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141話 ある男の回想

 ****  御子柴視点  ****


 俺は普通に生きてきたつもりだった。

 普通に大学を卒業し、普通に働き、普通に結婚し。

 普通の嫁と普通の息子。普通の給料に普通の趣味。

 何もかもが普通で、それが常道。過不足の無い生活がずっと続く。

 それで良かったし、それが良かった。


 だがある日を境に、嫁が家事をサボるようになっていた。

 当初は浮気だのを疑ったりもしたが、そういうわけじゃなかった。

 ソーシャルネットゲームと言ったか?

 それにどハマりしたらしい。


 たかだかゲーム。

 俺も試しにやってみたが、実にくだらないものだった。

 だからそのうち飽きるだろうと、俺は放置することにしたのだ。

 こっちはこっちで仕事が忙しいし、自分のことくらいは自分で管理しろ。

 そういう考えもあっただろう。


 それがいけなかったのか、いよいよ取り返しのつかないくらいまでに、事態は進行していた。

 気付いた時には貯蓄が空。

 それどころか、借金までしてゲームにつぎ込んでいやがった。

 当然家事なんてものは一切しなくなり、息子は半家出状態。


 人に言わせれば、わりとありふれた家庭崩壊なのかもしれない。

 日本中を探せば、どこにでもあるようなことかもしれない。

 けれど間違いなく、俺の普通は壊れちまったのだ。


 怒りの矛先はゲームへ向かう。

 嫁を誑かした憎きゲーム。

 剣だ魔法だ魔物だと、そんな世界を旅するファンタジー。

 吐き気がする。


「もう駄目だな俺達」


 ある日の食卓。

 買って帰ったコンビニ弁当を温めながら言ってみたが、ソファに寝っ転がっている嫁はチラリともこちらを見ない。

 もうアイツの興味は小さなスマホの中にしかないのだと、その時はっきり思い知らされた。


 憎い。

 ゲームが憎い。

 俺から普通を奪った非日常。ファンタジーが憎い。


 加速度的に増したファンタジーへの怒りは、随分と俺を攻撃的な性格へと変えてしまったらしい。

 生活安全課の職員が署に連れてきた迷子の二人。

 まだ小学生くらいの兄妹だったが、ファンタジーを絵に描いたような服装に、つい怒りが爆発した。

 自分の息子よりも小さな子供を怒鳴り散らし、俺は署を飛び出したのだ。

 さすがに自省する。やっちまったと。

 しかしどうにも、感情を抑えることが出来なかったのだ。


 そのあと警邏(けいら)を装ってフラフラと不忍池へ。

 街を巡回しようもんなら、どこかしらからファンタジー物質が目に入っちまうから。

 特にこの街には、そういったものが多いのだ。


 何の気なしに池の畔をブラブラ歩いていると、小さな子供達が走る姿を目にした。

 さっき署で保護されていた、ファンタジーな兄妹だった。

 何故ここにいるのか?

 親が見つかったのだろうか?

 疑問は浮かぶが、走る姿は必死そのもの。まるで何かから逃げるようである。

 まさか保護していた職員から逃げ出したんじゃねぇだろうな。

 嫌な予感が過ぎり、俺は二人に近付いていく。


 すると人気のないところまでやって来た兄が、おもむろに何かを池に投げ込んだ。

 不法投棄。証拠隠滅。

 職業柄、そんな可能性を考えてしまう。

 まぁさすがに子供だ。それはない。

 いきなり警察署に連れて行かれたからビビッて逃げ出したはいいが、再び迷子になってしまい怒りに任せて石でも投げた。

 精々そんなところだろう。


 俺は静かに二人の背後から近付く。

 不用意に声を掛ければ、また逃げ出してしまうかもしれないからな。

 確実に確保出来る距離まで近付いてから『なにしてんだ?』と声を掛ければいい。

 そのつもりでいた。


 しかし近付き、いざ声を掛けようとした刹那。

 突然池が光りだすという不可思議な現象に、俺はポカンと口を開けてしまっていた。

 なんだこれは?

 こんなライトアップ聞いてないぞ?


 直後に浮遊感。

 まるで地面が消え失せたかのような恐怖に、自然と身体が強張る。

 思わず瞼が硬く閉じ、そして気付いた時には――


「……あ? どこだここ? 何が起きた?」


 世界がガラリと変わっていた。

 次から次へと起こる超常現象に、長年培った常識が追いつかない。

 狐にでも化かされている気分だ。


 だが土を踏む感触も、肌を撫でる風も、全てがリアル。

 到底夢だとも思えない。

 なにはともあれ現状確認だと、俺は人を探して彷徨い始めた。


 人を発見することは、さほど難しいことではなかった。

 森から抜けたところで街道らしきものが見つかり、それに沿って歩けば街と思われる場所へ辿り着けたのだから。

 しかし愕然とする。

 行き交う人の様子も、建造物も、何もかもが日本と異なっていたのだ。

 例えるならヨーロッパだろうが、それでも説明出来ない。

 見た目は中世っぽい雰囲気を漂わせつつ、しかしある程度文明が成熟している気配があるのだ。


 文明の成熟はすなわち近代化。

 暮らし向きが中世ヨーロッパから進歩していないのに、これほど豊かな暮らしをしているというのは、明らかに不自然。

 しかも聞き耳を立ててみたところ、何語を話しているのかもさっぱり分からなかった。

 グローバル化が叫ばれる現代。

 英語だけではなく、主だった主要国の言語というのは、何かと耳にする機会が多い。

 だが俺の知る限り、そのどれとも違っていた。


 途方に暮れつつ、人々を遠巻きに観察する日々。

 途中から気付いたが、俺の格好は非常に目立つらしい。

 それもそうだろう。

 彼等が着用している衣服は、まるでファンタジーの世界の物なのだから。

 フォーマルなスーツを着ている人間など、どこにも見当たらなかった。


 しかし人間腹は減る。

 どんな場所にいようと、どんな境遇であろうと、生きていく為には食べなければならない。

 宮仕えたる自分が盗みなど働くわけにはいかないが、日本円が使用出来るとも思えない。

 言語が分からない以上コミュニケーションも取れないし、どうしたものかと悩んでいたところ、目の前に不思議な男が現れた。


「私の知らぬ職業の気配がすると思えば……何故? お前は何者だ?」


 突然問われた言葉の意味は分からなかったが、言葉が分かったことに俺は涙を堪え切れない。


「ここはどこだ? い、いやその前に恥を忍んで頼むが、何か食い物を持っていないか?」


 男に助けられた俺は、その男から全てを聞いた。

 どうやらここは異世界らしい。

 太陽も月も星の位置さえも俺の知るものと変わらないので馬鹿馬鹿しい妄言だとも思ったが、ならば自分の目で確かめて来いと言われ、俺は女と一緒に世界を回ることになる。

 やけに露出が多く、思わず手が伸びそうになる女だった。

 遠からず離婚するであろう俺ではあるが、まだ離婚が成立したわけではない。

 理性を働かせて誘惑を断ち切りつつ、俺は女に連れられて世界を見る。


 真実だった。

 どう考えても、ここは現代の地球ではないことが分かった。

 普通だけを望んでいた筈なのに、もっとも普通からかけ離れた場所にいたのだ。

 これが神の悪戯であるなら、なんと皮肉な話だろうか。

 俺がもっとも嫌悪する、ファンタジーの世界に送り込むなんて。


 旅すがら、俺は女の神(女神と呼ぶには憚られる性格と淫蕩さであるため、あえて女の神と呼ぶ)に色々なことを教えてもらう。

 この世界には勇者と魔王とそれぞれの神がいること。自分達は魔王側の神に仕えていて、勇者を消滅させたいこと。そうして世界を魔一色で染め上げたいこと。

 自分はここにあっても警察だ。

 どちらかに与するならば、それは勇者側ということになるだろう。


 そう思ったのだが、俺の考えと関係なく――



 ……。



 男の神と俺は、ディータランドなる施設を訪れていた。

 こういうとこは女と来るべきなんだろうが、女の神はもういないらしい。

 だから仕方なく男連れってわけだ。

 まぁ遊びに来たわけじゃねぇから、どうでも良いことだが。


「しっかし日本を思い出す建築物ばかりだな」


「帰りたいか?」


 無感情に聞いてくる男神に、俺は鼻で笑って返す。


「いや、そうでもねぇ」


 神曰く、戻る方法もないわけじゃないらしい。

 そりゃそうだ。来ることができたんだから、帰ることだって出来らぁな。

 だがこちらの世界に渡って一年近く。

 もう向こうには、何の未練もなくなっていた。


 思えばつまらない人生だった。

 小さな波こそあれ、普通から逸脱しない程度の日々。

 義務感と惰性だけで過ぎ行く年月は、囚人のようでもある。

 戻ったところでそれは変わらないだろう。

 変わるとすれば、一人身になって少し身軽になる程度か。


 しかしこちらの世界にいれば、俺は普通に拘る必要がない。

 存在自体がすでに普通ではないのだ。

 思うが侭に暴れ、思うが侭に殺し、思うが侭に破壊する。

 咎める者などどこにもいない。咎められる者はもう、この世界にはいないのだ。


「さぁ始めろ御子柴(みこしば)。これより世界は魔で満ちる」


 隣の神。

 元は勇者側だったらしい神が、やはり感情の篭らない瞳でそう言った。


「御子柴ってのはやめろ。だってそうだろう?」


 そんな神に対し、俺は不敵に笑って見せる。

 普通に縛られ続けた俺が、今ようやっと解放される。

 俺が普通というものにこだわり続けたのは、本能で解っていたからなのかもな。

 俺という人間が、どうしようもなく普通から遠いところにいるのだと。


 その枷から解き放たれた今、遮るものはなにもない。

 逸脱し、自由を手に入れたのだ。

 だから笑いは自然と零れた。


「俺は魔王なのだからっ!!」


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