見続ける人
旅館の部屋に朝日が差し込む。
その柔らかな光は、心地よい目覚めを誘うはずだった。
しかし、布団の中から身を起こした澪の表情は、明らかに不機嫌だ。
寝起きの第一声がそれを物語る。
「面白くないわ」
誰に向けたわけでもなく、独り言のように吐き出された声。
澪は自分の首にかけられた想綴を指先でつまみ上げた。
朝日を反射して煌めいている。
「娯楽って言ってたわよね」
そう自分に話した張本人へと視線を落とす。
そこには布団の中で気持ちよさそうに寝息を立てているノアの姿があった。
その枕元には想綴が転がっており、朝の光を受けて静かに光っていた。
「こいつ、外してるわ……」
澪はそのまま這い寄ると、隣の布団に潜り込み、ノアの身体をくすぐり始めた。
「ちょっと、なんなの?」
寝ぼけながら声を上げるノア。
澪はその身体に覆いかぶさり、ノアの胸の上から顔を覗き込む。
「ノ~ア~。あなた、そのネックレス外してるわね」
「え?なに、なんなの」
澪は枕元に置かれた想綴を手に取り、ノアの顔の前に突き出した。
「これよ、これ」
ノアは顔を上げて想綴を確認する。
「それか~」
そんな気の抜けた声を漏らすと、再び枕に頭を落とした。
「ボク、首元に何かあると寝付けないみたいでさ。外しちゃったんだ」
「神経質な娘ね」
ノアは大きな欠伸をする。
「だからボクはもう少し寝るね~」
そう言ってまた目を閉じる。
「ちょっとノア!」
「澪、おやすみぃ~」
まるで覆いかぶさる澪を掛け布団にするように、ノアは穏やかな寝息を立て始めた。
その様子を見つめながら、澪は小さく息を吐く。
――神経、図太いのかもしれない。
寝顔を見ていると、澪はふっと微笑んだ。
そしてノアを起こさないように静かに布団から這い出る。
身支度を整えると、卓上の想綴を手に取り、そっと部屋を後にした。
旅館の玄関はまだ朝の静けさに包まれていた。
障子越しの光が柔らかく差し込み、磨かれた床に反射している。
入口に立つ男性の従業員は、朝から変わらず柔らかな笑みを浮かべていた。
「これ、知ってますよね」
澪が想綴を差し出すと、男は微笑んだまま首を傾げる。
「ええ、もちろん知っていますよ。想綴がなにか?」
「これの“夢”って、織士って人が作ってるのよね?」
「はい、よくご存知で」
「織士に会いたいんだけど、どこに行けばいいか分かるかしら?」
男は笑顔を崩さず、静かに頷いた。
「綴工房でしたら、ここからそう遠くありません。地図をお持ちしますね」
「ありがとう、助かるわ」
やがて男は旅館の奥から観光用の冊子を持って戻ってきた。
そこに描かれた地図の一点を指で示す。
「この道を真っすぐ進めば辿り着けます。立派な建物ですぐに分かりますよ」
澪はもう一度礼を言い、受け取った地図を片手に綴工房へと歩き出した。
そこは、男の言う通り、立派な建物だった。
重厚な瓦屋根に、陽光を受けて淡く輝く看板――そこには「綴工房」と墨文字で記されている。
建物の中からは、木と木が打ち合うような小気味よい音が響いていた。
そっと覗くと、白い作業服に身を包んだ織士たちが、まるで機織り機のような装置を操りながら、淡々と手を動かしている。
規則正しく鳴る音が、まるで祈りのように空気を震わせていた。
その静かな音の流れを破るように、入口の方から女性の声が聞こえた。
どうやら、何やら言い争っているようだ。
澪は足を止め、気になってその方へと向かった。
そこには、織士と思しき男と、見覚えのある少女の姿があった。
「あら、確かあなた……悠里でしたよね?」
突然名前を呼ばれ、悠里は驚いて振り返る。
「あなたは……澪さん!?」
「奇遇ね、こんな所で会うなんて」
澪は柔らかく笑みを浮かべながら二人に近づいた。
その視線は、悠里の手に握られた想綴に注がれる。
「悠里も想綴を?」
「澪さんも?」
二人はほぼ同時に問いかけ、そして手に持った想綴を掲げて見せ合った。
小さな珠が光を受けて反射し、二人の間に淡い輝きを落とす。
その様子を見て、織士の男は深々とため息をついた。
「……またですか」
「また?」
織士の言葉に、澪は眉を上げた。
その視線に気づいた織士が、少し困ったように微笑む。
「ええ、あなたも悠里さんと同じように、夢のことを訊きに来られたのでは?」
「その通りよ。娯楽だなんて言っておきながら、あんな退屈なものを見せられて……最悪の朝だったわ」
澪の言葉に、悠里が勢いよく頷く。
「だよね!ボクなんて昨日の夜からすっごく楽しみにしてたのに!」
織士は頭を掻きながら、苦笑いを浮かべた。
「……お二人は、この国の方ではないのですね」
「そうね」
「うん」
「でしたら、この国の現状や――想綴の歴史をご存じないのも無理はありません」
「何か理由がありそうね」
澪の問いに、織士は静かに頷いた。
「我々の黎神様は、夢を使って国民に娯楽を届けるという素晴らしい神力を生み出しました」
“娯楽”という言葉に、悠里が眉をひそめる。
澪はその様子に気づき、静かに首を振った。
「最初の頃は、刺激的で創造的な夢が数多く生まれました。お二人が求めるような夢もあったのです」
「でも今は退屈な夢ばかり、ってことね」
澪の言葉に、織士は小さく頷く。
「想綴を使い続けるうちに、国は“人々がどんな夢を好むのか”を記録し、統計を取るようになったのです」
「まあ、それは自然な流れね」
「けれど……人々が“求めるもの”を創り続けた結果、ある問題が生まれました」
「問題?」
悠里が眉を寄せて尋ねる。
「同じような夢を繰り返し創るうちに、人々はそれ以外を受け入れなくなってしまったのです。
今では“安心できる夢”しか、誰も望まなくなってしまいました」
「そんなの変じゃない? 同じ夢なんて飽きるでしょ」
悠里の言葉に、澪が代わりに答える。
「人はね、繰り返すことで安心を得る生き物なの。知っているものは予測できる――つまり、彼らが求めたのは刺激じゃなくて“逃避と安堵”なのよ」
「おっしゃる通りです。登場人物や舞台は変わっても、物語の骨格はいつも同じ。
それを求め続ける国民のために、私たちは同じ夢を創り続けているのです」
織士は苦笑しながら悠里を見た。
「もちろん私たちも、飽きるのではないかと心配しました。
何度も調整を加えてみたのですが――国民はそれを“違和感”と呼んで拒絶しました。
一度できあがった型から、ほんの少しでも外れることを嫌うのです」
国の現状を理解したのか、澪は悲しそうに微笑んだ。
「なるほどね。悠里、私たちのクレームはそもそも的外れだったみたいよ」
「どういうこと?」
「私たちと国民の目的が違うの。私たちは“面白さ”や“刺激”を求めて夢を見た。けれど彼らの目的は“逃避”と“安心”。現実に疲れて、もう楽しさに割く余力がないのよ。癒やしだけを求めているの」
「そんな人、いるかな?」
「どの世界も同じね」
織士は苦笑しながら澪に答えた。
「私たちには、国民が求めるものしか創れません。もちろん、刺激を求める方もごく僅かにいらっしゃるのですが」
「そうね。需要が少ないものを量産するのは難しいことよね。ましてや国が管理しているのなら、なおさらのこと」
その言葉に、織士は一瞬だけ唇を噛みしめた。
けれどすぐに、作り笑いのような微笑みを浮かべる。
「……そういうことです」
「あなた、本当は自由に夢を創りたいんじゃない?」
澪の静かな問いかけに、織士は小さく鼻で笑った。
それは嘲りではなく、自分の無力さを笑うような、乾いた音だった。
「やめてください。私は織士として国民の需要を満たす――それが大事なんです」
そう言い残して、織士は二人に頭を下げ、背を向けた。
その後ろ姿には、どこか影のような疲労が滲んでいた。
「ねえ澪。みんなが毎日同じような夢を繰り返すのって、ボクにはよく分からないんだけど」
「そうね、普通なら飽きてしまうわよね」
「うん」
澪は少し考えるように、顎に指を当てた。
「悠里は毎日のルーチンってあるかしら? 無意識にやってしまうくらい、生活に溶け込んだ行動」
「なんだろう……思いつくのは体を動かすことかな?」
「毎日の運動は悠里の日常なのね。人間の脳って、繰り返す行動を変えるのはとても難しいものなのよ」
「だけどボクは、バスケ以外の運動もするよ」
「そこが、この国の歪んだ部分ね」
澪は目を細めて、遠くを見つめるように言った。
「大勢の国民が、同じ夢を“娯楽”として繰り返し見続けている。
知っていることを繰り返すのは安心することだけど――
それ以外を拒絶するようになるのは、ちょっと異常ね」
悠里は立ち上がり、空を切るように軽く刀を振る仕草をした。
「まあ、剣術は普通に今でもやってるね」
「それは、私たちに染みついているものだから。第三次大戦の名残で、剣術は必修だったし」
「だから小学生から剣術の授業があったんだ」
「え、知らなかったの?」
「知らなかった」
「最近の学校教育は、どうなっているのかしら……」
澪は小さく息を吐き、嘆くように肩をすくめた。




