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糸目の男と幽霊が視える女の話

掲載日:2026/02/08

 

 幽霊を信じてる人ってどのぐらいいる?


「猫爪ネイルしてもらった〜! 3万はガチえぐい!」


 ギャルの肩に、まるで腕を回すようにかかる腕。


「一度社に持ち帰り検討させていただきます」


 スーツを着た男の隣を並んで歩く、ヒールを履いた足。


「ホント旦那ってばなんにもしないの!」


 主婦達の愚痴に耳を傾けるように、壁に生える耳。


「待ってよー!」


 子供を追うように動く、大きな目。


(――吐きそう)


 私は吐き気を抑えるようにその場に蹲った。




 小さな頃から私には“幽霊”が見えた。


 でもそれは、映画やゲームでよく見るような白装束を着た女でも、血に塗れたグロテスクなものでもない。


 目の前を通り過ぎるカップル。

 女の腰に回された腕、それは両手に荷物を持つ男の腕ではない。


(また手だ……今日はよく見えるな……)


 日常の中に体の一部を貼り付けたような――私が見える幽霊の姿はそういうモノ。


 それらに気付いたからといって、襲われるような事はない。

 しかし、一度気付くと次々と視界に入って来る。


(害はなくても気分が悪い……)


 まるでそんな私を笑うように目の前を足が駆けて行く。

 腹立たしさに吐き気が収まると、私は乱暴に鞄を肩にかけた。


「いったっ!」


 鞄が何かに弾かれる感覚と共に聞こえてきた男の声。


「す、すみません!」


 ――そんな近くに人がいるとは思わなかった。

 振り返ると同時に頭を下げて謝罪すると、煙草の匂いが鼻を掠めた。


 恐る恐る顔を上げると、そこには派手なシャツを着た金髪の男が煙草の煙を漂わせながら私を見下ろしていた。


 瞳が見えないほど細められた目は、緩く弧を描き笑っているように見えるが、視線はどこか冷たかった。


(ぜ、絶対怖い人だ……どうしよう……)


 再び頭を下げて不安に震える手を握り締めると、少しして上から笑い声が降って来た。


「あはは、ビビり過ぎ!」


「へ……?」


「怒ってないって、大袈裟なリアクションして悪かったねぇ」


 男は煙草の灰を落とすと口元にあるホクロを指でなぞりながら私の顔を覗き込んだ。


「キミ、学生さん?」

「は、はい……」

「電車乗ってどーこ行くの?」

「と、隣の県に……」

「なんでぇ?」

「え? オープンキャンパス……」


 何故こんな見ず知らずの男にペラペラと――そう思っていても、まるで意識を切り離されたように口を閉じる事ができなかった。


 男は考えるように唸り声を上げて煙草の火を消すと、肩にかかった髪を後ろに払った。


「やめときなぁ?」


「へ?」


「ここにも大学はあるでしょーに……県外行く必要ないってぇ」


「いや……私は……」


「大人しく帰んなぁ? 忠告はしたからねぇ」


 意味深な言葉を残して男は手を振りながら去って行った。


「いや……予約してるし……」


 胡散臭い男のよく分からない忠告を受けて家に帰るわけにはいかない。


 駅の壁に貼られた禁煙のマークを見て溜息が溢れる。

 私はイヤホンを耳につけて電車に乗り込んだ。



 ――――


(あっ……次で降りなきゃ)


 液晶に次の駅の名前が表示されると、私は開いていた資料を閉じて音楽を止めた。


 吊り革にぶら下がる手が視界に入り、鬱陶しく思いながら視線を横に逸らす。


「えっ……」


 思わず声が出た。

 隣の車両に続く扉の窓――そこに浮く赤い唇。


 口は初めて見た。


 それは何か呼びかけるように大きく開閉を繰り返している。


 背中を冷たい何かが這う感覚。

 本能が逃げろと告げている。


 私はそれを視界に入れないようにしながら、電車が駅に着くのを待った。


 アナウンスが鳴って扉が開くと、私は逃げるように電車から飛び出した。


 あれは一体――



「あっ……!」


 足が縺れて地面に転がると、その弾みでイヤホンが耳から外れる。





「よく来たねー」





 雑音が消え、不気味な女の声が私の耳に届く。


 恐る恐る振り返ると、遠くにあの赤い唇が、紅のついた歯を見せながら笑っているのが視界に入る。



 ――震える足を必死に動かして逃げようとした時、あることに気付いた。



「よく来たねー」


 いつもは私の存在など気にした様子もなく、ただ存在していた、

 つま先が、

 指が、

 耳が、

 目が、

 ()()()が全て私に向いている。


「よく来たねー」


「大丈夫かい?」


 転んだ私を心配して手を差し出すスーツの男の横から、別の腕が私に向かって伸びる。


「や、やめて……」


 それから逃れるように地面を這うと、ヒールを履いた足が、スニーカーを履いた足が、下駄を履いた足が、逃げ道を塞ぐように前に並ぶ。


「いや……なんで……」


 地面に穴が空き、たくさんの目が開かれると、それらは一斉にこちらを向いて瞬きをした。


 今までは、ただそこに在るだけで、私に気付いても何もしてこなかったのに、どうして急に――


「よく来たねー」


 柱に生えた耳が、女の声に耳を傾けるように動く。


 恐怖で振り返る事ができない。

 動く事ができない。


「よく来たねー」


 粘着音と共にかかる声は――私のすぐ後ろから聞こえた。



「だからやめときなぁって言ったのにぃ」


「‼︎」


 煙草の匂い。

 そして、聞き覚えのある声が私の上から降って来た。


「学生は金持ってないから助けるのいやなんだけどねぇ……立てる?」


 差し出された手は一つ。

 そこには、駅のホームで会った糸目の男がタバコを吹かしながら立っていた。


 あの不気味な声は聞こえない。

 確認するように後ろを振り向こうとすると、男は私の顔を掴んだ。


「おいガキガキガキ! アホお前!」


「ちょ……!」


「あっぶなー……もうすぐ電車来るから、はよ立って」


「電車? わ、私大学に……」


「アホ? このままここに留まったら発狂するよ。……これ伊達?」


「はい……」


「ならかけたままの方がいいねぇ」


 男は煙草を咥えて私の眼鏡を奪い取ると、レンズを指紋で塗りつぶすようにベタベタと触った。


「ちょっと! 何するんですか!」


「これ気休めだから、なるだけ俺のことだけ見てて」


 男は私に眼鏡をかけると、手を掴んで階段を駆け上がった。


「どこ行くのー」


 不気味なあの声は言葉を変えて再び私に呼びかけてくる。


 今もすぐ後ろに――


「イヤホンとか持ってないの?」


「さっき落としちゃって……」


「鈍臭いなぁ」


 柔らかい声色に対して棘のある言い方。


「どこ行くのー」


「帰るんだよー」


「どこ行くのー」


「かーえーるーの!」


 握られた手に視線を落とす。

 繰り返される声は、先程までひどく恐怖を煽ってきた。

 しかし、怠そうに返事をする男の声は、そんな私に安心感を与えてくれた。


 電車に乗り込むと声も聞こえなくなり、両親への言い訳を考える程度に余裕が生まれると、私は男に声をかけた。


「あれ、なんなんですか?」


「県出るまでそれ拭いたらだめ」


 視界が指紋で曇って見にくい。

 眼鏡を取って拭こうとすると、男は私の頭を叩いた。


「(痛い……)」


「……んー……幽霊」


「でも――」


「あっ、やっばい」


「どこ行くのー」


 またあの声だ。

 男は視線を向けようとする私の顔を掴むと、悩ましげな声を漏らした。


「もー……帰るんだってぇ」


「どこ行くのー」


「しつこいなぁ」


「おいでー」


「この子は何も知らないの、許してあげてよ」


「ダメ」


 女の声が低く響く。


「ダメ」

「ダメ」

「ダメ」


 否定する声が車内にいくつも響く。

 突然現れた多くの手が激しく吊り革を揺らし、多くの足が床を踏み鳴らす。


 強い恨みの感情が入り込んでくると、私は込み上げる吐き気に蹲った。


「お嬢ちゃん、体調が悪いのかい?」


「だ……大丈夫です……!」


「おいバカ!」


 かけられた声に顔を上げると、目の前にはあの赤い唇があった。


 糸を引きながら開かれた口の奥に何か――


「いっ……‼︎」


 男は私の目に向かって煙草の煙を吹きかけた。

 痛みに目を押さえて悶える私の耳に、男のうんざりとした声が聞こえる。


「……いい加減にしなぁ?」


「ちょうだい」


「はぁ〜〜……」


 男の重たい溜息が聞こえると同時に、男は私を包み込んだ。


 ――煙草の匂いと線香のような匂い。


「おいあんた! 電車の中で煙草を吸うんじゃない!」


「すみませーん、でもニコチン取らないと気が狂いそうでぇ」


「これだから喫煙者は……ちょっと待て! お前痴漢か⁉︎」


「もー最悪ぅ……あとちょっとで越えるから我慢ねぇ」


 耳元で囁かれる言葉に小さく頷く。


 周りには人が集まり、私から男を引き剥がそうとする声が多く聞こえる。


「寄越せ」

「寄越せ」

「寄越せ」


 その中に紛れて聞こえる女の声は、どこか焦っているように聞こえる――私は目を閉じたまま男の腕にしがみ付いた。


「その子を離しなさい‼︎」


「もうちょい」


 男は私を隠すように抱き締めたまま小さく呟く。


「おい‼︎」


 そして――


「……あー、やぁっと越えた」


「は……?」


 男がホッと安堵の息を吐き出すと、私は薄く目を開けた。


「ごめんなさい」


「俺はちゃぁんと忠告したよ」


「ごめんなさい」


「何を言ってるんだお前は――」


「ばいばーい」


 男が私の顔を肩に押し付けるように強く抱き締めた次の瞬間――引き裂かれるような女の叫び声と共に手を叩きつけるような音、そして駆け回るような足音が車内に大きく響き渡る。


 そして、まるで時が止まったようにピタリと全ての音が消えると、男の腕が離れた。



「お疲れ様」


 車内に到着を知らせるアナウンスが流れると、慌てて周囲を見回した。


 腕も足も――あの赤い唇の姿もない。


「こ……怖かったぁ……」


 零れ落ちた言葉と共に体の力が抜ける。

 瞳に涙が溜まると、男は私の頭をぽんぽんと優しく叩いた。


「運が良かったねぇ。もっと遠くだったら難しかっ……んぇ?」


「やっと離れたかこの痴漢め‼︎」


「いや……これには事情が……」


「怖かったね……もう大丈夫よ!」


 扉が開かれると、事情を説明する暇もなく男は引き摺り下ろされてしまった。


「いや違くてぇ……」


「何が違うだ‼︎ 犯罪者め‼︎」


(違う、その人は私を――)


 制服に残る煙草の匂い――それが鼻をくすぐると、私は震える足を動かして、慌てて男の腕を掴んだ。


「ち、違うんです‼︎」


「え……?」


「この人……私の彼氏――」


「違う違う‼︎ 兄です‼︎ この子の兄‼︎」


 男は顔を青くしながら首を振って強く否定した。


 そこまで嫌がらなくても――若干ショックを受けつつも、私は彼に合わせるように首を縦に振った。


「……なんて人騒がせな兄妹だ」







 ――――


「お礼とか言わないからねぇ……元はと言えば君が忠告聞かなかったのが悪いんだから」


「…………」


 騒がせた事を謝罪して駅を出た私達は、近くのコンビニを訪れていた。


 男は設置された灰皿に煙草の灰を落としながら目頭を押さえ、疲れを滲ませた大きな溜息を吐き出した。


「もう県外に出たらダメだよ」


「なんでですか……?」


「知り過ぎない方がいい」


 男の目は細められていて視線の先は分からない。

 しかし、私を見ていない事は分かった。


「これからも幽霊は見えるだろうけど、この県から出なければ危険はない。大学行きたいなら県内で探しなねぇ」


「……ありがとうございました」


「お礼の言葉はいいから、報酬払ってぇ」


「えっ⁉︎」


「何驚いてんの。こんだけ苦労したんだから、ちゃーんと請求するよ」


 男の言葉に血の気が引く。

 男の指に嵌められた指輪、耳についたピアス、腕や首に巻かれたアクセサリーは、どれも高そうに見える。


 顔を引き攣らせながら財布を出すと、男はそれを取り上げて中を覗き込んだ。


「しょっぱ」


「電子マネーなら……」


「俺そういうの使わないのよ。……カートンは無理やね……しょーがない、煙草2箱で勘弁してあげる。行ってきてぇ」


「えっ⁉︎ 私未成年なんですけど‼︎ お金渡すので買ってきてください‼︎」


「いいから! 68番ねぇ」


 男は急かすように私に向かってしっしっと手を動かした。


「さ、最悪……」


 小さな声で不満を口にすると、私はコンビニのレジへと向かった。





 ――男は女を見送ると、指に走る鋭い痛みに声を上げた。


「ッて〜……うわっ、両手の爪全部かよ…………いや、マシな方かぁ……」


 窓越しに“よく視えてしまう女”に視線を向ける。


 守るように、そして拘束するように――彼女の体に巻き付く蛇の体が視えると、男は呆れて溜息を吐き出した。


「助けてあげたってのに……これだから神様は」


 レジに立つ店員の訝しげな視線が向けられると、男は頭を掻いて煙草を灰皿に投げ捨てた。


「金がいいからってホイホイ出張なんてするもんじゃないねぇ」


「ちょっとあんた! 未成年に煙草を買わせるなんて……あれ?」


 店員が外に飛び出して声を荒げる。

 しかし、そこに男の姿はなかった。


「どこ行ったんだ……?」


 地面には血の跡が続いている。

 女がそれを追って視線を先に向けると、狐の尾が路地へと駆けて行った。


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