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思い出したのはしなやかさ

「では、失礼します」との言葉を残して、逃げ出す彼女の背中が、なつかしい高校時代のそれと同じだったから、思わず笑ってしまった。

 同時に、彼女を見た最後を思い出す。

 薄暗い部屋の中から、今と同じように、逃げ出したあの夜。


 今まで女の子に置き去りにされたことなどなかったから、あの時はとても面を食らった。

「では、さようなら」っと言い添えて彼女はドアから逃げた。

 居たたまれない気持ちにさせられたのは初めてだった。


 何もかも初めての彼女にあてられこっちもとても恥ずかしかったのだ。

 何をするにも驚いた反応に、びっくりしたし、あまりにも痛がるから、どうしたらいいのかわからなくて、気が付いたら自分だけが気持ちよかったと思う。


 あの夜のことを今まで忘れていた。


 あの当時の彼女のことで覚えていることはとても少ない。

 ただ、真面目を額物で飾ったような女生徒だったことや、自分とほぼ同時期に転入した女子という程度の認識で、なにより、いつも俺が別れ話をする場面に居たなくらいだ。


 小学6年生の夏の手前。

 英国から日本に帰国した。

 環境に馴染めないままだったのに、父方の実家はとても息苦しい場所だった。

 ぶっちゃけ、学校のほうが居心地がよかったことを思い出す。


 父方の実家は代々政治家を輩出しており、当時の祖父は大臣で、何をするにもとにかく息苦しい家だった。

 それは今でも変わらず、はっきり言って苦手だし大嫌いだ。


 2世、3世と揶揄されるが、父は生まれた当時はそれが当たり前の時代だった。

 父は、外務大臣のちに官房長官にまでなった祖父の唯一の男子として生を受け、すべての期待を背負わされたい息苦しい幼少期だったという。


 幼い頃から父は自分の家に閉塞感を感じていて、なにより政治家になる気は微塵も湧かなかった。

 ただし頭脳明晰ではあったので、チャレンジ精神で受験した日本の最高学府にうっかり合格し入学した。

 祖父は政治家に興味を示さない息子に諦めはあったが、東大に合格したありたから、再び、息子を後継者にすべく圧力をかけ始めた。

 父はそんな自分の親に日々嫌気がさした。


 周囲からも遠慮なく、卒業後の進路は私設秘書にだの言われ、地元の後援者との顔合わせに駆り出されるようになり、父ははっきりと危機感を持った。

 このままでは、親と周囲に人生のすべてを固められると。


 政治家には微塵も興味はなかったが、外交官に興味を持った父は、いかにして祖父の手から逃れるかを考えるようになった。

 入学した年に知り合い、付き合い始めた母と相談し、卒業を半年に控えた頃に学生結婚をすることにした。

 祖父の攻撃をかわすため、妻の実家の婿養子にもなった。

 この時、父は「成人って素晴らしい。親を通さなくても結婚できる」と叫んだという。


 母方の実家は江戸時代には江戸城御用達(主に大奥)の呉服問屋として大店を抱え、明治時代には資産をつぎ込んで商船を持ち世界の海で名を馳せた。

 明治政府の庇護のもと、世界と渡り合うだけの資力を蓄え、多方面に食指を伸ばし、いまや世界的にも有名な商事会社となった。


 母方の実家も、自分の娘が結婚したいたと連れてきた父の優秀さは理解しており、なにより身元もしっかりとしているので、以外なほどあっさりと娘との婚姻を受け入れた。

 いわゆる、政略結婚ではないが、閨閥結婚ではある。


 当人たちは両家の思惑とは別で、夫婦仲も良く、俺を含めて3人の息子に恵まれた。

 俺は上の二人とは程よく年齢が離れていた末っ子であったため、両親の過度な期待なく、教育にはある程度の厳しさはあったが、自由にそしてかなり甘やかされていた。


 上に優秀な兄がいるというのは、末っ子の彼にはかなりのプレッシャーだった。

 上の兄弟は優秀なうえに人としても大人だったので、二人とも俺をいじめることはなく、仕事の忙しい父替わりでもあった。

 時に家庭教師となり、時に保護者として遊びに連れて行ってくれ、何を言ってもかなえてくれる。

 なので、正直、それがどうしようもなく息苦しかったこともある。


 父の出世が見えてきて海外歴任が終わりを告げたころ、俺は日本に帰国することになった。

 上の二人はそれぞれ一番目は米国の大学を、二番目はイギリスの大学をすでに卒業していた。


 両親としては、将来を見据えて海外の大学をと考えていたが、さすがに小学生の子供をひとり海外留学させる気もなく、かといって一人で日本に帰らせるわけにもいかず、政治家という圧力のきつい父方の実家ではなく、母方の実家に俺を預けた。


 母方の祖父母はこれがなかなかに躾に厳しい人で、それまでとんでもなく甘やかされた俺をビシバシと矯正しだした。

 ただしこの祖父母の素晴らしいところは、頭ごなしではなかったことだ。

 飴と鞭を華麗に使い分けて、扱いにくい俺を時に褒め、時にげんこつで分からせた。

 学習面から始まり生活態度まで、祖父母は大切に育ててくれた。


 何か所か見学に行った学校で、両親は進学校の私立を勧めたが、俺はそこに行きたいとは思えなかった。

 あるとき、最後に見学に行った私立は、頭脳レベルは進学校より落ちるが、校風が自由なと所に魅力を感じた。

 俺はどうしても、そこに行きたいと祖父母に告げると、祖父母は両親を説得してくれ編入した。


 1か月くらい前にやはり編入した子がいると聞いて、興味本位で探れば、至極普通のどこにでもいる女の子だった。

 成績は悪くはない。

 トップではないが、上位のクラス。

 容姿はふつうよりちょっと上くらい。

 ただし、圧倒的に地味だった。


 特別に目立つこともなく、一言でいえば「普通」。

 なので、彼女を特に気にすることもなく、中学に進学した。


 この頃から、父方の祖父が頻繁に俺を誘っては連れ出し、自分の跡を継いでほしいみたいなことを言い出して、正直、いや、かなりうっとうしくてたまらなかった。

 はっきり言えばうるさいし迷惑だ。

 自分の孫にまで、その権力をふるうクソ爺を好きになれるわけがない。


 母方の祖父母は将来の事を言ったり、喚いたり懇願したりしないから、その落差に驚いた。

 この頃から父方の祖父のことが大嫌いになった。

 祖父は政治家を引退して、娘婿が地盤をついで政治家になっていたが、息子に恵まれなかった。

 頭が昭和初期の古ぼけた骨董品なので、政治家は「男の仕事」だと思っていて、孫娘を政治家にしようとは思わず、とにかく俺に圧力をかけてきた。


 上の兄二人がすでに就職して、祖父とは絶縁したこともあって、まだ中学生の俺ならなんとかできると思っていたのかもしれない。

 俺は別に政治家になんぞなりたいわけではなかった。


 そんな祖父の行動で追い詰められたのが、父の妹だった。

 父が婿養子になったことで、叔母は跡取り娘となってしまった。

 叔母の一人は、父が婿養子になったとたんに、自分も危ないと思ったのか、親の承諾がなくても婚姻できる年齢になると、父同様に当時付き合っていた男性とすぐに入籍をして、海外に逃げてしまった。


 残されたもう一人の叔母は、俺の目から見ても依存タイプのイラつくほどに自分がない人だ。

 父親に反抗する気概も、自分の意見を言える勇気もなく、いつも自分が貧乏くじを引かされたのだと、めそめそ、グチグチいうタイプ、根暗で恨みがましくひがみ体質だった。

 いかに自分が不幸なのかを、俺の家に来ては、母にぶつける最低の女だった。


 母はこの叔母とは正反対で、社交的で明るく、前向きで、お嬢様として育ったおっとりした部分がありながら、豪胆な部分もある人だ。

 そのような母親をもった俺は、この叔母がとにかく気持ち悪いの一言に尽きる。

 父は二人いる妹のうち、一番下の妹とはそりが合わないとよく言っていた。

 そりゃ合わないだろうな。

 あんなじめっとしたなめくじみたいな女とは。

 血のつながりがあっても、無理なものは無理。


 叔母は結婚の時ですら意志を貫く勇気も、自分で交際相手をさがす気概もなく、父親の連れてきた人物を夫にした。

 それだって、嫌なら家出するくらいすればいいのに、それすらもしない。


 家を出るなら手助けをするという父や母、自身の姉の言葉にすら、「でもでもだって」を繰りかえし、結局は、流されるのが楽だからという人なので、俺はこの叔母を心底軽蔑していたし、我が家にいるのを見ると、嘲りの表情を浮かべてやっていた。


 伯母もそれを敏感に察してか、足しげくグチグチいうために通った我が家には来なくなった。

 後から両親と祖父母、それに叔父たちに「性格が悪い」と怒られたが、生理的に無理だ、と言えば、さすがに何かを察した父は口をつぐんだ。


 実際、結婚して子供を3人も設けたくせに、いつまでたっても子供のポジションにいる人で、精神的に弱いのか、知らないけど、いつもメソメソグチグチいうだけで、現状を変えようともせず、そのくせ、人の顔色をうかがう事だけは得意なんだから、気持ち悪いこのこの上ない。


 この叔母もだが、父方の祖父の政治家への勧誘にもうんざりしていた俺は、中学の3年あたりから、夜遊びを覚え、ちょっとはめをハズはようになった。

 鷹嶺の祖父母と叔父は、はめを外すようになった俺を心配して、父に実家のゴタゴタをなんとかしろ、とせっついたらしい。


 高校に入ると、父方の祖父の圧力はより一層増してきたし、なにより自分の孫娘と結婚して、後をつげと命令するようになった。

 言葉には出来ないが、死ねよ、クソじじいっていつも思っていた。

 あんなじめじめ女の生んだ子供なんて、そっくりすぎてご免被る。


 年上のおねーさまと遊ぶことの多かった俺は、ぞくにいうヤリチンになった。

 ただし、自分の顔面偏差値が高く、女子受けするのは理解していたので、変な女に引っかかって、家に迷惑をかけることのないように、細心の注意を払って吟味していた。

 そんな矢先「六本木あたりで政治家の孫娘が派手に遊んで、ヤバいことになっている」という噂を聞いた。


 じめじめした叔母が生んだ一番上のいとこだった。

 同時に、俺とは同じ年になる従姉妹が接触してきた。

 家の中が、もうグチャグチャだと。


 じめじめな叔母は、自分のうまくいかない人生を、子供に八つ当たりすることで晴らしていたらしい。

 俗にいう虐待だ。

 それを聞いた俺は、長女と次女の話を聞いて父に告げた。

 そんなゴタゴタを見ていたら、俺は恵まれた自分の家にすこぶる感謝と感激をしつつ、今までの経緯も全部父親にぶちまけた。


 父は驚きつつ、祖父が接触してきたことを俺に謝罪して、二度と接触してこないようにすると告げた。

 予防線をはるため母方の実家で生活することになり、俺は再び、祖父母の厳しい管理下に置かれた。


 高校3年生の春先だった。


 中学からはじけていたので、記憶は薄いけれど、はじけていた頃に、女がらみでいつも修羅場を見られたのが、彼女だった。

 何故か、いつも「そこ」にいたのだ。


 軽蔑するでもなく、揶揄うでもなく、ただ傍観している。

 高校時代の彼女の印象も、真面目で地味な子でしかなかった。

 すこぶる優秀でもなく、かといって落ちこぼれでもなく。

 まるで、その位置を好んでいるかのような。


 家がゴタゴタしていた頃、2個下の子と付き合うようになった。

 見るからに清楚で優しくて、何より可愛い。

 初めて大切にしたいと思える子だった。


 その半年間は普通のキヨイお付き合いをした。

 遅れてきた甘酸っぱくもない青春だった。

 かもしれない。


 父方の実家のゴタゴタはまだ続いていたようだが、俺は受験が控えていたので、それには全く触れなかったし、祖父母も特別何も言わなかった。

 時々、両親が様子を見に来たが、落ち着いた俺をみて安心していた。


 大学受験も控えた12月。

 クラスでも仲の良かった奴から届いたSNSで俺は初めて、彼女の父親ががんを患って、遠方で療養していたことを知った。

 受験を控えた年の瀬も迫った12月に息を引き取ったことも。

 クラス全員でご焼香に出向くというので、俺も一緒に行くことにした。


 行った先で、まさか、あの二人が彼女に献身的に協力していたことに驚きはしたが。

 彼女の家だってゴタゴタしていたはずなのに、学校でそんなことはおくびにも出してなかったことに俺は正直、驚いた。

 俺の周囲にいた女は特に従姉妹やじめじめ叔母は、察してチャンのウザイ女が多いからだ。


 そんな矢先、俺は再び、クラスメイトから彼女の母が亡くなったことを聞いた。

 父親の死から49日も過ぎてない、やっと年が明けた1月の出来事だった。

 時期が時期なので、学校側も公表は控えたらしく、俺がそれを知ったのも偶然だった。

 受験があるうえ、自死であることから行かない連中もいるなか、俺は祖父母に事情を話して、運転手を用意してもらい、葬儀に出向いた。


 父親との時とは違い、母親の葬儀は身内だけでひっそりと執り行ったらしい。

 参列客もほとんどいなかった。


 彼女に声をかけたら、とても驚いた顔をして、それがおかしくて笑っていた彼女が嗚咽をもらした。

 落ち着いた頃、彼女はぽつり、ぽつりと話をし始めた。


 父の両親はすでに他界している事、母は災害孤児で親戚がいないこと、転校する前は北海道に住んでいたこと。

 住んでいた北海道で交通事故にあい、弟が死んでいる事。


 最後に彼女が「世界にひとり取り残された感じ」とさみしそうにつぶやくから、思わず抱きしめたら、彼女は笑って「ぬくもりありがとう。でも、叔母がいてくれるから大丈夫」だといった。


 初めて彼女のブレのない芯の強さに衝撃を受けた。


 家に帰る車の中も流れ夜景を見て、俺は無性に自分自身が悲しくなった。

 いつも地味で真面目な同級生くらいにしか思ってなかった。

 いつも俺の修羅場にいるなぁと。

 自分は色々意味で恵まれた環境にいるのに、それを何ひとつ生かせていない。

 だから、一人で米国に行って、自分の根性を叩き直そうと決心した。


 次の日、祖父母と両親に、米国の大学に行くために留学したいと告げた。

 高校を卒業したらすぐにでも渡米したいと。

 両親も祖父母も、心のどこかではそれを望んでいたのか、すぐに手配すると言ってくれた。

 だから、「ありがとう。自分でまだ何もできないから、宜しくお願いします」と告げたら、母ではなく、なぜか父と兄が泣いた。

 意味が分からない。



 卒業式を終えて、1週間後に渡米した。


 祖父母が手配した家庭教師や大学へのコーディネーターは恐ろしくスパルタだった。

 はっきり言うが、自分はそこそこ、なんでもできる、お勉強もできると思っていたのに、それが根底から突き崩されることばかりだった。


 が、意地で入学を勝ちとり、学生寮に入った。

 はっきり言って地獄の日々だった。

 あれは入る寮によっても特色があるから、合わない場合は本当に地獄だ。

 1年我慢したが、その寮で仲良くなった数人と一緒に、卒業する先輩から譲り受けたルームシェアに入った。

 両親は一人暮らしでもいいと言ってくれたが、これは断った。


 ルームシェアは男3人と女2人だった。

 うち女性は2才上で一人はすでに社会人。

 男は、同学年でアラバマ出身と、イタリア出身だった。


 大学時代は交友関係はとても広く築いたし、色々なゼミやボランティアにも参加し、成績優秀に部類だった。

 当然だ。

 俺はもともと偏差値の高い男だった。


 3年の時、ルームシェアをしていた女子から紹介された子と付き合い始めたが、半年たたずに別れた。

 その後とも適当に付き合いつつ、特定の彼女はつくらなかったものの、やりたい盛りのついた男の子なので、体のお付き合いの女性もいた。


 そのうち、卒業を控え、高嶺に入社が決まったころ、インターン先で知り合った女性のアプローチで付き合い始め、一緒に住み始めた。

 結婚を視野にしていたかと言われると、互いにそれは一切なかった。

 ただ、互いに居心地のいい相手だった。


 彼女は日本語を覚えたいと言っていたし、俺も家探しに時間を割くのが嫌だった。

 同棲を始めて3年くらいした後、彼女は念願の日本支店への転勤になり、俺も欧州支社に内示を受けたので、そこで関係は終わった。


 彼女は、いま、日本人と結婚して、2児の母になったらしい。

 時々、元気にしているというメールが届く。

 日本の本社に転属になったと伝えたら、時間が出来たら夫を紹介したいと言っていた。

 夫は公務員だと言っていた。

 マジか…。



 去年、久しぶりに日本に帰国した際に、会社の社長をしている伯父から、エネルギー部門のひとつに席があくから、将来を見据えて戻ってこないかと言われた。

 会社を継ぐ気はさらさらないが、10年ちかく日本をはなれていたし、帰るのもいいのではないかと思った。


 日本に戻ってしばらくは実家に戻ったが、10年近くを親と離れて過ごしたからか、どうにも息苦しいので、早々に自宅を探すことにした。

 が、とにかく時間が取れない。

 そんなに時に母親が、投資用に購入したマンションが空いているから、しばらくはそこに住んでもいいと言ってくれた。

 親の世話になるのはどうかとも思ったが、実際、仕事が忙しく、海外との往復で家を見に行く時間はないことから、貸してもらうことにした。

 そういえば、うちの母は高嶺持ち株会社の大株主だったなと思いだした。


 そんなこんなで始まった日本での生活は、あまりの忙しさにプライベートはほぼない。


 彼女と再会したのは、やっと生活が落ち着いてきた矢先だった。

 米国時代に彼女を思い出したのかと言われたら、ない。

 ただし、全くなかったかと問われると、いいや。

 である。


 高校時代の友人とは時々、連絡のやり取りをしていたので、思い出したことはあった。


 俺はそれなりにお盛んな男の子だったので、彼女が初めての相手ではない。

 ただし、処女を抱いたのは彼女が初めてで、その後も処女を抱いたことはない。

 強烈な思い出なのかといわれれば、そうでもない。

 巷で言うところの処女じゃないと嫌だというのはないし、セックスはあくまでもコミュニケーションの一つだと思っていたから。


 そもそも、お盛んな男子だったので、それなりに抱いた子がたくさんいた。

 続いた子もいれば、1度限りもある。

 変な病気をもらわずにいたのは、そのあたりはちゃんと選んでいたこともある。

 人間、遊ぶにも限度があるし、マナーも守らなければならない。


 再会した時、不思議と鮮明に彼女のことを思い出した。

 彼女を制服のまま抱いたこととか、そんなことではなく。

 彼女のしなやかな芯の強さを思い出したのだ。


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