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さらさらの黒髪。マッシュヘア。前髪は長めで、目元に少しかかりそうなくらい。前髪のせいで目元はよく見えないが、背丈の割にはぱっちりとしていて大きい。
すっと通った鼻筋に、ぴったりと閉じられた、無表情の唇。
ダウナー系のイケメン男が姉ちゃんをお姫様抱っこして立っている。
しかも何と、俺はこの男に見覚えがあった。何故なら学校の同級生だから。
陽影凜。姉ちゃん達と同じ事務所に半年ほど前から所属する、絶賛売り出し中の人気モデルらしい。らしいというのは、俺はテレビも雑誌もあんま見ないからだ。学校の奴が噂していた情報を繋ぎ合わせて、俺は陽影の為人を何となく把握している。
陽影は帰国子女というやつで、中学の頃までは親の付き添いで海外を飛び回っていたこと。そして半年前に今の高校に転入し、すぐさま事務所にスカウトされたこと。
トリリンガルの高身長イケメン。おまけに頭もいいとくれば、周りが放っておくはずがない。あれよあれよといううちに、陽影は人気モデルの仲間入りだ。
そんな優秀でモデル業も忙しいはずの陽影が、どうして何もないウチの学校に通っているのか。それは、学校七不思議のうちの一つである。
年齢は同じだが、クラスも立場も違う陽影が目の前にいる。となれば、少なからず緊張してしまうのも無理はないだろ。
俺はどうしたものかと迷った末、愛想笑いを浮かべる。
「あーっと……弟です。ここで暮らしてて。いつも姉がお世話になってます」
「知ってる」
「へ?」
陽影は、ぽつりと呟く。
「晴中楓太。同じ学校だろ」
なんてこったい。俺のことを知られている!
いや、おかしくはないのか。姉ちゃんとは事務所の先輩後輩の仲だし、学校でも俺の噂は聞いてるだろうし。
「晴中楓太にはモデルの家族がいる」という情報と「晴中」という名字を繋ぎ合わせれば、自然と答えは見えてくる。
「同い年なんだから、敬語は使わなくていいよ」
「いや、でも」
「使わなくていい」
「お、おう……分かったよ」
謎の圧を感じて、俺は敬語をすかさず外す。もしかすると、有名人という立場上、特別扱いにはウンザリしているのかもしれない。
「改めて礼を言うよ。姉ちゃんを送ってくれてありがとう。大変だったろ? 姉ちゃん、酔うとタコみたいに全身から力抜けるからさ」
「……このくらい、何てことない」
陽影は室内をキョロキョロと見回し、ソファを発見すると、そこに姉ちゃんを優しく下ろした。
アヤメもスミレも、そわそわと落ち着かない様子だ。チラチラと陽影に視線を送っては、頬を赤くさせている。
アヤメが俺の腕を肘で小突き、耳打ちしてくる。
「泊まるように言って」
「は?」
「だから、陽影くんにウチに泊まるようにお願いして」
ね、お願い。とウインクされる。普段の態度を知っているだけに、可愛くも何ともない。
「……スキャンダルは嫌なんじゃなかったのかよ?」
「陽影くんは別なの。陽影くん、今日も大人の女の人に言い寄られてたのよ。だから、そういう誘いを断りやすいようにっていう、先輩なりの気遣いよ」
どこからどう見ても、その女の人と同じ立場にしか見えねえぞ、お前……。
「つか、陽影の許可は取ったのか?」
「っ、いいから、早く行きなってば!」
背中を強く押され、たたらを踏む。俺は陽影の目の前に立ち、陽影を仰ぎ見る……ってほど身長差はないのだが、イケメンを前にすると、不思議と数倍もの差があるように感じてしまう。断崖絶壁を前にしたみてえに。
「……何?」
陽影は首を傾げた。サラサラの髪がサラサラと揺れる。当たり前だ。サラサラなんだから。
「い、いやあ、その……もう夜遅いし、ウチ、何もないけど、泊まってく?」
「泊まる」
「いや、分かってるぜ? 急にそんなこと言われても泊まれるわけが……って、え?」
俺は耳を疑った。
「え……、泊まんの?」
「泊まっていいって言ったのはそっちだろ」
「いや、うん。その通りなんだけど、えっと……マジすか」
アオイがすかさず俺の横に並び、スミレが俺の腕に手を回して絡ませてくる。
「陽影くん、こいつの部屋使っていいから。楓太。あんたはそのへんの床で寝な」
「嫌に決まってんだろ!? 前々から思ってたけどお前、俺の扱い悪すぎない!?」
「おにい、居候の身なんだから文句言わないの!」
居候じゃねえし、親がちゃんと仕送り送ってるし!
っくそ……こんな過酷な環境に息子を放り込むなんて、親父もお袋も恨んでやる。末代まで恨んでやる。
俺とアヤメがギャアギャアと言い争っていると、妙案を思いついたとばかりに、陽影がポンと手を打つ。
「じゃあ、晴中と一緒に寝る」
「「「え!?」」」
「それなら、お前も床で寝なくて済む。そうだろ?」
……もう、突っ込むのも疲れたよ俺は。
*
結局、俺は今日まともに顔を合わせたばかりの陽影とベッドを共にすることになったとさ。ちゃんちゃん。
んで、何でそっから壁ドンの事態が発生したかって?
それは、俺が茶化したからだ。この異様な状況から少しでも目を逸らすべく、俺の口はいつもより余計に回った。
「普通、男二人で寝るなんて発想にはならないだろ」
「そう?」
「あのさ、お前まさかだけど、ソッチ系だったりすんの? はは、なーんて……」
そういった瞬間、ドンである。一瞬わけがわからなすぎてイケメンだけが発することができる効果音でも存在してるのかと思っちまった。もしくはこいつが口で「ドン」って言ってるのかと。
驚いたぜ。壁ドンって、本当にドンって音鳴るんだな。
「……そうだって言ったら、どうする?」
「は、はあ?」
「本気だって言ったらどうする?」
誰が、何に?
心の中で思ったはずが、口に出ていたらしい。陽影は口の端を薄らと吊り上げて笑う。
「俺が、お前に」
微かに角度を変えた顔が段々と近づいてくる。薄く開いた唇のあわいから溢れる吐息の熱さに気がついた時には手遅れだった。
な、何、この状況……!?
引き剥がそうと奴の背中に伸ばした手が、空を掻く。
陽影にキスをされていると理解したのは、既に陽影が離れた頃だ。陽影は己の唇をぺろりと舐め、蛇のように笑う。その妖艶さに、俺の顔が瞬時に熱くなる。
「な、な……っ?」
驚きのあまり何も言えなくなった俺を、陽影は目を細めて楽しそうに観察する。
「これで、本気だって信じる?」
ええ、信じますとも! できれば信じたくないけど!
「お、お、俺、そういうの、キョーミないんだけど」
「俺はある」
知らねーよお前の趣味なんざ!
俺は陽影を突き飛ばし、部屋を飛び出す。リビングには既に姉ちゃんはいなかった。自力で部屋まで戻ったみたいだ。俺はソファに横になり、赤くなったままの頬を両手で抱える。
神様、こりゃないぜ。確かにさ、男でもいいから助けてとは言ったし、いつか、「人気モデルの弟」ではなく「晴中楓太」を見てくれる人が現れたらいいな、とは思ってたけどアレはない。
顔はいいかもしんないけどさ、最悪な奴だ。無理矢理人のキス奪うなんて、親は一体どういう教育をしてきたんだ。それともあれか? 海外ではこれが普通なのか? 破廉恥!
ふう、とため息を吐く。いつまで経っても、頬の熱さは消えてくれなかった。




