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第1話 朝の庭と小さな宝探し

――目を覚ましたとき、俺は声にならない泣き声をあげていた。


(な、なんだ……? 体が……動かない……!)


手足は思うように動かせず、口から出るのは赤ん坊特有の泣き声だけ。

混乱する俺を、誰かの大きな手が優しく抱き上げた。


「……元気に産まれてきてくれたな」


低く落ち着いた声。

逞しい体躯の青年――アルマン。

その瞳には、迷いのない強さと父としての喜びが宿っていた。


続いて、柔らかな声が響く。


「アレン……私たちの、可愛い子」


微笑みながら頬を寄せる女性――マティルダ。

その眼差しには慈しみが溢れていて、胸の奥がじんわり熱くなった。

(……恵子……卓也……エレン……)

前世の家族の姿が脳裏をよぎり、涙がにじむ。


ただ――赤ん坊の体は容赦なく、俺を振り回す。

眠気に勝てず泣き、空腹で泣き、おむつの不快感に泣く。

三十を越えた大人の意識を持ちながら、結局は泣くしかできない。


「ふふっ……泣かなくても大丈夫よ」

母が布を手に、俺の小さな体をそっと持ち上げる。

恥ずかしくて心の中で叫んだ。

(や、やめろー! 俺はもう大人なんだぞ!?)


けれど次の瞬間。


「《クリーン》」


淡い光がふわりと降り注ぎ、肌を撫でる。

さっきまでの不快感が一瞬で消え、温かい風呂上がりのような心地よさに包まれた。


(な……にこれ……魔法……!?)


赤ん坊の俺は声を出せず、ただ目を丸くするしかない。

けれど、胸の奥に震えが走った。


――俺は本当に、魔法のある異世界に来たんだ。


父の大きな手に包まれ、母の微笑みを浴びながら、俺はただ小さく息を吐いた。

これが新しい人生の始まりだと、まだ知らないままに。



言葉を覚え、歩けるようになった頃――

俺は兄たちに振り回される日々を送っていた。


長兄ジークハルト。十歳。父アルマンの血を色濃く継ぎ、剣を握れば既に構えに隙がない。

「ほら、もっと腰を落とせ」

木剣を構える姿は真剣そのもので、幼いながらも威圧感すらあった。


次兄コンラート。七歳。天真爛漫で、剣を枝に持ち替えては「えいやー!」と駆け回る。

「アレン、こっちだ!」

声を張り上げながら俺の手を引っ張り、庭を駆け回る姿は、子犬そのものだった。


俺はといえば――。

「うわっ!」

ジーク兄の木剣を受け止められず、あっさりと吹っ飛ぶ。尻もちをつき、情けない声をあげるのが日常だ。


「ははっ、弱っ!」

コンラート兄が腹を抱えて笑う。

「……くそっ、次は負けない!」

枝を握り直し、歯を食いしばる。


その様子を少し離れた場所から見守る母マティルダは、微笑みながら手をかざす。

「《クリーン》」

泥だらけの俺の服が一瞬で清められる。

「まったく、また転んだのね」

呆れたように言いながらも、その声には優しさがにじんでいた。


***


そんなある日、俺の胸に小さな手が伸びてきた。

「……あにちゃ」


まだ一歳の妹――セラフィナだ。

ふわふわの栗色の髪を揺らし、よちよち歩きで俺を追ってくる。


「セラフィナ、おいで」

抱き上げると、小さな手がぎゅっと俺の服を握る。

にこっと笑った瞬間、胸がじんと熱くなった。


(……この子は、絶対に守らなきゃ)


前世で失った家族の記憶がよぎる。

恵子、卓也、そしてエレン。

その喪失感が、妹の体温に触れた瞬間、固い決意へと変わっていった。


***


それからの日々。


食卓では父が「ジーク、もっと野菜を」と注意すれば、長兄は真面目に姿勢を正す。

「はい、父上」

その横でコンラート兄は口いっぱいに肉を頬張り、俺はそれを見て苦笑する。


庭では兄たちの剣遊びに混じり、何度転んでも立ち上がる。

セラフィナは縁側から「にーちゃ、がんば!」と手を振り、俺の胸に火を灯す。


夜になれば、布団に潜り込んできた妹を抱きながら思う。

(俺は“無能”でも構わない。この家族を守れる力さえ手に入れば)


小さな寝息を聞きながら、心の奥でそう誓った。



夜の寝室。

窓の外には丸い月が浮かび、静かな光が差し込んでいた。


布団に横たわりながら、俺は深く息を吐く。

(……この世界に来て、もう五年か)


日々の生活は楽しい。

兄たちと庭を駆け回り、母の優しい声に包まれ、父の大きな背中を仰ぎ見る。

セラフィナの笑顔に触れるたび、胸の奥があたたかくなる。


だが同時に、夜の静けさの中で押し寄せるのは――前世の記憶。


潮の香りが漂う明石の街並み。

恵子の笑顔。

卓也の「パパー!」という無邪気な声。

布団の胸元で眠っていたエレンの温もり。


(……全部、あの日で終わった)

交通事故の衝撃と、最後に家族へ伸ばした手。

届かなかった指先の虚しさが、今も胸を締めつける。


「……守りたかったのに」

小さく吐き出した声は、月明かりに溶けて消えていった。


***


ふと、家族一人ひとりの姿が頭に浮かぶ。


父アルマン。

戦場に立てば、一振りで敵を薙ぎ払う剣聖。

その覇気に兵が鼓舞される姿を、幼い俺でも感じ取っていた。

(あんな存在……人間じゃないだろ)


母マティルダ。

柔和な微笑みの奥には、水と光を自在に操る魔導の才。

家事の合間に見せるちょっとした魔法すら、底知れぬ力を感じさせた。

(優しさの裏に、絶対的な強さがある……)


ジークハルト兄。

父の剣筋を受け継ぎ、十歳にして既に鋭さを帯びた動き。

彼が枝を振るうだけで、俺には避ける隙すら見えない。


コンラート兄。

お調子者で陽気だが、風の魔法に早くも適性を示し始めている。

木の葉を舞わせて見せたときの得意げな笑顔――あれは純粋に羨ましかった。


そして、俺。

(剣も魔法も……何ひとつ結果を出せていない)

兄たちと遊んでも負けてばかり。

魔力の片鱗すら掴めない。

(このままじゃ、“無能”って烙印を押されるかもしれない)


胸がひやりと冷える。


***


この国では、五歳になると神殿で魔力鑑定を受ける。

魔力量と適性――それが将来を決める分岐点だ。


剣士になるのか、魔術師になるのか。

それとも、何者でもないのか。


(もし、俺が“何者でもない”とされたら……)


喉がからからに乾いた。


守りたい家族がいる。

前世で果たせなかった願いを、この世界で叶えたい。

なのに、自分だけが置いていかれる未来が怖かった。


***


「……ん」


小さな気配。

布団の端で、セラフィナが目をこすりながら起き上がっていた。

まだ一歳の妹は、ふらふらと俺の方へ近寄り、小さな手を伸ばす。


「あにちゃ……?」


「……ごめん、起こしたか」

慌てて涙を拭き、笑みを作る。


「どーしたの……?」

首をかしげる仕草が愛らしい。


「ちょっとね。明日、大事なことがあるんだ」

不安を隠して答えると、彼女はにこっと笑った。


「だいじょーぶ!」


――根拠なんてない。

でも、その言葉は胸の奥にまっすぐ刺さった。


(……そうだ。俺は無能でもいい。

 大切な人を守れる強ささえあれば、それでいいんだ)


「ありがとう、セラフィナ」

小さな頭を撫でながら、心に誓った。


この世界で、今度こそ家族を守り抜く。

そのために、どんな結果でも受け入れて――進むんだ。


窓の外の月が、静かに輝きを増していった。



その朝は、普段よりもずっと早く目が覚めていた。

胸の奥がざわざわして眠れず、窓から差し込む光をただ見つめていたのだ。


「アレン、起きているか?」


低く響く父アルマンの声。

慌てて身支度を整え、居間へ降りると、家族全員が揃っていた。


ジークハルト兄は背筋を伸ばし、静かにパンを口に運んでいる。

(……さすがだな。緊張の色を見せない)


コンラート兄は、朝から元気いっぱいだ。

「なあ母上、今日の鑑定って、俺も一緒にできないのか? きっとすごい数値が出ると思うんだ!」

「ふふっ、コンラート。あなたはまだ七歳でしょう?」

母マティルダが微笑んで窘める。


俺はというと、目の前のスープをほとんど味わえなかった。

(食欲なんて……出るわけないよな)


すると、セラフィナがよちよちと椅子から身を乗り出し、スプーンを俺に突き出した。

「にーちゃ、あーん!」

兄たちが吹き出す。

「ぷっ、アレン、セラフィナに食べさせてもらえよ!」

「……っ、わかったよ」

恥ずかしさを堪えて口を開けると、妹は得意げに笑った。

その笑顔だけで、胸の奥の重さが少しだけ軽くなった気がする。


***


支度を終え、玄関に出ると、黒塗りの馬車が待っていた。

御者が深く頭を下げ、扉を開ける。


父が短く言う。

「行くぞ」


馬車に乗り込むと、革張りの座席から緊張が伝わってくるようだった。

車輪がゆっくりと軋みを上げ、屋敷を離れていく。


窓の外には、朝の光に照らされたオルレアンの街並み。

市場では既に人々の声が響き、パン屋からは焼きたての匂いが漂ってきた。

そんな日常の風景が、今日はやけに遠く見えた。


「兄上、俺は絶対すごい魔力量を出すぞ! 父上を超えるくらいの!」

コンラート兄が興奮気味に叫ぶ。

「お前はまだ子どもだ。浮かれるな」

ジーク兄は冷静に言い放ち、窓の外に視線を戻す。


「アレン」

父の低い声が響く。

「どんな結果であっても、それに縛られるな。お前はお前だ」


母も穏やかに続ける。

「そうよ。魔力の大小が、あなたの価値を決めるわけではないのだから」


胸の奥に、じんと温かさが広がった。

(……この人たちに守られているんだ。だからこそ、強くならなきゃ)


ふと隣を見ると、セラフィナが膝の上で眠そうに瞬きをしていた。

小さな手を俺に伸ばして、か細い声で囁く。

「あにちゃ、がんば……」


「……ありがとう」

震える声で返し、俺はそっとその手を握り返した。


馬車は街を抜け、石畳から広い街道へと入っていく。

遠くに白い神殿の尖塔が見えた瞬間、鼓動が早まった。


(もし“無能”と告げられたら……俺は、この家族を守れるのか?)


胸を押さえ、深く息を吸う。

窓の外の光景は刻一刻と近づいてくる。

――魔力鑑定という、最初の試練が待つ場所へ。

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