やっと会えた
――死は終わりではなく、もう一つの始まりだった。
篠宮透真は、ある夜、幽霊に出会った。
彼はその幽霊の「死」を回避するため、過去へと遡る決意をする。
だが、目を覚ました先は、異世界だった。
神が祈りを聞き、王が命を下す世界。
透真は“英雄”として召喚され、
少女・悠里と共に「魔王討伐」を命じられる。
戦いの果て、悠里は死に、
透真が討った“魔王”の正体は、かつての幽霊――神王エマだった。
神殺しの罪を背負わされ、透真は処刑される。
しかし、時は再び巡る。
気づけば、異世界へ来た最初の日。
透真は笑った。今度こそ、奪われない。
神と幽霊と、人の罪。
そのすべてを越えて、彼はもう一度、
彼女たちのいる“未来”を取り戻す。
転移の白い光が静かに消え、代わりに吹き抜けたのは――風と、巨大な樹の匂いだった。
「これは……すごい……」
思わず、言葉がこぼれた。
透真は、目の前に広がる光景に圧倒されていた。
視線の先には、山のようにそびえ立つ一本の巨樹。
幹は大地を貫き、枝葉は雲を突き抜けて空へと伸びている。
そのあまりの高さに、空が“押し上げられている”ように見えた。
陽光が葉の隙間からこぼれ落ち、無数の金の粒となって空気を満たす。
風が吹くたびに、それらがゆらめき、まるで世界そのものが呼吸しているようだった。
幹はまるで大地そのものが立ち上がったように太く、見る者の遠近感を狂わせる。
その根元には、樹を囲うように築かれた都市が広がっていた。
煉瓦造りの家々が樹に寄り添うように並び、まるで“守られている”ようだ。
光を浴びた屋根が赤く輝き、風が広場を渡るたびに、どこからか鐘の音が微かに響く。
その光景に圧倒され、透真は自分の体勢に気づいていなかった。
「透真、もう……いいんじゃないかな?」
耳元でかすかに響いた声に、透真はハッとした。
声の主に顔を向けると、腕の中に悠里がいた。
その身体をしっかりと抱きしめていることに、ようやく気づく。
「あ、ああ……ごめん!」
慌てて身を離すと、悠里は頬を赤らめながらも微笑んだ。
「急に抱きしめられてビックリしたよ」
悠里はゆっくりと周囲を見回した。
そこには、呆然と立ち尽くす村人たちの姿があった。
誰もが手にしていた武器を力なく落とし、音もなく地面に転がる。
その視線は一様に、天を貫く巨樹へと向けられている。
口を開け、息を呑み、ただ光を見上げていた。
悠里が振り返り、少しだけ笑みを浮かべた。
「色々説明よろしくね」
透真は小さく息をつき、肩の力を抜いた。
「もちろんだ」
そのとき、背後から声が響いた。
「透真! 無事か!?」
振り向いた透真の視界に、埃を巻き上げて駆けてくる男の姿が見えた。
満面の笑みを浮かべているドルマンだった。
「ドルマンさん!」
透真の声に気づくと、ドルマンはさらに速度を上げ、
走りながら片手を大きく振る。
「へ? 王様!?」
その姿に悠里が目を丸くする。
ドルマンは勢いのまま透真の前に飛び込むと、
両手で彼の手を掴み、嬉しそうにぶんぶんと振った。
「やったぞ、透真!」
ドルマンの声は弾んでいた。
その顔には疲れよりも、達成の喜びが濃く刻まれている。
「ドルマンさん、都市の人たちも無事だったのか?」
「ああ、もちろん無事だ! 透真のおかげだ!」
「あはは、俺じゃなくて神様のおかげだろ」
照れくさそうに笑う透真に、ドルマンは肩を叩いて言った。
「それはそうだが、きっかけを作ったのはお前だ!」
そんな喜びの余韻に包まれる透真の背後に、ふいに影が落ちた。
陽光が遮られ、空気がわずかに冷える。
振り向いた透真の目に映ったのは、メイド服に身を包んだ一人の女性だった。
漆黒の布が風に揺れ、白いフリルが光を受けて柔らかくきらめく。
整った顔立ちに、微笑とも無表情ともつかぬ静けさを湛えている。
「透真さま、ですね?」
その声音は穏やかだが、どこか有無を言わせぬ力があった。
突然の呼びかけに、透真の体がびくりと跳ねる。
女性は優雅に一礼し、名乗った。
「わたくしはサラと申します。エマさまのお世話係をしております」
「は、初めまして……」
透真は少し戸惑いながらも返す。
そんなサラの登場に、ドルマンが目を丸くした。
「サラさん、君はいつも突然現れるな。心臓に悪い」
サラは眼鏡の位置を指先で整え、涼しい声で返す。
「そうでしょうか?」
光を反射したレンズの奥で、彼女の瞳が一瞬だけ細くなる。
その静けさに、ドルマンは苦笑しながら肩をすくめた。
「そうだよ、ボクの目の前に急に出てきたんだもん」
悠里は驚いているというより、むしろ目の前のメイドに興味津々といった様子だった。
透真の袖をつまみながら、まじまじとサラを見つめる。
「でも、ボク初めてメイドさん見たよ。すごいね~」
サラはわずかに首を傾げ、淡い笑みを浮かべた。
「悠里さまですね、お気に召したのであればこの服、用意いたしますよ」
「ええ!いいの?」
悠里の目が一気に輝く。
「きっとお似合いになるかと」
「やった!」
悠里は両手を胸の前でぎゅっと握り、子どものように跳ねた。
サラはくるりと透真の方へ向き直り、静かに言葉を発した。
「ですがその前に。透真さま、少しお時間をいただけますか?」
「ええ、もちろんです」
透真は頷き、そっと後ろを振り返ると悠里とドルマンに視線を向ける。
「いいよ、ボクはここで待ってる」
悠里は笑顔のまま、軽く手を振った。
「ふむ、悠里くんにはワシが色々と説明しておくから気にするな」
ドルマンはどっしりとした口調で言い、安心させるように頷いた。
「ありがとう、ドルマンさん。悠里、ちょっと行ってくるよ」
「いってらっしゃーい!」
悠里は元気よく両手を振る。
その明るい声が広場に響く。
振り返った透真を確認すると、サラはゆっくりと歩き出した。
透真は、サラの後ろ姿を追いながら街を歩いた。
彼女の足取りは静かで、どこか風の流れのように淀みがない。
通りを抜けるたび、生活の音が耳に届く。
どこかの家からは子どもの笑い声、パンを焼く香ばしい匂いが漂う。
家のベランダでは、女性が洗濯物を干しながら、隣人と笑い合っていた。
それは、平和を絵に書いたような光景だった。
そんな住宅街を抜けると、視界が一気に開けた。
一本の広い道が、大樹の根元へ向かって真っすぐに延びている。
その道の両脇には店が並び、香ばしい匂いや人々の声が溢れていた。
果物を売る声、笑い合う客、荷車を押す商人――。
活気に満ちた人々の往来が続いていた。
やがて、巨樹の根元にたどり着く。
そこには、木の幹とは思えぬほど精巧な大扉が構えていた。
サラが近づくと、扉は静かに音を立てて開く。
その光景に透真は息を呑んだ。
サラが一歩進み、小さく会釈する。
透真は慌てて駆け寄り、その後に続いた。
木の洞のような空間を想像していた透真は、足を踏み入れた瞬間に息を呑んだ。
そこは洞窟ではなかった。まるで貴族の館のように、広く整えられた屋敷の内部だった。
――大樹の根元から入ってきたはずなのに。
透真は思わず天井を見上げ、眩しさに目を細めた。
外の陽光とは違う。ここを満たしているのは、光そのものが“空気の一部”になったような明るさだった。
どういう仕組みなのか、まるで見当もつかない。
ただ、この空間全体が生きているような感覚だけが、肌に残った。
そして、二人は大きな扉の前にたどり着いた。
サラが軽く手をかざすと、扉は音もなく開く。
その先に広がっていたのは――玉座の間だった。
中は眩しいほどに明るく、そして驚くほど広い。
天井は果てを知らず、白い光がどこからともなく降り注いでいる。
空気は清らかで、ほのかに花の香りが漂っていた。
透真は立ち尽くしたまま、息を飲んだ。
そして、胸の奥に奇妙な感覚が広がる。
――ここを、知っている。
その瞬間、記憶の断片が蘇った。
あのとき、自分はこの場所で「魔王」と対峙した。
だが今、目の前にあるのは、まるで別の場所だ。
同じ構造、同じ広さ。
それなのに、光と空気がすべて違う。
以前は闇と瘴気に包まれた玉座の間――
香の効果で歪められた幻の空間。
そして今、そこには“真の姿”があった。
空気は澄み渡り、静けさの奥に、確かな神聖さが宿っていた。
サラは玉座の間を数歩進んだ時、不意に足を止めた。
その背中に気づき、透真も思わず歩みを止める。
何かあったのか――そう声をかけようとした瞬間、
サラは静かに姿勢を正し、深く、流れるような所作でお辞儀をした。
空気が張りつめる。
その礼の先、何もなかったはずの空間が、ふっと白く光を帯びる。
最初は淡い霞のような輝きだった。
それが徐々に濃くなり、形を得ていく。
光の粒が舞い、重なり、やがて輪郭を結ぶ。
――人の姿。
光が静かに収まったとき、そこに立っていたのは一人の女性だった。
それは、背の高い美麗な女性だった。
エルフのように尖った耳、腰まで流れる金の髪が光を受けて揺れる。
その胸元の曲線は、思わず視線が吸い寄せられるほどに豊かで、
それでいて下品さのかけらもない――ただ、息を呑むほどの均整。
長い脚としなやかな体躯は女神を思わせた。
その肌は白磁のように透き通り、まるで光そのものが人の形を取ったかのようだ。
完璧な美――その言葉ですら足りないほどに。
透真は息をするのも忘れ、ただその存在に見惚れていた。
「おかえりなさいませ、エマさま」
サラの澄んだ声が、静寂の玉座の間に響く。
「ふう……本当に疲れました」
エマは軽く息を吐いて視線を前に向ける。
サラがお辞儀をしている背後に、ひとりの少年の姿を視界に捉えた。
「相棒!」
その叫びは弾けるように響いた。
次の瞬間、エマの身体がふわりと浮いたかと思うと――床を蹴り、一直線に透真へと飛び込んでいた。
神王の裾が光をはじき、金の髪が弧を描く。
一瞬、サラの視界の端を金色の閃光が横切った。
反射的に振り返ったサラの目に映ったのは――
自分の主が、少年に全力で抱きついているという、信じがたい光景だった。
流石のサラもそれには驚きを隠せない。
「エマさま!なにしてるんですか!」
そんなサラの制止などどこ吹く風と、エマは透真の胸に顔を埋めていた。
「相棒ぉ!やっと会えたよー!」
透真は何が起きているのか分からずに混乱ことしか出来なかった。
* * *
大きな窓から、柔らかな陽光が差し込んでいた。
その光は静かに長い机を照らし、磨かれた木の表面に淡い金色の反射を落とす。
並べられた数多の椅子は、整然と整えられ、
主賓席だけが一際大きく、豪奢な装飾を施されていた。
その席に、エマはゆるやかに腰を下ろしている。
白い衣の裾が椅子の脚をかすめ、光を受けて淡く揺れた。
傍らには、いつものように無表情なサラが控え、
まるで、主の背後に流れる風にさえ礼を尽くすような立ち姿だった。
「なあ、神様」
「エマと呼んでください」
「……なあ、エマ」
「なんでしょうか、透真」
「この体勢、話しにくいからやめてくれ」
透真は、エマの腕に拘束された身体に力を込める。
だが、その腕はまるで鉄でできているかのように、びくともしなかった。
「えー!いいじゃないですか。せっかく相棒と、こうやって会えたのですから」
エマは満面の笑みを浮かべる。
透真は、いつの間にかエマの膝の上に座らされ、
両腕ごと優しく――だがしっかりと抱きしめられていた。
その腕は温かく、けれど逃げ場のないほど強い。
頭は柔らかな胸の間に押しつけられ、、両頬が弾むような弾力に押し返される。
エマは幸せそうに笑っていた。
まるで、待ち焦がれたぬいぐるみをやっと抱きしめた子どものように。
そんな様子を見ていたサラが、静かに咳払いをした。
そして、どこか哀れむような視線を透真に向ける。
「エマさま、そろそろ離してあげないと……透真さんが潰れてしまいますよ」
「ふむ、仕方ありませんね。今だけ解放してあげます」
“今だけ”という言葉が、耳に小さく引っかかった。
それでも、ようやく自由になった透真は深く息を吐く。
首を鳴らし、肩を回しながら身体を伸ばすと、
長机に並ぶ椅子のひとつ、エマの座る席のすぐ隣に腰を落とした。
「色々訊きたいことが山ほどあるんだけど」
「はい、どうぞ。なんでも訊いてください」
「……最初にひとつ、言わなきゃいけないことがある」
透真は息を整え、わずかに目を伏せた。
エマは変わらず穏やかに微笑んでいる。
「……俺は、一度――エマを殺した」
その言葉が空気を裂いた。
サラの瞳が鋭く光る。
刃のような気配が一瞬、部屋を満たした。
――静寂。
その空気の震えを感じ取ったエマが口を開く。
「サラ」
たった一言で、すべての圧が消えた。
エマの声には、命令でも怒りでもない、ただの静けさが宿っていた。
その静けさだけで、場の空気は元の穏やかさを取り戻す。
エマは微笑を浮かべ、まるで何でもないことのように続けた。
「手紙に書かれていた内容のことですね。
残念ですが、私には透真に殺されたという覚えはありません」
その答えに小さく頷いた。
透真は右手の甲をエマに見せる。
その肌には、赤い桜の花の紋章が淡く浮かんでいた。
「これが神殺しの証、だろ?」
エマは驚くこともなく、ちらりと一瞥しただけで答える。
「そうみたいですね。その紋章から、私に属する力を感じます」
「これのおかげで、香の幻覚が見えなくなった。そういうことか?」
「ええ。あの香は、私や信徒たちを歪んだ魔物の姿に見せる効果を持っています。
それは神への冒涜であり、明確な攻撃でもある。
たとえそれが“穢れ”や“罪”と呼ばれようと、攻撃を防ごうとするのは必然でしょう」
「なるほど……」
エマの説明を飲み込みながら、透真はしばし考え込んだ。
机の上で指を組み、言葉を選ぶように口を開く。
「少し、エマの時系列を整理したいんだけど」
「はい、どうぞ」
エマは穏やかな声で応じた。
「俺のいた世界での記憶は持っていて……気がついたら、生きていた頃の自分に戻っていた、ということか?」
「ええ。あの時、眠りについた透真に吸い込まれるような感覚があって……気づいたら、生前の姿に戻っていました。あれは、本当に不思議な体験でしたね」
「そして俺がそばにいないことに気づいて探していた。そんな時に、俺からの手紙を受け取った……そういう流れか?」
「そうです!」
エマの表情がぱっと明るくなる。
「手紙を見た瞬間、やっぱり運命だと思いました」
その満面の笑みとは対照的に、透真の思考は静かに沈んでいく。
エマもタイムリープをしていた。
自分と一緒にいたからこそ、彼女も時を越えたのだ。
だが、レオンに首を斬られたあの瞬間、再び時間が巻き戻ったのは自分だけだった。
つまり、時間を遡る起点は自分自身。
エマではなく、“自分”こそが、あの現象を引き起こしたのだ。
「これはエマの想像に頼るしかないんだが……」
透真は少し間を置き、言葉を慎重に選ぶように続けた。
「俺は大軍を率いて、この王都へ攻め込んだことがある。一日も経たずに陥落して……エマの護衛も、ほとんど残っていなかった」
その声音には、確認というより“懺悔”に近い響きがあった。
それでも、彼は確かめずにはいられない。
自分が経験したあの地獄が、本当にこの世界で起きたことなのか。
それとも、平行する別の世界での出来事だったのか。
だが、エマの記憶にはその光景が存在しない。
彼女が語るのは“もしも”の想定でしかない。
つまり、この問いに“確証”は得られない――そのことを透真も理解していた。
「そうですね……」
エマは少しだけ目を伏せ、静かに答えた。
「おそらく、多くの人々を逃がすでしょうね。
でも、全員を助けるのは難しい。
出来る限り多くの人を転移させて……そして、力を使い果たした私は、きっと簡単に死んでしまうと思います」
その言葉には悲壮感はなく、ただ穏やかな確信だけがあった。
“神としての死”を、恐れではなく受容として語る声。
透真は何も言えず、ただその横顔を見つめるしかなかった。
そこにサラが話に入ってくる。
その声には、いつもの落ち着いた響きの奥に、強い決意が宿っていた。
「私は……最後まで、エマさまのお側を離れません」
その言葉に、エマは少し目を細める。
「ダメです、サラはすぐに逃がします」
「エマさま!それはあまりにも残酷すぎますよ!」
サラの声が震え、部屋の空気がぴんと張りつめた。
「私は神ですが、そこまで強くはありません。きっと大切な人を最初に逃がしてしまうでしょう」
エマは困ったように微笑みながら、優しくサラを見つめていた。
その視線に、サラは唇を噛みしめる。
そしてゆっくりと頭を下げ、覚悟を込めた声で言った。
「透真さま、ありがとうございます。
そのような事は今まで想定すらしていませんでした。
エマさまの側から離れないように対策を練ることが出来ます」
「ちょっとサラ!ダメですからね」
「いいえ、これだけは絶対に、何があっても譲れません」
言い切ったサラの瞳には、迷いも恐れも無かった。
忠義という言葉では足りない、深い愛情と誓いがそこにあった。
自分の質問が思わぬ形で役に立ち、目の前で仲睦まじく言い合う二人を見て、透真は思わず微笑んだ。
その笑みの奥には、少しの安堵と、どこか胸の奥を締めつけるような切なさが混じっていた。
――この優しい神は、きっと最後まで人間のために尽くしたのだろう。
大した抵抗もなく王都は落ち、力を使い果たした彼女は、抵抗することも出来ずに――
自分の剣で貫かれたに違いない。
透真の「理解」は、ゆっくりと「深い後悔」へと変わっていった。




