クリスマスの婚期
「ほら見ろ。あんまり急ぐから婚期逃したじゃん」
「何縁起でもないこと言ってるの。逃したのは終電でしょ。婚期は全然逃してないっての」
クリスマスイブイブの夜。
地下鉄の終電を逃してしまった俺たちは、改札の前を離れ、地上へと続く階段を登っていた。
「終電を逃すってことは、夜道を歩くかタクシーに乗るってことだ。それかマンガ喫茶なりで一晩を明かす。夜道を一人で歩くのは女性として危険。つまりタクシーかマンガ喫茶。でもマンガ喫茶に立ち寄るのはお前のプライド的には許さない。よってタクシーが選択される。しかしだ。お前はさっき居酒屋でギリギリの所持金を使い果たしてしまったため、タクシーに乗ることができない。だから最初に戻って、危険ではあるが家までの徒歩30分の距離を歩くしかないというわけだ。危険だなぁ」
「そんなのあんただって一緒でしょ。全く、誰のせいで乗り遅れたと思ってるの」
「誰のせい? それはお前のせいだろ。どう考えてもお前のせいだ。その折れたヒールが何よりの証拠だ!」
そう言って俺が指差した先には、幼馴染みの手に握られている、かかとに高いヒールが付いていた履物だった。細長いヒールは根元からもげてしまっており、幼馴染みは、今の格好には似合わない男物のスニーカーを履いていた。
そもそも、俺が地下鉄の改札へと向かっている途中で、通路脇で邪魔くさそうにしゃがみこんでいる女の人を見つけた。それがこの幼馴染だった。
家は隣同士。高校まで一緒の学校。さすがに大学からは違ったが、同じ時間に家を出ると、一緒に最寄駅まで行くぐらいはする仲だった。そして互いに就活を経て就職をし、今は普通に会社員としてそれぞれ働いている。
ついでに言うなら、俺の好きな人だ。
その幼馴染みが、今日はクリスマス合コンだったとかで、その帰りにヒールが折れてしまい、無理して歩いていたところ、靴擦れで足が痛くなってしまいしゃがみこんでいたんだとか。そこを別の友達と飲んだ帰りの俺がたまたま通りかかって、さらにたまたま友達と飲む前に買っていた靴が、今幼馴染が履いている靴だった。その靴を仕方なしに貸し、履くのを待っているうちに気がついたら周りの人が走り始め、慌てて俺たちも走ったのだが、残念ながらこのザマである。
「大体、俺がまだ履いていない新品の靴を先に履くってどういう事なんだよ。普通お前がこっち履いて、俺がそっちを履くのが普通だろ。なのになんで逆なんだよ。むしろ感謝しろよ。」
「まぁ助かったのは事実だし、感謝はしてるよ? でもそんな自分の足よりも大きいサイズのビジネスシューズなんて履けるわけないじゃん。余計靴擦れするわ」
「恩ともなんとも思ってねぇだろ」
「これとそれとは話が別なのー」
「へいへい。で、歩き心地はいかがですか、お嬢様」
「ん。良くないけど、悪くないわ」
「それはよーござんした」
幼馴染と俺は、共に28歳。
俺はそうでもないのだが、幼馴染みのほうは結婚意識が高いらしくて、今日の合コンでも、将来のダーリンを探していたらしい。
はぁ。
地上へとたどり着き、徒歩で帰ることが半ば強制的に決定したので、家の方へと並んで歩く。
幼馴染は一応けが人なので、そっちの歩行ペースに合わせてゆっくりとした足取りで歩く。
「で、今日の婚活はどうだったわけ?」
「んー、微妙。一人と連絡先を交換したけど、あんまり顔がタイプじゃなかった」
「この面食いめ」
「失礼ね。顔だって大事な判断要素よ。異性の顔が良いと、楽しみが一つ増えるじゃない。その楽しみの多さで結婚生活の善し悪しは決まってくるのよ? わかる?」
「わからん。分かりたくもない。口を開けば婚期だ結婚だ。俺はそこまで人生に結婚っていうやつを重視してないの」
そう。俺は幼馴染みのことは好きで、付き合いたいとは思うが、結婚というのまでは考えられない。というか、幼馴染みとひとつ屋根の下で暮らすことが想像出来すぎて逆に妄想までたどり着けない。
小さい頃からよく互の家に出入りしてたせいか、自分と幼馴染みが暮らしている姿が容易に想像できる。だからこそ結婚生活なんかは想像ができない。きっと今までと変わらなくなりそうだ。
「ふーん。好きな人とかいないの?」
「いないことはない。だが教えない」
「えー、何それ! ヒントヒント! 私の知ってる人?」
「知ってるんじゃないかな」
「えー誰さー!」
「ヒントは一つまでなので教えませんー」
「何それ! ケチー!」
「靴返してもらうぞ」
「それは断固拒否する!」
お酒が入っているせいなのか、二人ともよく口が回った。いつもこんな感じだが、いつもよりも口が回っていた。お酒の力はすごい。
「そっかー。好きな人いるのか。なんかくやしーなー」
「悔しいってなんだよ」
「だってあんまり恋愛事に関心なさそうなんだもん」
「そんなこと、ないだろ」
実は昔にさりげなく告白したことはある。たしか中学三年の頃だった気がする。
一緒に学校から帰ってる時に、いつも一緒に帰っているせいか、同じ道を通っているほかの生徒に、『あの二人付き合ってるんじゃないか』という説があったそうだ。
それが俺たちの耳に入り、その時に『めんどくさいから、付き合っちまうか!』と言ったところ、『いや、それはないっしょ』と即答された。
それ以来、なんだかトラウマのようになってしまって、幼馴染に思いは告げられずにいた。
そんなこともあって、今は年齢=彼女いない歴の童貞ボーイだ。もう少しすれば魔法使いにもなれるらしい。ここまで来たら三十路ボーイと童貞ボーイの最強の魔法使いにでもなってやろうかとも思っている。
早くやってきてしまった初恋をずっと引きずっているなんて、我ながら何考えてるんだか。
さっさと次の恋に移ればいいんだろうけど、そう簡単に人という生き物が次の恋に移行できるのかと言われれば、答えは分かりまくっている。
一度恋してしまうとなかなか離れられないんだわな。こればかりはどうしようもない。人間の性だ。
「はぁ。クリスマスイブまでには彼氏見つけたいと思ってたんだけどなー」
「そんな取っ換え引っ換えしてりゃ変な噂でもたつってもんだろ」
「取っ換え引っ換えしてないもん。お試し期間で付き合ってただけだから、まともに彼氏がいたことは二人しかない!」
「何を自信満々に言ってんだか……」
「バイトとかでも研修期間ってあるでしょ?」
「あるけど、一緒にすんな。尻軽女め」
「むー」
口を尖らせる幼馴染み。
きっとこいつには人からの好意を受信する機能が欠落しているんだろう。
好意を送信する機能は充実しているんだろうけど、自分に向けられる好意に関しては鈍感を逸している。ソースは俺。
並んで喋って歩きながら雪道をすべらないようにダラダラと歩く。
いつもなら30分程で済んでしまうこの道も、ペースが遅いせいで結構時間がかかりそうだ。
俺としては良い時間なんだけど。
「その好きにな人には告白とかしないの?」
「……したけど、振られたーみたいな?」
「うそっ! あんたみたいな好物件を振るとかどうかしてるぜ!」
「……は?」
芸人のモノマネをしながらそう言う幼馴染に、思わず声が出てしまった。
「……どういうことっスか?」
「え? だって料理もできて、面倒見も良くて、それなりにエリートで、話も面白くて、顔も中の上、こうやって一緒に歩いて帰ってくれるくらい優しい。こんな好物件を逃す手はないでしょ」
そう言って拳を握りしめて天を仰いで転びそうになる幼馴染み。
え? これ、どういうこと?
「私もあんたみたいな良い男ゲットしたいわー」
「……」
「ん? なした?」
思わず足を止めた俺に気づいて足を止めた幼馴染み。
「いや、えっと……覚えてない?」
「覚えて……って何を?」
この顔は『なんのこっちゃ?』って顔だ。
「俺が告白したのって、お前なんだけど……」
幼馴染は一瞬驚いた顔をしたが、アハハと笑い始めた。
「またまたー。私、あんたに告白なんてされた事ないよ? 夢じゃないの?」
「えっ!? 嘘だ! 絶対告白したって!」
俺が必死でそう言うと、幼馴染は顎に手を当てて考え始めた。
でも僕は知ってる。思い出せないということを。こいつはそういう奴だ。
そして苦笑いして一言。
「ごめん。覚えてないや。アハハ……」
俺は、残念だったような、けどどこかホッとしたような気がした。
「マジか……え、マジでか……」
「マジっすわ。あー、なんかゴメンね?」
妙な空気が漂ってきた。
しかしこれはチャンスではないか、と思い直す。
そして顔を上げた俺は目の前で苦笑いをし続けている幼馴染に言ってやった。
「婚期を逃さないようにするよりも、俺みたいな好物件を逃さない方がいいんじゃないか?」
「……もしかしてだけど、それって告白?」
「……はい」
「ダッサ」
「うるさい! 百も承知だ!」
「でもいつ告白されたんだろう? 私全然覚えてないよ?」
「それは中学の時に……」
こうしてクリスマスイブイブから日付が変わり、クリスマスイブの夜に夜道を歩く男女はカップルになりましたとさ。
おしまい。
昭和臭漂う臭い告白をしてみたらこんな作品が出来上がりました。