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125話 僕は子供時代に別れを告げて

 自室の応接室に戻った僕は二人分の紅茶を淹れ、ソファに座ったヘーゼルカお姉ちゃんと向かい合うように座っていました。

 今この部屋には僕とお姉ちゃんの二人だけ。

 ナティはリルゼさんとお話すべく、彼女の部屋へ行ったのです。


 つまり、何ヶ月ぶりになるか分からない姉弟水入らず。

 積もる話は積もりすぎて埃が被るほどですが、向かい合った僕達に言葉はなく、ただ静かに紅茶を啜っていました。


 穏やかに流れる時間。

 するとフッと、ヘーゼルカお姉ちゃんの目元が緩みます。


「てっきり昔みたいに抱きついてくるものだと思っていたけれど……。成長したのねディータ」


「そう、かもです」


 以前の僕なら何かある度にお姉ちゃんに抱きつき、呆れられながらも甘やかされていたものです。

 けどパーティーから外され、シフォンという守るべき妹ができ、きっと成長したのでしょう。

 それを思うと、僕の目元も自然と緩むのでした。


「でもリルゼさんに対していきなり『死んでくれない?』はビックリでしたよ」


 お姉ちゃんの衝撃発言で、あの場は一時騒然となったのです。

 けれど理由を聞けば、それも納得出来る話でした。

 もちろんだからといってリルゼさんの犠牲を是とするわけにはいきませんし、本人が了承するとも思えませんが。


『勇者の加護を使い、魔王の加護と対消滅させる』


 以前ミリアシス様に「魔王の加護を消滅させられないのか」と聞いた時、「勇者の加護を使えば可能」という話をされました。

 ただし加護を持っていた者は死んでしまうとのことなので、おいそれと出来る話ではないのですが。

 しかしヘーゼルカお姉ちゃんは、それをリルゼさんにやってくれないかと頼んだのです。


 結局その場で答えを出せる人はなく、各々何か良い方法はないか考えてみようということになり、あの場はお開きとなりました。

 そうして僕は、ヘーゼルカお姉ちゃんと共に部屋へ戻ったのです。


「他に方法がないもの。私が勇者だったら良かったんだけれどね」


「だとしても僕は認めませんけど」


 お姉ちゃんの命を使って世界を救う。

 そんな場面になったら、僕はお姉ちゃんを選びますから。


「私に口答えなんて生意気」


 とは言いながら、お姉ちゃんはどこか嬉しそう。

 手にしたカップの中で紅茶を回し、覗き込むようにカップの中を見つめていました。


「けど、やっぱりそれしかないと思う。ディータは優しい子だから反対するでしょうけど、私の意志は変わらないわ。リルゼには悪いけれどね……。もちろん私も命を賭けるし、リルゼが死ねと言えば死ぬ覚悟よ」


「なんとなくそうだと思ってましたが……やっぱり魔王、生きているんですね?」


 今更ですが再確認。

 ディアトリさんは魔王を倒したと喧伝していましたが、今の話は魔王が存命であることを前提に行われているのです。

 だいいち神器には勇者の加護がすでに六っつ封印されており、残りの一人がリルゼさんであるなら、ディアトリさんが勇者である筈はありませんから。

 魔王を倒したなどという話は、やはり嘘だったのです。

 しかし何故そんな嘘をついたのか。

 そもそも彼等に何があったのか。

 そう訊ねると、ヘーゼルカお姉ちゃんは魔王の居城で起きた出来事を、苦々しい顔をしながら教えてくれました。


「魔王の下にまでは辿り着くことが出来たわ。彼は勇者じゃなかったけれど、ある程度の実力は備えていたから。それにポードランからの支援もあって、とても良い装備も揃えられていたの。けど今思えば道中に魔物が少なかったし、ひょっとしたら誘い込まれただけなのかもしれないわね」


「魔王とは戦ったんですか?」


「えぇ。大して強くはなかったわよ」


「え?」


 聞けば魔王は魔力こそ膨大だったものの、強さ自体はそこそこ。

 曲がりなりにも勇者を名乗って戦ってきたディアトリさん達の前に、魔王は膝を付いたのだそうです。


「けど動けなくなった魔王にトドメを刺すことが出来なかった。そこで初めて気付いたの。ディアトリは勇者じゃないって」


 トドメを刺すどころか、目の前でみるみる回復していく魔王。

 その時彼はどんな気持ちだったのでしょう。

 今まで信じてきたものが打ち砕かれ、困惑、恐怖、そして圧倒的な絶望。

 同情に余りある光景です。


「彼では無理だと悟った私は、すぐに撤退するよう言ったわ。でもディアトリは諦めなかった。そんな筈はない。僕は勇者だって、何度も何度も剣を振り下ろしながら。でもやがて体力が尽き、どうしようもなくなった時。玉座の後ろから一人の男が現れた」


 勇者と魔王にまつわる話。

 神器のことなどはその男に聞いたとのことですが、いったい何者なのでしょうか?

 疑問は尽きませんけど、今は先を促します。


「結局私達は捕らわれてしまったわ。たぶんディアトリに何かをさせるための人質だったんだと思う。隙を窺っていた私は、神器を奪って逃げ出してやったけどね」


 その後何度も追っ手と戦い、ついには淫欲の神にまで追われ。辛くも逃げ切れはしたけれど、忌まわしい呪いを掛けられてしまったとのこと。

 もっとも逃げ切るだけでも凄いですし、神器まで奪ってくるあたり、さすがヘーゼルカお姉ちゃんだと驚愕せずにはいられません。


「だからディアトリがどんな命令をされたのかまでは分からないの。想像はつくけれど。奴等は偽の聖女を使って偽の勇者を七人選定させたのに、何故かまた勇者の選定が始まってしまったと焦っていたから」


 あぁなるほど。

 神伝えの石が贋物だったと気付いた僕達が、新しい神伝えの石を持ち帰り、エリーシェさんがまた勇者を募集していましたからね。

 それを止めるために、魔王はもういないと喧伝するのが彼の役割だったのでしょう。

 魔王がいなければ勇者も必要ありませんから。


「あとはディータの知る通りよ。呪いを受けた後のことは記憶にないけれど、ディータ達に救われて何とか今がある。――記憶はないけれど」


 落ち着かないようにモジモジしながら「記憶はない」と強調するヘーゼルカお姉ちゃん。

 なんだか見慣れないお姉ちゃんの姿に、少しほっこりしてしまいます。


「なに?」


「いえ、なんでもありません」


「なにか言いたいことがあるんじゃないの? はっきり言いなさい」


「なんでもありませんってば」


 殺気すら篭った鋭い視線に、背筋が震えました。

 武王力はんぱないです。

 けどその瞳も薄っすら涙目のようで、どこか悔しそう。

 それを誤魔化すかのように、強い口調でヘーゼルカお姉ちゃんが聞いてきました。


「ディータの方こそどうしていたのよ。あ……。あの指輪、はずしたのね」


「あれ……? もしかしてお姉ちゃん……知ってたんですか?」


 僕の指を見てから申し訳なさそうに視線を外したお姉ちゃんに、疑問を抱かずにはいられません。

 スキルを覚えられなくなる呪いの指輪。

 その正体に気付いていたのでしょうか?


「……ごめん」


 気付いていたようです。


「なんでですかっ!」


「良い機会だと思ったの。あそこから先は本当に危険な旅になると分かっていたから」


「それでもっ! ……それでも僕は、お姉ちゃんと一緒に旅を続けたかったです」


「それも……分かってたわ」


 しばしの沈黙。

 紅茶に手を伸ばすと、もう冷たくなってしまった液体が、スーッと身体の中まで冷やしてしまうようでした。


 姉と旅をする為に、必死に修行をした日々。

 僕は何故そこまで、お姉ちゃんと一緒に旅をすることに拘っていたのでしょうか?

 心配だったから?

 幼い頃に約束をしたから?

 ずっと一緒に育ってきたから?


 違います。

 違うのだと、今分かりました。


 僕は、ヘーゼルカお姉ちゃんのことが好きだったのです。

 それも姉としてではなく、一人の女性として。

 恋というには幼すぎる感情。憧れと言ったほうが近いかもしれません。

 けれど間違いなく、家族に対する好意とは違う感情です。


 たぶん良くある話。

 幼い頃に近所のお姉ちゃんに憧れ、好きになってしまうなんてことは。

 僕にとってそれが、ヘーゼルカお姉ちゃんだっただけなのです。


 けどお姉ちゃんは、どこまでも僕の姉でした。

 血は繋がっていなくとも、本当の家族として受け入れてくれていたのです。

 指輪のことを隠していたのも同じ理由。

 例え死ぬことになっても共に戦うという関係ではなく、庇護対象でしかなかったのでしょう。

 だから僕の身を案じて突き放し、ついでに姉離れさせようとしたのではないでしょうか。


 それはとても嬉しく想うと同時に、とてもとても悲しくて――


「ディ、ディータ……? 貴方、泣いているの?」


「え?」


 そっと頬に触れてみると、指先が湿った感触。


 あぁ、そっか――

 僕の初恋は、今終ったんですね。


 姉を想い続けた日々。

 それが恋だと知った時、同時にそれが終わっているものだとも知ったのです。

 厳密に言えば始まってもいなかったのですけど。


「……なんでもないです。紅茶、淹れなおしますね」


「えぇ……。ありがとう」


 だからこの話はここで終わり。

 想いを伝えることはなく、今までと変わらず姉と弟になるだけです。


 それから僕達は淹れなおした紅茶を啜り、静かな静かな時間が流れました。


 血は繋がらないけど、ずっと一緒に育ってきたお姉ちゃん。

 時に優しく、時に厳しく。いつも凛としていたヘーゼルカお姉ちゃんは、僕の憧れであり、僕の初恋でした。

 お姉ちゃんと過ごしてきた時間を思い出し、それを大切に胸の奥へと仕舞い込み……。


 姉と二人で飲んだ紅茶は少ししょっぱくて、なんだか大人の味がしたのでした。



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