神の箱庭
はじめまして。
宜しくお願いします。
「・・・どういう事?」
見渡す限りの草原。
雲ひとつ無い、澄んだ青い空。
肌を緩やかに撫でる風は、初夏の匂いに似た空気を運んでくる。
太陽は高く、照りつけていた。
足元では愛犬が草の匂いを嗅いでは、「プシッ」と鼻を鳴らしている。今にも走り出して行きそうだ。
「本当にどういう事なんだ?」
もう一度言葉にしてみるが、状況は理解の外である。
休日の昼下がりに愛犬との散歩に出掛け、いつもの散歩ルートを通って公園に差し掛かったところ迄は思い出せる。
「・・・白昼夢とか、それとも・・・気でも失って見てる夢とかか?」
それにしては愛犬のはしゃぎっぷりがリアルだが。
真っ黒なフサフサの毛玉、黒毛のポメラニアンの雌である。
名前は〈トルテ〉
ペットショップで購入した時はタヌキ顔で可愛いなぁと思ったけど、成長してみれば鼻先が思いのほか伸びてキツネ顔。いや、可愛いけどね。
足元で〈トルテ〉が草叢に向かってビョンビョンと跳ねている。リードがかなりの勢いで引っ張られて、腕が持っていかれていた。
愛犬に向けていた意識を周囲へと戻す。現実逃避もそろそろ諦めよう。
「・・・嫌な予感しかしない。ていうか、俺の妄想ってオチの方がマシ・・・マジで。」
前後左右、ぐるっと見渡してみても草原・・・?土の見えるところも、花も木も無ければ山も無い。
「愛玩犬に野生の本能を求めても無駄なのは分かってるんだけどね。」
この異常事態に気付かず楽しそうな〈トルテ〉が少し羨ましかった。景色の異常さに冷や汗が出てくるが、思考が働かない。
「誰でも良いから説明してくれ。」
『はい、わかりました。ご説明致します。』
突然返事が返ってきた。
「!?」
どこから声が聞こえたのか判別がつかず辺りを見回すが、変わらない景色がそこにあるだけだった。
『現在、貴方は迷子です。神の箱庭へと偶然繋がった扉をくぐり、迷いこんでしまったようですね。』
何を言われているのか解らなかった。というよりも、何が自分に向けて喋っているのかが気になって頭に入ってこない。
『申し遅れましたが、私は準二位女神 〈ラティルーナ〉の端末のひとつ〈ガンマ〉と申します。この箱庭を観測しています。』
自己紹介とか今はどうでもいい・・・いや、情報は多いにこしたことは無いが。
〈ガンマ〉とかいう無機質な声との質疑応答が続くにつれて、次第に思考が冷静になっていく。
曰く、この空間が閉じた世界だとか。
曰く、この空間が誕生してから一千年程この状態のままだとか。
曰く、この空間の管理者である神が落ちこぼれであるとか。
正直、今の俺に役立つ情報は余り無い。
そして最も重要なことが頭に浮かぶ。
「・・・まず、帰れるのか教えて下さい。」
頭に浮かぶのは暇潰しに読んでいたweb小説の異世界転移物。まだ夢か妄想であって欲しいと思っているが。
『現状では不可能です。』
・・・不可能・・・
これが突発的な事故なのだろうということは、なんとなく理解してきた。が、これは神とやらの管理責任問題ではなかろうか。自分にも生活がある。家族を養わなければならないし、子供だってまだ幼い。まだまだこれからやりたい事、やらなきゃいけない事が沢山ある。
「責任者呼んでもらえますか?」
リードが手からはなれ、〈トルテ〉は元気に草原を走りまわっていた。
今、俺の前で土下座しているのが神らしい。
「大変、申し訳ありませんでした。」
声が震えている。半泣きだ。正直イラッとくる。
見た目が20代前半くらいの女性で、腰までの長い黒髪をうなじの辺りでひとつに縛り、朱袴の巫女装束を着ている。
(巫女さんじゃねーか。)
準二位女神だとか言っていたが、下っ端感丸出しである。まぁ、それでも神と冠している以上は俺なんて簡単に排除出来るんだろうが。
「で、この責任はどうとって頂けるんですかね?」
ビクッと肩を震わせて顔をあげる巫女さん。
切れ長の瞳に涙を溜め、小さな唇をきつく結んでいた。造形の美しい顔だとは思うが、それすらも今は腹立たしい。
「・・・どうすれば宜しいでしょうか?ヒッ!?」
怯える巫女さん。
昔っから目が大きく、目付きも悪い俺は感情が目に出やすい。因みに威圧感も半端無いとの事である。(友人、知人曰く) 自己嫌悪に陥る短所のひとつである。
「・・・なんでこんなことになったんですか?」
「そ、その・・・私の能力不足というか、練習用に創っていたこの空間を長く放置した為に綻びが・・・。」
『それは能力不足ではなく、管理不足です。』
〈ガンマ〉の的確な修正が入る。
「あ~・・・兎に角、どうすれば元の場所に帰れるのか教えて下さい。」
俺は努めて心を落ち着け、言葉を選ぶ。
今こいつに感情のままに言葉をぶつけるのは得策じゃあない。考えるべきは、突然姿を消してしまった俺を待つ家族のこと。なんとしても帰らなければ。
「申し上げにくいのですが、わ、私の力では貴方を帰して差し上げる事が出来ません。」
ビクビクと怯えながら、かろうじて此方の耳に届く程度の声で話す巫女さん。俺との距離がさっきより微妙に離れていた。
『捕捉しますと〈ラティルーナ〉の力では不可能である、ということです。それよりも階位の高い神ならば、なんらかの方法をお持ちかと思われます。』
無機質な声が告げる。
はじめっからそれを言えよ。
「それで?」
「私から、じょ、上位の神々にお願いしてきますので、少々お待ち頂けますか?」
俺は頷いて返事をする。
「も、申し訳ありません。それではお待ち下さい。」
深く頭を下げそう言うと、現れた時とは逆回しの様にかき消えていった。
『申し訳ありません。使えない我が主に代わり謝罪致します。まだ若い神なのでミスも多く、力もろくに制御出来ておりません。』
「・・・迷惑にも程がある。監督するやつは居ないのか?」
『居るのですが、只今出張中なのです。』
世知辛い。どこの世も変わらないのだろうか?
そうなると責任の所在がはっきりしない。俺の立場を明確にしておかないと、なぁなぁで済まされかねないな。力を持つやつなんてのは此方を下に置いて物事を進める。
「さっきミスが多いって言ってたけど、今までに俺と同じ様な目にあった人はいるのか?」
『320年程前に一度有ります。』
「その人はどうなった?」
『その人物は元の世界への帰還を求めず、別の世界への転生を望みました。記録には真一位神の世界へ転生と有ります。』
俺も独身でいたらそんな選択肢もあったかもしれないが・・・それにしても、どんな確率で巻き込まれてんだよ。俺、くじ運の引き悪い筈なのに・・・ん?これ、どっちがハズレなんだ?
「ヘッヘッへッ 」
気が付くと足元で〈トルテ〉が俺を見上げてお座りしていた。流石は我が愛犬。ささくれだった俺の気持ちを落ち着けてくれる。
「あぁ水が飲みたいのか。」
持っていたお散歩バッグから水を取り出した。
ペットボトルに入った水を受け皿になっている蓋に注ぐ。
「待て。」
気持ちタレ目なつぶらな瞳で俺の顔をジッと見ながら待つ。揃えた前足がピクピクと落ち着かないが、必死に耐えている。
「良し。」
7歳になっても変わらず落ち着きのない愛犬だが、指示はしっかり入るのが自慢である。・・・ゴメンナサイ、嘘つきました。比較的指示を聞いてくれます。
(走り回ってる時は呼んでも帰って来ないんだよなぁ)
ひとしきり水を飲み終えた〈トルテ〉は、又もテンションMAXでロケットと化していた。楽しそうで何よりである。
「ハァ~」
深いため息が風に乗って草原に流れていった。
「はじめまして~こんにちは‼いや~災難でしたね~。」
突然目の前に現れて、妙に高いテンションで挨拶してきたのは一位神〈ラムダナトゥ〉と名乗った。見た目はお子様だ。
「ワンワンワンワンワンッ!」
「ラティルーナから話は聞いたけど、元の場所に帰れるのかって事だよね?正直あの子の不手際で迷惑をかけた以上、責任持って帰してあげたいところだけど僕達にもルールがあってね~、それは出来ないんだ。」
癖のある金髪に手をやり頭をかきながら、エメラルドを想わせる眼を片方瞑り笑う。何故か半ズボンのブレザータイプの制服の様な服装で、カバンを背負っている。・・・小学生?。
「ワンワンワンワンワンッ!」
「但し、僕の世界で空間と時間の魔法を手に入れれば帰れる可能性はあるよ?」
う~ん、この流れは異世界転移物でよくある感じだな。時間と空間をねじ曲げて異界を渡るやつだ。
「それを手に入れれば元に戻れるのか?時間も?」
ただ帰れるだけじゃ足りない。家族がいる以上、早く帰らなければならない。数日だって空ける気は無い。
「ワンワンワンワンワンッ!」
「う~ん、時間もって・・・あぁ、君が消えた時間に戻りたいのか。それは難しいけれど・・・うん、不可能ってこともないか~。」
どうやら難易度は上がるらしいが出来ないわけではない様だ。その時になったらサポートに着いてくれる言質が取れた。
「それと、うちの犬だけを帰してやれないだろうか?」
俺の足元で〈ラムダナトゥ〉が現れてからずっと吠えている愛犬を指差す。
「ワンワンワンワンワンッ!」
「・・・なんで僕、こんなに吠えられるんだろぅ。」
「子供特有の高い声が嫌いなんだよ。」
(多分、見た目にそぐわない威圧感?神威?みたいなのに反応してんだろうなぁ。)
流石というか、〈ラティルーナ〉より階位が高いせいか(あれに比べるのもどうかと思うが)逆らう気も起きない、圧の様なものを感じる。ただ、子供の見た目と砕けた口調のせいでこっちもタメ口になってしまう。
「ワンワンワンワンワンッ!」
「残念だけど、この子も帰してあげられない。君と一緒に僕の世界に行ってもらうしかないね。」
〈ラムダナトゥ〉の世界は、所謂剣と魔法の世界だという。例によって中世ヨーロッパ程度の文明レベルで、魔物が生息している。
現代人の俺がそこで目的を果たす為には中々厳しい。そして愛犬〈トルテ〉も・・・。
「魔法を手に入れるにはどうしたら良い?」
「そうだね。まず君と犬に僕の世界に適応出来る力をあげるよ。ステータスって唱えて。」
〈ラムダナトゥ〉に言われるままステータスと唱える。
《ステータス》
LV 1
HP 100/100
MP 10/10
SP 10/10
《スキル》
弓技 L1
剣技 L1
調理 L5
精神耐性 L1
物理耐性 L1
毒耐性 L1
《所持品》
お散歩バッグ
犬のオヤツ
犬の水入れ
ウンチ袋
ハンドタオル
スマートフォン
財布(8,231円)
タバコ(12/20)
ジッポライター
おぉ、こんな風に見えるのか。B5サイズくらいの半透明の板状になって目の前に浮かんでいる。そこに現れたステータスを見て
「・・・なんか君のスキル、おかしくない?地球の人だよね?」
身に覚えはあるが、虐められっ子の過去なんざ思い出したくもない。一応それを乗り越えた自負はあるが。
あとは剣道、弓道が反映されてんのかな?現在の仕事が調理師だし。まぁ納得。
「まぁいいや・・・で、ここに僕の世界で活動する為のスキルを加えて・・・良し、出来た~。」
《ステータス》
LV 1
HP 100/100
MP 100/100
SP 10/10
《スキル》
全属性魔法 L1
弓技 L1
剣技 L1
調理 L5
精神耐性 L1
物理耐性 L1
毒耐性 L1
身体能力向上 L1
魔力操作 L1
魔法適正 MAX
眷属使役 L3
《ユニークスキル》
言語理解 空間庫 成長促進
《眷属》
トルテ(ポメラニアン)雌
LV 1
HP 80/80
MP 80/80
SP 10/10
《スキル》
身体能力向上
身体強化
巨大化
雷/闇 属性
意思疎通
いつの間にか足元で寝ていた〈トルテ〉が眷属とかいう欄に記載されていた。そして・・・
「これ大丈夫なやつ?有難いのは間違いないけど。」
帰るのが目的だし、魔物とかいるから戦える力が必要なのも当然。しかし、うちのアホの子が自分で巨大化とかしたら・・・
「見る限りその犬は愛玩動物でしょ?やっぱり魔物とか野生の獣とかに狙われる事も考えたらそのくらいはないとね~。あ、心配しなくても君の指示無しじゃスキル発動はしないから安心して良いよ。」
ならば問題は無い・・・のか?〈トルテ〉のスキルレベルが表示されていないのは、眷属の能力は使役者の能力レベルに準ずるらしい。実際に行動して理解したほうが分かりやすい、とのこと。あとは元の場所に帰る為の時間と空間の魔法について情報を聞かなければならない。
「それで、どうしたら時間と空間の魔法が手に入る?」
「ん?あぁ僕の世界には頂点に古代竜が5匹居るんだけど、彼等が世界の時間と空間を管理、観測をしているんだ。だから彼等に教われば習得出来るよ~君にその素養は与えておいたし。」
全属性魔法と魔法適正がそうなのだろう。魔力操作もか?
〈ラムダナトゥ〉の世界に転移する際は、ハンス村というところから西に2km程離れた森の中にある湖の祠に転移するということだ。俺の財布の中にある金額をそのまま向こうで使える貨幣に、服も旅人の着る一般的なものに変えられた。
「君の着ていた服や持ち物は空間庫に入れてあるから。」
「了解・・・そろそろ転移する感じか・・・で、気にしないでいたかったけど、ソレ・・・大丈夫なのか?」
〈ラムダナトゥ〉の後ろで十字架に両手両足を縛りつけられて白目を剥いている巫女さん。〈ラムダナトゥ〉が現れた時からあの状態で放置されている。
「あれっ、君をこんな目に合わせた相手を心配するんだ?やっさしいね~。」
何言ってるんだ?このお子様は?
「いや、これから罰を与えてくれるんだろ?気を失ってる相手にしてどうするんだよ。ちゃんと気を失わせずに、真綿で首を絞める様にゆっくりと長く苦痛を味あわせるよね?俺、根に持つタイプだから。」
〈ラムダナトゥ〉の常時変わらなかった笑顔が引きつる。やっとこのお子様の顔色を変えてやれたな。俺は力あるものとか権力とか大嫌いなのよね。あ、勿論使えるものは権力でも何でも使うよ?
「えぇと~、あっ、君のスマートフォンだけど、この箱庭の〈ガンマ〉に繋がるから。ちょっとしたサポートくらいは出来る様にしておくね。」
『我が主の尻拭いはお任せ下さい。しっかりとサポートさせて頂きます。』
それは助かる。電池切れも気にしなくて良いらしい。
「じゃあ僕の世界に送るよ。出来る限りのことはしたつもりだけど~この辺が限界。それでは良い旅を!」
ブンッという音と共に魔方陣が足元にあらわれ、俺と〈トルテ〉を下から淡い光が照らす。
(どんなことをしても元の場所に帰る!)
俺は決意を胸に魔方陣の光を睨み付けた。
「アフッ ワフッ ヒャンッ!」
足元から聞こえる声に眼を向けると、横倒しに足を投げ出して寝ている〈トルテ〉が寝言を漏らしていた・・・。
読んで頂き、ありがとうございました。