4-3
「悪い、遅れた」
昇降口の前で楓太は待っていた。視線を上げ、視界に俺を捕らえた瞬間、顔面にじわじわと喜びが灯る。
そして、花が咲くように笑う。
「おっす、お疲れ!」
楓太はよく「同じ家族なのに俺だけブサイクなんて、神様って不平等だよな」なんて愚痴をこぼすけど、俺はそうは思わなかった。
楓太はユリさんに似た柔らかな笑顔を持ち、アヤメさんに似た溌剌とした雰囲気を持ち、スミレさんのような愛嬌のある顔立ちをしている。
確かに男らしくはないかもしれないが、可愛らしく、ユリさん達のいいとこ取りをした顔をしていると俺は思っている。
「……なんだよ、俺のことじっと見て」
楓太は俺の前で手をひらひらと振る。
「楓太は今日も可愛いな、と思って」
「は?……は?」
楓太の顔が瞬時に赤く染まる。
「そ、そんなこと言われても嬉しくないからな! 俺、男だっつーの!」
「知ってる」
「でしょうね。……ほんと、俺をからかうのも大概にしろよ」
楓太は唇を尖らせ、ぷいと外方を向いた。
「お前のそういうとこ、治した方がいいぜ」
楓太はどうやら俺がからかっているのだと思い込みたいようだった。あれから何度も好意を伝え、俺が本気だということは伝わっているだろうに、楓太はいつもはぐらかす。
「こういうことはお前にしか言わないよ」
「はいはい。いいから早く靴履いてこいよ」
本気なのに。
「遊ぶ時間なくなっちまうぞ」
そう言われ、慌てて靴を履き替える。今日は仕事が始まるまで少し時間がある。遊びに誘うと、楓太は「じゃあ、俺が行きたいところに付き合ってもらってもいいか」と言った。
昇降口から校門へと、人の波に乗って歩く。
「お前って優しいんだな」
不意に、楓太がそう言った。
「遅いから、教室行ってみたんだ。そしたら、女子と一緒に何か探してるお前見かけたから、優しいじゃん! って思ってさ」
結局あの後、俺はクラスメイトと共に画鋲を探した。10分ほど経って俺が先に見つけ、俺達は誰の上履きの裏も貫通させずに済んだ。
頬を赤く染め、「ありがとうございます!」と何度もお辞儀をする彼女を見ていると、ちょっとした切なさのようなものが胸に滲んだ。
「そう見える?」
「おう。でもその調子で誰にでも優しくし続けてたらお前、モテすぎて道も歩けなくなっちまうかもな」
なんて、そこまでじゃないか。と楓太は軽い調子で言う。それから俺の顔を見て、苦笑する。
「その表情、既に経験済みって感じだな」
「……まあね」
「否定しないのが腹立つな、おい」
楓太の話は殆ど耳に届かなかった。相槌を打ちながら、俺の頭には楓太が何気なく言った「優しい」の言葉が何度も繰り返し反響していた。
本当に助けたい人には手を差し伸べることすらできない俺は、優しくなどない。
『友達ってのは……そいつが困ってる時、黙って悩みを聞いてやるとか、何もできなくてもそばにいてやるとか』
楓太は、悩んでいても決してそれを口にはしない。ユリさん達や先生に虐めがバレるのも嫌だと言う。
できるだけ楓太のそばにいてやりたいというのも、結局は俺のエゴでしかない。
傷ついていないはずがないのだ。それでも俺の前では決して明るさを失わない楓太を見て、俺にできることはないのだろうかと考える。
校門の前に停められた車に乗り込む。俺はもう慣れたが、楓太は周りから見られることにはまだ慣れていないようで、後部座席に乗り込む時はいつも緊張している。
「どこに行くつもりなんだ?」
「どこって決まってるわけじゃねえんだけど……そうだ。お前、仕事ってどこであるんだっけ。最寄駅どこ?」
「××駅だ」
「じゃあ、近くの本屋に寄ろう」
スマホで駅近くの本屋を調べ、お手伝いさんに運転を任せる。
「何買うんだ?」
「雑誌」
「え?」
「お前の載ってる雑誌。言ったじゃん。買うつもりだって」
楓太は俺と目を合わせず、急かされたように矢継ぎ早に喋り出す。
「お前がくれた雑誌全部チェックしたぜ。ああいう男性向けのファッション誌とか見るの初めてだけど結構服装とか参考になるんだな。あと、女性向けの雑誌にも出てるのはびっくりした。結構はだけた格好もしてんのな。見てるこっちがドギマギさせられるっつーか、もっと見たくなるって思わせられるっつーか。えっと、要するに、か、かっこよかったし、面白かったし、後、あと……なんか、安心した」
安心?
俺が首を傾げると、楓太は頷く。
「この前言ってただろ。周りみたいにはしゃいでみたいけどモデルの仕事があるからできないってさ。お前スカウトされてあの業界入ったらしいし、姉ちゃん達見てるから仕事の大変さもそれなりに知ってるつもりだから。だから、それが本当にお前のやりたいことなのか、周りにやらされてるんじゃないかって、余計な世話だとは分かってるけど心配だったんだ。だけどお前が雑誌に載ってるのこの目で見て、ちゃんと好きでやってるんだなって知れてよかった」
「……楓太」
楓太は照れくさそうに、そしてぎこちなく笑う。「姉ちゃん達には言うな」と言ったあの時でさえ、もっと上手く笑えていたはずだ。
どうして、「傷ついた」ような顔をしてみせるのだろう。
膝の上に置いた鞄の持ち手を握りしめ、楓太は勢いよく俺の方へ振り向く。
「あの、さ。俺、本当にお前のこと尊敬してるし、応援してる。いきなりヤベェことしてきたり変なところもあるけど、それでも友達だと思ってる。友達の足は引っ張りたくないし、迷惑もかけたくないんだ。だから、だからよ、」
その先に何を言うつもりなのか、分かりきっていた。その言葉を聞きたくなくて、言わせたくなくて、俺は楓太の細い手首を掴み、噛み付くようにキスをした。
「んっ……」
間近に迫った瞳が驚きに見開かれる。あの時もそうだった。自分が今何をされているかわからない、といったふうな無防備な体に刻みつけてやる。
俺の思いを。匂いを。記憶を。
「……撤回しないよ。お前を好きになったこと。ごめん。できないんだ」
瞳が潤んでいる。唇はどちらのものかもわからない唾液で濡れ、頬は上気している。肩を弾ませながら、楓太は俺をじっと見つめ、俺の言葉の意味を理解しようと必死になっていた。
「……馬鹿! ばかだろお前、近くに人いんのに、つーかお前モデルだし、誰か撮ってたら、スキャンダルになったらどーすんだよ!」
「なるならなればいい。むしろ、見せつけてやりたいくらいだ。もっと有名になって、お前が俺の好きな人なんだって、世界中に知らしめてやる」
「……っ」
楓太の顔がどこまでも赤く染まっていく。目眩を起こしてくたりと頽れた体を支えてやると、キスをした時以上に楓太の香りを近くに感じた。
楓太がよくつけているフレグランスの甘い香り。アヤメさんは、自分につける前に、体温も背格好も似ている楓太で試しているのだと言っていた。
甘い香りに誘われ、楓太の体を掻き抱き、髪にキスをする。楓太は「ひぇ」と情けない声を上げ、されるがままでいた。
「楓太。俺のこと、凛って呼べ」
「……え」
「俺のことが好きなら、名前で呼んでくれ。友人関係を続けたいならそのままでいい。無理強いはしない」
無理強いはしない、と言いながら、俺は楓太の目をじっと見つめる。こうすれば楓太が俺に逆らえないことを知っていた。
卑怯者だと笑えばいい。だが、こんなに可愛い楓太を俺以外の誰にも奪わせたくない。
楓太は視線をうろうろと彷徨わせる。右を見て、左を見て、逃げ場がないと知ると俺を真っ直ぐ見つめ、すぐに逸らす。
それを何度か繰り返し、決心がついたのか、唇を「い」の形に広げる。
その瞬間、スピードを落としていた車が緩やかに停車する。
「お坊ちゃん、晴中様。到着しましたよ」
お手伝いの男は、俺達の方を振り返り、イタズラっぽく笑う。楓太は俺の腕を振り解くと、「俺、先店言ってるな!」と言って、本当に車から出ていってしまう。
楓太に伸ばした手は、虚しく空を掻いた。
「……恨むよ」
「急いては事を仕損じる、ですよ。本当に大切にしたいなら、彼の意思を尊重してあげなさい」
睨みつけると、どこ吹く風とばかりに肩をすくめられた。
次回の更新は3月30日 17時10分投稿予定です。




