奇妙な同盟
――死は終わりではなく、もう一つの始まりだった。
篠宮透真は、ある夜、幽霊に出会った。
彼はその幽霊の「死」を回避するため、過去へと遡る決意をする。
だが、目を覚ました先は、異世界だった。
神が祈りを聞き、王が命を下す世界。
透真は“英雄”として召喚され、
少女・悠里と共に「魔王討伐」を命じられる。
戦いの果て、悠里は死に、
透真が討った“魔王”の正体は、かつての幽霊――神王エマだった。
神殺しの罪を背負わされ、透真は処刑される。
しかし、時は再び巡る。
気づけば、異世界へ来た最初の日。
透真は笑った。今度こそ、奪われない。
神と幽霊と、人の罪。
そのすべてを越えて、彼はもう一度、
彼女たちのいる“未来”を取り戻す。
透真は暇を見つけては悠里を誘い、城内を散策していた。
それはもはや日課となり、二人が並んで歩く姿は、城の人々にとっても見慣れた光景となっていた。
最初のうちは物珍しさから歩いていたが、
いつしか石畳の回廊も、吹き抜ける風の音も、まるで我が家のように感じるほどになっていた。
――それは、透真の計画の第一段階だった。
次の段階として、彼は城の外へ出ることを考えた。
悠里を誘い、城下町を歩こうとしたその日――レオンが当然のように同行を申し出た。
仕方なく許可したが、道中、レオンは終始、行き先を誘導するように歩いた。
さりげないようで、確実に監視の意図がある。
“魔王軍に脅かされる世界”という、あの偽りの舞台が綻びを見せぬようにするためだ。
二度、三度と城下町へ出かけようとしたが、どの回もレオンは必ず同行した。
表向きは護衛だが、実際は監視――それは透真にも明白だった。
それでも、城内にいる間は比較的自由だった。
人の目も慣れ、最初ほど警戒されることもない。
廊下を歩き、塔に上り、庭園を抜け、食堂へと足を運ぶうちに、透真の中でこの城の構造が少しずつ形になっていく。
――やがて、城の地図は透真の頭の中に、完璧に描かれるようになっていた。
そして透真は目標を定めた。
レオンや精鋭の兵士とは明らかに雰囲気が違う。
あの優しく微笑む瞳の奥には、常に怯えが潜んでいた。
そう――あの白髭の自称王様だ。
毎日の散策では、彼の姿を見かけることはほとんどなかった。
王様なのに城内で見かけない?
騙すためにせっかく作った“魔王軍シナリオ”の詰めが甘い。
それとも、彼はマレウスたちから重要視されていないということか。
透真はその疑問を確かめるため、散策に見せかけて尾行を始めた。
驚いたことに、彼の住居は城内ではなく――
中庭の外れに、ひっそりと佇む一軒の屋敷だった。
夜露に濡れた石畳の上、風に揺れる木々の枝が影を落とす。
屋敷の壁は黒ずみ、ひび割れた漆喰には苔が這っている。
城が家だとすれば、それはまるで犬小屋のような扱い。
そんな屈辱的な環境に置かれている偽王に、透真の興味はますます深まった。
そして――新月の夜。
月明かりひとつない闇が、城を沈黙で満たしていた。
透真は身軽な服装に剣を一振り携え、顔を黒布で覆った。
目だけを覗かせるその姿は、闇に溶けた影のようだった。
風の流れに身を合わせながら、足音を完全に殺す。
一応は城壁の内側だからなのか、屋敷の警備は驚くほど甘かった。
泥棒など想定していないのだろう。
透真は、わずかに開いた窓を見つけ、息を潜めながら指先で静かに押し上げた。
――ギィ、と小さく木が軋む。
その音に反応する気配はない。
外気とともに、古びた木の匂いと湿った埃の空気が流れ出た。
透真はゆっくりと身体を滑り込ませ、闇に溶けるように部屋の中へ足を踏み入れる。
中はひどく静かだった。
閉ざされた空間には風の流れもなく、ただ長年使われていない木の床が冷たく沈んでいる。
壁に掛けられたランプは火が落ち、蝋の匂いだけを残していた。
男の寝室は、どう見ても透真の部屋に比べて質素だった。
装飾はなく、家具も最低限。
石壁にはひびが走り、窓際のカーテンは色褪せている。
そしてベッドの大きさも、王の寝台とは到底思えないほど小さい。
――やはりマレウスにとって、こいつは重要人物では無い。
胸の奥でそんな言葉が漏れた。
透真は剣の柄に指を添え、静かに床板の軋みを避けながら、寝台の影へと歩を進めた。
足音を消し、寝台の傍らまで忍び寄る。
蝋燭の火はすでに落ち、薄闇の中では寝息だけが微かに響いていた。
透真は静かに息を整え、剣を抜く。
刃が鞘を離れる音が、わずかに空気を震わせた。
――今だ。
透真は熟睡する偽王の身体に跨る。
その瞬間、布団のきしみがやけに大きく聞こえた。
寝息が途切れる。
透真は一気に剣を首元へ押し当て、同時に左手で口を塞いだ。
偽王の身体がびくりと跳ね上がる。
目を見開いたまま、恐怖で声を失っている。
喉が震えても、口は完全に塞がれて声が漏れない。
透真は鋭い眼差しを向け、低く、はっきりとした声で囁く。
「大声を出したら殺す。妙な動きをしたら殺す。……理解できたら三回瞬きをしろ」
偽王は焦ったように、瞬きした。
――三回。
だが、その速さがあまりにも早すぎて、透真は眉をひそめた。
「おい、本当に理解できてるのか? 今の三回で合ってるか?」
今度は、ゆっくりと、間を空けて三度瞬きをした。
「よし、手を離すが――大声で話すなよ」
そしてまた、三度の瞬き。
透真はそれを確認すると、慎重に手をどけた。
その瞬間、偽王が真っ先に口を開いた。
「誰だお前は、どこのガキだ」
暗がりの中で、かすれた声が漏れた。
透真は剣を構えたまま、冷ややかに目を細める。
「おい、口には気をつけたほうがいいぞ」
言葉と同時に、首元へ添えた剣にわずかに力を込めた。
刃先が皮膚をかすめ、汗の粒がつうっと流れ落ちる。
「わ、わかった……分かりました」
「逆に俺から聞かせてもらうが、あんた何者だ? 役者か何かか?」
「や、役者? そんな分け無いだろう」
「怪しいな……この髭は本物か?」
透真は片手で偽王の顎を掴み、真っ白な立派な髭をぐいと引っ張った。
「痛い痛い、なにするんだ! 本物に決まってるだろ!」
「いや、あんたの“王様の演技”。やたらと大仰で怪しいんだよな」
透真が皮肉を込めて吐き捨てると、偽王は目を丸くした。
「……何だお前、ワシの演技を見ていた人間か?」
「ああ。それで――お前は何者だ?」
短く問い詰める。
偽王はその声に小さく肩を揺らし、しばし黙り込んだ。
やがて、険しい顔で透真を見上げる。
「お前、この街の人間では無いな」
その言葉に、透真の眉がぴくりと動いた。
次の瞬間、剣の切っ先を強く押し付ける。
「なんだ、この状況で詮索か? 髭と一緒に首を落とされたいみたいだな」
「わ、分かった! それか……ワシの知名度が低いかのどちらかだ」
乾いた笑いとともに、偽王はため息を吐いた。
その諦めたような声に、透真は剣を少しだけ緩める。
「……ワシの名前はドルマン。この街の市長をしている」
「市長?」
「そうだ、なにか文句でも?」
狭い寝室に、わずかな沈黙が落ちる。
透真は部屋の中をぐるりと見回した。
質素な机、割れかけたランプ、寝台の小ささ。
「いや、市長にしては質素だな」
「悪かったな……これも全部、マレウスのせいだ」
ドルマンの声には、どこか疲れと憎しみが滲んでいた。
「あのクソ野郎の計画は知っている」
透真の低い声が闇に溶けた。
その言葉に、ドルマンは一瞬まばたきを止める。
「そうなのか?」
「子供二人に魔王討伐とか……ふざけた演技をするんだろ?」
透真の視線が鋭く光る。
ドルマンは、ふてくされたように鼻を鳴らした。
「そうだ。まったく、なんで市長のワシがそんな劇団みたいなのに参加しないといけないんだ」
「あんたは楽しんでるのかと思ってたよ」
「楽しいわけあるか。ワシはピエロか?あんなガキどもに演技して……ガキ?」
そこで、言葉が止まった。
沈黙。
次の瞬間、ドルマンの目が大きく見開かれる。
薄暗い部屋の中で、蝋燭の灯がその瞳に映り、恐怖の色を浮かべた。
――気づいた。
目の前の相手が、そのガキであると。
「……なるほど、気づかれてしまったか。ならば――生かしてはおけない」
ドルマンの喉が鳴る。
しかし、その震えを隠すように、かすれた声で吐き捨てた。
「まてまて! ワシは何も知らん! 何も見てない! お前のことも知らん!」
ドルマンの声が裏返る。
怯えたように肩をすくめ、首を引っ込めるその姿は、威厳とは程遠かった。
そんなドルマンに、透真は思わず息を漏らした。
口元がわずかに緩む。
そのまま剣を引き、ゆっくりと鞘に納める。
金属が擦れる鈍い音が、静まり返った寝室に響いた。
そして、軽く笑みをこぼしながらドルマンの胸を“ポン”と叩く。
まるで「落ち着け」とでも言うように。
そのままベッドから降り、足元の絨毯に無音で着地する。
「冗談だよ。……話を聞いた感じだと、俺とあんたは協力できそうだ」
ドルマンはまだ半信半疑で、慌てた表情をしながら首を左右に振ると、自分の髭の無事を確かめる。
「なんだ? どういうことだ」
「ドルマンさん、じっくり話そうじゃないか。
あんたも今の状況から抜け出せるかもしれない」
透真はゆっくりと椅子を引き寄せ、ベッド脇に腰を下ろした。
木の脚が床を擦る音がかすかに響き、空気が再び落ち着きを取り戻す。
蝋燭の炎がゆらめき、二人の影が壁に長く伸びた。
ドルマンも深く息を吐き、ようやく上体を起こす。
寝乱れた衣を整えながら、重たげにベッドの端に腰を下ろした。
外では風が木々を揺らし、窓の隙間から夜の冷気が静かに流れ込む。
長い沈黙ののち、透真とドルマンは視線を交わした。
――奇妙な同盟の幕開けだった。




