30話 僕はお金がない
モノクル紳士のお名前はザックロダンさん。
彼はこの町を拠点に、貿易商を営んでいるそうです。
「さぁさぁ。手狭ではありますが、どうぞお寛ぎを」
案内された彼の事務所は、少し寂れた通りにありました。
室内も雑多ですし、整理整頓はしていない模様。
きっと仕事がお忙しいのでしょう。
であれば
「掃除とかですか?」
室内の様子から依頼内容をそう予想したのですが、ハハッと笑いながらザックロダンさんは首を振りました。
「いえいえ、そうではないのですよ。ちらかっていて申し訳ない」
「あ、すいません。余計なことを言ってしまったみたいで」
違ったようです。
ではなんでしょうか?
「実は私。この歳になっても独り身でしてね」
顎を擦りながら言う紳士は、おそらく四十代くらいでしょう。
確かにこのくらいの年齢だと、独身というのは珍しいかもしれません。
早ければ十代のうちに結婚される方も多いですから。
「お袋はもう七十近いのですが、子供好きでして。早く孫の顔を見せろとせっついてくるわけです」
なるほどなるほど。
しかし、それがどうして僕にぴったりのお仕事になるのでしょうか。
疑問に思っていると、ザックロダンさんはキラリとモノクルを光らせました。
「そこでディータさんに、孫の芝居をして欲しいのです」
「え、えぇ!? お母さんを騙すのですか?」
それはいくらなんでもどうでしょう?
騙されたと知れば、余計に悲しませることになりませんか?
第一、僕とザックロダンさんはこれっぽっちも似ていません。
すぐにバレそうなものですが。
「騙す……というと人聞きが悪いですが、まぁそういうことになります。ですが分かってください。これも、私なりの親孝行なのですよ」
「そ、それはそうかも知れませんが……。僕、あんまりお芝居は得意じゃないと思いますよ?」
「その点はご心配なく」
ザックロダンさんの計画はこうです。
まず孫だとは名乗らずに、僕はザックロダンさんのお母さんに接近します。
そして色々楽しくお喋りして別れるのです。
その後で彼がお母さんと会い、さっきの少年は実は孫だったんだよと伝える。
これならば、確かにボロは出にくいでしょう。
「でも、また会わせろと言われるのではないですか?」
「そのあたりの言い訳も考えてありますし……それに、時間がないんです」
「時間が?」
「お袋は不治の病でして……。もってあと三ヶ月だと……」
うぅっと目頭を押さえ、咽ぶような声を出すザックロダンさん。
僕も最近悲しい別れをしたばかりなので、そのお気持ちは痛いほど分かります。
きっとこれが、独身である彼の精一杯の親孝行なのでしょう。
ならば、叶えてあげたくなるじゃないですか!
「分かりました。僕でよければ、やらせていただきます!」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
立ち上がって僕の手をブンブンと握るザックロダンさんは、とても嬉しそうですね。
釣られてこっちまで頬が緩みます。
「では打ち合わせもありますし、明日もう一度こちらまでお越しいただいてもよろしいですか?」
「時間はお昼くらいで大丈夫ですか?」
「あぁっと……いや、もう少し遅いほうが良いですね。なにぶん仕事が立て込んでまして。日が落ちてからでもいいでしょうか?」
「分かりました。ではまた明日」
そんな感じで、僕の初仕事が決まりました。
望んでいた魔物討伐などではありませんが、これも立派な仕事です。
こんな僕でも誰かの役に立てる。
それが嬉しくて、スキップしながら宿へと戻るのでした。
……。
「なんだ? ご機嫌じゃないか」
宿に戻ると、体調の回復したミントさんが出迎えてくれました。
どうやらシフォンと二人でお風呂に入ってきたご様子。
キラキラの銀髪が、より一層輝いて見えます。
「えぇ。なんとか仕事を受注出来まして」
答えながら、僕はシフォンを呼び寄せます。
最近はラシアさんに髪を拭いてもらっていたようですが、もう彼女はいません。
今日はミントさんが代わりに拭いてくれたみたいですが、まだビショビショなのです。
このままでは風邪をひいてしまいかねません。
シフォンからタオルを受け取り、わっしゃわっしゃと髪を拭いてあげます。
するとシフォンは、とろんとした瞳で嬉しそうに見上げてきました。
なんだかこの感じも久しぶりですね。
「それは幸先がいいな。どんな仕事なんだ? 魔物の討伐なら私も手伝うぞ?」
ベッドの上でうつ伏せのミントさんは、足をバタバタさせながら手伝いのご提案。
ですが、その必要はないでしょう。というか出来ません。
「ちょっと特殊な仕事ですので。お気持ちは嬉しいのですが、僕一人で大丈夫です」
「そ、そうか? 遠慮するなよ?」
「はい、ありがとうございます。ではその代わり、僕が仕事に行っている間シフォンを見ていただければ」
「そのくらいお安い御用……はっ!? な、なんかこれは夫婦のような会話だなっ! まさかそういう狙いなのかっ!? なし崩し的に婚姻を結ぼうとっ!? ついでに迎える嬉し恥ずかし初めての夜っ!! よし来いっ!!」
うん。すっかり調子が戻ったようですね。
ちょっと煩いくらいがミントさんの本調子です。
相変わらず、何を言っているのかよく分かりませんけど。
それから僕達は港町名物の海の幸を頂き、お腹も満足したところで眠りにつきました。
ロコロルで迎える初めての夜。
遠く聞こえる小波の音は、船の上から聞く波音とはまた違っていて。
優しく僕らを包み込んだのでした。
……。
翌日。
夜までは予定がないので、僕達は三人でロコロル観光をすることにしました。
観光といっても、僕の本命は家探しです。
お屋敷を頂いて思いましたが、宿暮らしを続けるよりも、やはり持ち家の方が圧倒的に良いですから。
多少無理をしてでも家を買って、地に足をつけた生活を送るべきなのです。
と、考えていたのですが……
「金貨二百枚ですか……」
「手付けでそのくらいですね。最終的には五百枚ほどになります」
安い家でもね、と付け加えられ、考えが甘かったことを悟りました。
一度は賢者になったものの、まだまだ悟りが足りなかったようです。
しかし、お高いものですねぇ。
今の手持ちは大金貨が三枚と金貨が三十八枚。
ギリギリ手付け金にすら届きません。
しかも、これで立地の悪い安い家。
治安も良く、不便のない立地を選ぼうとしたら、さらに何倍も跳ね上がることでしょう。
改めて、お屋敷を下賜されるのがどれだけ異常事態なのかを思い知らされた所存。
「元気だせよ。そのくらいの金、デビルボアでも呼び寄せればすぐ貯まるから」
「……んっ!」
道すがら慰めてくれるのは嬉しいですが、誤解を招く言い方は止めてくれませんかね?
擦れ違った人がビクッとしてるじゃありませんか。
シフォンはシフォンで、僕に元気を出させようと焼き菓子を食べさせようとしてきます。
それは嬉しいのですが、でもですねシフォン。
その焼き菓子。ちょっとお高いんですよ?
とはいえ責める気にもなれません。
二人が僕を心配してくれているのは分かっていますから。
なので僕は、二人の頭を撫でてあげることにします。
するとシフォンはニンマリと口元を緩め、ミントさんもフードのせいで見えませんが嫌ではなさそう。
やっぱり妹が二人に増えた気分です。
……ミントさんは百歳ほど年上だった筈ですが?
「まぁ仕方ないですね。お二人に心配をかけないよう、『にぃ』は仕事を頑張るとしましょう!」
そろそろ日も傾きかけています。
二人を宿へ帰し、僕はザックロダンさんのもとへと向かうことにしたのでした。




