性欲の正体は肉体?それとも意識?
真っ黒な世界。
自分が目を閉じているのか。
それとも目を開いているのか。
それすらも分からない。
今の透真は、自分がどんな状態にあるのかすら理解出来ていなかった。
――どうなってる?
その問いは声に出したのか。
それとも、ただ思考しただけなのか。
それすらも分からない。
すべてが不確定であり。
そのことだけが確定できた。
どれだけ時間が経ったのか。
それとも、ほんの一瞬の出来事だったのか。
気が付くと自分の指先に感覚があるのが分かった。
それは何かに触れている。
これは触覚だ。
透真は指先を動かした。
何度か触れて、それが何なのかを確かめようとする。
すると――
トン。
トン。
指先で触れる度に、何かを叩く音が聞こえた。
透真はその音に気付く。
今、自分の指が何かに触れているのだと。
そして、それを叩いているのだと。
聴覚が、その事実を教えてくれた。
何度も指先を動かす。
トン。
トン。
トン。
その繰り返しの中で、透真はゆっくりと思い出していく。
自分には肉体がある。
そして――
自分は今、呼吸をしている。
胸がわずかに上下していることに気付いた。
空気が体の中へ入り、また出ていく。
次第に、感覚が戻ってくる。
まるで――
五感が一つずつ再起動していくようだった。
自分は何を叩いているのだろう。
ふと気になって視線を落とす。
そこにあったのは、革製のソファーの手すりだった。
重厚感のある赤いソファー。
その瞬間、透真は自分の視覚が戻っていることに気付いた。
人差し指が、無意識にトントンと手すりを叩いている。
その動きをぼんやりと眺めていた。
すると――
可愛らしい声が聞こえてきた。
「それ、楽しそうには見えないね」
「ああ」
無意識に返事をしていた。
透真は声のした方へ、ゆっくりと視線を滑らせる。
自分が座っているソファーの前。
そこに、一人の女性がいた。
膝を抱え込み、こちらを見つめている。
無垢な瞳。
透真をまっすぐに見つめていた。
一拍の静寂。
その後、透真の意識はその女性へと向いた。
「あんた誰だ」
「ふふふ」
女性の表情が笑みに変わる。
可愛らしいのに、どこか不気味さの混じった笑みだった。
女性はゆっくりと立ち上がる。
その瞬間――
彼女の背後に、ソファーが現れた。
まるで、そこに最初からあったかのように。
女性は振り向きもしない。
そのまま体を預けるように、背後のソファーへ腰を下ろした。
透真は、その様子を黙って見ていた。
そして周囲を見回す。
真っ白な空間だった。
どこまでも続く、白。
壁も、天井も、境界すら見えない。
「私は――」
その声に、周囲を見ていた透真の視線が女性へと吸い寄せられる。
「君たちが悪魔と呼んでいる存在だよ」
「悪魔?」
その言葉を口にした瞬間、透真の記憶が蘇った。
そして、一人の顔が頭に浮かぶ。
「そうか。ノアの知り合いか」
「ふふふ、そうかもね」
また、あの笑みだった。
可愛らしいのに、どこか歪んでいる。
言葉に出来ない不気味さが、この女性にはあった。
「あの悪魔は、確かにわたしの計画のために機能していたね」
その言葉に、透真は眉をひそめる。
違和感。
思わず口が動いた。
「機能だと?」
「うん」
短く答えると、女性は透真を見つめる。
まるで――
何かを計測しているかのような視線だった。
「本人の意志とは関係ないし、必要ですらないよ」
足を組み替える。
それでも視線は、透真から外れない。
「何を思おうと。何を感じようと」
女性は静かに続けた。
「それらすべて、終着へ繋がる道。ただ、それだけ」
「悪い。言ってる意味が分からない」
透真がそう言うと、女性はふっと肩の力を抜いた。
まるで子供のように両足を投げ出し、ソファーの背にもたれかかる。
「それでもいいよ」
楽しそうに、微笑む。
「キミがここに居るという事実が、道として機能していた証明なんだから」
「そうか……」
今度は透真が背もたれに体を預けた。
頭を乗せ、視線を上へと泳がせる。
「なんだか……どうでもいい気がするな」
「ふーん」
女性は少し身を乗り出し、透真の顔を覗き込む。
「なんだか、まるで賢者タイムみたいだ」
透真はぼんやりとした声で続けた。
「あんたみたいなエロい女を前にしても、なんにも思わない」
透真の言葉を聞いた瞬間、女性はその場で立ち上がった。
その気配に気付き、透真は視線を女性へ向ける。
「エッチ!」
女性は身を守るように、両手で自分の身体を抱きしめる。
だがその仕草のせいで、かえって豊かな胸が強調されていた。
「そんな目でわたしを見ないで!」
「……」
透真は何も言わなかった。
しばらく無言で見つめたあと、再び頭を背もたれに預ける。
そしてまた、視線を上へと泳がせた。
女性は何事もなかったかのように再びソファーへ腰を下ろす。
「恥じらいを見せた美女でも、何も感じない?」
「ああ」
透真は淡々と答える。
「それが残念なことのようにも思えるけど……」
少しだけ間を置く。
「どうでもいい気がする」
無表情な透真の様子を見つめると、女性はにやりと笑みをこぼす。
「人間と神の違いの一つは、執着心なんだよ」
「唐突になんだ?」
透真は背もたれから身を離すと、女性に向き直った。
「恋愛という罪に溺れる為の必要な要素。それが執着心」
女性は静かに言葉を続ける。
「キミはわたしに恋愛を抱けない。キミの愛は平等。全てを愛することしか出来ない」
「つまり、俺は神なのか?」
「うん、そうだよ」
あっさりとした答えだった。
「そうか」
透真は少しだけ視線を落とす。
「神っていうのは、可哀想なんだな」
その言葉に、女性はゆっくりと立ち上がった。
そして静かに透真へ歩み寄る。
透真の目の前まで来ると、優しく微笑んだ。
「うふふ、キミはすごいね」
女性は中腰になると、透真と視線を合わせる。
顔がゆっくりと近づく。
そして次第に息のかかる距離まで詰めた。
「まだそんな感情が残っているなんて」
次の瞬間。
女性は透真に抱きついた。
柔らかな温もりが伝わる。
だが――
耳元で囁かれた声には、感情がなかった。
「だけど」
静かな声。
「キミには、そんな感情は必要ないよ」
その言葉と同時に――
透真の意識は、唐突に遠のいていく。
視界がぼやける。
思考が沈んでいく。
そして。
透真の首には――
想綴がかけられていた。




