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オタクの知識が前フリだけの異世界  作者: 大山ヒカル


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男の娘

 透真たちは馬車に揺られながら、隣国を目指していた。

 楽しげに微笑むエマと悠里。

 その二人の間に、透真は少し居心地悪そうに座っている。


 なぜこんなことになったのか――。

 透真は、エマとの会話を思い出していた。



 * * *



「マレウスはどうなった?」

 真剣な面持ちで尋ねる透真に、エマは静かに答えた。


「彼なら、もう心配いりません」


「……それは、“神殺しの手段”である俺と悠里がここにいるから、という意味か?」

「いいえ、彼はもう戦おうとすら思わないでしょう」


「どういうことだ?」


 それは、透真の記憶にあるマレウスの姿からは到底考えられない答えだった。


「神殺しの代償として、魂は罪に穢れます。

 それはこの世界を守るための“(ことわり)”でもあるのです」


「神を守り、世界を守るための仕組みみたいなものか?」

「そうです、そしてそれは神だけが知る秘密でもある」


「……それをマレウスは知っていたのか」


 “神を守るための秘密”。

 それが動機を持つ人間の耳に届いてしまうことの危険性に気づき、透真は唇を噛んだ。

 それでもエマは、淡々と語り続ける。


「この世界には、神――そして悪魔が存在します」

「悪魔?」

「彼らは常に闇に潜み、言葉巧みに人間をそそのかして堕落させる」

「なんでそんなことを?」

「目的なんて高尚なものではありません。

 人が“生きる”ことを意識しないように、悪魔は“堕落させる”ことを意識しない。

 それこそが悪魔だとしか言えません」


「本能みたいなものか」

「それに近いかもしれません。……そして、マレウスと呼ばれていた男は、その悪魔の言葉にそそのかされたのです」


 エマの瞳が細められ、その光に悪魔への軽蔑が宿る。


「悪魔は、本当に厄介です。その狡猾さ――透真なら分かりますよね」

「ああ、俺にはその記憶がある。人間をあんなにも残酷に変える、悪魔の力……確かに危険だ」


 マレウス、そしてレオンの顔が脳裏に浮かび、透真は顔を歪める。


「どうすればいい?」

「まずは他の神々に知らせなければなりません。事態は深刻であると理解してくれるはずです」

「分かった。すぐに動こう」

「そうですね。――まずは隣国へ向かいます」


 こうして透真たちは旅に出ることになった。



 * * *



「悪魔か……」

 思わず漏れた透真の独り言に、エマが穏やかに声を掛けた。

「入国してからずいぶん移動しましたね。そろそろ休憩を取りましょうか」


 その言葉を合図に、一同は馬車を降りて身体を伸ばした。

 途端、透真と悠里の口から驚きの声が漏れる。


「なんだこれは……時代劇のセットか?」

「すごいね、これ!」


 彼らの視界に広がるのは、瓦屋根と木格子の家が並ぶ――まるで江戸の町のような風景だった。


「ここが隣国、夢ノ輪(ゆめのわ)です。私も久しぶりに来ました」

 エマの言葉に、透真と悠里のテンションが一気に上がる。

 サラがそんな二人に笑みを向けて言った。


「では、あの茶屋へ参りましょう」

「おおっ、テーマパークに来たみたいでワクワクしてきたぞ」

「ねえ透真、あとでお土産屋さん見に行こうよ!」

「いいな! 俺、木刀買っちゃおうかな?」

「ボクは着物が見てみたい!」


 四人は楽しげに茶屋へと入っていった。


 ――その賑やかな通りの先、二人の姿がゆっくりと歩いてくる。

 凛とした女剣士のような風貌の女性と、その隣で丈の短いスカートを気にしながら歩く一人の少女?


「ほら、ノア。ちゃんと歩きなさい」

「でも……これ、短くないかな……」

「そんなことないわよ。とっても似合ってるわ」


 頬を赤らめるノアを見つめながら、(みお)の唇がわずかに緩む。

「あなたはもう、ただの”ノア”という存在なの。何にでも成れるのよ」

「だけど、僕は男の子だよ」

「そう――ノアはいま、男の娘なの。存在理由なんてものはそもそも無いの。可能性は常に目の前にあるのよ」

「でも、やっぱりみんな変な目で見てるよ……」

「それは”見惚(みと)れてる”って言うのよ。羞恥心なんて自分で生み出した幻想なのよ」


 確かに道行く人々の視線は、ノアの姿に釘付けだった。

 それはもう、誰がどう見ても美少女だった。


 照れるノアを見て、澪は小さく息を吐き、何かを思いついたように微笑む。

「ノア、あなたに必要なのは自信よ。それは成功体験で確実に手に入るモノなの」

「なんなの澪?」

 ノアは澪を上目遣いで見つめる。

 そんな澪の視線は一軒の茶屋に向いていた。

「あそこに入りましょう。そこに居る全員が、ノアのあまりの可愛さに咽び泣くわ」

「えぇ……いやだよ」

「行くわよノア!」


 その言葉に合わせて、ノアの腹部に刻まれた契約の印が、微かに光を放つ。

 本来なら苦痛を伴う強制力のはずだった。

 しかし、澪の特性なのかノアの心に温かいものが宿り、喜びを感じてしまう。

「わ、わかったよぅ……」

 小さな声で答え、二人は茶屋へ向かった。



* * *



「透真、悠里。浮かれる気持ちは分かりますが、いつ悪魔が姑息な手で私たちを襲うか分かりません。気を引き締めてください」

「あ、ああ。そうだったな」

「うん、わかったよ」


 エマが人差し指を立てて二人に釘を刺す。

 しかしその口元には、あんこがほんの少し付いていた。

 すかさずサラがハンカチでそれを拭う。


「エマさま……すこし食べ過ぎではありませんか?」

「そんなことないです」


 そう言って、エマは再び団子を一つ頬張る。

 甘い香りの中で、静かに言葉を続けた。


「いいですか。夢ノ輪にもきっと悪魔は潜んでいます。言葉巧みに人を堕落させようとしているはずです」


 説教を聞く透真の表情を見て、エマは首を傾げた。

 彼の視線は店の入口に釘付けになっている。


 そこには、女剣士と――頬を赤らめた美少女の姿。


「……」


 透真は言葉を失い、ただその少女を見つめていた。

 エマと悠里は、同時に透真へ視線を向ける。


「「透真!」」


 二人の声が、ぴたりと重なった。


「い、いや。別に見てないけど? ただ……お淑やかな娘だなって思っただけだし」

 透真の言葉とは裏腹に、その美少女は明らかに彼の性癖を直撃していた。


 するとエマは、急にサラの持つハンカチを奪い去る。

「あら、私としたことが……いやですわ」


 わざとらしいほど上品に微笑み、口元のあんこをぬぐう。

 そして、わずかに伏し目がちになり、頬を染めて見せた。


「えーっと、ボクも……いやですわー。ほんと、いやですわー」

 悠里は前髪をいじりながら、

 “お淑やか”とは何なのかを頭の中で探してみる。

 ――が、結局なにも浮かばなかった。


 二人はちらちらと透真の方を見る。

 その視線に気づいた透真は、どうして良いのか分からず、つい尋ねてしまう。


「どうした、二人とも」


 その一言に、二人のこめかみに青筋が走る。

 頬を膨らませたかと思うと、勢いよく机を叩いた。


「「――透真っ!」」


 その声は茶屋中に響き渡った。




「ノア、あの男の子に気づいた?ノアに惚れちゃったみたいよ」

 澪はどこか楽しげに微笑んで言った。


「そ、そんな……」


 ノアの頬がわずかに紅潮する。

 今の彼には、もう“悪魔”としての自覚はなかった。

 それは――自己の解放。

 悪魔という枠に縛られていた少年に、澪は言葉巧みにそそのかすように、

 まるで“人間”としての新しい可能性を見せていく。


 ノアは今、未知の自分を探す旅の途中にいた。


 ふと、ノアの視線が透真を捉える。

 その瞬間、二人の目が交わり――

 互いに、反射的に視線を逸らした。


「「透真!」」


 茶屋の奥から、エマと悠里の声が同時に響いた。


「これが……今の僕なんだ……」

「そうよ、ノア」

 澪の声は、まるで春の風のように優しかった。

「いろんな自分を見つければいいの。

 何を選んでもいい。

 自分のやりたいことを、自由にやればいいのよ」


 ノアの様子を見て、澪は静かに悟った。

 ――これこそが、自分に与えられた使命なのだと。

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