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音のない朝

作者:
掲載日:2025/11/07

 朝六時。

 街はいつも通り、完璧な静寂に包まれていた。

 「ノイズキャンセル都市計画」が始まって十年。

 人々は“音のない生活”に慣れきっていた。

 誰もが穏やかで、ストレスが減り、争いも少なくなったという。

 でも――沙耶は、何かが抜け落ちた気がしていた。


 通学路の角、古びた建物の裏。

 そこにだけ、世界から取り残されたように小さな音があった。

 最初は「チリ…」という微かな電子音。

 次の日は「ポロン」と弦のような響き。

 それは毎朝、少しずつ変わっていった。


 ある日、沙耶はその音を録音しようと端末を構えた。

 しかし、録音データには何も残らない。

 AIはその周波数を「存在しない音」として自動的に削除してしまうのだ。


 そのとき、背後から声がした――いや、「声の動き」が見えた。

 振り返ると、同じクラスの少年・蓮が立っていた。

 彼は唇の形で“聞こえる?”と問いかけた。

 沙耶は頷いた。


 二人は何日も同じ場所で音を探した。

 風の日、雨の日、街が夜の光に沈む日。

 音はまるで、二人を試すように近づいては遠ざかる。


 やがて、ある朝。

 いつものように静かな空気の中で、音が“溢れた”。

 電子音でも自然音でもない、温かな旋律だった。

 耳ではなく、胸の奥に響くような。

 ――人の声に似ていた。


 「……おかえり」

 そう聞こえた気がした。


 その瞬間、街の空気が震えた。

 AIによるノイズ除去システムが異常を検知し、警告の赤い光が点滅する。

 だが、消えない。

 音は止まらなかった。

 むしろ広がっていく。

 電線を伝い、建物を揺らし、人々の心に染み込むように。


 蓮が小さく笑った。

 「たぶん、これが“音楽”だよ」


 音楽――

 記録の中でしか知らなかった言葉。

 沙耶は目を閉じ、ただその音に身を委ねた。

 街の静寂が少しずつ解け、どこかで誰かが泣いているような気がした。


 政府のシステムが緊急遮断を試みても、もう遅かった。

 音は、ひとの心に記憶された“感情”を呼び覚ましていた。

 笑い声、歌、ささやき。

 誰もが忘れていた“生きている証”が、静かに戻っていく。


 翌朝、ニュースには何も流れなかった。

 都市は依然として「安全で静か」なままだ。

 けれど、沙耶と蓮だけは知っている。

 夜になると、街のどこかで小さく“音”が鳴る。

 それは機械ではなく、

 ひとの心が生み出す、世界でいちばん優しい音だった。

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― 新着の感想 ―
 音がなくても、どこかで音楽は鳴る。静かな喜びという感じですか。良いですね。
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