ここに馴染むもの
海辺の町での生活は穏やかだった。
アヤカは朝目覚めると布団をたたんで押し入れに片づけ、朝食の前に海岸を散歩するのが日課になっていた。
部屋を出て階段を下りると、そこの女将が廊下を拭き掃除していた。
彼女の名は熱川可南子と言う。その夫は権三だ。
「アヤカちゃん、おはよう。散歩かい」
可南子が掃除の手を止めて挨拶をする。
「おはようございます。はい。海風に当たってきます。帰ってきたら、お手伝いしますね」
最近はここの夫婦とすっかり打ち解けて、アヤカも祖父母といるような気持ちで接していた。
「いってらっしゃい」
可南子に見送られて民宿を出るとアヤカは海岸へ向かった。
今日もいい天気だ。ただ冬の海風は思ったより冷たかった。
「アカ、寒ーい」
首からぶら下げたお守りのような小さな巾着袋をそっと握りながら叫んだ。
──アヤカ、前より明るくなったね。
「そうかな。私は変わってないと思うけど」
──泊まってるところの人と、すぐ仲良くなった。
「確かに、可南子さんて気さくで素朴な感じだから、気を使わずに付き合えているね」
──アヤカが幸せそうにしているのは私も嬉しい。
「それはあなたと一緒にいるからよ」
アヤカは、今、心から満たされていると心から思った。
散歩から戻ると台所からかつおだしの効いた味噌汁の匂いがした。
アヤカは
「ただいま」
と言って、流しで手を洗い可南子の隣に立った。
「お帰り」
可南子は鯖の焼き具合を確認しながらこちらを見た。
「可南子さん、味噌汁よそっていい?」
「ああ。お願い」
二人で並んでいる後ろ姿は、故郷に泊まりに来ている孫と祖母のようだった。熱川夫婦とすっかり打ち解けて家族同然のアヤカは、夫婦の居住スペースにある居間で卓袱台を囲んで食事をするようになっていた。
今朝は、わかめと油揚げの味噌汁と焼き塩鯖、大根と葱のぬか漬け、昆布の佃煮、昨日の残りの肉じゃがが卓袱台に並び
「いただきます」
三人は一緒に食事をした。
アヤカと可南子は昨夜見たテレビドラマの話をして、権三は黙って二人の話を聞いていた。
他愛もない話が途切れたところで、可南子が真面目な顔でアヤカを見た。
「あのね、私たちには子どもがいなくて、だから当然孫もいないの。それでね、あなたが迷惑でなければ宿泊客ではなく、親戚の子みたいな感覚でいつまでもここにいてくれないかなって。もちろん宿賃なんていらないわ。私たちと家の中を掃除したり一緒に買い出しに行ったり付き合ってくれれば」
だが、アヤカはすぐには返事をすることが出来なかった。彼女はアカと共に逃げてきたのだから。いつ、オスのノライに気づかれて、あの太く白い貪欲な根が襲って来るかわからないのだ。そんなことが起きたら、この優しい夫婦に迷惑がかかってしまう。いや、迷惑どころではない。とても危険な目に遭わせてしまう。
黙って俯くアヤカに可南子が
「別にどうしてもってことじゃないのよ。ごめんなさいね。変なことを言っちゃって。今言ったことは忘れてちょうだい」
慌てて言った。
「違うんです」
「ん?」
「私、可南子さんにそう言ってもらってとっても嬉しいです。でも私、実は逃げてきたんです」
「誰から」
「あの、信じてもらえないかも知れないけど、私は、ある植物の根から逃げています」
「えっ?」
可南子は何を言っていいのかわからないといった顔をした。




