100話 ラシアは尊い光景に目を細める
**** ラシア視点 ****
「どうぞ」
だらしなくテーブルに顎を乗せているミント様の目の前に、淹れたての紅茶をそっと差し出す。
彼女は物思いに耽っているようで、チラッと一瞬だけ私を見た視線は再び宙を彷徨いだしていました。
「メイドはメイドなんだな」
だからポツリと零れたミント様の言葉が、私に向けられたものだと気付くまでに数秒を要してしまいました。
「仰っている意味は分かりませんが、メイドはメイドですよ?」
「そうだな。私には到底真似できん」
諦観にも似た色を忍ばせた言葉に、ようやくその真意を知ります。
ミント様は、いつぞやの件を引き摺っているのかもしれないと。
ディータランドで自分も接客をすると言い出した時、少し強めに窘めてしまいましたから。
彼女の心には、まだそれが棘のように刺さっていたのかもしれません。
「あの時は申し訳ありませんでした」
「いや……私こそすまなかったな。分を弁えていないのはこちらの方だった」
過ぎた事とはいえ禍根を残すべきではないと判断し、私は深々と腰を折ります。
すると思いの外、ミント様はあっさりと許して下さいました。
こういうところは非常に素直で好感が持てますね。
出会ったばかりの頃は『ディータ様の純潔を踏み荒らし兼ねない危険人物』と評価していたけれど、最近はそうでもありません。
むしろ一生懸命な方だと、高く評価しているくらいです。
それにミント様の外見はエルフ種らしくとても整っており、まだ幼い姿なのでとてつもなく可愛らしい。
銀色のサイドテールと褐色の肌も、少女がちょっと悪ぶっていると思えば、私の琴線にビンビン触れてくるものがあります。
残念ながら中身はすでに百歳越えと聞いていますが、長い間人と接してこなかった彼女の精神年齢は、幼いと言っても差支えないでしょう。
つまるところ、私好みの少女なのです。
もっとも彼女はディータ様に惚れこんでいらっしゃるので、ナティルリア様のメイドとしては素直に愛でることも出来ません。
私がミント様と仲良くしてしまっては、主に思わぬ誤解を抱かせてしまうかもしれませんから。
本当なら存分にミント様の世話を焼き、「お、おいっ。あまり馴れ馴れしくするなよっ」なんて顔を染めながら暴れる彼女も見てみたいのですけれど。
歯がゆい関係だと、私は人知れず臍を噛む毎日です。
僅かばかり思案に耽っていると、いつのまにかミント様は私をジッと見つめていました。
それに気付き、私の頬が少しだけ熱を持ってしまいます。
あら可愛い、と。
「お前は王女のメイドだろ? ディータはまだしもなんで私の世話までしてる? あと頬を染めるな」
「メイドですから」
「……そうか。一応言っておくが、私の実年齢は百歳以上だからな? お前の趣味に合致するとは思えんぞ」
おやおや。
釘を刺されてしまいました。
こういうところは、さすが年長者といったところでしょう。
ですがその外見ですと、可愛げがないところも可愛いですね。
「何かお悩みなのですか? メイドでよければ相談に乗りますが」
恐らくそうなのだろうと声を掛けると深い溜息を吐き出して、ミント様の視線はまた宙を行ったり来たり。
猫のような愛らしさです。
「お前はどうせ王女の味方だろう」
「ディータ様のことですか」
まぁそうだとは思っていましたが。
彼女にとっては突然現れた恋のライバル。
しかも王女という立場にあり見目麗しく、最近は女性らしい丸みも帯びてきた早熟な果実。
気にならない筈がありません。
「若いってのはいいもんだな。後先考えず一直線だ」
「ナティルリア様はそれだけディータ様の事を想っておりますし、会えなかった時間がその想いをより強くしたのでしょうね。もっともディータ様には届いていないようですが」
そう言うと、「まったく困った男だ」とミント様も苦笑を零していました。
恐らく彼女もディータ様にアピールはしているけれど、やはり実を結んではいないのでしょう。
「ミント様もナティルリア様くらい積極的になってはいかがですか? ミント様のやり方は、少し迂遠な気が致します」
するとミント様は目を丸くし、それから悪戯っぽい視線を投げかけてきたので、メイド心にちょっとキュンときてしまいます。
「私にアドバイスなどして良いのか? 王女が悲しむぞ」
えぇ駄目ですね。
私の願いは主であるナティルリア様と、その想い人であるディータ様が結ばれること。
さらに言うならば、夜の手解きと称して私も混ざってしまうこと。
私の手の中で、少しずつ大人になっていく二人。
なんと甘美なことでしょう。
でも共にディータランドを作り上げてきたミント様にも、幸せになって頂きたいと思っているのは本当のことなのですよ?
しかし自嘲気味に笑うミント様は、静かに首を振っていました。
「私は王女のようには出来ない。……メイドは知っているか? どうして人より長命なエルフ族が繁栄していないのか」
「申し訳ございません。不勉強で」
「臆病なんだ。エルフはな、恋に臆病なんだよ」
遠い目をしながら、ミント様が語られます。
「人の寿命にもバラつきがあるだろ? 二十歳三十歳で死ぬ者もいれば、七十歳八十歳まで生きる者もいる」
「そうですね」
「長命のエルフとなればその差も顕著だ。百まで生きられぬ者もいれば、五百を超えて成態のままって奴もいる。そんなのはさ。辛いだけなんだよ」
あぁ、そういうことですか。
仮に二十歳くらいで結婚した場合、伴侶が百歳で死んでしまったら、残された者は四百年も寂しさを抱えて生きていかなければなりません。
それは想像を絶する孤独。
気の遠くなる年月です。
「エルフ同士でもそんななんだ。相手が人間だとな……辛い時間を過ごすのは、間違いなくエルフの方だから」
「それは……辛いですね……」
ちょっと想像してしまいました。
今ナティルリア様とディータ様とシフォン様とミント様を同時に失い、あと四百年生きろと言われたら。
無理です。耐えられません。
メイドは寂しいと死んじゃう生き物なのです。
「だから私は今のままでもいいと思っていた。ただ近くからディータを支えられればと」
「そこにナティルリア様が現れてしまったから?」
ナティルリア様とディータ様が結ばれてしまったら、見守ることも出来なくなる。
手の届かないところへ行ってしまう。
そんな恐怖を覚えたのかもしれません。
私の考えを肯定するように、室内に沈黙が訪れました。
それを荒々しく扉を開いて破ったのは渦中の人物。
ナティルリア様がお帰りになったのです。
「ただいまっ! 毎日城に顔を出せなんて、お父様は過保護すぎるわっ!」
「お帰りなさいませナティルリア様。ただいま紅茶をご用意致します」
「えぇありがと。……って、ラシアとミントの二人だけ? 珍しいわね。ディータとシフォンはどうしたのかしら?」
「二人なら買い物だそうだ。今日は二人っきりがいいんだとシフォンに言われてな」
「なら邪魔するのも悪いわね」
言葉使いは活発な女の子といったナティルリア様ですが、椅子に腰掛ける姿は育ちの良さを窺わせる優雅なもの。
ふわりと美しい金髪を靡かせて、音も無く座ったのでした。
「ディータは大丈夫なの? 闘技場の件で顔も覚えられているだろうし、シフォンと二人っきりというのは心配だわ」
「心配しなくても大丈夫ですよ。ディータ様をどうにか出来る人間などそうはおりませんし、護衛も付いておりますから」
「それもそうね。ところで、二人は何の話をしていたのかしら。こうして三人で話をするなんて滅多にないのだし、私も混ぜてくれない?」
淹れたての紅茶で喉を潤すと、ナティルリア様は薄いブルーの瞳をキラキラと輝かせ、私とミント様を交互に見やります。
その視線にばつの悪いものを感じたのか、ミント様は視線を逸らしながら
「つまらん話だ。ディータはいつ王女の気持ちに応えるのか、とな」
「ミントの気持ちに応えるのかもしれないじゃない」
屈託のない顔で言うナティルリア様ですが、ミント様はそれを鼻で笑います。
「それはない。私には何もないから」
「そんなことないわよっ! ミントはとっても可愛いし、ディータの為に頑張ってきたってラシアから聞いているわっ!
それに私も一緒に暮らして、ミントがとっても良い娘だって分かったしっ!」
「だ、だとしてもだ。王女を差し置いて私なんかが……。大体、お前に励まされるのはなんか違うだろ?」
ミント様は困惑を浮かべられていましたが、ナティルリア様は「何故?」と首を傾げていました。
「もちろん私も負けるつもりはないし、譲るつもりもないわ。けどミントにも同じ気持ちでいて欲しいの」
「勝者の余裕ってやつか?」
「違うわよ。同じ人を好きになって、同じ人の為に頑張る関係って、ちょっと素敵だと思わない?」
思いがけない言葉だったのか、ミント様は毒気が抜けたように口をあんぐり。
そっと焼き菓子を咥えさせたいお顔です。
そんな彼女にニッコリと微笑み、ナティルリア様は自信満々に言いました。
「でも安心しなさいミント。もしもディータが私を選んでくれたとしても、ミントは側室として迎え入れるつもりだから」
「お、おい?」
あら素敵なお考え。
さすがナティルリア様です。
是非私も混ぜて下さいね?
「だから正々堂々戦いましょ?」
立ち上がって手を差し出し、ナティルリア様は実に可愛らしい宣戦布告をされたのです。
なんて尊い光景なのでしょうか。
思わず鼻から滴ってしまいそうです。
「正々堂々……か」
それを受けてミント様は静かに呟き、そしてバッと立ち上がりました。
「そういうことなら王女。頼みがあるんだが聞いてくれないか?」
「え、えぇ。私に出来ることなら構わないけれど、いったい何かしら?」
「宰相に会わせて欲しい」