包まれるもの
私は、メアリの住まいへ招待され有頂天になっていた。彼女は私の部屋には頻繁に来てくれたが、未だに彼女の暮らしているところには行っていない。まあ、メアリと一緒にいられるのなら、その場所はどこでも良いのだ。ぶっちゃけ、彼女との会話のきっかけに使ったノライのことなど今はもう、どうでもよかった。でも、彼女が生活をしているところには是非とも訪れてみたかった。
週末に彼女が迎えに来てくれると言ったので、私はまるで遠足前夜の子どものようにテンション高く過ごしていた。
金曜日の夜、メアリは私のアパートを訪れ、翌日の朝まで私たちはまったりと過ごした。そして、遅い朝食をとり昼過ぎにアパートを出た。
「ここから、結構近いのよ」
メアリは私の耳元で言いながら腕を組んできた。ただ、私は気づかなかった。腕を組んだ時に彼女はチラリと後ろの方を見ていた。彼女は何かに気づいていたようだ。
その日アヤカは、前に御縁日で行った神社にお参りをして、その足で露天商のいた大通りを歩いていた。そして、見覚えのある後ろ姿を見つけてしまった。誰かと腕を組み、仲睦まじそうに体を寄せて歩いている。頭を思い切りゲンコツで殴られたように目の前がチカチカする。彼女は無意識のうちに二人の後をつけていた。碁盤の目のように整備された住宅地を通り過ぎて、やがて辿り着いたのは、古い一戸建てだった。その両隣の家は人が住んでいる気配を感じなかった。
アヤカはしばらくそこに佇んでいたが、深いため息を一つ吐いて踵を返した。
メアリの家は古い造りだったが居心地は良かった。夜になって雨戸を閉め、弱い光量で照らされた部屋は妙に落ち着いた。私は勧められたソファーにどさっと腰を下ろし、彼女が淹れてくれた香り高い紅茶を味わいながら周りを見回す。私は潜水など経験が無いのだが、水の中、深く潜ったような不思議な感覚が体に纏わり付いた。
「メアリ、こっちに来て」
私は、キッチンにでもいるのか姿の見えない彼女を呼んだ。
「なあに」
と、言いながらメアリが私の前に現れ隣にそっと座った。こちらを向いた彼女の髪をかき上げ、美しい目がよく見えるようにした。
薄暗い中でも彼女の瞳は様々な色を浮かび上がらせ、私は吸い込まれそうになった。いや、本当に吸い込まれるのではないかと思った。そして、私はメアリの胸に倒れ込んだ。
アヤカは眠れなかった。電話をかけたが繋がらない。昨日見かけた姿は間違いなくあの人だ。一緒に歩いていたのは、多分ノライを売っていた露天商の女の人に違いない。気持ちがモヤモヤする。これは決して彼女が焼きもちを妬いているわけではない。嫌な予感がするのだ。
朝になり、アヤカは決心した。やはり、あの古びた家に行ってみよう。
「ノライ」
彼女はアクリル水槽に浮かんでいる黄緑色のバレーボール大まで大きくなった蕾をそっと撫でた。
そしてその日の午後、アヤカは前日に二人の後をつけて辿り着いたあの家に向かった。
そこの玄関で深呼吸をする。
呼び鈴やインターホンは見当たらなかった。思い切ってドアをノックしようとした時、そのドアが開いた。
顔を出したのは、やはりあの露天商だった。
「どうぞ。靴は履いたままで結構よ」
メアリがアヤカを招き入れた。
「おじゃまします」
アヤカは靴を脱がずに家にあがった。
「あなたのノライは元気?」
「はい。少し大きくなりました。あの……」
アヤカの聞きたいことを遮るようにメアリが話し始める。
「ウチの子を見てくれる。とっても大きいのよ」
「あの……」
メアリはアヤカの手を取り家の奥へ引っ張って行った。
廊下を進み突き当たりのドアを開けると脱衣所だった。
そしてその奥の、
「そう、この先はお風呂場よ」
扉をメアリが開けた。
二坪ほどの広さの浴室に、畳二枚分の浴槽があった。一般的な浴室より広く大きな浴槽だ。そこにノライが浮かんでいた。彼女の言う通り、人が一人隠せるぐらいのかなり大きな蕾だった。
メアリが自宅に招いてくれた夜、意識が薄れつつある私はもう自分で動くことはできなかった。まあ、メアリが望んだことならそれも構わないと思っている。
昨夜、私がメアリの目をずっと眺めていたいと告白したら、彼女は言ったのだ。望みを叶えてあげると。そうか、その望みは叶うのか。それが本当なら、この上ない幸せだ。そのかわりメアリは彼女の希望も聞いて欲しいと言った。もちろん私にできる事なら何でもする。ただ、今、私はどこにいるんだろう。意識は朦朧として足が思うように動かないので引きずられるように連れて行かれたのは、とても湿度の高いところのようだ。
「少しの間、辛いけど我慢してね。すぐ楽になるわ」
遠くでメアリの声がする。
ざん。ぶくぶく。ぶくぶくぶく。私は水に沈んだのだろうか。口から鼻から耳の穴から水が入ってくる。苦しい。何かが体に絡みついてきた。痛い。無数の針に刺されたようだ。その途端私の意識は完全に消え去った。
どのくらい時が経ったのだろう。
もう、私は私の体の感覚が無くなっているのがわかった。そのためか全く苦しくなかった。と、言うか私は生きているのだろうか。感覚は無いのに何かに包まれているのは理解できた。それは感触などわからないのに、安堵や安寧と言う言葉が浮かんだ。
それにしても、ここはどこなのだろう。ここにいて私のただ一つの望み、メアリの美しい瞳をずっと眺めていられるのだろうか。