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前篇

 図書館で本を借りた。プロミスリング――いわゆる、ミサンガの作り方に関する本だ。

 雑誌のような薄っぺらさの中にも、きちんと私が欲しい情報が分かりやすい図とともに的確に書かれている。それだけでも、手にした価値があるというものだ。

 もともと何かを作ることは好きな方で、これまでにも自分でマフラーを編んだりなどしていた。手先は不器用ではないはずだが、ミサンガに手を出すのは初めてだ。そういう意味では、初心者と言えるだろう。

 そんな自分にも作れそうで、なおかつ可愛らしい柄はないものかと、本を読みながら試行錯誤を繰り返した。

 最終的に私が実践しようと選んだのは、細編みという簡単な編み方の細いミサンガ。これなら細いから付けていてもあまり目立つことはないだろうし、ちょうどいいと思った。

 あとは使う色を決めて、糸を買いに行くだけだ。


    ◆◆◆


 ミサンガを作ってみようと思い立ったのには、もちろん私の中でそれなりに理由があって。

 プロミスリングなんていう名前の通り、願いを込めることのできるミサンガを腕や足に巻いておくと、その紐が切れた時には願いが叶うといわれている。

 そんな迷信を直接信じるような夢見がちな年齢でもなくなったけど、それでも、どうしても……嘘っぱちでもいい。まやかしめいたおまじないにでも、縋りたい気持ちだった。


 ずっと好きだった、あのひと。

 初めてその姿を見た時から、既に始まっていたのかもしれない。

 こっちが勝手に憧れを抱いて、スーツに包まれた細身の体躯や、作りものみたいに繊細な所作に、ぼうっと一方的に見惚れていた。低く掠れた色っぽい声に、密かに聴き惚れていた。

 入学早々、授業担当にあのひとが当たった時は、嬉しくて、けど恥ずかしくて、どうにかなっちゃいそうだった。

 授業で当てられた瞬間なんか、動揺しすぎて平静を保つのにどれだけ苦労することか。たまに声が上ずって、そんな時は恥ずかしくて人知れず真っ赤になってた。

 まぁ私は所詮目立たない生徒だから、誰も気づかないんだけどね。

 あのひととは授業以外で、ほとんどまともに口をきいたことがない。配り物を受け取るときだって、受け取ってから半ば逃げるように自分の席へと戻っていっちゃうくらい。

 私は引っ込み思案だから、他の子たちみたいに自分から気安く近づくことさえできないし、話しかけたりなんてもっとできない。

 たまに目が合うことはあっても、流し目程度だからきっと気のせい。こっちが勝手に心臓を跳ねさせてしまうだけで、気に留められてもいないだろう。

 私のことを向こうがちゃんと知っているのかどうかさえ怪しい。


 たまたま帰りが遅くなった、ある日の放課後。駐車場に停まっていた車の運転席で、あのひとが喫煙している姿を見かけた。

 いつもはチョークやペンが収まっている、角ばった右手の人差し指と中指の間に挟んだ煙草。煙を吐き出す口元。左手は無防備に、だらりとハンドルにもたせ掛けている。いつもきっちりとしているはずのネクタイは緩んでいて、喉仏の下に覗く首筋が何とも艶めかしかった。

 暗がりの中、うつむきがちの横顔にはどこか憂いの色が付きまとい、伏せられた長い睫毛は儚く揺れて。紫煙に包まれるすらりとしたシルエットは、その場から現実味をゆっくりと奪っていく。

 全てが絵みたいに綺麗で、本格的な恋の訪れを感じた。


 手の届かない存在だと、ずっと思っていた。

 見ているだけで、満足だった。


 だって、本当はずっと前から分かっていた。

 彼は、私が想いを寄せることさえ許されない相手だったということに。


 それは、あのひとを好きだと気付いてから三日後のこと。

 授業中、近頃いつもそうするように、教壇に立つあのひとをじっと見ていたら、黒板にコツリと固いものが当たる音がした。

 ふとその音の正体、左手の薬指を見て……私は、硬直してしまった。

 そこに銀色の、きらりと光る輪っかが嵌められている。

 そして私は、悟ってしまったのだった。

 そっか。結婚、してるんだ……。

 あのひとは今までの間に、家族の話を一度もしていなかった。そういえば、結婚しているんですか? なんて他の子からの問いも、どうかな、なんて苦笑しながらはぐらかしてたっけ。

 その笑顔もかっこよくて、私は遠くから、ぼうっと見惚れてただけだったんだけど……。

 だったら知らないままで、いたかった。

 もしくはいっそのこと、最初から結婚してるって言ってほしかった。

 恋に落ちてしまうその前に、諦めをつけさせてくれたら。多少なりとも無意識に生まれていた希望を、打ち砕かせてくれたら。

 そしたら、こんなにも傷つくことなんてなかったはずなのに……。


 叶わないと分かっていても、この恋心は消えてくれなかった。どうしてか、私の中にしつこく残り続けた。

 これ以上、持ち続けていたって無駄なのに。

 人の感情は計算みたいに、簡単に割り切れるものじゃないって誰かが言ってたけど、言い得て妙だなと今更ながらに感心してしまう。


 でも、いくら割り切れなくたって、すっぱりと諦めをつけなきゃいけないこともあるんだ。

 たとえ一生誰にも知られなかったとしても、この気持ちを抱き続けることは、あのひとにとって迷惑以外の何物でもない。それに、どうせ卒業したら、私は問答無用であのひとに会うことができなくなるんだし。

 私ももう三年生になったんだ。だったらその前に、この消化不良の気持ちをどうにかしないと。

 それで、どうしたらいいんだろうって、考えて。

 そんな時に友達が、休み時間を使って教室でいそいそとミサンガを作っていた。私は当時その存在を知らなかったので、気軽に『それ、なぁに?』と聞いたのだった。

『これ? ミサンガだよ。プロミスリングともいうんだよね。これをずっと付けててね、糸が切れたら願い事が叶うんだ』

 その友達はクラスに好きな子がいるから、恋愛成就を願って作っているのだと言っていた。

 願い事は何でもいいのかと聞いたら、友達はあっさりとうなずいた。

『例えば、成績が上がりますようにとかでも。もっと端的なこと言えば、金持ちになりたいとかでも全然いいよ』

『そんなにいっぱい叶えてくれるもんなの』

『願いはミサンガ一個で一つだよ。糸の色にそれぞれ意味があって、願い事によって付ける場所も決まってるの。あたしは恋愛だから、右手首に付けようと思ってる』

 私は友達にも片想いについて打ち明けてなかったから、その時は『そうなんだ』とあんまり興味なさげにうなずいておいた。

『みんな結構やってるから、瀬那(せな)も作ってみたら?』

『考えとく』

 家に帰ってから、ネットで必死に情報を集めたことは言うまでもない。


 というわけで。

 私は結局プロミスリングという一番不確かな、けれどそれなりの覚悟はつきそうな方法に頼ることにしてしまった。


    ◆◆◆


 机の上に本を開いて、学校帰りに手芸屋で買ってきたばかりの糸をひと通り揃える。

 ネットで調べたところによると、糸の色や付ける場所にもそれぞれ意味があるのだそうだ。

 付ける場所はともかくとして、糸の色についてはあまり意味を考えずに選んだ。単純に、私があのひとをイメージして選んだのだ。


 青空のように、颯爽と美しいあのひと。

 太陽のように、明るい笑顔が似合うあのひと。

 そして……雲のように掴みどころがなくて、手の届かないあのひと。


 水色、オレンジ、白。

 あのひとを象徴する三色の糸に想いを寄せて、私はいよいよミサンガ作りを開始した。


 本を読みながら、要領を少しずつ覚えて。

 最初は糸が変に絡まったりして無駄に時間がかかったけど、慣れてくると本を見ることもなく、すらすらと編み進めていくことができた。なんだ、やっぱり私って器用じゃん、なんて調子に乗りつつ、好きな曲を聴きながら鼻歌交じりに仕上げていく。

 写真の見本よりちょっと、いやだいぶ不格好な出来ではあるが、及第点といったところか。少なくとも、他人に見せられないような代物という惨事には至らなかった。


 願いのリングに、想いを込める。

 糸が切れた時に、その願い事は叶う。


 ――このミサンガの糸が切れたら。

 私は、あのひとへの恋慕をきっぱりと捨てる。

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