一緒に体験したはずが、感想が違う……
マレウスの軍が突如として街を制圧した。
血を流すこともなく進むその侵攻は、“支配の宣言”に等しかった。
市長ドルマンとの密談の中で、透真はこの世界の構造を知る。
六柱の神々による「他国不干渉」の誓い――
その掟のせいで、誰もマレウスを止められない。
それでも透真は、諦めなかった。
神殺しの記憶を背負いながら、再び“彼女”を探すために動き出す。
そして夜。
蝋燭の灯りの下、透真は悠里に誓った。
――「何があっても、お前を信じる」
それは静かで確かな、二人の“誓い”の夜だった。
大樹の枝葉のあいだから、やわらかな木漏れ日がこぼれていた。
その光は、風に揺れる葉の影とともにゆらゆらと差し込み、
窓の外の森を金色に染め上げている。
部屋の中にも、穏やかな陽の光が満ちていた。
その光は木の香りのするテーブルの前に座る女性をやさしく包み、
まるで一枚の幻想的な絵画のような光景を作り出していた。
――しかし。
その“幻想”の中心にいるはずの神王エマは、
その美しさに似つかわしくなく、木製のテーブルに突っ伏して項垂れた。
「どうしましょう……相棒を見つける方法が、まったく思いつきません……」
金色の長い髪が光を受けて淡く輝く。
横に伸びた耳はエルフを思わせ、白い頬を縁取っていた。
大きな胸をテーブルがどうにか支え、そこからすらりと伸びた脚は椅子をはみ出すほど長い。
二メートル近い高身長。女神の名にふさわしい美貌。
――なのに、その姿勢はあまりにもだらしない。
「はぁ……相棒と一緒に遊んで暮らしたいです……」
そんなだらけた神王を見て、サラはわざとらしく咳払いをした。
気づいたエマはびくりと体を起こし、慌てて背筋を伸ばす。
「……エマ様。その“遊んで暮らす”という願望、毎日実現されてますよね?」
黒髪をまとめ、眼鏡をかけたメイド服姿のサラが、あきれ顔で腕を組んでいる。
冷静沈着な彼女の視線に気づき、エマは慌てて姿勢を正した。
「ちゃんと働いてますよ! ほら、畑だってきれいに実ってるでしょう!」
「それは皆が世話しているからです。エマ様は木陰でお昼寝してましたよね?」
「むっ……。あれは“森と調和”していたんです。神王として当然の務めです!」
「……はいはい。そういうことにしておきます」
サラはティーワゴンを押しながら、淡々とした口調でぼやいた。
カップに香り高いお茶を注ぎながら、ちらりと主を一瞥する。
「ですが、以前のエマ様はここまで怠惰ではありませんでした。……まさか、誰か悪い影響でも受けたのでは?」
その言葉に、エマはむっとして頬を膨らませた。
「サラ、これでも神なんですよ? 怠惰だなんて酷いです」
「ええ、これでも神なのですから、その“怠惰”な姿勢を正していただきたいものです」
「意地悪ですね」
ぷいと顔を背けながら、エマは窓の外へ視線を向けた。
風にそよぐ葉の音が、ふと彼の姿を思い出させる。
――透真。
彼を初めて見た瞬間、エマは“自分が死んでいる”と気づいた。
それまで曖昧だった意識が、まるで光を浴びるように戻ってきたのだ。
なぜ死んだのか、どうしてその場所にいたのか――それだけは思い出せない。
けれど、誰かに“殺された”という確信だけは、胸の奥深くに刻まれていた。
あの頃の透真は、とても疲れた顔をしていた。
世界に背を向けるような、その表情がどうしようもなく気になった。
放っておけなかった。
思わず話しかけてみたが、当然、彼には声が届かない。
それでも懲りずに呼びかけていると――彼がぽつりと、「幽霊と話したい」と言った。
――これは運命です!
エマはその瞬間、確信した。
どういう仕組みなのか分からないが、彼の持つ光る板で拙いながらも心が通じた。
言葉を交わせるという奇跡が、胸を熱くした。
それからの日々、透真との会話はエマにとって何よりの喜びだった。
彼の不器用な優しさも、時折見せる寂しげな横顔も――全部、愛おしかった。
そして、あの言葉。
“俺が、お前を助ける。”
たったそれだけで、エマの世界は色づいた。
神ではなく――命を落とした、ひとりの“人”として。
自分を救うと、彼は言ってくれた。
その言葉を聞いた瞬間、エマの胸の奥に、じんわりと温かなものが灯った。
神としての自分ではなく、ただの“エマ”という一人の女性として見てもらえた気がしたのだ。
その小さな灯火は、次第に広がり、
やがて彼の存在そのものを求める想いへと変わっていった。
実際に彼と会い、触れ合うことが出来る。
その希望が今のエマを突き動かしていた。
サラはティーワゴンの隅に積まれた封筒の束に目をやった。
そして、いつものようにそれを手に取ると、静かにエマの前へ差し出す。
「では、神王さま。お勤めをお願いします」
それは国民から届いた手紙。
多くは感謝や祈り、そしてエマへの想いを綴った――
まるでファンレターのような温かい言葉ばかりだった。
エマは微笑みながら、その束を両手で受け取る。
そのとき――一枚の封筒が、ひらりと床に落ちた。
「あら」
小さく呟き、エマは裾を押さえて身を屈める。
光の差し込む床の上、白い封筒が静かに横たわっていた。
指先でそれを拾い上げ、宛名に目をやる。
――その瞬間、息が止まった。
そこには、こう記されていた。
『相棒へ』
「……っ!」
心臓が跳ねた。
手紙の紙質が、わずかに震える。
「サラ!」
突然、エマが椅子を勢いよく弾くように立ち上がった。
その声に、サラの身体がびくりと跳ねる。
「な、なんですか急に!」
返事をする間もなく、エマは机を叩きつけるように身を乗り出した。
「エルディアの全勢力を使ってでも、この差出人を探して下さい!」
満面の笑みでサラを見つめるエマに、サラは口を開けたまま固まった。
空気が一瞬止まり、窓辺から小鳥の声が澄んで響いた。
自然の神エマが治める、森と精霊の国――エルディア。
そこに暮らす人々は、自然と共に生きることを何よりも尊んでいた。
朝には森の鳥の声で目を覚まし、昼には陽の下で作物を育て、
夜には焚き火を囲んで精霊への祈りを捧げる。
穏やかな笑顔と優しい言葉が交わされるその国では、
争いとは無縁の穏やかな日々が流れていた。
透真の暮らしていた世界には、物理的な神など存在しなかった。
だからこそ、人々は“神”という概念を、無責任に信じることができた。
けれど、この世界には神がいる。
そして、人々が抱く不満は、やがてその神へと向かう。
不満をぶつける対象が、実際に存在するということ。
それは、この世界において最も恐ろしい状況を生み出す。
『世界は神のためにあるのではない。人のためにあるのだ。』
その言葉が、マレウスという男のすべてだった。
神の加護も、神の奇跡も、人の歩みを鈍らせる枷にすぎない。
人の手で、再び“人の世界”を取り戻す。
その信念のもとに、マレウスは仲間を集めた。
彼の言葉は炎のように人々の心を焼き、やがて各地へと広がっていく。
賛同者はエルディアだけでなく、他の五つの神々の国からも現れた。
信仰に疑問を抱く者、神の沈黙に怒りを覚えた者、
そして――ただ生きるために神を必要としなかった者たち。
彼らがマレウスの旗のもとに集った。
やがてマレウスは、一つの都市国家を手中に収める。
そこは、かつて白髭の老王が穏やかに治めていた街だった。
しかし今、その王は名ばかりの存在に過ぎない。
表向きは、いまだ老王が市政を担っているように見せかけているが――
実際には、都市のすべてがマレウスの支配下にある。
彼が築いたのは、神々の権威を否定する“人の王国”。
だがその理念の裏には、神の座す存在にすら届こうとする――
狂気と野心が、静かに息づいていた。
月明かりに照らされたベランダに、マレウスは静かに立っていた。
銀の光がその頬を撫で、赤い瞳が夜空の月を貫くように見つめている。
彼は薄く舌なめずりをし、唇の端に嗜虐めいた笑みを浮かべた。
「待っていろ、もうすぐだ……」
囁くように呟くと、手にした血のように濃いワインを一気にあおる。
グラスの底が月光を受け、鈍く光った。
その背後に、足音を忍ばせたレオンが現れる。
「陛下」
「首尾はどうだ?」
「はっ。計画は一つの狂いもなく、すべて順調に進んでおります」
「あの子供は? 神を殺せるほどには、育っているのか」
「二人とも、剣の扱いにはかなり慣れてまいりました」
「そうか」
夜空に背を向け、室内へと戻るマレウス。
その背を影のように従って歩くレオン。
机の上に広げられた周辺の地図を、マレウスは静かに見下ろした。
「ならば、そろそろ実戦を経験させろ」
「実戦ですか?」
マレウスは指先を地図の上で滑らせ、ある一点で止める。
「このあたりに確か、村があったな」
「はい。小さな村がございます」
「そこの人間を、殺させろ」
「はっ」
「それで度胸も付くだろう」
マレウスはそれを言うと地図を丸め、無造作にレオンの胸へと押し付ける。
地図を受け取ったレオンは、少しの躊躇も見せずに応えた。
「では、早速準備を始めます」
「ふむ」
窓の外、月光は冷たく世界を照らし続けていた。




