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第15話  知恵のサバを叩き売る少女!

「おーい、そこの演奏家さんよお! いったい何時まで同じ曲を演奏してんだよ? もう聞き飽きちまったよ」


 竪琴の大天才であり、いずれ世界を震撼させることになるこのオレ、演奏家のヘメロス様が、不本意ながら万民向けの流行曲を演奏してやっているという時に、客席から野次が飛んできた。


 文句をつけてきたのは、テーブルに座って4人で飲んでいる、酔っ払いの冒険者の一人である。

 オレが今仕事しているのは「黒犬のチョビ髭亭」という安酒屋であり、今は夜中。皆が仕事を終えて羽目を外したがるお時間であり、この場で酔っ払っていない客の方が珍しいわけだが、オレに文句を飛ばしてきた新顔の客については、少々悪酔いが過ぎるように思う。


 オレが無視して演奏を続けていると「ここの店は、飯は当たりだってのに、演奏はクソだなあ!」と続けるので、呆れちまった。


 「黒犬のチョビ髭亭」を切り盛りする主人、カイゼルの顔をチラリと伺うと、奴はカウンターでグラスを磨きながら目配せで「我慢しろ」と伝えてきた。


「すんませぇーん! マスター、もう一杯お代わりぃ!」


 その厄介な客が叫ぶと、カイゼルが「ええ、ただいま」と答え、すぐにグラスに注いだエールを給仕した。


「ご注文ありがとうございます」

「ねーねー、マスターさんよお。あの演奏家、おたくが雇ってんだよねえ」

「ええ。その通りです」

「なんでアイツ、嫌々演奏しているワケ?」

「嫌々……? そんなことは無いと思いますが」


 渋々と演奏を続けながら、こいつ、ただの冒険者じゃあねえなと思っていると、奴はエールをあおってからカイゼルに言った。


「おれは冒険者をやってんだが、趣味で竪琴をやってんの。これでもプロ級の腕前なのよん」

「なるほど、それはすごい! ぜひ、あなたの演奏を聞いてみたいですねえ」

「ふふん、褒められると悪い気はしないなあ……だからねえ、おれには、ワカっちゃうんだよなあ」

「何がお分かりなのです?」

「今、アイツが演奏している曲って、ずいぶん昔の流行曲でしょ。ゆったりした曲調だから、こういう酒場の雰囲気にも合うよね。でもねえ……ありゃダメだわ。まーったく気持ちがこもってないのが丸わかりなのよ」


 周りの奴らが「さすが、違いが分かる男!」だとか、「よっ、セミプロ級!」だとか、意味の分からんノリでそいつをおだててやがる。カイゼルはその様子に困った顔を一つ見せず、「なるほど」と、非常に無難な受け答えをしている。

 

 あの客のオレに対する指摘は、はっきり言って図星である。


 オレは、我慢しながらこの曲を演奏している。


 本当に奏でたいのは、こんな大人しくてムーディーな流行曲なんかではないのだ。

 客を大事にしたいカイゼルが、店の雰囲気にあった曲を演奏してくれと頼むから、仕事と割り切って、自分の音楽性に合わないそれを嫌々ながら演奏してやっているだけだ。


 もっとも、ここの常連客達が思うのは、せいぜい「アイツ、いつも同じ曲ばかり演奏しているなあ」というぐらいだろうが、この新顔の客はなかなか聞く耳があるようだ。


「ねーねー、そんな気持ちの入ってない演奏するぐらいならさー。聞かせてよ、オリジナル。あるんでしょ、アンタのオリジナルの曲」


 客の言葉が、オレの頭に、目の覚めるようなホットな血を注ぎ込んだ。

 


 待ってたぜ! その言葉をよォ!!



 カイゼルが、慌てたような顔をして、「やめろヘメロス! 頼むからやめてくれ!」と目配せで伝えてきたが……知るもんか!

 

「そんなに言うならよお。オレ様が創造した神曲を特別に演奏してやる。ちまたに溢れた、ゆる~い音色のものとはモノが違う、目が覚めるほど刺激的で、魂が踊るほどホットな反骨の世界をお届けするぜ?」

「えっ、何? ポンコツの世界?」

「ポンコツじゃねえ、反骨だ!」


 オレは手にしている竪琴を床に置いて、代わりに、いつもそばに置いている特別にチューニングした本気用の竪琴を取り出した。


 客達が、「いいねいいね!」と手を叩いて喜んでいる。

 そのノリの良さに、オレのテンションもブチアゲだっ!!



 オレはテーブルの上に飛び乗り、天に向かって大きく拳を振り上げた。



「大演奏家、ヘメロス様プレゼンツのスペシャルライブだっ! いくぞっ、ヤロー共っ! 『反骨のメロディ』を喰らいやがれえぇぇ!!」



☆ ☆ ☆ ☆



「あちゃー……お客さん、全員帰っちゃったよ。蜘蛛の子を散らすように」


 頭をポリポリとかきながらカイゼルが呟いた。

 店の中には、オレとカイゼルしか残っていない。


 あの音楽が分かるという新顔の客は、最初はオレと一緒に盛り上がっていたが、オレの神曲「反骨のメロディ」が始まるなり、思いっきり耳を手でふさいで、転がるように店を出ていった。そいつのお仲間達も同じくだ。


「なんでオレ様の演奏が始まるなり、慌てて店を出ていくんだ!? どいつもこいつもよお!」

「そりゃあ、うるさいからだよ。どうやったら竪琴で、あんなやかましい音が出せるのか、不思議で仕方がないが」


 オリジナル曲をせがまれたのは、今回が初めてじゃあないが……いつも客の反応は、判を押したように一緒だ。みんな逃げるのだ。


「ヘメロスの曲は、クセも強けりゃアクも強すぎるんだって。オマケにうるさいとくりゃあ、もうお終いだ。だからいつも口すっぱく言っているだろ。店でお前のオリジナル曲を演奏するのはやめとけって」

「チクショウ! 『反骨のメロディ』の良さが、なぜ世間に理解されないんだ……あっ、そうか! オレ様が間違っているんじゃあねえ、時代がオレ様についてこれてねえんだ!」

「お前が時代と足並みを揃えてくれよ。まあ今回は、仕事上がりの時間だったから、なんとか軽症で済んだかなあ……」


 カイゼルがそうつぶやいた時、カウンターの奥から少年のような顔の青年が姿をあらわした。その姿に、カイゼルがにこやかな笑みを浮かべて言った。


「おっ、ジモン君。今日もお疲れ様。また今度もよろしくな!」


 こいつはジモンと言う魔法師で、二日に一度、店の手伝いに来る男だ。カイゼル曰く、こいつの水魔法は食器洗いに水掃除と、酒場の仕事に役立つことが多く、大助かりであるらしい。


「なあジモンよお。向こうで皿を洗いながら聞いていたんだろ、ヘメロス様の神曲を。お前の素直な感想を聞かせてくれよ」

「えっ、ええと、その……あのですね……」

「どうしたんだよ、はっきり言えって」

「おいおいヘメロス、その辺でやめとけって。ジモン君も困っているじゃあないか」

「何を言ってんだよ。オレ様はただ曲の感想を聞いているだけじゃあないか。それなのに、ジモンが何に困るってんだよ」

「素直に言うと、お前が悲しむから困っているんだって」


……オレはいずれ、ビッグな大演奏家になる予定の男である。しかし今のところ、安酒屋の雇われ演奏家としてくすぶっており、毎日がこんな感じである。



 ☆ ☆ ☆ ☆


 仕事を終えた日の翌朝。

 

 朝を告げるニワトリの鳴き声と共に、オレは自室のベッドから起き出して、簡単な朝食をとった後、日課としている朝の散歩を始めることにした。


 お気に入りの羽根つき帽子を被り外へ出ると、やわらかな陽光が差していた。空には雲一つなく、空気も澄んでおりとても心地よい。今日もきっと、素晴らしい一日になるのだろう。


 気ままに散歩をすると、オレの冴えた頭がさらに活性化されるとともに、創作意欲が激しく刺激されて、時に天才的なアイデアが下りてくることがある。昨日、黒犬のチョビ髭亭で特別に披露してやった「反骨のメロディ」は、朝の散歩中に生まれたものだ。


 残念ながら、世間の音楽センスがまだ習熟していないから、オレのナイスな作品を理解できる人間は皆無に等しい。天才とは時に理解されがたく、常人にはない孤独を味わうものだと、どこかのエライ人が口にしたそうだが……そう、まさにそれだ。今のオレは、天才だけが味わえる孤独という苦悩の真っ只中にいるのだ。

 

 そのようなことを考えながら、気ままにあるくこと数分。


 オレはオルメディア港へと辿り着いていた。

 

 オルメディア港は、世界でも名高い海運拠点の一つである。ここから冒険者達が船に乗って他国へ旅立ち、他国から積み荷を載せた商船が集まるわけだ。

 朝には、獲れたて新鮮な魚を売りさばく朝市が開かれたりもするから、あの「商人の川」ほどではないが、この時間はそれなりに騒がしい場所になる。


 海面に映る、キラキラとした星屑のような光を眺め、潮騒が奏でるドラマティックな音色に耳を傾けていると、

 

 ミャー。


 可愛いネコの鳴き声が聞こえたので、顔を向けると、一匹のサバトラ柄の猫が、こちらをじっと見つめていた。声だけ聴きゃあ、とても猫らしい愛くるしさであるが、顔がどこかふてぶてしい。ネコならば、もっと愛くるしい表情をして見せろと思う。


 ふと、子供のころに飼っていた、今は亡き愛猫を思い出した。ポスという名前の猫で、オレによく懐いていた。過ごした日々はそう長くはなかったはずだが、指をなめてくるザラザラの舌の感触は、今でも鮮明に思い出せる。


 このサバトラの猫とは、毛の色も体形も、顔のつくりも何もかもが違うのだが。


 オレはポケットから、ジャーキーを一本取り出し、サバトラの前に差し出した。猫じゃらしよろしく、左右にジャーキーを振ってやると、


「おい、ポス。旨そうなジャーキーだろ。腹減ってんならこれ、食うか?」


 このネコはポスではないのだが、つい口にしてしまった。


 ポスではない見知らぬネコは、シャーと唸りをあげて、こちらを威嚇して見せたが、ジャーキーの魅力には勝てなかったのか、次第に興味を持ったように近づいてきた。そしておずおずとジャーキーを咥えると、礼も愛想もなく、そのままプイと走り去ってしまった。


 まったく、可愛げが無い。

 

 オレがネコの姿を見送り、再び歩き出そうとしたときに、



「よってらっしゃい見てらっしゃい! 今日もレアな品を持って来たったで!」



 今度は、幼い売り子の声が聞こえてきた。

  

 声のする方に顔を向けると、赤い頭巾を被った少女が、元気よく声を張り上げる姿があった。少女の横には、木製の生けが置いてある。どうやら、少女の言うレアな品はその中に入っているようだが、ここからじゃあ中が見えない。


「食べると頭が良くなるスーパーフード! それがこの『知恵のサバ』や。 栄養タップリのこいつを、たった1000ディールでご奉仕するで! お買い得感タップリのスーパープライスや!」


 なるほど、あの生け簀にはサバが入っているらしい。

 何とはなしに眺めていると、オレの視線に気が付いたのか、少女がビシッと指さしてきた。


「おっ、そこの風変わりな帽子を被ったオニーサン! ウチが持ってきた知恵のサバが気になっとるようやな!」

「なーにが風変わりな帽子だ。ナイスな羽根つき帽子のお兄さんと言いなよ」


 声を掛けられたものだから、気まぐれで少女の相手をしてやることにした。

 

 生け簀を見ると、銀色の肌をした小ぶりの魚が一匹、ためられた水の中で、ゆったりとしたペースで泳いでいる。


「この魚はサバだっけか? 今日獲れたやつかよ」

「チッチッチッ……違うでオニーサン。見た目がサバそっくりやから、間違えるのも仕方がないけどな。こいつはサバやなくて、『知恵のサバ』や!」

「ん……? サバなんだろ?」


 オレの言葉に、少女はニヤリとした笑みを浮かべて、


「ちゃうちゃうちゃうって。もう一度教えたるさかい、耳をかっぽじってよく聞きや。生け簀の中で呑気に泳いどるこいつは、『知恵のサバ』や」

「だから、サバだろ?」


 そこで少女は、ジトっとした目を向けてきた。


「やから、サバやないって。『知恵のサバ』やって言うとるやんか、さっきから。何度教えたったら分かるんや?」


 なぜいちいち訂正してくるのか知らんが、こちらが意地を張っても、同じくだりを繰り返すだけのような気がする。仕方なく、少女に合わせておくことにした。


「分かった。それは『知恵のサバ』だな。で、その知恵のサバが何だって?」

「ムフフ、知恵のサバはな、とある有名な伝説にも登場する、食べるだけで頭が異様に良くなるハイパーフードなんや。とってもありがたあい魚なんやで!」


 有名な伝説とは何だ? サバが出てくる伝説なんて聞いたことが無いが……ま、大演奏家のオレ様が知らんのだから、どうせ大した伝説ではないのだろう。


「ほほう。その伝説とは、もしや『ヒィン・マックホール』の伝説のことですかな」


 オレ達の会話に、男の声が割り込んできた。

 振り向くと、眼鏡を掛けた初老のオッサンがそこに立っている。


「知恵のサバとは、食すと世界の全てを見通すほどの知識を得られるとされている、伝説の魚です。かつて存在したフィオナ騎士団の団長、ヒィン・マックホールは、知恵のサバを食したことでありとあらゆる知識を得、騎士団に訪れる様々な困難に立ち向かいました。また知恵のサバは、食す者によっては知識以上の能力を授けるともされており、ヒィン・マックホールの場合は、癒しの水を生み出す力をも獲得したとか。これぞまさに、ミラクルフードというものですなあ」


 オッサンは、誰が頼んでもいないのに解説を始め、そして一仕事を終えたような顔をして去っていった。


「有識者のオッチャンは、ホンマになんでも知ってはるなあ。ああいう物知りの人には、知恵のサバなんか必要ないんやろで」

「有識者なあ……」


 物知りの爺さんの後ろ姿を見送ってから、オレは少女に向き直った。


「知恵のサバというものがあるんだってことは分かった。分かったが、本当にそれを食って知恵が付くのかよ?」

「モチのロンやで。知恵のサバの小さな体にはな、とてつもなく頭に効く栄養素が、これでもかってぐらいギュウギュウに詰まっとるらしいねん。脂をペロリとするだけでも、どえらい効き目を実感できるらしいで!」

「そんで、知恵のサバとやらは、どう食うのが美味いんだ?」

「煮るなり焼くなりなんなりとや。干し物にするのもええんとちゃうか。でも生で食うのはやめときや。お腹を壊すかもしれんさかいな」


 食えば知恵がつくという触れ込みのようだが、生け簀の中で泳ぐこの魚自体には、ちっとも知恵が回っていないように見える。


「伝説のウルトラフードである知恵のサバを、たった1000ディールでご奉仕や。どや、オニーサン! 喉から手が出るくらい欲しくなってきたやろ?」

「とても残念なのだが、オレは魚を食うとジンマシンが起きる体質なんだ。だから遠慮しとくよ」

「食べ方を聞いとったから、てっきり買ってくれるかと思ったで。まあ、食べられへんのやったら仕方がないなあ」

「悪いな。そのサバが売れるかどうか分からんが、せいぜい頑張んなよ」

「もう! やからサバやないんやって。ええか、もう一回だけ教えたるから、ちゃんと覚えて帰ってや。こいつの名前は——」


「知恵のサバや」「知恵のサバだろ」


 オレの声と少女の声がダブった。少女はなぜか上機嫌である。こいつ結局は、「知恵のサバ」って言いたいだけじゃあないのか。


 そのとき、目の端に何か動くものを発見した。

 見ると、生け簀の方に、ネコがそろりそろりと近づいてきている。さっきの無愛想なサバトラの猫だ。

 

「おいおい。野良猫がお前のサバを狙っているぞ」

「やから、サバとちゃう……って、え?」


 奴は生け簀に顔をつっこむと、のんびりと泳いでいたサバを口でパクリと咥えた。


「ああっ! ウチの商品になんちゅうことをっ!」


 少女はようやく猫の存在に気が付いたようだが、時すでに遅し。

 猫はサバを咥えたまま、街の方へと走り去った。


「こらー! この泥棒ニャンコっ! 食うんやったら金払ってから食わんかーい!」

 

 お魚を咥えて走り去る猫の後を、少女は大慌てで追いかけていったが……残念ながら、あの足の遅さでは追いつけまい。

 

「まったく。朝から騒がしいことだなあ」


 

 散歩を終えたオレは、いつものように黒犬のチョビ髭亭へ迎い、いつものように自分には全く良さが分からない流行曲を演奏し、いつものように自室に帰って、寝た。



 ☆ ☆ ☆ ☆


 ふと、腹のあたりに重みを感じて目を覚ました。

 

 部屋の窓を見ると、微かに空が明るんでいるのが見えたが、いつもの起床時間にはまだ早い。二度寝を決め込んでも良い時間である。


 ……が、やはり腹のあたりが重い。

 それに、身体がうまく動かん。


「う、ううん……」

 

 これは、あれか? 世に言う金縛りというやつか?

 そう思ったが、腕はしっかりと動く。なんなんだ? 

 寝ぼけ眼をこすりながら、腹を見ると……。



 オレの腹の上に、サバトラ柄のネコが乗っていた。


 

「ううむ……こいつは、どこから入りやがったんだ? ほら、さっさと向こう行きな……」


 手でしっしっ、と追い払うが、ネコはオレの腹から全く動かない。


「窓が開いておったから、勝手に入らせてもらったぞ」

「……あん?」


……まさか、誰かいるのか。誰が話している?


「我輩だ。我輩がお主に話しかけておる」

 

 オレは再び、腹の上のネコを見た。

 よく見ると、コイツは昨日、知恵のサバなる魚を咥えて走り去った、あのサバトラである。なぜ、こんなところに居るんだ、こいつは?


「もしや、寝ぼけておるのか? ぐうたらな奴であるなあ」


「うるせえなあ……って……うわあっ! ばっ、ばばば、化け猫っ!」

 

 ようやく頭がはっきりしたオレは、慌ててそいつを押しのけ、ベッドからがバリと起き上がった。そいつは身軽にヒョイと床に着地した後、


「化け猫だと? 失敬な。我輩は至って普通の猫である」

「普通の猫がしゃべるかよ!」


 なんなんだ?


 オレはまだ夢を見ているのか? それとも、天才が抱える苦悩が限界を迎えて、常人には見ることが出来ない幻が見えているのか?


「我輩としては、普通の猫のつもりなのだが……実は昨日から、人間の言葉が話せるようになったのである」

「ど、どういうことだよ?」

「正確にはだな。昨日、あのサバを食ってから、人間と話せるようになったのである」

「サバだとぉ?」


 まさか、あれか。

 食うと知恵が付くという触れ込みの……まさか、あのサバは本物だったのか!?

 

「だ、だがな……どう考えたって、ネコが喋るわけがないだろうが」

「現にこうして話せておるのだ、現実を受け入れたまえよ」


 何度も目をこすり、部屋の中を見渡してみるが……どうあがいてもこれが現実のようだ。オレは確かに猫と会話している。


「わ、分かった、あの知恵のサバなる怪しい魚を食って、話せるようになったんだな? よしよし、オレは芸術の大天才だから、並みの人間が受け入れがたいことでも受け入れる……よし、受け入れたっ、オレ様は天才だ!」

「良く分からんが、お主が天才で助かったぞ。実は、少々困っておってだな……」

「何を困っているんだよ」


 オレが尋ねると、しゃべる猫はとても言いにくそうに言葉をつづけた。


「我輩が盗んだサバを売っておったあの少女がだな。どうやら、我輩の事を探しておるらしいと、同胞から聞いたのだ。どうやら、カンカンに怒っているらしい」

「自業自得じゃねえか」

「まあ、その通りなのだが……すまぬが、少々かくまってもらえまいか」

「お前をかくまっても、オレに何の得もないだろうがよ」

「む、むう……」


 ふと、子供の頃に飼っていた、子猫のポスのことが頭に浮かんだ。

 こいつはポスでは無く、またポスはしゃべらないのだが、可愛い猫であることには変わりがない。

 

 やはり、オレは今でも、どうしようもなく猫が好きなのだ。


「分かったわかった、そんなしおれた顔をするんじゃあない! ほとぼりが冷めるまでかくまってやらあ」

「ほ、本当かっ!」

「ああ。しかしだな、にゃあと鳴いて見せるなり、人様に対してもっと可愛げのあるところを見せてみなよ」

「にゃあ……これで良いか?」

「全然良くねえ。サバ食って、猫本来の鳴き方を忘れちまったのか? 鳴き声が人間臭くなってんじゃねえか」


 そのように、オレが指摘すると、「むむっ、それは困る!」と慌てたような顔をした。


「お前が困ろうがどうしようが関係ねえ」



 こうして、演奏の大天才であるオレ様と、しゃべる賢い猫との生活が始まった、そういうわけである。


本作に登場する「知恵のサバ」は、ケルト神話に登場する「知恵のサケ」を元ネタとしております。

知恵のサケは、フィアナ騎士団の団長であるフィン・マックールが食べた魚です。彼は、知恵のサケを焼いている時に、跳ねた油によって親指を火傷しましたが、その後、親指をなめることによって、知恵を得られるようになったといいます。知恵を得るようになった他に、癒しの力を得た水を作ることが可能になったともされています。

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