第1話
いつの日から人類は海の上に作られた海上都市で過ごすようになったのかは多くの人は知らなかった。学校の教科書では50年前(定かではない)からと書かれている。定かではない情報を載せること自体いかがなものかと思われているが教育上は都合がつくのであろう。歴史とは昔からそのような表現で許されている部分もあった。あらゆる負の要素により温暖化が進み、海面が上昇。数十年で各国が水没し、困惑した人々は水上のさらに上に「国」を作り上げた。日本だけではなくアメリカ、中国、ヨーロッパも次々と水上都市を建設。生まれ変わった世界で再び前へと歩みだすこととなった。
また生物にもさまざまな異常をきたしたせいかこの物語の主人公であるフロストのように毛でおおわれた人間ではないが人間として生活している獣の獣人、高度な知能を持ち、あらゆる特殊な能力や力を秘めた高等知能生物。皮膚が固い鱗でおおわれ、翼がはえている者もいればはえていないものもいる竜人族などあらゆる人間以外の生き物まで誕生していた。
「フロスト、ナポリタンのセットとハムトーストセットのオーダー入ったわ」
フロストは[チェコスロバキアンウルフドッグ]という犬種の犬人間(性格には獣人)で顔は名前の通り狼そっくりの顔に立ち耳、ふさふさした垂れ尾でコートは やや長く、毛色はウルフ系のものに限られているせいかよく狼と勘違いされるが犬である。冬毛と夏毛の量の差が激しく、冬はふっくらした外見だが、夏はややスリムな外見に変化することがあり一緒に働いているセレナや客からは「痩せた?」と言われることもしばしば。その外見とは裏腹に子供や老人からは好かれるようで、子供たちと時間があればゲームをしたり勉強を教えたりもしている。
そして今声をかけたのは一緒に働く高校時代からの友人であるセレナ・バークレー。フロストより若干身長が高く、肩まで届く長い黒髪を後ろで束ねており、見た目は20代だが若々しいせいか30代とは思われないことが多い。普段は一般の女性としてしっかりとしているが時には激怒することもあれば過剰にお酒が入ると泣き上戸になったりすることから感情には左右されがちなところもある。
厨房の上にある画面を見上げて注文リストを見る。今厨房にいるのはフロストのみで料理を作っているのも彼一人だけだ。新宿の少し外れた場所にある新宿ロードウェイと呼ばれる複合ビルの一つにこの喫茶店「カントリーコーヒー」が入っており、店内は一般の喫茶店に比べたら広くなくはなく、席数が15席ほどしかない小さな店内だがそれでも昼食時になれば席も半分は埋まってしまう。調理自体には時間はかからないので特に苦労することも無いので回転もわりかし早い方である。また、昼が過ぎれば長居する客も増えてくることもある。よく言えば居心地のいい喫茶店だ。
「セットはコーヒー? それとも紅茶?」
「アイスコーヒーとホットコーヒー」
「わかった」
冷凍庫から味の無い袋麺を取出し、電子レンジへ放り込みスイッチを押す。喫茶店では冷凍食品を頻繁に使うと言われているが、下手な手料理より味はずっといいというのが理由がある。カントリーコーヒーでは手作りの料理もあれば冷凍食品を使うことも多かった。冷凍パスタを解凍すると予め作っておいたナポリタンのソースを用意してフライパンに入れて炒めはじめる。ここまでの時間はわずか10分弱。早く料理を提供する側として冷凍食品の偉大さは昔と変わらないままである。
「お待たせしました。ナポリタンとハムトーストです」
ナポリタンスパゲティとハムトーストをカウンターに置くと同時にセレナがすぐに客のテーブルへと素早く運んだ。店には美味しそうな香りがひろまり、外へ漏れていくと今度はその匂いにつられたのかは分からないが客が入ってきた。
「やあ、おじさんおばさん」
その老夫婦は向かいで床屋を営む鈴木夫妻だ。もうお互いに70を超えているというのに未だに腕前は衰えておらず、お客は多くないもののそれなりに入っている。
「フロスト、相変わらず怖い顔だな。よく接客業が続くもんだ」
「それは言わないで欲しいな。子供にはよく好かれるけど」
「尻尾が目当てだろ」
「それは間違ってないけどね」
フロストの尻尾はよく子供に引っ張られる。犬系の人間にとって尻尾はとても敏感なもので最初握られたときは思わず声をあげてしまっていたが今となってはもう慣れてしまった。
「いつか取れるんじゃないかと心配しちゃうよ。まったく子供ってのは恐ろしいものだ」
「はは、それは無いだろう。ああ、ハムチーズトーストとアイスコーヒー二つを頼む」
「わかった」
注文をメモに書きとめるとそれを持って厨房へと向かっていった。
夜10時をまわるとまわりの店も閉店の準備をしていた。売り上げを確認し終え、電気を消すと同時にセレナとフロストは店を出た。駅までは一緒だがフロストは最寄りの新宿駅から2駅離れた中野に住んでいる。
「今日もお疲れ様。何か食べていく?」
「そうしたいけど今日は家で食べたい気分なんだ」
「わかった。明日もよろしくね」
セレナが改札でフロストを見送ると電車がすぐに来たらしく慌ててホームへと昇って行った。滑り込んできた電車に乗り端の席に座ると携帯電話を取り出して今日のニュースなどを調べ上げる。大抵電車に乗ると多くの人は携帯電話に夢中になる。フロストもそのうちの一人だった。
トピックスには「アメリカ大統領候補選」「石油パニック再び」「下水道に怪物現る」などが挙げられており、1年が色々とめまぐるしくなるくらい変化が大きいものだがフロストにとってはニュースが大きいだけで生活にはなんら変わりないことだった。ニュースを見ているうちにフロストの住んでいる駅に着いた。電車を降りて駐輪場にとめてある自転車に乗り込み家まで走りだす。季節的にも冬でまだ寒い上に海から押し寄せる風にあおられながら帰路を飛ばして走った。
と、突然ライトに小動物の影が映りこみ、フロストはブレーキをかけた。
「危ないな」
よく見ると犬のような生き物だが額から角が生えて、首には銀色に光るリングをかけている。高等知能生物、すなわち幻獣という部類に含まれる生き物だ。今の世界はフロストを含め、こうしたあり得ない生き物が世の中に出回っていた。いつから存在したかも知らぬままいつの間にか周りにいたということしか歴史上理解されていない。
フロストはその生き物に近づいて頭をポンポンと叩いた。
「ご、ごめん」
「喋れるのか」
「うん」
その生き物はフロストを見つめると何か悩み事がある子供のような目線で訴えかけていた。
「お困りのようだね」
「わかるの?」
「子供の困った顔にそっくりだからさ」
「……実は僕が住んでいるところが虫に襲われて。大きなゴキブリみたいなやつ」
「ラージローチか」
「なんていうかは知らないけどとにかくデカくて」
ラージローチ、ゴキブリではあるもののその大きさは最大で2メートルにもなると言われている。下水道などに存在し、他のゴキブリを支配しているという厄介な生き物だ。自分のテリトリーに入ると敵とみなし、容赦なく襲い掛かってくる。毎年人間を含め、獣人や高等生物が犠牲になったり負傷したりすることもあった。
「助けてくれないかな? 住むとこ無くなるのは嫌なんだ」
「いいだろう。案内してくれ」
フロストは川沿いにある穴から忍び込み、懐中電灯であたりを照らす。人工的に作られたこの川は生活排水を流し、浄化して海に流すという工程を担っている。ただ、下水道ということは変わりないのでドブネズミなども徘徊している。
「なんで高等生物の君がこんなところに?」
「育児放棄。親に恵まれなかったみたい」
「悲惨だな。まあ人間にもいるから仕方がないと言えば仕方ない」
「あっさり言うね」
「ごめん」
「いいよ。大丈夫」
「ところで名前はあるのかい?」
「ピアース。前の仲間はそう呼んでた」
「じゃあ、ピアースよろしく。俺はフロスト」
50メートルほど進んだだろうか、汚水の臭いには耐えているがこの生暖かい空気はさらに気持ち悪さをフロストに叩きつけていた。時折肌にべたつく湿気や天井から滴る水滴に嫌悪感を抱くも耐えている。途中にあった鉄格子を開けると、虫が這うようなキチキチという甲高い音が聞こえてきた。ジャケットのポケットにしまってあるニューナンブM60を取出し、懐中電灯を前に向けながらゆっくりと進んでいった。
「来たぞ、下がってろ」
ピアースを後ろに下げさせ、フロストは拳銃を構える。およそ1メートルあるくらいのラージローチがこちらへ迫ってきた。自分を大きく見せる習性があるらしく壁のように立ち、フロストの進む道をふさいだ。
「邪魔だよ」
フロストは一言言ったと同時に引き金を引いた。弾は頭部に命中したと同時にそこに炎を作り始めた。瞬く間にラージローチの頭部の一部を燃やし、ラージローチは奇声をあげて絶命した。38ヒート弾、フロストが作った特殊な弾薬で火炎の能力を持った弾丸だ。
「お兄ちゃんすごいの持ってるね。あんな大きいの倒しちゃった」
「害虫駆除は慣れてる」
「怖いよ。虫は」
ラージローチをまたいで奥へと進む。さらに二匹ほどが立ちふさがるが両方ともフロストの敵ではなかった。二匹ともしたと同時にバルブ式のドアが目の前に現れるが完全に閉まってるわけではなく少しばかり開いており、そっと開けて中に入るとひよこ電球の電灯が天井からぶら下がっていた。まわりにはテントやドラム缶などが置いてあった。この様子からして元々ホームレスが住んでいた跡だと理解した。
「なるほど、ここは元々ホームレスの居住区か」
「ホームレス?」
「様々な理由により、公園や路上で生活する人々のこと」
「僕と同じだ」
懐中電灯でテントの中を照らしながら中を捜索する。染みたダンボールや雑誌、カセットコンロなどの日用品が置いてあり、生活していた名残が今でも残っていた。
と、突然フロストの背中を寒気が襲った。振り向くと、自分の身長を超える大きなゴキブリが目に入ってきたと同時にが足の一本をフロストに向けて振りかかった。
「っ!」
「お兄ちゃん!」
その前足を右手で抑えたと同時にゴキブリに向けて拳銃を発砲した。もしラージローチであればこの38ヒート弾で倒せるはずだった。しかしそのゴキブリにともった炎はほんの数秒で消えてしまった。
「外殻が固いやつか!」
ラージローチは羽をガサガサと音を立てて威嚇をし始める。この動作は攻撃されたときに出るものだ。そしてラージローチはバサっという音を立てると天井に這いつくばり、カサカサと移動をし始めた。
部屋が暗いうえに体色が真っ黒なので姿こそは見えないもののフロストは大きな耳をピンと立てて位置を探る。
「そこか」
天井に向かって発砲したと同時にラージローチが落下。腹を見せたまま足をばたつかせてもがいており、その姿はどこでもみるゴキブリと一緒だった。
その腹にフロストは持っていた護身用ナイフで突き刺したと同時に右にひねる。ラージローチはもがくのをやめたと同時に硬直して絶命した。
「腹が弱点だ。いくら外が硬くてもな」
「フロストのお兄ちゃん、強い」
「怖いとこみせたかな? これでも元警察官なんだけどね」
「お兄ちゃん警察官だったの。それもすごい」
「光栄だね。で、これから君はどうするの?」
「僕のすみか荒らされちゃった」
「俺んとこで良ければ来るか?」
「……出会ったばかりなのにそんな……助けてもらった上に」
「君は悪い動物じゃない。俺にはわかるよ。それにお腹もすいてるだろう」
空腹と疲れのせいかピアースはフロストの腕の中でぐったりしていた。フロストが住んでいるのは父親から受け継いだ工房と家が合体した集合住宅だ。手前が家、奥が工房となっている。玄関を開け、電気をつけると同時に温風装置を稼働させてピアースを置いた。
「ピアース、家に着いたぞ。食事も作るよ。何が食べたい?」
「……焼き肉」
「随分と良い注文をするもんだな。分かった。焼肉定食な」
冷蔵庫から牛肉を引っ張り出して電子レンジで解凍し、油のひいたフライパンに入れて、甘辛のたれを入れて焼き上げる。ものの5分で焼き肉が出来上がった。昨日から炊いてあったご飯を茶碗に盛り、ピアースのもとへ持っていった。
「ご飯だよ」
「ありがと……あ、美味しい。すごく!」
「こんな短時間で作ったものでも気に入ってもらえてうれしいよ」
ピアースは焼き肉丼をあっという間に平らげて満足気な顔をする。その表情にフロストも安心感を感じた。
翌日、フロストはリビングに伏せたまま寝ていた。寝酒で2杯ほどカクテルのブラックルシアンを飲んだ後の記憶が全くない。よほど疲れていたのだろうか気付かぬうちに寝てしまっていたようだ。ふと横に目をやると昨日助けた幻獣のピアースが丸くなって寝ていた。
ピアースを起こさないようにそっと立ち上がると浴室へ向かってシャワーを浴びる。朝にシャワーを浴びるということは滅多にしないため、いつも風呂に入る時より浴場が冷えているうえにシャワーを前回にしないと体が温まらないのが難点だった。それに加えて獣人という属性のせいか毛に水がまとわりついてなかなか乾かないのも玉にきずだ。それでも昨日の救出劇で汚れた体を洗うということはリフレッシュするということだ。
「あ、おはよう。昨日はありがとう」
「別に平気だよ。今日は君に見せたいものがあるから」
「うん、ところで僕を本当に飼ってくれるの?」
「飼う? そんな言葉は使ってほしくないな」
「ペットは飼うって言葉を使うって昔聞いた」
「……ついておいで」
フロストは玄関から出ると、裏の工房の方へ回って行った。工房には二重の鍵がかかっており、一つ目は磁気式のカードで開ける。その作業を終えると次に金属の鍵で開ける方式になっている。もしこの手順を間違えてしまうと防犯装置が作動して警備サービス会社から警備員が来てしまうこととなるため、容易に開けることはできないのである。フロストでさえ時々間違えることもあった。
扉を開けて電気をつけるとそこにひろがるのは作業場。しかしただの作業場ではない。壁にはハンドガンやショットガン、アサルトライフルもあればリボルバー拳銃などが飾られており、机の上には分解されたボルトアクションライフルが置いてある。他にも弾丸を作るための機械や錬金術を行うための機械もあった。
「フロストさん一体……」
「錬金術師さ。銃専門のね」
フロストはふと笑いながらピアースを抱き上げた。
「れんきんじゅつし?」
「早い話が物作りする人だ。それと個人で傭兵業(PMC)もしている。ようこそピアース。歓迎するよ」