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オタクの知識が前フリだけの異世界  作者: 大山ヒカル


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34/34

どうしようもない

 レストランを後にして、三人は通りを歩いていた。


 昼下がりの街は、相変わらず人で賑わっている。

 だが――


 三人の間だけ、空気が沈んでいた。


 誰も口を開かない。


 靴音だけが、やけに大きく響く。


 先を歩くブルハは、その重さに耐えきれなくなったのか、ふと苦笑を浮かべて振り返った。


「澪はまだ、この街をよく知らないのだろう」


「ええ、そうね」


 短い返事。


 澪の視線はどこか遠くに向けられていた。

 今もなお、先ほどの光景をなぞっているようだった。


 その空気を変えようとするように、悠里が少しだけ明るい声を出す。


「そうだ、先生。前に見た、凄く大きい建物を見せてあげたらどうかな」


 普段の無邪気さとは違う、どこか探るような言い方だった。


 ブルハは一瞬だけ目を細める。


 ――気を使われている。


 その事実が、少しだけ胸に刺さった。


 足を止める。


「澪、悠里」


 呼びかける声は、先ほどまでとは違っていた。


 澪が顔を上げる。


「うん?」


 ブルハの瞳には、はっきりとした意思が宿っていた。


「二人とも……すまない」


 一度、言葉を切る。


 喉の奥で、何かを押し殺すように。


「サンクトリアの人間としては、とても恥ずかしい光景を見せてしまった」


 その言葉に、澪はすぐに小さく笑みを浮かべた。


「ブルハが謝ることじゃないでしょ」


「そうだよ、先生。なんだからしくないよ」


 悠里も軽く肩をすくめる。


 二人の反応は、あまりにも自然だった。


 だからこそ、ブルハは一瞬だけ言葉を失う。


 やがて、気まずそうに頬を掻いた。


「……そう、か」


 澪は一歩だけ距離を詰める。


「それに、ブルハが止めてくれたんでしょう?」


 まっすぐに言う。


「私たちを守ろうとしてくれたこと、むしろお礼を言わせてちょうだい」


「うんうん」


 悠里が大きく頷いた。


 ブルハは一瞬、ぽかんとした顔をした後――

 少しだけ照れたように笑った。


 そんなブルハの腕を、悠里がぐいっと掴む。


「さあ、行こう」


「あ、ああ」


 引っ張られるようにして歩き出すブルハ。

 その背中は、先ほどよりほんの少しだけ軽くなっていた。


 二人の後ろ姿を見ながら、澪は小さく息を吐く。

 胸の奥に沈んでいた重さが、わずかに和らいだ。



 この街の中心には、大きな石造りの教会が建っていた。


 白い石で組み上げられたその建物は、周囲の建築とは一線を画している。

 高く伸びた尖塔は、空を突き刺すようにそびえ立ち、遠くからでもその存在を主張していた。


 壁面には細やかな彫刻が施され、陽光を受けて淡く輝いている。


 まるで、この街そのものを見守っているかのようだった。


 その圧倒的な存在感に、初めて訪れた者は思わず足を止める。


 悠里もまた、初めてここを見た時――

 ただ立ち尽くし、見上げたまま、言葉を失っていた。


 その時の感動を思い出したのか、悠里は嬉しそうに澪を振り返る。


「ほら澪さん、ここだよ。凄いでしょ」


 誇らしさの混じった声だった。


 澪は足を止め、ゆっくりと視線を上へと向ける。


「ええ……これは見事ね」


 思わず息を呑む。


 その言葉に偽りはなかった。


 積み重ねられた石の重み。

 緻密に計算された造形。

 人の手でここまでのものを作り上げたという事実。


 それらすべてが、見る者を圧倒する。


 しばらく見上げたまま、澪は小さく息を吐いた。


 ただ純粋に、感嘆していた。


 その様子を横目に、ブルハは穏やかに微笑む。


「この街でも一番大きな教会だ。歴史もかなりのものだよ」


 静かな口調だったが、その言葉には確かな重みがあった。



 その時――


 教会の鐘が、澄んだ音を響かせた。


 空気を震わせるような重厚な音が、街の中心に広がっていく。


 それに呼応するように、教会の大きな扉がゆっくりと開かれた。


 次の瞬間――歓声が上がる。


 どうやらちょうど結婚式が行われていたらしい。


 白い光の中から、新郎と新婦が姿を現した。


 周囲に集まっていた人々が、一斉に祝福の声を上げる。


 花びらが舞う。


 柔らかな光の中で、新婦のドレスはひときわ白く輝いていた。


 二人は、そのすべてを受け止めるように歩みを進める。


 その表情は――疑いようもなく、幸せそのものだった。


「うわぁ、綺麗……」


 悠里の口から、自然とため息がこぼれる。


 その瞳には、まっすぐな憧れが宿っていた。


 そんな悠里を見て、ブルハは少し感心したように言う。


「悠里も年頃の女の子だったか」


「どういう意味だい、せ・ん・せ・い!」


「いやいや、悠里が可愛いって意味だよ」


 軽口を叩くブルハに、悠里は納得いかない様子で食い下がる。


 そのやり取りに、澪は小さく笑みを浮かべた。


 穏やかな時間だった。


 ――だからこそ。


 澪の視線は、不意に教会の入り口へと引き寄せられる。


 新郎新婦の背後から、一人の老人が姿を現した。


 年老いた牧師。


 祝福するように、静かに微笑んでいる。


 だが――


 澪は、その瞳にわずかな違和を覚えた。


 ほんの僅か。

 言葉に出来ないほどの“ズレ”。


 澪の視線に気づいたのか、ブルハが小さく息を吐く。


「あれか……」


 低い声だった。


 ブルハの見つめる先で、牧師は新婦へと歩み寄る。


 その瞬間――


 歓声が、ぴたりと止んだ。


 まるで最初から無かったかのように。


 遠くて言葉までは聞き取れない。


 だが、牧師が何かを告げたのだと分かった。


 新郎は目を伏せ、唇を強く噛み締める。


 何も言わない。


 新婦は――ただ静かに頷いた。


 牧師がその腰に手を回す。


 距離が近い。


 近すぎる。


 耳元で何かを囁く。


 そして――


 その手が、ゆっくりと下へ滑り落ちた。


 布越しに、新婦の身体をなぞるように。


 ためらいもなく。


 まるで当然のように。


 指が止まる。


 そして、確かめるように――撫でる。


 新婦は動かない。


 表情も変えない。


 ただ、受け入れていた。


 周囲もまた、同じだった。


 誰も目を逸らさない。

 誰も止めない。


 ただ、黙って見ている。


 それが当然であるかのように。


 牧師は満足したように小さく頷くと、そのまま新婦を伴って教会の中へと歩いていく。


 新郎は動かない。


 その場に立ち尽くしたまま、ただ見送るだけだった。


 重たい扉が閉じる。

 再び、鐘の音が鳴り響いた。



「初夜権というやつだ」


 ブルハの声は冷たかった。


「文字通り、花嫁の初夜の権利。それを聖職者が持っている」


 その言葉に、澪は何も返さなかった。


 ただ――ブルハの横顔を見る。


 澪には分かっている。


 その表情の意味が。


 歯がゆさ。

 怒り。

 そして、どうにも出来ないという深い無力感。


 澪と悠里は、この国に来てまだ日が浅い。


 だからこそ、あの光景に対して純粋に怒りを感じることが出来る。


 だが、ブルハは違う。


 この国に生まれ、この世界で生きてきた人間だ。


 あれは常識であり、日常の一部。

 多くの人間は、それを受け入れている。


 避けることの出来ない現実として。

 人生の中にある、どうしようもない苦難の一つとして。


 だからこそ、諦める。

 諦めて、折り合いをつけて、生きていく。


 だが――


 ブルハは、それをしていない。

 受け入れていない。

 受け入れられずに、ただ自分の中に押し込めている。

 その結果として、今もなお苦しんでいる。


 澪は、自分の中でブルハへの認識を静かに改めていた。


 この人は、優しい。


 そして――


 優しさを捨てられないほどに、強い人間だ。


 気が付くと、澪は手を伸ばしていた。

 強く握りしめられたブルハの拳。

 その手を、そっと包み込む。


「澪?」


 驚いたようにブルハがこちらを見る。

 澪は、小さく頷いた。


「行きましょう」


 それだけを言う。

 それで十分だった。


 澪はそのままブルハの手を引き、悠里の腕を軽く掴む。


 三人の身体が、同時に動いた。


 教会から離れる。

 あの場所から、離れる。


 背後で、鐘の音が鳴っていた。






「ノア、そろそろみんなを呼んできてください」


「わかりました」


 炊事場で夕食の用意をしていたクラリスは、手を止めずに声をかけた。


 鍋から立ち上る湯気。

 刻まれる野菜の音。


 温かな匂いが、室内に広がっている。


 テーブルに皿を並べ終えたノアは、小さく頷くと外へ向かった。


 扉を開けると、柔らかな風が頬を撫でる。


 庭では子どもたちが走り回っていた。


 土を蹴る足音。

 弾けるような笑い声。


 その中心に向かって、ノアは声をかける。


「みんな、そろそろご飯の時間ですよ」


「はーい!」


 子どもたちは口々に返事をしながら、ぱたぱたと駆け寄ってくる。


 この教会には、孤児となった子どもたちも暮らしている。


 事情はそれぞれ違う。


 だが、ここでは皆同じように笑っていた。


 それが出来ているのは――クラリスのおかげだ。


 母親のように子どもたちの世話をしながら、この場所を守っている。


 その手伝いが出来ることを、ノアは嬉しく思っていた。


「ノアねーちゃん、これあげる」


 一人の男の子が、小さな手を差し出す。


 そこには、一輪の花があった。


「うわぁ、きれいなお花だね。ありがとう」


 ノアは目を細めて受け取ると、そっとその子の頭を撫でた。


 柔らかな仕草だった。


 それを見た子どもたちが、次々に集まってくる。


「ずるい、わたしも!」

「オレも!」


「みんな順番にね」


 ノアは少し困ったように笑いながら、一人ひとりの頭を撫でていく。


 その手つきは、どこまでも優しかった。


 その時――


「ノアー!ただいまー!」


 明るい声が響く。


 振り返る間もなく、悠里が駆け込んできた。


 そのまま勢いよく子どもたちを抱きしめる。


「わっ!」

「きゃー!」


 途端に、庭は一気に騒がしくなる。


 笑い声が重なり、空気が弾けるように明るくなる。


「お帰り、悠里ちゃん」


 ノアはその光景を見て、自然と微笑んだ。


 そして視線をその奥へと向ける。


「お帰り、澪」


「ただいま、ノア」


 澪の顔には、わずかに疲労の影があった。


 しかしノアは、そのことを口にすることはない。


 ただ静かに頷く。


「うん」


 ノアは子どもたちを促し、そのまま三人は教会へと戻る。


 扉をくぐると、ちょうどクラリスが出迎える形となった。


「おかえりなさい」


「ただいまー」


 悠里は子どもたちに手を引かれながら、夕食の並んだテーブルへと歩いていく。


 楽しげな声と、温かな匂いが広がっていた。


 澪はその様子を一瞬だけ見てから、クラリスのもとへ歩み寄る。


「ただいま、クラリス」


「成果はどうでしたか?」


 透真の行方の手がかりのことだ。


 澪は軽く笑い、後頭部をかく。


「まあまあってところかしらね」


「そうですか。ちょうど夕食も出来たところです。手を洗ったら座って下さいね」


「いつもありがとう」


 自然に出た言葉だった。


 心からの言葉。


 それを受けて、クラリスはいつものように優しく微笑む。


 そのやり取りは、何も変わっていない。


 全員が席に着くと、クラリスは神への感謝の言葉を捧げた。


 胸の前で両手を組む。


 子どもたちも、それに倣う。


 静かな祈りの時間。


 クラリスの言葉に続き、全員が声を重ねる。


「それでは、いただきます」


「いただきます」


 食事が始まる。


 皿の触れ合う音。

 子どもたちの笑い声。


 見慣れた光景。


 そのはずだった。


 だが――


 今の澪には、それがどこか違って見えていた。


 祈りの言葉。


 それは、この世界では“実在する神”へ向けられたものだ。


 そして、その神が庇護する聖職者たち。


 この国は、その存在によって成り立っている。


 この教会もまた、その恩恵の中にある。


 だからこそ――


 ここにいる子どもたちは、こうして笑っていられる。


 温かい食事を取ることが出来る。


 居場所を持つことが出来る。


 そのすべてが、あの“構造”の上に成り立っている。


 その事実が、今日一日で違って見えていた。


 澪はスプーンを手に取り、クラリスの作ったシチューを口に運ぶ。


「……美味しい」


 変わらない味だった。


 やわらかく煮込まれた具材。

 身体に染み込むような温かさ。


 そこに込められたものが、伝わってくる。


 クラリスの愛情。


 それは疑いようがなかった。


 今日一日で、世界の見え方は変わった。


 だが――


 この味は、何一つ変わっていない。


 その事実がかえって、澪の心に重くのしかかっていた。

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