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オタクの知識が前フリだけの異世界  作者: 大山ヒカル


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13/34

鐘の音が鳴った時

 ――死は終わりではなく、もう一つの始まりだった。

 篠宮透真は、ある夜、幽霊に出会った。

 彼はその幽霊の「死」を回避するため、過去へと遡る決意をする。


 だが、目を覚ました先は、異世界だった。

 神が祈りを聞き、王が命を下す世界。

 透真は“英雄”として召喚され、

 少女・悠里と共に「魔王討伐」を命じられる。


 戦いの果て、悠里は死に、

 透真が討った“魔王”の正体は、かつての幽霊――神王エマだった。

 神殺しの罪を背負わされ、透真は処刑される。


 しかし、時は再び巡る。

 気づけば、異世界へ来た最初の日。

 透真は笑った。今度こそ、奪われない。


 神と幽霊と、人の罪。

 そのすべてを越えて、彼はもう一度、

 彼女たちのいる“未来”を取り戻す。

 数時間前に遡る。


 城壁の上から、透真と悠里、そしてレオンの乗る馬車が都市を離れていくのを、ドルマンは黙って見送っていた。

 その背中を見送りながら、彼はひとつ深く息を吐く。


「あとは我々に任せておけ」


 遠ざかる馬車に向けて、誰に聞かせるでもなくそう呟く。

 その横顔に、かつて“王”を演じていた男の面影はもうなかった。

 そこにあるのは、この都市の市長として民を守る覚悟を湛えた一人の男の顔。


 透真が王の姿を城内で見かけなかったのは、マレウスがドルマンを軽視していたからだ。

 だが、それだけが理由ではない。


 今のドルマンの仕事場は、すでに城の中にはなかった。

 彼が真に仕える場所は、街の中心にそびえる市庁舎。

 人々の声が最も近くに届く場所だった。


 ドルマンは、執務室の机に置かれた一枚の書類に目を落とした。

 真新しい紙の白が光を弾き、整然と並ぶ文字がまぶしく映る。

 そこに記されていたのは――

 都市の各部署への正式通達。


 《神王に祝福された英雄の凱旋パレード》


 折り目一つ無く、文面も一切の乱れがない。

 だがその完璧さが、逆にこの部屋に静かな圧力を落としていた。

 外の明るさとは対照的に、ドルマンの視線は重く沈んでいる。


 マレウスの命令で作られたその書類は、前の世界線で使用された市民への通知書。

 透真と悠里を神王殺害の舞台へ導くための計画の一部だった。


 風が窓から入り込み、書類の端をそっと揺らした。

 ドルマンはそれを指先で押さえ、しばらく動かなかった。

 外の喧騒が、彼にとっては別世界の音に聞こえる。


 やがて、彼はゆっくりと息を吐いた。

 その手が書類を掴む。

 くしゃり、と乾いた音が響き、紙が丸められる。


 その下から、新たな書類が現れた。

 都市の各部署への正式通達――


 《市民への緊急集会通達》


 窓の外では、太陽がすでに街の屋根を照らしている。

 通りのざわめきが微かに聞こえ、遠くで鐘の音が一度だけ鳴った。

 その音に合わせるように、ドルマンは深く息を吸う。


 マレウスの目はいまだ遠征中の戦況に向けられ、

 都市の行政は半ば放置されている。

 命令書ひとつ通すだけで、誰も疑う者はいない。

 その現実を、彼は静かに受け止めていた。


 ゆっくりとペンを置き、印章を手に取る。

 わずかに汗ばんだ掌に、真鍮の冷たさが触れた。

 彼は一度、迷いを断ち切るように息を吐き、

 書類の端に力強く印章を押しつけた。


――これで後戻りは出来ない。


 目を閉じると、脳裏にあの夜の会談が静かに蘇る。



 * * *



 人々の明かりが消え、街が静寂に沈んだ頃だった。

 月は雲に隠れ、風も止んでいる。

 市庁舎の奥、書庫へと続く地下通路を抜けた先に、小さな会議室がひっそりと灯っていた。

 その炎が揺れるたび、部屋の壁に映る影が不安げに揺らめく。


「――全員、来たな」


 ドルマンが低く告げると、静かな頷きが返る。

 彼の前に居る五人は、それぞれが都市の柱を支える者たち。今夜、彼らが語るのは――支配の終わりだった。


「……まず確認しておきたい。これは反乱ではなく、“行政的退避”という理解でよろしいな?」


 副市長セドリックの声は硬かった。机の端に山積みされた書類を手に取り、ページをめくる。眼鏡の奥の視線が、書面の文字を追う。


 ドルマンは静かに頷いた。

「そうだ。私たちは戦わない。ただ、市民を守る。それだけだ」


「だが、それは形式上、マレウス政権への抗命になる。命令書の一枚でも残せば、君は処刑対象だぞ」


 セドリックの指摘に、部屋の空気が一瞬だけ張りつめる。


「構わん。ワシの首ひとつで済むなら安いものだろ」


 ドルマンは淡々と応じる。彼の言葉を、周囲は計算するように受け止めた。法を司る者にとって、それは最も危険な選択だった。


「私はもう動かしてるわよ、ドルマン」


 赤いマントを羽織ったリサンドラが、軽やかに笑う。机に肘をつき、指に嵌めた金の指輪をちらりと光らせた。


「港の倉庫、四つ分の物資を“誤って”積み出したの。明日の夜には、すべて王都へ届くわ。商会の連中も、これ以上の商売は損だって気づき始めてる」


「助かる」

 短く、しかし確かな感謝が返る。

 リサンドラは鼻で笑い、指輪を光にかざした。

「“助かる”じゃないわ、ドルマン。命がけの博打よ。マレウスの兵に見つかったら、商会ごと焼かれる。

 でもね、金より価値のあるものをあなたは商人に提示しちゃったのよ」


 その言葉に、六人の間に一瞬の沈黙が落ちる。


「……それで、搬送地点の調整は?」

 ヴァレンが問う。

 低く、しかし揺るぎのない声だった。


「すべて確認済みだ」

 ドルマンが応じる。

「市街地の広場と周辺区画――合計十二箇所。

 市民の避難区分は、居住区単位での誘導にする。

 あくまで“市政の指示による集会”として動かす」


 ヴァレンは頷く。

 その頬を、ランタンの光が柔らかく照らした。


「医療班は?」

 視線を向けられたアニエスが、即座に返す。

「病人と幼子はすでに選別済み。避難後の医療準備も完了しているわ。

 当日はその場の判断で事前に軽い鎮静を施すつもりよ」


「……頼む」

 ドルマンの声は短いが、深く滲むものがあった。


 老司祭ルーファスが目を閉じ、祈るように手を組んだ。

 その顔には、深く刻まれた大きな傷跡がある。

 幾度も民を導き、時に盾となって立ち塞がってきた――その誇りの痕だ。


 皺の奥に宿る瞳は静かだが、揺るがない。

 振り香炉を使う、偽りの司祭には決して真似できない、本物の信仰を生きてきた男の眼だった。


 長い沈黙ののち、ルーファスは口を開いた。

「奇跡を行うのは神だが、それを選ぶのは人間だ。

 この夜を乗り越えられるかどうかは、我ら次第だよ」


 リサンドラが机の上の地図を指でなぞる。

「経済区の搬送指定はすべて完了。

 商会員には“在庫棚卸し”の名目で待機させてある。

 明朝、指令が下れば全員が指定広場へ集まる」


「よくやってくれた」

 ドルマンは短く返し、机上の紙束を一度整えた。

 その仕草には、もう迷いはない。


 セドリックが書類を閉じ、眼鏡を外した。

「……すべての命令書は、今夜限りで施行する。

 明日の昼には、都市は空になる。

 それが、我々の勝利の証だ」


 その言葉に、全員の視線が交わった。

 炎が揺れ、六つの影が壁に重なる。


 ドルマンはゆっくりと立ち上がった。

 椅子が床を擦る音が、静寂を裂く。


「これで決まりだ。

 我らは剣を取らず、誰も傷つけず、

 ただ――神王にすべてを託す」


 誰も声を出さない。

 けれど、その沈黙こそが、誓いだった。


 ランタンの火が一度だけ強く揺れ、

 そして穏やかに静まる。



 * * *



 夜が明けた。

 街の広場には、人々が静かに集まりはじめていた。

 鐘の音が二度鳴る。

 それはいつも通りの合図――だが、今日だけは違う意味を持っていた。


 家々の窓が開き、通りを歩く足音が重なっていく。

 子を抱えた母、荷を背負った老人、職人、商人、学徒。

 皆がそれぞれの思いを胸に、広場の中央を目指していた。

 そこには壇上が設けられ、ドルマンが立っていた。


 市長としての正装はしていない。

 いつもと変わらぬ灰の上着に、古びた印章を胸に下げているだけだ。

 彼の背後には、セドリック、リサンドラ、ヴァレン、アニエス、そしてルーファス。

 前夜の密会の仲間たちが並び、沈黙の中で民を見つめていた。


 空は晴れ、午前の光が街を照らす。

 だが、その明るさの中に、誰もが言葉にできぬ緊張を感じていた。


「市民の皆さん」

 ドルマンの声が、広場に静かに響く。


「私たちは、これまで多くの理不尽を見てきました。

 剣に怯え、命令に従い、声を失ってきた。

 だが、今日――我々は新しい選択をする。

 誰も傷つけず、誰も殺さず、この地を去る」


 ざわめきが起こった。

 その波が広がる前に、ルーファスが一歩前に出る。


「恐れることはありません。

 神王エマは、我らの祈りに応えられる。」


 ルーファスの言葉に、人々は一様に声を漏らした。

 その響きは、波紋のように広がっていく。

 誰かが小さく息を呑み、誰かが名を呟く。


 その反応のひとつひとつが、“神王エマ”という名が人々にとって

 どれほど大きな意味を持つのかを物語っていた。

 



 その祈りの輪を踏み潰すように、鋭い怒声が空を裂いた。


「お前たち、ここで何をしている! 許可のない集会は禁じられている!」


 馬に乗った兵士たちを、市民が怯えた目で見上げた。

 鎧の継ぎ目が軋み、陽光を弾くたびに冷たい光が群衆の顔を照らす。

 誰もが息を潜め、身じろぎひとつできない。


 その沈黙を踏みつけるように、兵士の馬が蹄を打ち鳴らした。

 乾いた音が広場に響き、土埃が細かく舞い上がる。

 怯えた人々の間にざわめきが走り、視線が一斉に逸れた。


 馬上の兵士は、群衆を冷ややかに見下ろす。

 その眼差しは、人ではなく“従わせるべき数”を見るようだった。

 一瞬だけ周囲を見回し、そして――声を張り上げる。


「ドルマン! 貴様、いったい何をしている!」


「我々はもう――恐れない!

 そして、お前たちに屈しない!」


 その声は掠れていた。

 だが、確かに広場の隅々まで届いた。


 ざわめいていた群衆が息を呑み、

 風さえも止まったように感じられる。


 兵士は瞬きも忘れていた。

 まるで別人を見たような顔で、ドルマンを凝視する。

 いつもなら目を逸らし、地を這うように従う男。

 そのはずの相手が、今は真っ直ぐに自分を見上げている。


 驚きが、怒りへと形を変えていく。

 顔の血管が浮き、眉間が歪む。


「貴様……」


 低く絞り出すような声。

 その一言に、鋭い刃のような敵意が滲んでいた。


 兵士はゆっくりと目を細め、馬上からドルマンを睨みつける。

 その視線には、威圧でも怒号でもない――“支配”の意志があった。

 沈黙が広場を覆い、人々の息づかいすら消えていく。


 だが、ドルマンは動かない。

 膝を震わせることも、目を逸らすこともなかった。

 彼の眼差しは、ただまっすぐに兵士を見返していた。


 その瞳の奥には、恐れの影が微塵もない。

 冷たい風が吹き抜け、旗がはためく音が広場に響く。

 その一瞬の風の中でも、ドルマンの姿は揺るがなかった。


 彼の信念は、剣よりも固く、

 恐怖という鎖では決して折れはしない。




 広場を包む空気が変わった。

 人々のどよめきが波のように広がり、石畳の上を震わせる。


 「……見ろ!」

 誰かの叫びが、静寂を破った。


 群衆の奥で、人の列が自然と割れていく。

 まるで目に見えぬ力に導かれるように、

 人々が左右に退き、一筋の道が生まれた。


 その道の奥から、白い光がこぼれ出す。

 最初は霧のように淡く、やがて炎のように強く――。


 その光の中を、一人の女性がゆっくりと歩いてくる。


 金色の髪が風に揺れ、淡い衣が波のように揺らめく。

 彼女が一歩進むたびに、空気が澄んでいく。

 声を上げる者、胸に手を当てて震える者、涙を流す者。

 その全てが、崇拝にも似た沈黙へと変わっていった。


 人々が作り上げた道は、まっすぐにドルマンの立つ壇上へと続いている。


 その姿が近づくにつれ、兵士の手が止まった。

 剣の刃は半ば抜けたまま、音を立てずに静止する。


 その神々しい光景の前で、

 彼の呼吸も、鼓動も、世界も――止まった。


 兵士はただ、見つめることしかできなかった。

 彼女の存在そのものが、恐れと畏敬をひとつにして押し寄せる。

 その体は硬直し、目は釘付けになった。


 ――神王エマが、そこにいた。


 壇上の六人もまた、光の中に立つその姿に見とれていた。

 誰もが言葉を失い、ただその存在に圧されていた。


 やがて、ひとりがはっと息を呑み、膝を折る。

 それを合図にしたように、他の者たちも次々と跪いた。

 衣擦れの音が重なり、壇上に一瞬の静寂が戻る。


 神王エマは、まっすぐ前を見たまま、静かに壇上へと歩みを進める。

 白い裾が石段を撫で、足音もなく頂上に辿り着いた。


 彼女が立ち止まると、風がそっと吹き抜けた。

 金の髪が揺れ、淡い光がその輪郭を縁取る。

 その姿に、六人はさらに深く頭を垂れた。


 やわらかな声が、静けさの中に溶けていく。


「頭を上げてください」


 その響きは命令ではなく、祈りのようだった。

 六人の肩がわずかに震え、ためらうように顔を上げる。


 目が合った瞬間、誰もが息を呑む。

 その瞳には、威圧も誇りもなく――ただ、限りない慈愛が宿っていた。


 六人はゆっくりと立ち上がる。

 まだ膝の力が抜けきらず、手を胸に当てたまま、

 神王エマの姿を仰ぎ見ていた。




 不意に、兵士の掌から力が抜けた。

 重みを取り戻した剣が、滑るように鞘へと戻る。


 ――カシャン。


 金属の澄んだ音が、広場の静寂に吸い込まれていった。

 その一音で、兵士は我に返る。

 胸の奥で、冷たい現実がゆっくりと戻ってくる。


 先程まで見惚れていたその目が、

 今度は怒りを押し殺すように細められた。

 睨みつけるような視線が、神王エマへと向けられる。


 そして神に心を奪われた自分を戒めるように舌打ちを鳴らす。

「行くぞ」


 短く低い声が、広場の空気を切り裂いた。

 部下たちはすぐに反応する。

 鎧の金具が擦れ、馬の蹄が小さく鳴った。

 誰も言葉を発しない。

 ただ、重く沈む沈黙の中で、命令だけが響いた。


 馬上の兵士たちは列を整え、

 振り返ることもなく、ゆっくりと広場を後にする。

 蹄が石畳を叩く音が遠ざかるにつれ、

 その場に漂っていた緊張も少しずつ薄れていった。

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