19話 僕はナティを見送ってしまいました
「こ、ここがお前の家なのか!?」
ギルドからの帰り道、僕達はお屋敷の前まで戻って来ていました。
そこでミントさんを家にご招待しようと思ったのですが、彼女は門の前で驚愕に目を見開いてしまいます。
「き、貴族様だったんだな……。ということはアレかっ!? やっぱり私を愛玩的な感じでっ!? さぁ来いっ!!」
「あ、いえ。色々ありまして、このお屋敷は頂き物なんですよ」
「いただきっ!? 家をかっ!? ……お前の話はさっぱり分からん」
まぁその反応が自然ですよね。
僕もいまだに家を貰うというのが良く分かりませんから。
「立ち話もなんですし入りませんか? ミントさんがどのような研究をしていたかとか、遊び人スキルをどう調べていくかとか、僕も興味がありますので」
そう促しましたが、ミントさんは静かに首を振りました。
街からは離れていますので、今はもうフードを脱いでいます。
綺麗な銀色の髪は夕日に溶けるようで、キラキラ輝いて見えました。
エルフさんというのは、本当に美しい容姿をしていらっしゃいますね。
「今日はもう遅いから止めておこう。久々に人と触れて、少し疲れてしまったんでな」
「そうですか……。残念です。なんでしたら、お泊りいただいても良いのですが」
「と、とまっ!? や、やめろっ! 私をこれ以上誘惑するなっ! どうなっても知らんぞっ! よし来いっ!」
どっちでしょうか。
しかしまぁ、ミントさんは固辞の姿勢。
あまり無理を言っても悪いですね。
「分かりました。では、また今度」
すると彼女は屈託のない笑みを浮かべ「あぁ!」と返事をくれました。
ミントさんのお家の場所も分かっていますからね。
今度はお菓子でも持って、シフォンと一緒に訪ねてみましょう。
ちなみにギルドで頂いた報酬は、ほとんど僕が貰ってしまいました。
半分ずつで良いのでは? と申し上げたのですが「倒したのはお前だ。むしろ私も貰って良いのか?」とミントさんは怪訝なお顔。
確かにそうなのですが、あれは偶然ですし。
それにミントさんがいなければ、ギルドで報酬を頂くこともなかったでしょう。
そのように説明すると「そういうことなら」と、ようやく納得してくれたのでした。
銀髪のサイドテールを揺らす後姿。
それが完全に森の中へと消えてから、僕もお屋敷に戻りました。
僕の帰宅を知ったラシアさんは、ホッと胸を撫で下ろしています。
少し遅くなってしまったので心配していたのでしょう。
「またいなくなってしまったのかと心配いたしました」
「申し訳ありません。ちょっと用事が立て込みまして……」
「いえ。ご無事ならそれで良いのです。さ、夕食の仕度が出来ております。シフォン様もお待ちですよ」
強力なスキルの発見。そして新しい出会い。
あ、木材の調達を忘れていました。
まぁ急ぐこともないでしょう。
そんなこんなで、今日も平和に過ぎていったのでした。
……。
「凄いわねっ! やっぱり凄いのねディータはっ!!」
翌日の朝。
いつにもまして元気なナティが、やって来るなり大歓声を上げていました。
ちょうど僕達は朝食の最中でしたので、シフォンがビックリして口から果物を零してしまいます。
もっとも床に落ちる寸前。
異常に素早い動きでラシアさんが手でキャッチ。そのままパクリと食べていましたが。
青いポニーテールが本物の馬の尻尾みたいに揺れ、なんとも優雅な動きですね。
なんだか顔は蕩けていますが。
「おはようございますナティ。今日も良い天気ですね」
「天気なんてどうだっていいわっ! ディータのことよねっ!? デビルボアを倒したっていう少年って!」
あぁなるほど。
凄いと叫んでいたのはそのことでしたか。
僕はギルドに登録していないので、名前は知られなかった筈ですが。
「そんなことが出来る少年なんてディータ以外にいるわけないものっ! 当然よっ!」
一応そうですと相槌を打つと、ナティは自分の推測が正しかった事が嬉しいのか。
腰に手をあて胸を張り、自分のことのように誇らしげです。
「あ、あの、ディータ様? デビルボアを討伐した……ですか? 聞いていないのですけれど?」
一方で、ラシアさんは少しご立腹でしょうか?
かろうじて笑顔は保っていますが、いつもは優しく垂れている目尻がピクピクしています。
そうですよね。
ただ遊んで帰ってきただけだと思っていたのに、デビルボアなんかと戦っていた。
そんな事実を本人以外から聞かされれば、怒るのも無理はないかもしれません。
「ご、ごめんなさいラシアさん。本当に偶々なのですが、成り行きでそのようなことに……」
「謝ることなんてないわよっ! ディータは凄いことをしたのだし、ディータにとって簡単なことなんだからっ!!」
いやいや。それは買いかぶり過ぎですよ王女様。
他の冒険者さん達も言っていましたが、あれは本当に偶然。
たまたま発動した強力なスキルが、たまたま弱っていたデビルボアに、たまたまクリティカルヒットしただけでしょう。
「もう本当に凄いわっ! 凄いのよっ!」
なので、ソファに腰を落ち着けてからも賛辞の言葉を並べ立て、キラキラした薄いブルーの瞳でソワソワしている王女様。
その姿を見ていると、なんだか背中がむずむずしてしまいます。
事態が良く分かっていないシフォンもいつの間にやらナティと共にはしゃぎだし、二人でハイタッチの様相。
恥ずかしすぎて、穴があったら全軍突撃したいです。
――ぞわっ
「……え?」
突然。
やけに明るくテンションの高い室内で、研ぎ澄まされた刃のような気配を感じました。
しかしナティとシフォンは楽しそうにじゃれあっていますし、ラシアさんは穏やかにそれを見守っています。
そんな不穏な気配を出していそうな人は、どこにも見当たらないのです。
気のせいでしょうか?
一瞬のことだったので、その可能性は高いでしょう。
どうにも腑に落ちない気持ち悪さを誤魔化すように、僕は朝食を済ませるのでした。
……。
その後いつものように遊ぼうとしたのですが、王女様は昨日の事が気になって仕方ないご様子。
特にギルドにデビルボアの牙を持ち込んだ時、一緒だったもう一人が誰なのか気になっているようでした。
「私にも教えられないの?」
僕が答えあぐねていると、ナティの顔が酷く悲しく歪んでしまいました。
さっきまでのテンションが嘘のようです。
しかし正直に答えるわけにはいきません。
ミントさんは自分の正体を隠すために、暑い中フードまで被っていたのですから。
エルフだからとナティが捕まえに行くとは思いませんが、やはりミントさんのお気持ちは慮るべきでしょう。
「すいませんナティ。少し事情のある方で……。もちろん悪い方ではないのですが」
「……ひょっとして……女の人?」
「え、えぇ。そうですが」
恐る恐る聞いてきたナティに答えると、彼女はビクリと肩を震わせて狼狽してしまいました。
俯いてしまったので表情は覗えませんが、ぷるぷると痙攣しているようにも見えます。
僕がちゃんと答えないから怒ってしまったのでしょうか。
本当にすいません。
「……ん」
不穏な空気を感じたのか、シフォンの小さな手がナティの頭に優しく置かれました。
そのまま金色の髪をそっと撫でて、慰めるような仕草です。
「……ありがとうシフォン。そうよね。俯いている場合じゃないわっ」
それが功を奏したのか。
お返しとばかりにシフォンの頭を撫で、ナティが顔を上げました。
薄っすらと目尻が湿っているのは気のせいでしょう。
だって顔を上げた彼女は、不敵な笑みを浮かべていたのですから。
「負けられない。ポードラン国の王女として、私は負けないわよディータっ!」
「は、はい。頑張って下さいナティ」
何に? とは聞かないことにします。
せっかく元気になってくれたのですから、水を差してはいけません。
「えぇ、期待していなさいっ!」
そう言うとスクッと立ち上がり、ナティは踵を返しました。
「か、帰られるのですかナティルリア様!?」
突然のご帰宅に、てっきり夕方まで遊んで行くと思っていたラシアさんが慌ててしまってます。
ここへの送迎は当然馬車で、それも何人もの護衛を引き連れてだと聞いていました。
きっと護衛の方々は、夕方まで離れた場所で待機しているのではないでしょうか?
近くで見かけた覚えがありませんから。
「帰るわっ! こうしてはいられないものっ!」
「す、少しお待ちください。今馬車と護衛を呼んで参りますので」
「不要よっ!」
やはり思った通りのようです。
ラシアさんの制止も聞かず、ナティはグングン大股で歩を進めていきます。
僕も止めたほうが良いでしょうか?
それとも護衛さん達の側まで、送っていくべきでしょうか?
こんな時にもっと常識や教養があれば最善を選べるのでしょうが……。
「な、ナティっ!?」
「ディータもここでいいわっ! 貴方の側では……そ、その……あ、あま……甘えて……しまうから……」
「え? なんです?」
「いいからっ! 見送りはここまでで良いということよっ!」
どうしていいか分からずに正門まで付いて来ましたが、そこでナティから着いて来るなと言われてしまいました。
僕を見る彼女の瞳には、何か強い決意のようなものが見受けられます。
ここはそっとしておくべきかもしれません。
「分かりました。でも、気をつけて下さいね」
最後に僕を一瞥し、金色の髪が遠ざかって行きます。
その姿はどこか雄々しく、でもどこか悲壮感の漂うものでした。
そして僕は後悔します。
僕が次に見るナティの姿は、ぐったりと動かなくなった姿だったのですから。




