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第18話 アポルンの竪琴を叩き売る少女!

我輩は猫である。名前は「ポス」という。


 港で売られておったサバを食して以来、人間の言葉を解し、そして話せるようにもなった、とっても賢い猫なのである。


 元々は、自由気ままな野良猫であったが、現在はわけあって、演奏家のヘメロスの元へ居候させてもらっておる。

 

 ちなみに「ポス」という名前であるが、これはへメロスが勝手に我輩につけた名である。なんでも、ヘメロスが子供の頃に共に過ごしたという、とある子猫の名であるらしい。

 我輩はそのポスとやらではないというのに、あやつは事あるごとに、ポスポスポスポスと我輩のことを指してそう呼んでくるのだ。

 まあ、我輩としては「お前」やら「そこの猫」と呼ばれるよりはマシだろうと思い、仕方が無く、その名で呼ぶことを許してやっているわけである。


 興味本位で、そのポスなる子猫も、我輩と同じサバトラだったのかと尋ねると、あやつは「いんや。オスの三毛猫だった」と、ふざけたことをのたまう。オスの三毛などおるわけがなかろう、嘘も大概にせよと返すと、へメロスは「人間と話せる猫の方が嘘っぽいだろーが」とあくび混じりに返してきた。そう言われると返す言葉も無いのであるが。


 それはともかくとして。

 

 3週間程度、ヘメロスという男と共に過ごして判明したことであるが……こやつは基本的に自堕落な人間である。

 

 新曲を生み出さねばならぬと口では言いつつも、それのために建設的な行動をとろうとはしないし、したとしても、それが長続きした試しがない。


 彼が我輩の前ですることと言えば、机に向かって筆を取り、思い悩むような顔をした後で、うんうんと唸りだしたかと思えば、「オレがやりてえ曲っつーのは、こういうもんじゃあねーんだよなー」と、ふてくされたようにつぶやいてから、ゴロリとベッドに横になり「果報は寝て待てというもんな。だからオレはあせらず寝るぜ!」とそのまま眠るだけである。


 今、我輩がヘメロスに買ってもらった爪研ぎ器で、気持ちよく爪の手入れをしているその間も、こやつは昼にも関わらずゴロンとベッドに横になり、果報とやらを待っておったが、突然、「うるせえなあ!」と大声を発した。


「うるさい? もしや、我輩の爪を研ぐ音がか?」

「ちげーよ。ネズミがとっとこ天井裏を走ってやがるだろ? あの音が耳障りなんだよ」


 なるほど、さっきからトコトコと天井を叩くような音がする。ネズミが数匹、おそらくは一家族様が過ごしておるのだろう。


「おいポス。あれはお前の好物だろう。いっちょ取って食ってやったらどうだ」

「好物? 馬鹿なことを言う。我輩は小汚いネズミなど食わんぞ。腹を下すからな」

「はあ?」


 そう目を丸くされても困る。


 人間は、ネコはネズミを食うものだと鼻から決めつけておる。

 その認識に大きな誤りはないが、全くの正解というわけでもない。我らも食に対しては好み、いや、美学というものを持ち合わせているためである。


「ネズミは万病の元だ。食った後で腹を痛めるだけならまだ良いが、最悪、コロリと死んでしまう可能性もある。だから、我輩はあんな汚いものは食おうとは思わんぞ」

「お前、本当に猫なのか? 猫がそんなこと気にするものか。さては、知恵が付いた悪影響だな?」


 なんともむかっ腹が立つようなものいいであるが、我輩はとても賢い猫であるから、怒りを抑えつつ答えた。


「気にせずにネズミを食うた同胞が、翌日に冷たくなっておったのをこの目で見たことがある。だから、なおさら食すわけにはいかん」


 ネズミを好んで捕食しておった同胞曰く、ネズミの肉は独特の臭みがあるものの、食べていくほどにクセになる味なのだという。

 また、捕まえるのに苦労したネズミほど、肉が締まっており噛み応え十分。そしてその味は、まさに天に至るような極上の味わいなのだという。


 食べ応えがあろうが味に深みがあろうが、我輩はまだ天に召されたくはないので、絶対に食いとうないが。


「ちっ。なら食わなくていいから、天井に登ってネズミを捕って来いよ。とっとこ走る足音がうるさくて仕方ねえ」

「我輩が天井を駆けまわると、もっと大きな音をたてることになるが、それは構わないのか。それはそれで『うるせえ』と申すのではないか」


 へメロスは不貞腐れた顔をして、うるせえ役立たずと吐き捨て、再び目を閉じた。

 こやつは、返答に窮した時はたいてい「うるせえ」と言葉を吐き出す。


 それも、共に暮らしていく内に分かったことである。



☆ ☆ ☆ ☆ 


「そろそろ、外に出てみようかと思うのである」

 

 部屋にいてゴロゴロするのも心地が良いものであるが、ずっとそうしていると体がなまってしまう。


 それに、もう3週間も経ったのだ。ほとぼりも冷め、危険も去った頃合いだろう。

 

 ぐうたらが板についているヘメロスに向かってそう声を掛けると、「馬車に轢かれないように気を付けろよ。あと、絶対に外でしゃべるなよ。バケモン扱いされるからな!」と、もっとも忠告をしてくれた。


 我輩は、開いた窓からピョンと外へ飛び出し、街へと繰り出した。まずは、この街の中で最も人が多く集まる場所……人間達が「商人の川」と呼称する大通りへ出かけてみることにする。


 3週間前、例のサバを食して以来、我輩の猫生は一変した。

 

 元来、人間の営みというものに興味を持っておった我輩は、昔からずっと彼らの有り様を観察しておった。彼らが交わす言語を理解できればなあと、常々思っておったのだが、こうして実際に人間の言葉を理解しうる今の状況は、実に楽しいものである。


 ただ、その副作用かで、以前のような「ミャー」というキュートな鳴き声は発せなくなったのだが……それはまあ、我輩にとって些細な事なのである。


 さて、目的の大通りへと辿り着いた。人間達が行き交う中を、踏んづけられぬように注意しつつ、我輩は人間達の行動をつぶさに観察し、そして彼らが発する言葉に意識を集中した。


 例えば、あの異国風の姿をした男はこう口にしておる。


「まだ米は入荷せぬのか? パンはどうにも口に合わぬでのう。何とか取り寄せてくれぬだろうか。拙者は米が、米が食いたいのじゃ……」


 どうやら、彼の食事情は切迫しているようだ。


 向こうの方で、商人に対し文句をいっておる女は、こんなことを口にしておる。


「これが賢人の石ですって? 馬鹿おっしゃい。これはただのルビーの原石でしょうが。一流の魔法師であるこのメイ様をカモにしようだなんて、百年早いのよ!」


 なるほど。一流の魔法師を鴨にするには、100年の歳月を必要とするらしい。


 そして、腕の筋肉が異様に発達した初老の男は、こう言うておる。


「ふむ、なかなかいい形をした包丁じゃあないか。握りも手に吸い付くようであるし、重さのバランスも程よい。一つ星……いや、二つ星は期待できるぞ。明日の狩猟に使ってみるとしよう。一本購入だ!」


 ホウチョウなる刃物は料理に使う道具だと思っておったが、どうやら投げて使うこともあるらしい。


 さらに、弓を背負った青年が、興奮交じりにこう言っておる。


「パネェってマジで! 矢が50本セットでこの値段!? いくらなんでもお得過ぎんだろマジで! マジパネェぜ!」


 ……はて、「まじぱねえ」とは?


 どうやら、我輩にはまだ理解の及ばぬ単語があるようだ。人間とは、大変に奥深い生き物である。


 本当は、人間達の行動を眺めているだけではなく、彼らとじかに話をして、生命はどこから来てどこへ帰るのか、宇宙創成は本当に神が為した奇跡なのか、卵が先なのかニワトリが先なのか等、世界の成り立ちに関する哲学的疑問について議論を交わし合ってみたい気持ちがある。

 

 しかし、我輩がいくらフレンドリーに人間達へ話しかけたとしても、いつかのヘメロスのように「化け猫」呼ばわりされるのがオチであろう。それだけで済めばよいが、この辺りは魔物を狩る冒険者達が多いから、魔物が猫に化けているだのと勘違いされて、問答無用で狩られてしまう恐れがある。リスクのあることは避けるのが賢明であろう。

 

 大通りをしばらく歩いた後、今度は細道を通る。建物と建物の間、人間には通れぬ猫だけが用いる道を抜けて、裏通りに出た。裏通りは、先ほどの商人の川とは違って人通りが少ないから、比較的安全に通ることが出来るために、我々はよく利用する。


 さて、次はどこに行こうかと思っているときに、人間の男女の会話が聞こえてきた。


「最近よく見かけるなあ、この手配書」

「子供のイタズラかしら?」


 二人が立ち去ったのを見届けてから、我輩は彼らが眺めていた、壁に貼り付けられた手配書なるものを見上げてみた。


 その貼り紙には、世にも恐ろしい化け物の顔が描かれておった。


 毛を逆立て、巨大な目でこちらをにらみつける、あまりにも凶悪で、極悪で、そして醜悪な顔……これがいわゆる、魔物というものであろうか。


 我輩はこの街で生まれ育ってきたが、いまだ外の世界へ出たことが無い。街の外には、どのような世界が広がっているのだろうかと夢想することもあるが、 このようなおぞましい怪物が住んでおるのだとしたら、我輩は一生、この街から出なくともよい。


 貼り紙を眺めつつ、そんなことを考えておった時である。


「あっ! そんなところにおったんか泥棒ニャンコ! ここで会ったが百年目、覚悟しいや!」


 はて、どこかで聞いた覚えのある声である。


 声のした方へと顔を向けると、いつぞやの少女が、我輩を可愛らしくも険しい表情でにらみつけていた。

 

 これはマズい。

 慌てて逃げようとしたが、頭上から何かが覆い被さってきた。


「ふにゃ!? な、何をする!」

「泥棒ニャンコをゲッチュや! もう逃がさへんで!」


 急に身動きが取れなくなり驚いたが、どうやら少女の持つ虫取り網で捕獲されたのだと気づいた。


 なんとか逃げようと足をばたつかせるが、もがけばもがくほど網が絡まり、身動きが取れぬ。ええい、この虫取り網めが。


「ムフフ。まさか泥棒ニャンコご本人が、ノコノコと手配書の前に現れるとは夢にも思わんかったで。チョイと思い描いとったプランとは違うけど、これはこれで手配書作戦は大成功や!」


 なんとっ! あの絵は我輩を描いたものだったのか……! 


 それにしても、我輩がサバを食い逃げしてからずいぶんと時間が経ったのだから、もうすっかりあきらめたと思っておったのに、むこうはまだ我輩を捕まえようとしていたとは……なんという執念深さであろうか。


 さて、その執念の少女は、我輩を網で捕らえたまま、何やら考え事をしている様子である。


「よくよく考えたら、捕まえた後のことを考えてなかったで。普通は衛兵さんに突き出して、なんやかんやと手続きを踏んでから賠償金をいただくところやけど、肝心の食い逃げ犯はニャンコやからなあ。どないしたらええんやろ」


 迷うぐらいならば、今すぐに解放して欲しいのであるが、どうやら彼女にその気はなさそうだ。


「そう言えばチョイと前に、ニャンコは食うたら美味いっちゅうて、とある破壊神父が言うとったなあ」

「なぬっ!?」 


 急に、何とも恐ろしいことをつぶやきだした。


「ウチは全くニャンコを食べたいとは思わんけど、黒ニャンコを鍋にしたあの破壊神父やったら、もしかしたらホンマに食べよるかもしれんなあ……よっしゃ、とりあえず破壊神父に、この泥棒ニャンコを売りつけてみるとするで!」


 我らを食す人間がいるというのか!? しかも鍋にするだとっ!


「おっ。ウチの言葉にずいぶんとビビっとるようやな。でも、ウチかて鬼とちゃうんねん。ちゃんと食い逃げした分のお代を払ってくれたら、ちゃんと解放したるで」

「かっ、金を払えと言われても、無い袖は振れぬ……」

「それじゃあしゃーないわ。黒ニャンコを鍋にした前科のある、破壊神父のところまでレッツゴーや!」


 これはまずい! このままでは食われてしまう!


 我輩が絶対的な窮地に立たされた時である。


「おいおい、うちのポスを食うのは止めなよ。腹壊すぞ」


 太平楽な声と共に現れたのは、ぐうたらのへメロスである。少女はヘメロスの顔を見るなり、「おっ。羽根つき帽子のオニーサンやん」と口にした。

 

 ヘメロスは金貨袋を取り出しつつ、


「仕方ねーからよー。ポスが食った魚のお代は、そいつの飼い主であるオレが代わりに払ってやるよ。値段は確か……」

「1000ディールやで」

「ほら。銀貨一枚だ」

「よっしゃ。遅まきながら、ナイスな羽根つき帽子のオニーサンが、知恵のサバをお買い上げや! ほれ、これでニャンコは自由の身やで」


 少女はヘメロスからお金を受け取ると、我輩を虫取り網から解放してくれた。

 なんともあっさりとしたものである。


「たまたまオレが通り掛かってよかったなあポスよ。もう食い逃げはすんじゃねえぞ?」

「ううむ、かたじけない……」

 

 我輩がヘメロスに謝ると、少女からも「これからは、絶対に悪いことはしたらアカンで。食い逃げする悪いニャンコのところには、 ニャンコを鍋にするとっても怖い破壊神父がやってくるさかいな」とコメントがあった。うむ、肝に銘じよう。


「……そう言えば、お主は猫の我輩と会話が通じていることが、不思議では無いのか?」

 

 素朴な疑問を少女に投げかけると、彼女は特に何でも無さそうな顔をして、

 

「『知恵のサバ』を食べたんやろ? なら、別におかしなことはあらへんで」

「そうなのか?」

「魚を食べたら頭が良くなるモンやさかいな。なーんもおかしなことはあらへんで」

「ふむ。そんなものか」


 ヘメロスへと顔を向けると、「化け猫扱いされるから、他の奴らとは絶対に口きくなよ?」と釘を刺された。うむ、この言葉も肝に銘じておこう。


「それにしても、あの手配書の絵がまさか、この我輩を描いたものだったとは……」


 例の手配書を見上げつつそう言うと、なぜか少女は、とてつもなく自慢げな顔をした。


「手配書の絵の出来に驚いたようやな。誰の目から見ても分かるように、ウチの画伯としての才能をフルに使って描いたんやで! どやっ、とんでもない作品に仕上がっとるやろ?」

「ううむ……何度見ても、我輩の顔の特長とは、大きくかけ離れているうように思えるが?」

「ムフフ、言いたいことは分かるで。手配書の絵があまりにも完璧すぎて、自分がモデルになっとるのやと、とても実感出来ひんわけやな。でもな、シュッとした耳のとがり具合といい、美しくなめらかな毛並みといい、全てのニャンコ好きを誘惑するつぶらな瞳といい、どこをとってもまさにアンタそのものやで」

「む、むう?」

「もっと自分の容姿に自信を持ったほうがええと思うで」


 自信があるからこそ苦言を呈したいところなのだが、正直に下手な絵だと言ってしまうと彼女はきっと悲しむだろうから、それ以上は口にしないことにした。


「いろいろあったけど、知恵のサバの件はこれにて一件落着や! じゃあ、ウチはこれから仕入れた商品を売りさばきに行くとするで」

「商品? もしかして、今度も魚を売ると言うのか?」

 

 我輩が興味を示すと、少女は「ニャンコには悪いけど、今度の品は魚とちゃうねん」と言い、背負っていた鞄から、木の枠と細い数本の糸で構成された、非常に奇抜な見た目の器具を取り出した。

 

 それを見るなりヘメロスが、「竪琴じゃないか」とすぐさま反応を示した。


「魚を売るわ楽器を売るわ……お嬢ちゃんは何屋さんなんだよ」

「ムフフ。ウチは手広くやらせてもらっとるさかいな。売れるモンなら、なんでも取り扱うねん。いわゆる、八百万屋って奴やな!」

「は? 万屋の間違いじゃねえか?」


 二人の会話から察するに、少女が取り出したのは、タテゴトという音を奏でる道具であるらしい。

 なるほど、縦に糸が張っておる様を指して、『縦琴』と名付けられておるのかと問うと、ヘメロスから何をズレたことを言っているんだと、鼻で笑われた。


「楽器ということは、ヘメロスよ。演奏家であるお主は普段、このような物を商売に使っておるというわけか」

「ああ。音楽の世界で生きるオレにとっては、竪琴はマストアイテムってヤツだな。神の宿った天性の指先で竪琴を操り、その熱くハードな音色と共に高尚な詩を紡ぐ……そうすることで、魂まで響く反骨の世界を観客に届けてやるのが、大演奏家ヘメロス様の仕事ってやつさ!」

「反骨ぅ? いまいち理解が及ばぬところもあるが、お主がこういうものを仕事道具として使っていることは理解したぞ」


 人間は、こと娯楽に関しては貪欲な生き物のようである。散歩したり、ゴロゴロ昼寝したり、マタタビをたしなんだりする我らとも通ずるものがある。

 

「ほへー、オニーサンは演奏家やったんかいな。お客さん候補が労せず見つかるなんて、ウチはつくづく運の巡りがええようやなあ!」

「おいおい。なにやら嬉しそうな顔をしてやがるが、誰もそれを買うとは言ってねえぞ?」

「でも、この竪琴のことを知れば、きっとオニーサンも欲しくて仕方がなくなるハズやで。なんせコイツは、そこらにありふれたモンとは一線を画す楽器やさかいな」

「別に、そこらじゅうに溢れた、ただの竪琴のようにしか見えねーがなあ」

「ムフフ、この竪琴はなんとっ! あの音楽の神さんである『アポルン』の加護を受けた、とんでもない楽器なんやで!」

「…………はあ?」


 ポカンと間の抜けた顔をするヘメロスに構わず、少女は解説を続ける。


「音楽の神さんの力が秘められた、まさに正真正銘の、神懸かりな楽器や。こいつを弾きならせば、誰が演奏したとしても極上の音楽を奏でられるで!」

「おお、それは凄い。ヘメロスよ、お前の仕事にもってこいの品ではないか」


 素直に感心する我輩であったが、普段から素直ではないへメロスが「待て待て待て待て待て!」と口を挟んだ。


「どうしたのだヘメロスよ。我輩は何回待てばよいのだ?」

「ポス、お前は何をズレたことを言ってんだ? それよりもだ。アポルンって、アレか? 大昔から語り継がれる神話に出てくるアポルンのことで間違いないか?」

「その芸術と芸能の神さんである、あのアポルンのことやで」


 少女の言葉を聞いた途端、ヘメロスは露骨に呆れた顔をした。


「おいおいおい……こいつは、一気に胡散臭くなってきたぜ」

「なにか臭うのか? ううむ、嗅いでみても、どこからも何も臭ってこぬようだが」

「お前はさっきから何をズレたことを言ってんだ……アポルンの加護を受けたって、嘘くせえにもほどがあるぞ」

「そもそもヘメロスよ。我輩にはちっとも要領を得ぬのだが、そのアポルンとやらは、どこの誰のことなのだ?」

「ほほう。芸術と芸能をこよなく愛した男神、アポルンについて知りたいようですなあ」


 振り返ると、そこには立派な身なりの男性が立っておった。彼は掛けた眼鏡を指で押し上げつつ、


「アポルンとは、オリュンパス十二神の一柱であり、男神ゼムスと女神アルテマスの間に生まれた神です。彼は芸術や芸能の神としての顔が有名であり、特に音楽を愛し、自らが加護を与えた竪琴による演奏によって、多くの神々たちを感動させたと言われております。また彼は神々の中でも特に多才な神であり、音楽以外にも、狩猟の女神である母アルテマス譲りの弓の才を持つことから、羊飼い達の守護神としての一面を持っており、また予言や医術にも知見があることから、それぞれの分野からも神聖視されております。

 そのアポルンの加護を受けた竪琴を、こうして目の当たりにすることが出来るとは……本日はなんとも素晴らしい日でございますなあ」


 物知りな男は、知識を思う存分披露した後、とても満足そうな顔をして立ち去った。

 

「有識者のオッチャンは、いつもウッキウキで解説しはるなあ。解説をこよなく愛してはる感が、たっぷり伝わってくるで」

「またあのオッサンか。前の時もそうだったが、どこから湧いて出てくんだか」

 

 どうやら二人は、あの男と面識があるようである。

 なにはともあれ、アポルンとは何かについては、おおむね理解した。音楽を司る神の名であるらしい。


「まあ、アポルンの加護を受けとる云々は横に置いといてや。コイツの性能を知るためには。試し弾きするのが一番やで。ということで、ウチがいっちょ試しに演奏してみるで」


 そう言いつつ少女が竪琴を構えると、ヘメロスが途端に呆れた顔をした。


「演奏するって、おいおいおい……持ち方からして既におかしいじゃあないか。竪琴が上下さかさまになってるぜ?」

「えっ、そうなん? まあ、ウチは音楽に関してはズブのトーシローやさかい、細かいところは気にせんといてや」


 猫の我輩が見てもたどたどしい指の動きで、少女は竪琴の弦を弾いた。ポロン、ポロロンと、優しげな音色が辺りにこだまする。


 素朴なようでいて優雅、繊細な中にも力強さを含んだかのような、我輩の語彙ではとても表現できぬ、不思議な音色である。

 その音色を聞いているだけで、得も言われぬ温かさとなって胸に迫ってきた。そして心を……いや、魂をも揺さぶるような感情が、我輩の心に芽生えてくる。



 そうか、これが「感動」と言うものなのだな。


 

 少女の演奏は、本当に数秒程度のものであったのだが、我輩は感嘆のあまり、ため息を漏らしてしまった。


「何と奥深く、情緒に溢れた音色なのだ。一つ一つの旋律が、我輩の心を温かく解きほぐし、かつてない新たな感情を芽生えさせてしまうとは……この世のものが奏でる音色とは、とても思えぬ!」

「スゲーぜこいつはヨォ! オレのソウルにスンゲーヒットしたぜ! なんつうか、なんつーか、と、とにかくスゲーんだよ!」


 我輩の隣で喚くヘメロスを、少女は残念な人間を見るかのような目をしつつ、


「……オニーサンは本当に詩人さんかいな。スゲースゲーしか言うてへんやん。ニャンコの方がそれっぽいコメントしてはるで?」


 やはりというべきか、ヘメロスは「う、うるせえ!」と言葉を発し、子供のようにそっぽを向いてしまった。そんなことでへそを曲げるとは、なんとも大人気ない男である。


「それはともかくとして……どやっ! 竪琴の持ち方さえ知らんウチでも、ごっつええ感じに演奏できるんや。これぞまさしく、神の楽器やなあ!」


 誰でも上手く演奏できるとあらば、まさに神懸かりの品と言ってよかろう。そう思いヘメロスを見やると、こやつは我輩をぶぜんとした眼差しで見下ろしてきた。

 

「はんっ! 全く分かっちゃあいねえなあ。その竪琴の音色は確かにスゲーよ。しかし、そいつじゃあオレ様の胸に滾る熱いソウルは表現できねえぜ。特別にチューニングした、オレ様愛用の竪琴でなければなあ!」

 

 さっき、少女の演奏を聴いた時に「オレのソウルにスゲーヒットした」だとか申しておったというのに……こちらが哀れな気持ちになるほど、ヘンクツでアマノジャクな男である。


「そう言えば、オニーサンは普段、どんな曲を演奏しはるんや?」

 

 少女からの素朴な疑問に対し、哀れなヘメロスはずいぶんと偉そうに答えた。


「さっきからずーっと言ってんだろ? 大天才のオレ様が奏でる曲は、オレ様自身の心の奥底にある反骨精神の滾りをメロディに変えた、ホットで熱量があって情熱的な、時代のはるか先を行く神曲なんだよ」

「その説明で理解できる人が、世界にどれほどおるんやろかって話や。ニャンコには、オニーサンの言うことが理解できたかいな?」

「我輩にも全く理解が出来んな」

「でも、プロの演奏家なんやから、毎日お客さんを感動させとるんやろなあ。ぜひとも演奏を聞かせてもらいたいで。ニャンコもそう思うやろ?」

「うむ。我輩もお主の仕事ぶりを拝見したいものだ。いつも家でグータラしておる姿しか見ておらんからな」


 すると、偏屈な演奏家はなぜか呆れたような顔をした。


「オレはプロの演奏家だぜ? なんでタダでお前らに演奏を披露しなきゃなんねーんだよ。オレ様は金にならない仕事は請け負わない主義なんだ」

「我らに演奏を聞かせたくないと申すか。なるほど、自信が無いのだな。ならば無理強いはするまい」


 我輩が軽く挑発した後に、少女が「自信が無いなら、このアポルンの竪琴を使えば大丈夫やで。この竪琴を使えば、どんなにヘタクソでもごっつええ感じに演奏できるで!」と言った。彼女の方はおそらくフォローを入れたつもりだったのだろうが、へメロスにとってはそうはならなかったようで、「うっ、うっ、うるせえ!」と顔を真っ赤にした。


「馬鹿にしやがって! そんなに言うなら、オレ様の演奏の素晴らしさをとくと拝ませてやらあ! もちろん、その得体の知れねー竪琴じゃなく、オレ様の本気用の竪琴を使ってだ! 後で吠え面をかくんじゃねえぞお前ら!」

「吠え面? 我輩はイヌではないからよう吠えんぞ。今となっては鳴くことも叶わんが」

「だーかーら! さっきからお前は何をズレたことを言ってんだ!」



☆ ☆ ☆ ☆ 


 そういうわけで、我輩たちはヘメロスのリクエストで、オルメディア中央広場までやってきたわけである。


 街の中央に位置するこの広場は、人間の大人や子供はもちろん、我が同胞たちも休憩場所として使う、人間と動物たちの憩いの場である。


「今日も広場はにぎやかやなあ! 家族連れとか、犬の散歩をしてはる人もいてはるし、むこうのほうで、大道芸人の皆さんが芸をしてはるで」

「我が同胞らも、何匹かくつろいでおるな。あとで挨拶するとしよう。ところでヘメロスよ。わざわざ広場におもむいた理由はなんなのだ」

 

 そう問うと、愛用の竪琴を小脇に抱えたヘメロスは、ふんと鼻を膨らませつつ、


「オレ様を馬鹿にするオメーらに、真の実力を見せつけてやるには、この場所で演奏するのが一番なんだよ」

「しかし先ほどは、金にならない仕事はしない主義とか言っておったぞ。タダで演奏を聴かせることになるが、それは構わぬのか?」

「もちろん、タダ働きなんてゴメンだ。だからここはプロとして、しっかり稼がせてもらうつもりだぜ」


 そう言うと、ヘメロスは地面に汚らしいお盆を置いた。何やら分からないでいる我輩の横で、少女が「おおっ、オニーサンはやる気十分やなあ!」と声をあげている。


「これから何をするつもりなのだ? まさか芸と称して、地面にはいつくばって飯でも食うつもりなのか?」

「何を馬鹿なことを言ってんだか。こいつは観客にお金を投げ入れてもらうためのモンだ。芸を披露しておひねりを貰えるのは、大道芸人だけじゃあねーんだぞ?」

 

 そう言いつつ、ヘメロスは自慢の竪琴を軽く爪弾いて見せた。

 先ほど少女が演奏したものとは、かなり音が違って聞こえる。この若干高めの音こそが、ヘメロスの言う、反骨のナントカという曲に必要となるらしい。


「楽しみにしとけよ。大天才のオレ様が愛用の竪琴をかき鳴らせば、あら不思議。見る見るうちにお盆が金で一杯になるぜ?」

「うむ。大いに期待しておるぞ」


 我輩と少女が見守る中、ヘメロスは大きく息を吸い込んだ後、広場の中央で大声で叫んだ。


「広場においでの、紳士淑女のテメーら! 孤高にして天才、大演奏家のヘメロス様のゲリラライブの時間だぜっ!」


 結構な大声であるが……しかし、誰も見向きもせん。


「本当に大丈夫なのか? しょっぱなから盛大にスベリ倒しておるが」

 

 我輩の心配もなんのその。ヘメロスは自分に酔ったかのように口上を続ける。


「盛大に奏でるぜ、オレ様オリジナルの神曲『反骨のメロディ』! マグマのように煮えたぎった反骨魂の全てを、その胸にとくと刻みやがれえええ!」

 



 ……さて、ヘメロスがしばらくの間、ジャンジャカジャカジャカと、騒音の如き演奏をあたりにまき散らしたのだが。




「……ありゃりゃ? オニーサンが演奏するなり、みんな耳をふさいで一目散に帰ってしもたで」

「ううむ、我が同胞達も逃げ帰ってしまったぞ。あとで挨拶しようと思っていたのだが」

 

 こやつが演奏を披露するだけで、あれだけ賑やかだった中央広場から、生きとし生ける者全てが立ち去ってしまった。 残っているのは、我輩と少女、そして騒音の元凶のみである。


 さっきまで意気揚々としていたヘメロスであったが、我輩達を残して誰もいなくなった広場を眺めまわした後、山盛りのお金が入る予定であったさびしいままのお盆を見下ろし、やがて乾いた笑い声を発した。


「は、ははは…………馬鹿なっ! 偉大なるオレ様が奏でる高尚な反骨魂が、なんで誰にも伝わらねえんだ!」

「高尚過ぎるのがいけないのだろう。正直、我輩には全くピンと来なかったぞ。変に凝ったものでなくとも構わん。万民のこころの琴線に触れるように演奏してくれたまえ」

「うっ、うるせえっ!」

 

 哀れなヘメロスはともかく、お金で一杯になるはずのお盆が空なままなのは、なんとも寂しいものである。なんだかんだと言いつつ、我輩は少なからず期待していたのだが……。


 その時、とても賢い我輩の頭に、とある名案が浮かんだ。


「そのアポルンの加護を得た竪琴であるが、ここで試しに弾いてみてもよいだろうか? なに、お金は後でしっかり払わせてもらう」

「おっ。オニーサンに触発されて、ニャンコがやる気を出したようやなあ!」


 少女に竪琴を地面に置いてもらった。おそらく、我輩の爪でもなんとかなるだろう。


「おいおいポスよ……何を考えてんのか知らねーが、猫が演奏しただけで人気者になれると思っていると大間違いだぜ? 音楽っつうのは、そんな甘いもんじゃねーんだ。オレ様を見て、この世界の厳しさというモンが分かっただろーが」


 力の無いヘメロスの言葉を背に、我輩は爪でちょちょんと、アポルンの加護を受けたと言う触れ込みの竪琴を弾いた。それだけで、心が震えるような音色が、中央広場にこだまする。



 変化が現れたのは、それからすぐのことである。



「みて、お母さん。ネコちゃんが演奏してるよ!」

「あらあら本当。可愛いわねえ」


 最初に我が演奏に気が付いたのは、一組の親子であった。

 彼らは、我輩の適当極まる演奏に聞きほれている様子である。

 

 彼らの視線を受けつつ、ちょんちょんと弦を弾いておると。


 だんだんと周りに人が集まって来た。


「竪琴を弾く猫がいるとはなあ」

「しかも、すごく良い演奏じゃない!?」

「おれは趣味で竪琴をやってるからワカっちゃうんだけどさ……アレ、プロ級の腕前だぜ?」


 周りには、優に二十人を超える人間が集まっている。いや、もっとおるのかもしれん。

 ヘメロスが、「おいおい、どうなってんだよ。エライことになってやがるぜ!」と叫んだが、我輩もまさか、ここまで上手くいくとは思っていなかった。


 我輩は最後に勢いよく弦を弾き、演奏を終了すると。


 パチパチと、誰かが手を叩いた。それに続くように、他の者の拍手がだんだんと連なっていき……中央広場に響き渡るかのような、とてつもない拍手の波が生まれた。


「なんて素敵な演奏なんだ!」

「こんなにも竪琴を上手く使えるネコがいるだなんて、信じられないわっ!」

「猫の爪でよく演奏した、感動した!」

「すっごーい! 君は演奏が得意なネコちゃんなんだね!」


 見物客達が、次々とお盆にお金を投げ入れていく。銅貨や銀貨、中には金貨も含まれておる。


 チャリン、チャリンとお金が奏でる音が心地よく響く。お盆はすぐに満杯になったが、それでもまだ、おひねりはとまらない。

 

 やがて、聴衆の誰かが「アンコール!」と叫び、それに続くように「アンコール! アンコール! アンコール!」と大合唱が起こったために、我輩はさらに二度、演奏することとなったのである。



☆ ☆ ☆ ☆ 



「……このオレ様が、ポスに負けた、だと……」


 人々が去り、静かになった広場で、ヘメロスはがっくりと膝をついた。


「アレはアポルンの竪琴のお陰やさかい、あんまり気を落としたらアカンでおオニーサン」

「その通りだぞ、ヘメロスよ。まさか我輩も、あそこまで上手くいくとは思わなかった」


 なおも口癖のように「うるせえ……」と呟くヘメロスを慰めつつ、我輩は少女に言った。


「ヘメロスがこの竪琴を使うこともあろうから、我輩が購入することにするぞ。お代は、こちらのお盆から好きなだけとるがよい」


 すると少女は「この竪琴のお代は、銀貨一枚やで!」と、とても信じられぬことを言って、溢れかえるお盆から銀貨一枚だけを拾った。


「ムフフ。知恵のある飼い主思いのニャンコが、アポルンの竪琴をお買い上げやっ!」


 本作の「アポルンの竪琴」は、オリュンポス12神の一柱にして、主神ゼウスと狩猟の女神アルテミスの息子「アポロン」が用いた竪琴をモチーフにしています。アポロンは芸術の神様としての顔だけでなく、弓術に秀でていたり、羊飼いの神様でもあったり、その他にも様々なものを司っていたりと、かなりハイスペックなお方のようです。

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