覚でした」
「ニルちゃんこそ言い方が悪いですよ~? 一生の友を得たの間違いじゃないですか~?」
「間違ってませんわよっ! 大体貴女は――」
なにやら仲睦まじい言い合いが始まったので、僕は窓の外でも眺めることにしましょう。
女性三人集まると姦しいなどと言いますけど、このお二人は二人で姦しいのです。
あぁでも、家には一人で姦しくなる方もいましたね。
元気にしてるでしょうか? ちゃんとシフォンの面倒を見てくれているでしょうか?
……心配が再燃です。
とそんな感じで時間を潰していると、ようやくゾモンさんが帰ってきました。
色々町で聞いてきたとのことですが、まずはお腹が空いたでしょうと、話は食事を取りながらということになったのです。
町の中では一番大きな食べ物屋さん「ラギュット亭」
そこの名物である魚貝と芋のスープを飲みながら、僕はゾモンさんの話しに耳を傾けていました。
「まず煙ですが、これはどうやら森を焼いているために出ているものらしいですな」
「森を……ですか?」
何故森なんかを焼いているのでしょう。
同様の疑問を持ったらしいエリーシェさんとともに、ゾモンさんの続きを待ちます。
「なんでも森を焼くことで畑を増やしているのだとか。男手の少ないこの町では実に効率的だと、最近頻繁に行われているらしいですぞ」
どこかで聞いたことありますね。
あれは確か、異界の図書館で得た知識だったでしょうか。
焼畑農法というのではなかったでしたっけ。
こちらの世界でも行っているとは知りませんでした。
「でもそんなことをしたら森が無くなってしまうんじゃないですか~?」
「さすがにそこまで考え無しではありませんでしょう? ここからラギュット山の登頂口までは、広大な大森林になっているわけですし」
「左様ですな。しかし焼いて拓いた土地では作物が良く育つらしく、今後も広げていく予定ではあるようでした」
そんなポーシーの町の事情を聞いた後は、明日以降の予定に話を移します。
明日は馬車を借りてラギュット山の麓を目指し、そこにある管理小屋で一泊。
翌朝から徒歩で登頂となるようです。
険しい山道なので大変らしいですが……まぁ頑張りましょう。




