包むもの
私には、もう体が存在しないのかもしれない。
それならそれで構わない。ただ、メアリの瞳だけはずっと見続けていかった。あの淡いグレーの中に赤や緑やオレンジとか青や紫が浮かんでは消え、引き込まれそうになる。吸い込まれそうになる。それは私を震えるほど興奮させる。あっという間に絶頂に達する。
なのに今は何も感じないだけではなく、何も見えない。あの美しい瞳が見たい。見たい。見た……い。
「私はメアリ。あなたの名前を聞いてもいい?」
浴槽の蕾の前で美しい露天商が名乗った。
「アヤカです」
「いい名前ね」
「あの……あの人は、ここに来てますよね」
「私のノライは大きいでしょう。なんでこのサイズまで育ったのか、アヤカさん、あなたはもうわかってるわよね」
メアリは挑むような目線をアヤカに向けた。
「言っている意味がわかりません」
アヤカはメアリの目から自分の目を逸らさず答えた。
「この子は、ノライは、水だけで充分育つわ。でも肉食でもあるの。ただ、それはこの子に限らず植物は動物性の成分で成長を促されたりするでしょ。同じ植物なのに他よりもやたら青々育っているところを掘り起こすと動物の死体が埋まっていたなんて話を聞いたことがあるわ」
メアリは淡々と話を続ける。
「あなたのノライも最初は虫、そして小動物あたりはもう摂取したんじゃない?」
アヤカは何も言わずに目の前のメアリを睨むように見つめた。
「ウチの子は昨夜、とうとう人を摂取したの。もうすぐ排泄の時間だわ」
「人を摂取、排泄。何を言っているの」
アヤカは眉間に皺を寄せて声を絞り出した。メアリは淡々と話を進める。
「見て。蕾が開くわ」
彼女に促されて、アヤカは浴槽に浮かぶ蕾を見つめた。
私を覆い包んでいたものが一枚ずつ剥がれていくようだった。暗闇が灰色になり仄明るくなって、そして視界が開けた。なぜか目の前が揺らめいているが、それでも正面にあの美しい瞳を捉えた。やはり綺麗だ。口に含んで呑み込んで自分の一部にしたかった。
ああ、気持ちが高ぶる。興奮が収まらない。そして間もなく脱力した。私は幸福感に満たされて心穏やかになった。
落ち着いた私は、改めて目の前を見渡した。
そこには、なぜかアヤカの姿があった。なぜあの子がここにいるのだろうか。問いたかったがそれは叶わなかった。私は声が出せなかった。相手の声も聞こえない。そして目の前が揺らめいている。目が回り気分が悪くなった。
やがて私の前にシルクのような薄いものが迫ってきた。それが幾重にも私を包み周りの光が遮られ暗闇の中、意識が失われていった。
「アヤカ、今のを見た?あれはノライが摂取したものの排泄物よ」
メアリは花のような笑顔を見せた。
「な、何を言っているの!」
アヤカはメアリに掴みかかった。
「放して。アヤカ、今のを見たでしょう。最期に花弁の中から見せた幸せそうな顔」
「あの人はどうなったの」
アヤカが低い声で聞く。
「あの美しい花びらが包んで消滅したわ」
メアリは一回り大きくなった蕾を優しく擦った。