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第6話 限界の先へ

魔力循環を始めてから、もうひと月が過ぎていた。

布団に潜り込み、目を閉じ、心臓の鼓動に合わせて魔力を流す――それは今や毎晩の習慣になっている。


(……前よりも、流れは滑らかになった気がする。けど……)


掌を掲げ、小さな火を呼び出す。

ぽっと灯ったのは、相変わらず頼りない《ファイアボール》。

二発目を放った瞬間、胸の奥が空っぽになり、胃の奥から込み上げる吐き気に襲われ、膝が折れた。

三発目など、夢のまた夢。


「……っ、はぁ、はぁ……」


荒い呼吸を繰り返しながら、震える手を見つめる。

成果があるのかどうか、誰にも分からない努力。

魔力循環を重ねても、目に見える変化はなく、ただ気絶と吐き気に耐える日々。


(……意味があるのか? 本当に……)


その時、不意に記憶が揺らいだ。

夜の静寂の中に、別の世界の声が重なる。


――「パパー!」

車の中で響いた幼い叫び。

振り返ったとき、必死に手を伸ばす卓也の顔。


「……っ」


胸が軋み、息が詰まった。

目の前の暗闇に、今はもう届かない家族の影が浮かぶ。


――病室の匂い。

小さな体で苦しげに息をしていたエレン。

手のひらに残る、あのか細い温もり。


それらが断片的に蘇り、胸の奥を冷たく締め付けた。


(……あの時、守れなかった。俺は何もできなかった……)


だからこそ、この世界で「無能」と呼ばれることが、何よりも恐ろしかった。

また何もできずに、大切なものを失う――その悪夢を繰り返すのではないかと。


布団の中で、幼い体を丸めながら拳を握る。

汗ばんだ掌の奥で、小さな熱が確かに脈打っていた。


(……いやだ。今度こそ、絶対に守る。たとえ無能って言われても……諦めない)


瞼を閉じたまま、再び心臓に意識を集中させる。

どくん、どくんと響く鼓動。

その一拍ごとに、魔力を全身へと流すイメージを強く描いた。


それは、誰にも知られず、誰にも認められない孤独な修行だった。

だが、俺にとっては――唯一の希望だった。

庭の隅。夜露に濡れた芝生の上で、俺は両手を前に突き出した。

胸の奥の小さな炎を搾り出すように、必死で魔力をかき集める。


「――ファイアボール!」


ぽっ、と赤い光が生まれ、地面に弾けた。

一発。体の奥で何かが削り取られるような感覚。


「次だ……!」


額から汗が落ちる。心臓が早鐘を打ち、胸の奥が焼けるように熱い。

二発目を無理やり放つと、胃の奥から突き上げる吐き気に襲われ、視界がぐらりと揺れる。


――どさり。


体が崩れ落ち、冷たい芝が頬に触れた。


「……っ、はぁ、はぁ……」


喉が焼ける。手足は鉛のように重く、思うように動かせない。

二発。それが俺の限界。


三発目を撃つことなど考えられない。試す前に、体が完全に拒絶するのだ。

だから俺は毎回、ここで終わる。必ず吐き気と気絶がセットでやってくる。


(……これが、魔力を“使い切る”ってことか)


誰もやらない、いや、やれない訓練。

危険で愚かだと笑われるだけだろう。

けれど――。


「……俺は、無能じゃない……」


かすれた声が夜気に溶けた。


胸の奥に、かすかに残る熱。

幻かもしれない。思い込みかもしれない。

だが俺には、それが「昨日より一歩進めた」証のように思えた。



倒れ伏したまま、ぼんやりとした意識の底で、前世の光景がよみがえる。


「……ただいま」

帰宅した俺に、細い体を震わせて出迎えるエレン。

声にならない小さな「くぅん……」という鳴き声。

まるで「おかえり」と言いたいように。


守りきれなかった家族。

最後までそばにいてくれた、あの白い犬。


(今度こそ……守るんだ。無能のままじゃ、また何も守れない)


土にまみれた拳を握りしめる。涙が滲んでも、決意だけは揺らがなかった。


それからの日々は、同じことの繰り返しだった。


夜が来るたびに布団を抜け出し、庭の片隅で火を放つ。

――二発。

それが限界。

吐き気に倒れ、芝生に顔を埋め、気を失う。


目が覚めれば夜明けが近く、服は泥に汚れ、手のひらは擦り切れて血がにじんでいる。

侍女が「また汚して……」と首を傾げながら洗濯するのを、遠巻きに見ながら胸の奥がずしりと重くなった。


(誰にも……知られたくない)


父に見られれば叱られる。

兄たちに見られれば笑われる。

使用人に知られれば心配をかける。


だから、これは俺だけの戦いだ。



昼は剣。

兵士の振るう木剣を思い出しながら、裏庭で棒を握りしめる。

すぐに手の豆は潰れ、足は痺れ、腰は痛みに悲鳴をあげる。

けれど止めることはできなかった。


夜は魔法。

二発の火球で吐き気に沈み、気を失う。

時に布団へ戻る力も残らず、冷え切った芝生の上で夜を越したこともある。


(……何をやってるんだ、俺は)


自分でも、ふとそんな疑問がよぎる。

答えは出ない。

けれど、胸の奥にある熱だけは消えなかった。



気絶したあと、夢の中で前世の記憶が断片のように蘇ることがあった。


卓也の泣き声。

「エレン……」と小さな手を伸ばす姿。

恵子が肩に触れ、震える声で「亮介……」と呼ぶ響き。


そして、必ず思い出す。

白い犬――エレンの、か細い「くぅん」という声。

帰宅したとき、足元にすり寄ってきた温もり。


守れなかった家族。

もう一度失うなんて、絶対に嫌だ。


「……俺は……無能なんかじゃない」


夜風にかすれた声を溶かしながら、何度も誓った。



誰にも知られず、認められることもない努力。

孤独で、報われる保証もなく、痛みと吐き気ばかりが積み重なっていく。


それでも、諦めることだけはできなかった。

まるで、あの小さな声が背中を押してくれているかのように――。


何度も倒れ、何度も気絶した。

それでも翌朝にはまた立ち上がり、夜になれば布団の中で魔力を巡らせる。


成果は――ない。


《ファイアボール》は二発で尽きる。

三発目に挑もうとすれば、決まって胃が裏返るような吐き気に襲われ、意識を手放す。

翌朝には泥と血にまみれた手を見つめて、胸の奥に重たい鉛を抱え込む。


(……やっぱり、俺は無能なのか?)


そう思わずにいられない瞬間は何度もあった。

兄たちは日ごとに強さを増している。

ジークハルトは剣筋が鋭くなり、兵士ですら息を呑むような踏み込みを見せる。

コンラートは風魔法を操り、庭の木を軽々となぎ倒す。


「さすが剣聖様のご子息だ」

「二人とも、将来は必ず大成されますな」


そんな声が屋敷のあちこちで囁かれる。

それは誇らしいはずなのに、今の俺には胸を刺す刃でしかなかった。


(俺は、何を誇れるんだ……)



その夜も、布団の中で目を閉じた。

心臓の鼓動に意識を合わせ、魔力を全身に流す。

巡らせ、流し、そして尽きるまで。


けれど――ふと、別の考えが胸をかすめた。


(……火の玉に変えずに、ただ“流す”だけなら……?)


火を放てば庭に焦げ跡が残る。

何度も侍女に不思議そうな顔をされ、そのたびに胸がざわついた。

でも、もし火にせず“外へ流す”だけなら、誰にも気づかれずに続けられるかもしれない。


そう思った瞬間、胸の奥が小さく高鳴った。


(試す価値はある……!)



掌を上に向け、息を整える。

魔力を形にするイメージを切り捨て、ただ外に押し出すことだけを考える。


――すう、と。


指先から、何かが抜け落ちる感覚があった。

炎も光も生まれない。

けれど確かに、自分の中の“流れ”が外へ解き放たれていく。


「……っ……!」


鳥肌が立つ。

全身を駆け抜ける妙な虚脱感。

だが同時に、胸の奥で微かな熱が灯った。


(……これだ……!)


幻かもしれない。錯覚かもしれない。

けれど、この感覚こそが“突破口”になる気がした。



それは誰にも気づかれない、小さな一歩だった。

けれど孤独の中で必死にすがりついた少年にとって、それは何よりも眩しい「手応え」だった。


(無能だなんて、二度と言わせない……)


拳を握り、胸の奥で小さく呟いた。

その声は夜の静けさに溶けたが、確かな熱を残していた。


それからの日々、俺は新しい“方法”を取り入れた。


昼は木の棒を振り続け、汗と泥にまみれて倒れるまで剣の真似事を繰り返す。

夜は布団の中で魔力を巡らせ、最後に――掌からそっと魔力を外へ流す。


(形にしない。ただ外に出す……これなら屋敷を焦がすこともない)


誰にも気づかれない、誰にも理解されない修行。

けれど俺の中では、それが確かな「日課」になっていった。



最初は加減ができず、一度に魔力を放出しては全身が痺れ、気を失うこともあった。

翌朝、重い体を引きずりながら棒を握るたび、「またやるのか」と心が折れそうになった。


でも思い出す。


父の沈黙。

兄の冷静な言葉。

「無能」と囁く声。


そして前世で守れなかった家族の姿。

泣き叫ぶ卓也、崩れ落ちた恵子、病床のエレン。


(……同じことは、もう繰り返さない)



吐き気に襲われ、何度も気絶しながらも、俺は続けた。

魔力を放出しては眠り込み、目が覚めれば棒を振る。

剣と魔力、どちらも成果は見えない。

それでも「昨日より今日、今日より明日」という想いだけが、俺を突き動かしていた。


「努力だけは……誰にも負けない」


かすれた声でそう呟きながら、拳を握る。

その小さな声は、夜の静寂に消えていく。

けれど胸の奥には、確かに火種のような熱が残っていた。



やがて――この日課は、俺の生活そのものになった。

孤独の中で積み重ねるしかない努力。

誰も見ていない、誰も認めてくれない。

それでも、必ず未来に繋がると信じて。


無能と呼ばれた少年の静かな足掻きは、こうして確かな形を持ち始めていた。



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