144話 僕とシフォン
魔王の魔弾を腕で弾き飛ばし、一瞬で距離を詰めたシフォンが蹴りを見舞います。
それを武道家の動きとやらで魔王は避けようとしますが、シフォンが直前で足の軌道を変化。
まるで魔王の動きに吸い込まれるように、小さな足が魔王のお腹を捉えました。
「ぬぐぅっ!」
脇腹を抑えつつ、一足飛びで距離を取った魔王からは、余裕の表情が消えています。
それほどに、シフォンの蹴りが効いたのでしょう。
シフォン。
小さな僕の妹が、とてつもなく強くなっていることには気付いていました。
国境を守る戦いで、僕は彼女に身体強化魔法を使っていないのです。
にも関わらずクレーターを作ってしまうほどの威力で石を投げていたのですから。
「でも駄目ですっ! 早く逃げて下さいっ!」
すでに自分を回復することも出来ない僕は、ただ叫ぶことしか出来ません。
だってどれだけ強くても、魔王の前では無意味なのです。
なら逃げて欲しい。
あの強さなら、勝てなくとも逃げることはきっと出来る。
動けない僕なんか見捨てて、逃げて欲しいのです。
「……んっ! だいじょうぶっ!」
「言うことを聞きなさいっ!!」
大丈夫じゃないです!
全然大丈夫なんかじゃないですからっ!
なのにシフォンは言う事を聞いてくれず、魔王と一進一退の攻防を繰り広げていました。
なんとか止めようと無理に足を動かせば、被弾した足に激痛が走り、血が勢いよく噴き出します。
けどそんなことに構っている場合じゃありません。
このままだとシフォンが。
妹が死んでしまうのですっ!
「痛っ!」
シフォンと魔王の戦いに目を奪われていると、突然足を締め付けられる感覚。
痛みに驚いて見てみれば、リヒジャさんが僕の足を縛って止血してくれていました。
「リ、リヒジャさんも残っていたんですかっ!?」
「う……ん……」
「駄目ですっ! 早く逃げて――いや、シフォンを連れて逃げて下さいっ!」
「無……理……。ごめ……ん……なさ……い」
悲しげに言った彼女の視線の先では、もはや一般人お断りな攻防を行う二人の姿。
確かにあそこからシフォンを連れ出すのは無理です。
巻き込まれてリヒジャさんが死んでしまいます。
でも……。
けれど……っ!
「……んぅっ!!」
魔改造された銃弾を受け、シフォンの顔が苦痛に歪むのが見えました。
どれだけ強くなっていたとしても、シフォンは魔法を使えません。
回復出来ないのです。
力が拮抗している今、無限に回復してしまう魔王と、一度傷つけば回復出来ないシフォンでは勝負にならないのは明白。
「もういいですっ! シフォンっ!」
「……だめ」
なのに妹はやっぱり聞き分けてくれず、痛いのを我慢しながら僕を庇おうとしていました。
ふぅふぅと息を荒くしながら、僕に背を向けて立つシフォン。
そんな姿を見るだけで、僕はどうしようもなく心が締め付けられるのです。
「ったく兄妹揃ってしつけぇな!」
そんなシフォンの頑張りを目障りだと断じ、魔王は頬から滴り落ちる血を拭っていました。
苛立ちを隠そうともせず、唾を吐き捨てています。
けれど……だからでしょう。
僕が気づいてしまったことに、彼は気付いていないのです。
「な、なんで?」
思わず口から零れてしまいました。
それほどに、僕が気づいたことは衝撃的だったから。
――魔王が頬から滴る血を拭っている。
つまり、シフォンにつけられた頬の傷が治っていないということなのです。
「どういうこと……ですか?」
魔王なのに回復しない傷。
それが意味するところは、一つしか思い当たりません。
「シ、シフォン?」
目の前で起きている現象に、僕の頭がフル回転。
あり得ない。あり得ない筈です。
だって勇者の加護はもうないのですから。
いくら煎餅がズボラだとしても、数を数え間違えるなんてことはしないでしょう。
い、いや。でも待って下さい。
そもそも一つしかない筈の魔王の加護が、二つありました。
異界に居た加護持ちが、なんの偶然か僕のスキルに巻き込まれてしまったわけですけど。
でもそういう可能性もあるのでしょうか?
『あっちの世界にゃ勇者の加護がないことが判明してる』
あ、ないです。魔王によって否定されています。
それが嘘であるという可能性は否定できませんけど、確実に僕を殺すつもりだった状況で、わざわざ嘘を付く理由がありません。
となると、いったい……。
思い起こされるのは、シフォンと暮らしたこの一年。
よくよく考えてみると、違和感はたくさんありました。
最初から異界の遊びを知っていたシフォン。
僕を『浮気はめっ』と叱ったシフォン。
ポードランを追われた日、何故かナティが持っていた筈の『魂戻しの石』を持っていたシフォン。
名前を付けてあげた時、ビックリしていたシフォン。
たぶんまだまだあるでしょう。
それら全てに納得のいく説明を付けるとしたら、答えは一つ。
馬鹿げた妄想。あり得ない仮定。
けれど考えれば考えるほど。
思い出せば思い出すほど、その仮定が真実味を帯びていくのです。
「シフォン……。そうなんですか?」
僕の問い掛けに、シフォンは指を差し出してきました。
その行為が何を意味するのか。考えるまでもありません。
怖いです。
知るのは怖いですけど……。
――ペロ
僕はその指を舐めたのでした。
「何してんだ兄妹で。こっちの世界での別れの儀式ってやつか? ったくイライラさせてくれやがる」
魔王が何か言っていますが、僕は反応するどころじゃありません。
やっぱり。
やっぱりそういうことだったんですね。
何のためにそんなことを……いや、考えるまでもないでしょう。
今ここにシフォンがいる理由。
それは間違いなく……。
なら僕がやるべきことは、シフォンを逃がすことでも、僕が逃げることでもなく――
「シフォン。少し時間を稼いでください」
「……ん」
伝えると、シフォンがにっこりと笑ってくれました。
彼女も辛かった筈です。寂しかった筈です。
なのに今日まで頑張ってきてくれたのは、今この時のためなのだから。
それに僕が気づき、共に戦う決意をしたことを喜んでくれているのでしょう。
僕はそれに、全力で応えなければなりませんっ!
ダッと駆け出したシフォンが、魔王へ攻撃を再開しました。
しかし怪我を負ったシフォンの動きは先ほどより鈍く、魔王に追い縋れません。
避けられ、躱され、時に反撃を受けて苦しそうに喘ぐのです。
それを見ているのは辛い。
心臓が張り裂けそうなほど辛い。
出来ることなら代わってあげたい。
でも駄目です。
叫びだしたい恐怖を抑え、走り出したい衝動を堪え、僕はただボーッとするのです。
「……んんっ!」
見る間に傷ついていくシフォン。
それでも彼女は懸命に自分の役目を果たそうとしています。
そして、僕を信じてくれているのです。
だから僕は動きません。
奥歯から血が出るほど歯を食い縛り、拳を握って見守り続けるのです。
「……んぐぅっ!」
ついに魔王の攻撃がシフォンにクリーンヒットしてしまいました。
シフォンの小さな身体が、軽々と吹き飛ばされています。
でも、地面に叩きつけられる直前で――
「シフォン。お待たせしました」
僕は彼女を受け止め、そっと地面に降ろしてあげたのです。
「あ?」
驚いたのは魔王。
なにせさっきまで、動くことも出来なかった僕なのですから。
しかし驚かせついでに、僕はシフォンの怪我を回復させてやりました。
出来る限り力を込めた回復魔法は、初級にも関わらず一瞬にして彼女の怪我を全て完治させるのです。
「……ん。ありがと」
「こちらこそですシフォン。さぁ、やりましょうか」
「おいおいどうなってんだ? 体力どころか魔力まで回復してやがるじゃねぇか」
「知らないんですか? 遊び神は、ボーッとすると回復出来るんですよ?」
言いながら、僕が指先に集める魔力は全力のレシビル。
今やその威力は、地を裂き天を穿つほど。
例え魔王といえど、直撃すればしばらく動けないのですっ!
「レシビルっ!!」
魔王に襲い掛かる極太の電撃。
盾にするべき神がいない今、奴は避けるしかありません。
「ちっ!」
大きな動作で魔王がサイドステップを踏みますが、シフォンがそこを強襲。
見た目からは想像も出来ないパンチが、風を唸らせて魔王を捕らえます!
「……んぅっ!!」
「が――っ! しゃらくせぇっ!!」
けれど魔王は、なんとかパンチを防いでいました。
攻撃に回す分の魔力も防御に回し、戦士の防御術とやらで踏みとどまっていたのです。
しかし身長差のある二人。魔王が防ぐ為には、下を向かざるを得ません。
だからこそ僕は、指を下へと向けて待っていましたっ!
「あっちむいてホイっ!」
「ぬぉっ!?」
ドゴンっと地面を割り、魔王の頭が大地にめり込みます。
普通ならこれでも致命傷ですが、僕が与えた傷では回復してしまうでしょう。
でも構いません。
僕に課せられた役目は、動きを止めるまでなのですから。
「シフォンっ!」
「……んっ!!」
無防備な魔王の背中へと、シフォンがトドメの一撃。
小さな足による全力の踵落としが炸裂です。
「んごぉ……ッ!!」
べきべきっと背骨を砕いたシフォンの足。
間違いなく致命傷でしょう。
けれどその前に、僕はどうしても聞かざるを得ません。
地面にめり込み血を吐いている御子柴さんに、警戒しながらゆっくり近付きます。
「向こうの世界に戻る気はありませんか?」
「……にぃ?」
シフォンが「何言ってんの?」と首を傾げましたが、やはり確認しなくてはなりません。
だって僕のせいですから。
この世界に彼を招いてしまったのも、彼の人生をめちゃくちゃにしてしまったのも、僕のせいなのです。
仮説はありました。
魔王の加護にも、勇者の加護と同様の性質があるのなら。『居るべき場所に居る』という要素を、彼も備えているのだとしたら。
あの日あの時。僕達が出会ってしまったのは、偶然というわけではないのでしょう。
けれどやっぱり、僕が異界転移なんてことをしなければ、こんなことにはならなかった筈なのです。
だからもし御子柴さんが向こうの世界に戻りたいというなら、僕は怪我を治したうえでそうするつもりでした。そうする責任が、僕にはあると思うのです。
しかし……。
「んなことしたらよぉ……俺は日本を滅ぼしちまうぞ……?」
「な……っ!?」
「てめぇは大事なモンを守った……俺ぁそれに気付けなかった……それだけの話だ……ごほっ……」
そう言った彼は、寂しそうに笑っていました。
どういう意味なのか分かりませんが、とても寂しそうなのです。
「御子柴さん……。今からでも遅くないです! 向こうに帰って、以前の生活に戻――」
「面倒……くせぇな……っ!」
僕の説得を遮った御子柴さんが、魔力を掻き集め始めてしまいました。
どこにそんな力が残っていたのか、今までで一番大きな魔法の気配です!
「レ、レシビルっ!!」
咄嗟に最大出力のレシビルを発動。
大気が割れるような音をともなって、紫電が魔王に突き刺さります。
「が……っ!」
すぐに回復されるでしょうが、魔法を妨害しなければなりません。
それはどうやら上手くいったようで、集まっていた魔力がフッと霧散しました。
でも回復したら、また撃つつもりなのでしょう。
それが分かってしまいました。彼の目が、雄弁に語っていたのです。
「シフォン……。お願いできますか?」
これ以上の説得は不可能。
何がなんでも破壊を目指す御子柴さんは、ここで止めなければなりません。
それも完璧に。魔王の加護を、消滅させなければならないのです。
そのために、彼女はここにいる筈ですから。
「……ん」
魔王へと近付いたシフォンが手を翳すと、その体がすぐに光輝き始めました。
見たことのある光。
リルゼさんが骸骨魔王を消滅させるときに見せた、勇者の加護の光です。
それは御子柴さんから発せられている漆黒の魔力と混ざり合い、風に溶けていきます。
勇者の加護と魔王の加護が、対消滅しているのでしょう。
やがて光も魔力も消え失せると、御子柴さんの身体が崩れ始めました。
人間の死に様と明らかに異なる様子は、魔王の加護を宿していた影響なのかもしれません。
その間彼は何も言わずに虚空を見つめ、やがて完全に消え去ったのでした。
「……ん」
「シフォンっ!?」
同じくシフォンも態勢を崩し、ふらりと倒れそうになったのです。
僕は慌てて彼女の身体を抱きとめ、強く呼びかけます。
「シフォンっ!」
薄く目を閉じてしまったシフォン。
彼女の身体からも勇者の加護が失われ、その命が終わろうとしているのでしょう。
でも大丈夫。
僕が見たシフォンの情報には、ちゃんと記されていましたから。
予想通り、すぐにシフォンのポケットが輝き始めました。
この光も見るのは二度目。ならば間違いありません。
魂戻しが発動したのです。
けれど前回は数秒で消えていた光が、今回はなかなか消えません。
「シフォン?」
不安になって呼びかけると、閉じていたシフォンの瞼がゆっくり開きました。
良かった。
異常はないみたいですね。
でも、じゃあこの光は……?
「あ……まさか……っ! シフォンっ!」
腕の中の小さな女の子を、ギュッと抱き締めます。
失くさないように。消えてしまわないように。
そんな僕の頬に優しく触れ、シフォンは
「……にぃ、またね」
そう言って微笑み、光の中へと消えてしまったのでした。
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名前:シフォナレーゼ・ベラ・ポードラン
性別:女
職業:勇者
種族:人間
父:ディータ
母:ナティルリア・ベラ・ポードラン
持ち物:『勇者の加護』『魂戻しの石』
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