赤く光るもの
「ノライ、今日はねちょっといい事があったのよ」
仕事を終えて帰宅すると、アヤカは部屋着に着替えながらバレーボール大の瑞々しい蕾に声をかけた。
あれからノライの蕾は大きくなっていない。おそらく、水しか与えていないからかもしれない。メアリの浴室にあったノライの根が人を取り込んだのを目の当たりにし、自分のノライにはそんな事をさせたくないし、もちろんできる訳がないのだ。そのかわり、たくさん話しかけ愛でる事にした。
もう、アヤカが仲良しだと思っていたあの人はメアリのノライに吸収されてしまった。しかもあの人が自主的にそれを望んだのだとメアリは言った。
「ノライ、私たちは静かにのんびり過ごしていこうね」
アヤカはたっぷりの水を水槽にそそぎ、話しかけ微笑みかけた。蕾の下から伸びている白い根が微かに動く。
アヤカはお気に入りのひとり掛けソファーをノライの水槽の前に置いて、深く腰掛けた。
「ノライ、今日いい事があったって、さっき言ったでしょ。あのね、私、職場に向かう途中に転んじゃったのね」
そう言って目の前の艶やかな黄緑色の蕾を見つめる。
「もちろん転んだのがいい事じゃないわよ。恥ずかしいからすぐに起きあがったわよ。そして服の乱れを直していたら、上着のポケットがほんの少し膨らんでいたの。中を探ったら転んだ拍子に入ったのか、小さな石ころがあったのね」
アヤカは水槽の中で自由に伸びている白い根を見つめた。
「それがね、ただの石ころじゃなかったよ。見て!」
右手の親指と人さし指で、その石を摘まんでノライに見せた。2センチ角ぐらいの透き通った赤い石だった。
「綺麗でしょう。ルビーみたい。この色はテンションが上がると思わない」
ノライに向かって掲げた石に部屋の灯りが透過して黄緑色の蕾にレーザーポインターで当てられたような赤い点が現れた。
「黄緑と赤って補色っぽい取り合わせね。ちょっと目がチカチカするわ。これ、欲しい?私が持っていても宝の持ち腐れだから、あなたにあげる」
アヤカが赤い石を水槽にポチャンと落とした。
白い根が静かに赤い石を絡め取り美しい赤は見えなくなった。
翌朝、カーテンを開けて陽の光を部屋中に取り込むと、窓辺のノライも生き生きとして蕾が益々ぷっくりと膨らんだ。
水槽を水で満たしながら
「おはよう。今日も良い天気で気分が上がるわね」
アヤカが挨拶をする。
「それじゃ留守番よろしくね。いってきます」
蕾を軽く撫でてアヤカは家を出た。
すると、ノライの蕾の中側がぼうっと赤く光った。
古い戸建ての奥にある浴室。そこの大きな浴槽からはみ出そうなくらい白く太い根を伸ばしている大きなノライの蕾の中側がぼうっと紫に光った。
「あら、あなたがそんな色に光るなんて、どうしたの?」
メアリが話しかける。
もちろんノライは答えない。
「ああ、この世に存在するわずかな数のノライのどれかがあなたに信号を送ってきたのかしら。この世にどのぐらいあなたの仲間がいるの知らないけど」
私にはそんな事、関係ないわと思いながら、浴槽に水を満たすとメアリは浴室を出ていった。




