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オタクの知識が前フリだけの異世界  作者: 大山ヒカル


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24/34

無自覚なオタクがひとり

 目の前の状況に顔を引き攣らせながらも、透真は恐る恐る声をかけた。


「みんな一緒だなんて、奇遇だな」


 その言葉に、エマは鼻を鳴らす。


「おふたりは、どうして一緒に――しかも腕を組んで。

 腕を組んで歩いていたのですか?」


 強調するように、二度繰り返す。


 次の瞬間、悠里が透真の腕へと飛びつき、両腕をぎゅっと絡めた。


「どういうことだい、透真!」


 頬を膨らませて抗議するその仕草が、あまりにも可愛らしくて。

 透真は反射的に、悠里の頭を撫でていた。


「違うんだ、何か勘違いしてるんじゃないか?」


 助けを求めるように、ノアへ視線を送る。


 目の前の状況におたおたとしながらも、ノアは事情を説明する。


「こ、これは偶然なんです」


「へぇ~偶然ですか。何が偶然なんですかねぇ~」


 エマの疑いの視線が、ゆっくりと透真からノアへ移る。


「今朝、露天風呂に入ったら偶然透真さんと一緒になって。それで街を案内する話になって」


「「お風呂?」」


 エマと悠里の声がぴたりと重なった。

 そして同時に、透真へ突き刺さる視線。


「そうなんだよ、まさに奇遇だな……」


 苦笑いで誤魔化す透真。


 だがエマは、はっとしたように顎へ指を添え、真剣な表情で考え込み始めた。


「どういうこと? 露天風呂って混浴だったのかしら?

 完全に見落としていました……。そんな絶好のチャンスが転がっていたなんて。

 サラ、あなた気付いていた?」


「いえ、わたくしもそのような掲示は確認しておりません」


 冷静に答えるサラ。


 そして、ゆっくりと透真へ視線を向けた。


「透真、あなた……ラッキースケベというのも実行したのですか?」


「ちょっと待て! そんなわけあるか!

 そもそもどこでそんなオタク用語を覚えたんだ!」


 エマは、少しだけ頬を染めて視線を逸らす。


「幽霊の頃に、少々……」


「いつの間に……」


 透真が呆れた瞬間、腕が強く引かれた。


「ボクも後で一緒にお風呂入る!」


 悠里がさらに密着してくる。

 透真はまた無意識に頭を撫でてしまう。


「いや、だから違うんだって」


 そのやり取りを見ていたノアが、ついに我慢できなくなったように声を上げた。


「あの!」


 全員の視線が、一斉にノアへ集中する。


 ノアは唇を噛み、視線を落とした。

 そして意を決したように顔を上げる。


「実はボク……男なんです」


 ――凍りつく空気。


 硬直するエマと悠里。

 完全な沈黙。


 そして――


 透真の深いため息だけが、静かに漏れた。




 パチパチパチパチ。

 静まり返っていた空気を破るように、拍手の音が響いた。


 今まで静観していた澪が、目を細め、今にも「ブラボー」と叫び出しそうな感動した表情でノアを見つめている。


「ノア、今の空気でよく言えたわね。頑張ったわ」


 そう言うなり、澪はノアを優しく抱きしめた。

 そして褒めるように、ぐりぐりと頭を撫で回す。


「ちょ、ちょっと澪、なんなの?」


 状況が理解できず、ノアは完全に困惑している。

 しかし澪はお構いなしに愛情を注ぎ続けた。


「そうなの、この子――ノアは男の子なのよ! 可愛いでしょ?」


 誇らしげに言い切る。


 混乱しながらも、エマがなんとか言葉を絞り出した。


「ノアさんが……男の娘……」


 呆然としたまま呟く。


 そして悠里も遅れて反応する。


「ほんとに!? 男の子!?」


 二人は示し合わせたように、ノアを囲む。

 上から下まで、遠慮のない視線でじろじろと観察した。


「うそ……この格好はなんなのです?」


 いたたまれなくなったノアは、顔を真っ赤にしてもじもじと身を縮める。


 そこへ、得意げに胸を張った澪が答えた。


「趣味よ!」


 断言だった。


 エマと悠里は、言葉を失ったまま澪を見つめる。

 数秒の沈黙。


 そして――


 どうやら「趣味なら仕方がない」と結論づけたらしい。

 二人は同時に、妙に納得した表情で頷いた。




「で! どういうことなんです!? 男性だからってそんなの関係ないですよ!」


 納得した瞬間、追及が再開された。


「そうだよ! ずるいよ!」


 二人は同時に透真の腕を掴み、左右から容赦なく引っ張る。

 ぐい、ぐい、と身体が揺さぶられた。


「むしろ男の娘! むしろお得だという噂です!」


「何を言ってるんだお前は」


「おデートって言うのですよね! おデートなんて私もしたことがないのですよ!」


「いったい何のアニメ観てたんだよ……」


「ボクもおデートしーたーいー!」


 交差点の中央。

 人々が行き交う真ん中で、場違いな騒ぎが繰り広げられていた。


 ――にもかかわらず。


 誰一人として、こちらを見ない。


 人々は自然に透真たちを避けるように歩き、流れるように通り過ぎていく。

 まるでそこに、何も存在していないかのように。


 見えない壁でもあるかのように、空間だけがぽっかりと空いていた。


 無表情というわけではない。

 笑い声もある。会話もある。日常の活気もある。


 ただ――


 透真たちだけが、その世界に含まれていない。


 最初にその異様さに気付いたのは澪だった。


 笑い声がすぐ横を通る。

 だが、その視線は一度もこちらへ向かない。


「なんだか……気持ちが悪いわ」


 周囲の喧騒と、自分たちの位置を見比べる。

 すれ違う人々の瞳を、一人ずつ観察する。


「まるで、視界に入っていないかのようね」


 盛り上がるエマと悠里を、低く抑えた真剣な声音が遮った。


「おふたりさん。どうやら周りも、おかしなことになってるみたいよ」


 二人を嗜めるような言葉だったが、嘲りは混じっていない。

 その声に含まれた異様な確信に、エマの表情が瞬時に引き締まる。


 澪の言葉に、全員が周囲へ視線を巡らせた。


「確かに異様ですね。小さな子供が指差して『ママあれなに?』『見ちゃいけません』と言う民が居てもおかしくない状況です」


「今日のエマは絶好調だな……」


 軽口を叩きながらも、透真の表情は崩さずに硬いままだ。


 既にサラはエマの背後に回り、周囲を警戒している。

 いつでも主人を庇える位置。視界の確保も死角の排除も万全だった。


 その時、悠里が突然、両手をメガホンのように口元へ当てる。


 そして――空に向かって叫んだ。


「空襲だああああ! みんな逃げろおおお!」


 通りに反響し、声が木霊する。

 建物の壁に跳ね返り、遠くまで届くほどの大声だった。


 ――だが。


 誰一人、振り向かない。


 足を止める者も、驚く者も、慌てる者もいない。

 まるで何も聞こえていないかのように、人々は普段通りに歩き続けている。


 その光景を、澪は横目で静かに観察した。


「流石ね、悠里」


 口元にわずかな笑みを浮かべる。


「これで完全に確定したわ」


 全員がそれぞれ思案に沈み始めた、その時だった。


 ――音が消えた。


 人の足音。喧騒。店先の呼び声。生活の気配。

 何もかもが、まるで切り取られたかのように一斉に途絶えた。


 耳鳴りすら聞こえそうな、完全な無音。


 まるで時間そのものが停止したかのように、周囲の人々が動きを止めている。


 透真は息を呑み、その光景をただ見つめることしか出来なかった。


「なんだ急に……。フラッシュモブか」


 かすれた声で、冗談にもならない言葉を絞り出す。


「私、あれ苦手なんですよね」


 エマが平然と相槌を打つ。

 だが、その声音にはわずかな緊張が滲んでいた。


 誰もそれに返事をする余裕はない。

 全員が、この異様な静寂に圧倒されていた。


「澪……」


 怯えた声を漏らしたノアの身体を、澪が守るように抱き寄せる。

 そのまま、安心させるように静かに微笑んだ。


 異様な空気の中、張り詰めた緊張だけが増していく。


 ――その時。


 人々の身体が、一斉に小刻みに震え始めた。


「今度はなんだ?」


 透真はすぐ近くで固まっていた男を凝視する。


 震えが、ぴたりと止まった。


 そして――


 スローモーションのように、ゆっくりと動き出す。


 男は力なく膝を折り、そのまま地面へ身を預けた。

 まぶたを閉じる。


 まるでそこが自宅の寝室であるかのように。


 静かに、眠りについた。


 透真は慌てて周囲を見回す。


 同じだった。


 通りにいた人々が、次々とその場に崩れ落ちる。

 倒れるのではない。


 ただ自然に、眠りへ落ちていく。


 石畳の上で、店先で、道の真ん中で。


 まるで「そうすることが当然」であるかのように。


「どうなってるんだ……」


 透真の呟き。


 だが、それはこの場にいる全員の心中をそのまま代弁していた。

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