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水にとけた記憶

作者: 小沢とも

「うみちゃんはさぁ」

記憶の中の、小さな男の子の声。

「きっと海から生まれたんだよね」

水族館の、大きなガラスの前だった。

ゆらゆら光る影は、水槽の中で泳ぐ魚の影。

「水の前にいると、溶けて消えちゃいそうだ」

手のひらに、ひんやりした水槽の感触。

その言葉に導かれるように、手のひらから水槽の中に、ガラスを滑り抜けて入っていくような気がしてくる。

「水の中に溶けられたら、そこからどこまでも行けるのにね」

マンタの大きな影が、男の子の顔の上を通り過ぎる。

「ここの水に溶けてさ、外国の海に出たいなぁ。できれば夜、星がキレイな場所に」

男の子の上を、いくつもの魚の影が通り過ぎていく。

それが影なのか、本物の魚なのか。

ここが水槽の外なのか、中なのか。

1枚のガラスを挟んだ、あっちの世界とこっちの世界の境界線が曖昧になっていく。

「時間も自由に飛んでいけたら、大きくなったうみちゃんを、今すぐ迎えに行くのにな」


男の子と一緒に、どこまででも旅ができた。

水に溶けて、魚と一緒に。

場所も時間も、好きなだけ自由に。

あまりに鮮明で、あまりに曖昧な記憶が、いつまでも体の奥に漂っていて。

だからうみは、今も水族館の水槽の前に立つとそっとガラスに触れてみる。

溶け出した世界に、あの頃の男の子の面影を探して。

「うみ」

ふと、水の世界ではない、空気の中にその声が響いた時。

心臓が震えた。

くらげのように、柔らかな震動で。

ゆっくりと振り返る。

視界の端を、マンタが励ますように通り過ぎていく。

「思った以上に時間がかかってごめん」

記憶の中の声が、少し低くなってうみの耳に届いた。

そして、ゆらゆら揺れる光の中に、思い出の笑顔。

「迎えにきたよ」

水槽から手を離す。

もう、水に溶ける力はないけれど、自分の足で歩いていける。

光の中へ。

大切な人の待つ場所へ。


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