116話 僕は走り出す
ペントルゼの港を出発した僕達は、ヘーゼルカお姉ちゃんを連れてガレジドスへ向かっていました。
理由は二つ。
一つはヘーゼルカお姉ちゃんを治す手段が、ガレジドスで見つかるかもしれないから。
ナティ曰く、ガレジドスという国はあらゆる魔法に精通しているので、ヘーゼルカお姉ちゃんがこうなってしまっている原因が呪いの類であるならば、きっと治す方法も見つかるだろうとのこと。
現状では他に当てもないので、この理由だけでもガレジドスを目指すには十分でした。
なのでもう一つの理由はついでと言えばついで。
ただし無視できる話でもありませんが。
『茶色い女の人に武王様の居場所を知らないか聞かれたの。なんだかとっても嫌な感じの人だったから教えなかったけど』
そう教えてくれたのはポポルさん。
僕達より前に、ヘーゼルカお姉ちゃんを探しに来た人がいたらしいのです。
ポポルさんは怪しいからという理由でその女性には何も話さなかったようですが、女性の特徴を聞いて僕は目を見開きました。
全身をローブで覆っていた女性は、銀色の髪と褐色の肌。
尖耳は見てないと言ってましたが、非常に聞き覚えのある特徴です。
その女性はその後、船に乗ったそうです。
ペントルゼから出港する船で行けるのは、北西のリゼルバイスか遥か西のガレジドス。
防寒具を持っていなかったそうなので、ガレジドスに向かったのだと推測できます。
「ミント以外のダークエルフ……。危険じゃないの?」
馬車の中。
隣に座るナティは、近付いてくるガレジドスの首都を前に、少し不安を漏らしていました。
なにせダークエルフと言えば、国滅ぼしとセットで語られる存在ですからね。
無理のないことかもしれません。
「すぐに危険、ということはないんじゃないでしょうか。実際ペントルゼでも何もなかったみたいですから」
「そ、そうよね。それにディータやリルゼもいるんだし」
「……ん。わたしもいるよ?」
ナティを元気付けようと、シフォンが袖を掴みながら彼女を見上げます。
相変わらずシフォンはナティに懐いているようですね。
ナティも満更ではないようで、目元を緩めながらシフォンの頭を撫でていました。
「ありがとうシフォン。頼りにしてるわ」
「……ん。たよられた」
ガレジドスの首都グーズワースへ向かう馬車は、和やかな雰囲気でゆっくり北上。
あと一日も掛からず到着することでしょう。
そういえばこの大陸には、なんと電車が走っていました。
チラッと見ただけですが、その完成度の高さに僕は驚愕でしょうか。
特に客車の造りは見事で、是非ディータランドでも活かしたいものです。
もっとも電車は一般開放されていないらしく、僕達は乗ることが出来ませんでした。
ナティの権力で押し通ることも出来たかもしれませんが、そんなところで迷惑を掛けるわけにもいきませんし。
ということで馬車を選択したのですが、ヘーゼルカお姉ちゃんの容態が容態なだけに、選んだのは乗り合い馬車ではなく貸切馬車。
寝台に横たわった彼女は、今もって辛そうに息を荒げています。
リヒジャさんのお薬で多少マシとはいえ、ずっと意識が朦朧としているのか、まともに会話をすることも出来ない状態。
近寄ってはいけないと言われている僕は何も出来ない歯がゆさを感じながら、ヘーゼルカお姉ちゃんを見つめていました。
必ず助ける。
絶対に治してみせる、と。
……。
そろそろグーズワースに到着する予定時刻。
まずは王宮に出向き、事情を説明して宮廷魔術師の方にヘーゼルカお姉ちゃんの容態を見てもらおう。
それからポポルさんが言っていた女性の目撃情報を探し、街を散策するべきか。
そんな風にこれからの予定を組み立てていると、突然ガタリと大きく揺れ、馬車が止まってしまいました。
急な揺れに反応できなかった僕は、椅子の上に倒れてしまいます。
ナティは僕の横に座っていたのですが、彼女もバランスを崩して倒れこんできました。
なんとか咄嗟に受け止めたので怪我はなさそうですね。
「大丈夫ですか?」
一応聞きながら横を見れば、ラシアさんがシフォンを抱えるようにしています。リルゼさんは武道家なのでバランス感覚に優れているのか、なんとか踏みとどまっていました。
どうやら怪我をした方はいないようなので安堵でしょうか。
僕に覆いかぶさっていたナティは数瞬の間硬直していたようですが、ハッと我に返ったように飛び起き、顔を真っ赤にしながら御者に悪態を付き始めました。
「ちょ、ちょっとっ! 止まるにしてももう少し静かに止まりなさいよっ! 色々危ないじゃないっ!」
すると小窓を開けて振り返った御者さんは
「も、申し訳ございませんお客様。で、ですが……何かおかしいのでございます」
と謝罪しつつも困惑を浮かべていたのです。
「おかしいって何がよ」
御者さんの態度がただの言い訳ではなさそうだと感じ、ナティと共に僕も外の様子を窺います。
すぐ前方にはガレジドスの首都であるグーズワースを囲う外壁。
どうやら到着間近だったのは間違いなさそうでした。
けれどすぐ異変に気付きます。
外壁の周りが、街中から逃げてきたたくさんの人々で溢れているのです。
誰もが祈るように街を見つめ、その先にはいくつもの煙。
街のあちこちから火の手が上がっているのだと分かりました。
「火事、でしょうか?」
「それにしても規模が大きいわ。まるで戦争でもしているみたい」
ナティの言うとおりかもしれません。
外壁の中は喧騒に包まれていて、人々は転がるように街の外へと逃げ出しているのですから。
どうしましょうか。
困っている人達がいるなら助けてあげたいとは思いますけど、こちらには重病患者が一名と王女様。
他には妹とメイドさんと道具屋の娘ですから。
危険の中に自ら突っ込んで行くわけにもいきません。
「み、見てくださいディータ様っ!」
馬車から降りて呆然と燃える街を眺めていたところ、今度はラシアさんが何かに気付いたご様子。
見れば逃げる人々を追うように、一人の女性が幽鬼のごとくフラフラ歩いていました。
しかし様子がおかしいのです。
その女性はやけに薄着で、顔を上気させ、怪我をしているわけでもないのに息が乱れていました。
自然と僕の後ろ。
横たわるヘーゼルカお姉ちゃんと、その女性の病状が重なります。
「何かただ事じゃないことが起きているのは間違いないですね」
そしてそれは、ひょっとしたらヘーゼルカお姉ちゃんに関係することなのかも。
そう思うと、僕の足は自然と走り出しそうになってしまうのです。
「駄目よディータっ! 危険すぎるわっ!」
「分かってます! 分かってますけど……」
拳を握り締め、街の方角を睨むように見続ける僕。
焦燥感が胸を焦がし、知らず身体が震えていました。
すると先ほど住民を追っていた女性は、更に後ろから来た兵士に取り押さえられたようです。
下着同然の女性が屈強な兵士達に押さえ込まれる様は見ていて気分の良いものではありませんが、必死な彼等の形相から、それが必要な処置なのだと分かります。
「壁外の安全を確保っ! 殿下をお連れしろっ!」
隊長さんでしょうか?
周りの兵士達より立派な鎧を着た方が、馬上から指示を出しました。
ほどなく門からは、多数の兵に囲まれて一人の男性が連れ出されてきます。
「離せっ! 父上がっ! 父上がまだ戦っておられるのだぞっ!」
「なればこそです! 陛下に万が一のことがあった時、殿下まで失われていては――」
「貴様っ! 父上があのような女狐に遅れをとるとでも言うのかっ!」
激高する男性は話の内容からこの国の王子様のようですが、続く言葉を持つ人は誰もいないようです。
兵士達は皆一様に、悔しそうに俯いてしまっていました。
「ビュッフェルト?」
なのでポツリと零れたナティの問い掛けは、しんとしてしまった場で良く通ったのです。
「だ、誰だっ!? 殿下の御名を軽々しく呼び捨てにした不敬者はっ!」
「いや待て。今の声聞き覚えがある。……まさかポードランのナティルリア王女か?」
諌めようとした隊長を制し、キョロキョロと辺りを見渡した王子様の視線が、ナティを見止めたようです。
顔を渋くしながらも王子様は近付いてきました。
「お久しぶりですナティルリア王女。お見苦しいところをお見せしてしまい恐縮です」
対するナティもスッと姿勢を正し、気配に王族の貫禄を滲ませながら返答でしょうか。
「こちらこそ突然の訪問申し訳ありません。ですがこれはいったい、どうした騒ぎなのですか?」
ポードランとガレジドスは友好関係にあるので、その王女と王子が顔見知りというのは不思議な話じゃありません。
事実何度か話したことがあるようで、二人の間に気負いのようなものは感じられませんでした。
「え、えぇ。初めは魔法実験の暴走か何かだと思ったのですが……どうにもリュメルスの馬鹿が、良からぬ者を招きいれてしまったようでして」
「リュメルス様というと、第三王子の? 良からぬ者とは賊か何かでしょうか?」
「その程度の手合いであれば良かったのですが……。兵達の話が真実であるなら……神、と。その女は、自分を神だと名乗ったそうです」
「神っ!? 魔神にでも襲われているというのっ!?」
「魔神ではありませんが、そちら側であるのは間違いないかと。兵達の剣では傷一つ付けられぬとのことで、こうして撤退を余儀なくされている有様なのです」
魔神派。本格的に動き出したのでしょうか?
神が相手だと聞き、背中がブルリと震えます。
「そう……。神が相手ではそれも仕方ないわ。貴方が無事だっただけでも僥倖よ」
ナティが慰めるように言いますが、ビュッフェルト王子は納得出来ないのか、奥歯を噛み締め首を振っていました。
「城内では、まだ父上が戦っているのです! それにリュメルスや、リュメルスが連れて来ていた客人までもが。ダークエルフとはいえ年端もいかぬ少女を置き去りにし、私だけおめおめ逃げるなど騎士にあるまじき恥辱です!」
なんと?
今なんと言いましたかっ!?
「す、すいませんっ! その少女の名前はなんと言うか分かりますかっ!?」
突然声をあげた僕を、ビュッフェルト王子は不審そうに見てきます。
けれどナティが何か言うと王子は一度大きく目を見開き、すぐに姿勢を正しました。
「これは失礼した。少女の名だったか? 確かミントと――」
「ちょっとディータっ!?」
後ろから呼び止めるナティの声が聞こえましたが、僕はもう止まれません。
燃え盛る街の奥に佇むガレジドス王城。
あの中にミントさんがいる。
そして恐らくヘーゼルカお姉ちゃんをあんな状態にした元凶が。
人を掻き分け兵を掻き分け。
僕の足は、王城へ向かって走り出していたのでした。