23話 リルゼは最後に見ていた
**** リルゼ視点 ****
なんとかケルベロスから逃げ出し、ダグラスさん達と再合流することは出来た。
けどなにも状況を好転させる方法を見出せないまま、私達はさらに数時間以上も洞窟内を彷徨うはめになっていた。
「ぶ、無事で良かったなお前等」
合流した時にダグラスさんが言った言葉には、私達を見捨てたことへの畏れが含まれていたのだろう。
それを考えれば腹も立つし怒りも沸き上がるけど、今は怒る気になれない。
もうそんな余裕もないんだから。
「くそっ! まただっ!」
先頭を歩くドットリオさんが、毒づきながら曲がり角の先を睨みつけている。
その様子を見て、膝から力が抜け落ちそうになるのを感じた。
ケルベロスだ。
あの魔物は私達を先回りするように、ところどころで待ち構えているのだ。
「なんなんだよアイツっ! 俺達を逃がさねぇってことかよっ!」
くそっと地面を蹴るダグラスさんの足にも、もう力は篭っていない。
みんな限界が近いんだ。
「てめぇが言い出したんだからなっ! こんなどうでもいい洞窟に行こうってよぉっ!」
そのため苛立ちは募り、雰囲気は最悪。
ついには喧嘩を始める始末。
「お前も賛成してたじゃねぇかっ! 新人喰うのに丁度良いとかいってよぉっ! このロリコン野郎がっ!」
「え……な、なんですかそれ!?」
「うるせぇっ! てめぇは黙ってろっ!」
なに? なんなの?
これが私の憧れていた冒険?
「ふざけないでよっ!」
もう嫌だ。
なにもかももう嫌になっていた。
けどそんな中、ティナだけは冷静だった。
彼女はケルベロスが待ち受けている部屋の様子を観察し、何かに気付いて指を指したのだ。
「あれ、登り階段じゃない?」
喧々囂々とした場が、その一言で静まりかえった。
全員が一斉に、ティナが指し示した方向を注視したのだ。
「マジだ……」
「で、でもよ……アイツはどうすんだよ……」
そう。問題はそこ。
いくら上へと続く階段を見つけられても、そこに辿り着けないんじゃ意味がない。
あのケルベロスがいる限り、私達は階段を登ることが出来ないだろう。
「た、倒せないんですか? お二人はBランクの筈じゃ……」
「あぁ!? 無理に決まってんだろぉがっ! てめぇらがまともな強さだったら出来たかもしんねぇけどなっ!」
それを言われたら何も言い返せなくなってしまう。
だって、私が足を引っ張っているのは本当のことだから。
長い沈黙。
しかししばらくすると、観念したようにダグラスさんが長い息を吐き出した。
「……俺とドットリオが攻撃して気を逸らす。その間に、お前達は階段まで走れ」
「……それしかねぇか」
「え? そ、それじゃあダグラスさん達が」
「いいんだよ。こういう時くらい男に格好付けさせてくれや。怒鳴って悪かったな」
言いながら、ダグラスさんは誇らしげに笑ってみせていた。
こうして、私達の脱出作戦が決まった。
作戦内容は単純。
部屋の入り口から、私とティナは右回りに。
ダグラスさんとドットリオさんは左回りに侵入。
そしてすかさずダグラスさんがケルベロスを攻撃し、注意を引き付けている間に私達は階段へと辿り着く。
無事に洞窟を抜け出したらそのまま王都まで行き、なるべく早く助けを呼んでくるのだ。
「じゃあ行くぞ!」
「はいっ!」
そして所定の位置に付き
「走れっ!!」
ダグラスさんの声で作戦が決行に移された。
私とティナははぐれないよう手を繋ぎ、一斉に走り出す。
心の中では、ダグラスさん達への感謝で一杯だ。
本当にありがとうございますっ!
絶対に助けを呼んで来ますからっ!
残った力を振り絞って、脇目もふらずただ走る。
階段までの距離はまだ遠い。
けど注意をひきつけてくれている今なら、きっと辿りつけ――
「危ないっ!」
突き飛ばされるように押し倒され、勢い余った私の身体は地面を転がってしまっていた。
横を並走していたティナが、突然私の背中を押したのだ。
一体なにが?
考える前に、背中が燃えるような熱に襲われた。
ケルベロスが炎を吐き、それがすぐ私達の上を通り過ぎていったのだ。
「な、なんでっ!?」
狙われる筈ないっ!
だって、ダグラスさん達がケルベロスの注意を引いてくれているんだからっ!
驚愕に目を見開き、思わず振り返ると
「――ッ!!」
ダグラスさん達は、まだ入り口に立ったままだったのだ。
なぜ?
どうして?
意味のわからない状況に私は大混乱だ。
でもケルベロスの注意が完全に私達に向いたのを確認し、物音を立てないように静かに動き出していた彼等を見て、ようやく気付いた。
囮にされたのは私達のほうだということに。
「そ、そんな……」
「最低ねっ!!」
二人から批難の視線を浴びても彼らはなんら悪びれた様子を見せず、静かに静かにケルベロスの背後を駆けて行く男達。
すぐにでも殴ってやりたい衝動に駆られるが、目の前には巨大な魔物。
その三つ首の全てが、私達を睨みつけていた。
「グルォォォォッ!」
地の底から響くような唸り声に身体が竦んでしまう。
もう無理だ。
さすがにティナも諦めてしまったのか、手にした杖を取り落としていた。
そもそも彼女の魔力は尽きている。
抗う術すら、もう私達には残されていなかった。
「ディータ……っ」
ティナが誰かの名を呼んだのと同時。
ケルベロスの巨大な前足が持ち上がり、私達目掛けて横薙ぎに襲い掛かってきた。
「ぐぅッ!!」
耐えることなんて不可能な暴力。
まるで巨大なハンマーで殴られたような衝撃とともに、私とティナの身体はゴミクズみたいに吹き飛ばされてしまった。
階段の方向に吹き飛ばされたので、立ち上がって走れば逃げられるかも。
そんなことを考えるが、立ち上がるどころか指すら動かない。
それはティナも同様で、彼女は意識を失ってしまっているようだった。
獲物を見定め、ケルベロスがゆっくり近付いてくる。
再び持ち上げられた前足。今度は圧殺しようというのだろうか?
それは真っ直ぐに私達へと振り下ろされ――
直前で、ピタリとその動きが止まった。
「な、なんだこれっ!?」
ダグラスさんとドットリオさんの二人が、階段を目前にして騒ぎ出していたのだ。
何故?
今更になって良心が痛んだ?
そんな風にも考えたけど、そうじゃなかった。
彼等は目に見えない何かによって、行く手を阻まれていたのだ。
「す、進めねぇっ! 透明な壁みたいなのがありやがるっ!」
「なんなんだよっ! 結界っ!?」
ドンドンと、見えない何かを必死に叩く二人組み。
その背後にケルベロスが迫っていることすら気付かずに――
「ぐあぁぁぁッ!!」
そしてついに、その牙がダグラスさんの左腕に噛み付いた。
彼はそのまま軽々と持ち上げられ、ケルベロスが頭を振るのに合わせて、人形みたいに身体をブランブランと宙で揺らされてしまっていた。
「ぎゃああぁぁぁぁッッ!!」
一際大きく頭が振られた直後。
勢いに耐え切れなくなった腕が、根元から千切れてしまったのだ。
ブシャリと鮮血が噴出し、ダグラスさんの身体は壁に叩きつけられていた。
壁が凹むほどの衝撃だ。
肩と口から血を吹き出した彼は、そのままドサリと地面に倒れ、ピクリとも動かなくなる。
「や、やめろっ! 来るなっ!」
その様子を呆然と見ていたドットリオさんは、半狂乱になりながら剣を無様に振り回していた。
でもそんなもの、なんの抵抗にもなりはしない。
だって炎は斬れないから。
「ヅアァァァァッッ!!」
ケルベロスの口から吐き出された炎球がドットリオさんに襲い掛かる。
言葉にならない叫びをあげ、炎に包まれてしまった彼は踊り狂っていた。
酔っ払いみたいにフラフラと。手をバタバタさせながら。
けど、それもほんの僅かな時間のこと。
やがて崩れ落ちるように地面に倒れ、ドットリオさんはただの炭へと変わってしまった。
喉から悲鳴が漏れそうになる。
一緒に色々な物も吐き出しそうになる。
でもそれを必死に押さえ込み、私はティナを肩に担いで一歩一歩と前へ進んでいた。
今のうち。
今ならば、ケルベロスの注意はこっちを向いていない。
ズルズルと足を引き擦るように。
私は必死に足を動かしていた。
お願いです神様っ!
どうか、どうかっ! お守り下さいっ!
階段までの距離はあと二十歩ほど。
その距離が、果てしなく遠く感じられる。
でも、確実に近付いてはいた。
あと十五歩。
もう少しっ!!
……だったのに
「――がッ!!」
突如背中を、背骨が折れるほどの衝撃が襲った。
尻尾だ。
ケルベロスの尻尾が、私達を背中から殴りつけたのだ。
ティナと一緒に地面を転がり、懐から御守りが転げ落ちる。
あれはお父さんに持たされた御守り。
無事に帰って来れるようにと、願いの込められた大切なもの。
「あ……あぁ……」
無意識に、それを取り戻そうと手を伸ばす。
けど、あと数センチというところで私の指は阻まれてしまった。
何もない。
何も見えないけど、確かにあるのだ。
透明な結界が。
だから届かない。
御守りには、決して指が届かない。
もう涙を堪えることすら出来なかった。
結局私は、何も出来ずにここで死ぬんだ。
ごめんなさいお父さん。
帰ることも、今日の晩御飯を作ってあげることも、明日お店を手伝うっていう約束も。
なにひとつ、約束を守れそうにありません。
途切れそうな意識の中、霞む視界で必死に指を伸ばしていると――
え?
突如その御守りに、誰かの手が触れるのが見えた。
同時に、私の身体が温かさに包まれている。
ひょっとしたら死ぬ前に幻覚を見ているのかもしれないけど……。
しかし次の瞬間、さらに驚くべきことが起こった。
動くことすらままならなかった私の身体が、私の意志とは無関係に突然立ち上がってしまったのだ。
何?
何が起こってるの?
分からない。
何も分からないけれど、意識を保つことすらもう限界だった。
最後に見覚えのある誰かを見た気がして……。
私の意識は、深い闇へと沈んでいった。




